2.俳優としての2作品 〜『アメリカン・グラフィティ』と『ラスト・シューティスト』〜

 

 子役として芸能生活をスタートさせたロン・ハワードには、決して少なくない映画出演作もあるが、中でも後の映画監督としてのデビューにあたり、大きな蓄積を得たであろう、2本の劇映画出演作品に触れずにはいかない。

 1本目は、製作者たちの、未来への野心ではちきれんばかりの作品、『アメリカン・グラフィティ』(1973)である。デビュー作『THX-1138』(1971)が、興行的に納得のいく結果を残せなかったジョージ・ルーカスの2作目であり、『ゴッドファーザー』(1972)の大ブレイクで気鋭の新巨匠、フランシス・コッポラのプロデュースによる青春映画だ。

 共演者としても、直後の『ジョーズ』(1975)、『未知との遭遇』(1977)で立て続けにスティーブン・スピルバーグの記録的ヒット作に主演し、同時に『グッバイ・ガール』(ハーバート・ロス 1977)で史上最年少(当時)のアカデミー主演男優賞を受け、まさに順風満帆のリチャード・ドレイファス。それに同時期に『スター・ウォーズ』(ジョージ・ルーカス 1977)のハン・ソロ役を獲得し、トップスターに上り詰めるハリソン・フォードが、小さな役ながら出演していることでも、見逃せない作品である。ここには何もかもが若く、誰もがスターへの出世街道を歩み始めようとしている、後のハリウッドを背負って立つ人材たちのエネルギーが詰め込まれている。

 もう1本は、『アメリカン・グラフィティ』のギラつく野心とは対照的に、古きハリウッドの鎮魂曲のような作品、『ラスト・シューティスト』(1976)である。

 既にジョン・フォードもハワード・ホークスもない70年代後半、西部劇を撮れる最後の職人ドン・シーゲルが演出を担当した、ジョン・ウェインの遺作。共演はこれもハワード・ホークスの遺産ともいえる、ローレン・バコール。そして、よきハリウッドの象徴ジェームズ・スチュワートである。

 

 『バニシング IN TURBO』で監督デビューを果たす直前のロン・ハワードの、俳優としての大役2つが、こうしたまったく対象的な作品であることは、偶然というにはあまりに不思議、しかしあまりにもすばらしい偶然で、これはひとつの映画史の奇跡である。

 今まさに生まれようとするニュー・ハリウッドと、消滅しようとするグッド&オールド・ハリウッド。その2つを監督デビュー直前のロン・ハワードの体を通過したということは、後のハワードのスタイルとあわせ、とても興味深いことだ。

『アメリカン・グラフィティ』の監督ジョージ・ルーカスは、もちろん4年後の次回作『スター・ウォーズ』のメガ・ヒットによって、次世代の超メジャーとなる。しかしその実体は、大手ハリウッド・スタジオとは適当な距離を保ち、SFX工房ILM(Industrial Light Magic)を自ら興しつつ、自らのプロダクションであるルーカス・フィルムを基点とした製作を続ける、インディペンデントな作家である。このへんは、アンブリンやドリーム・ワークスSKGといった自分の会社を持ちつつも、ユニバーサルやワーナー、パラマウントなど、従来のハリウッドメジャーと巧みな提携を得ながら作品をリリースする、盟友スティーブン・スピルバーグとは、やや異なる点である。こうしたジョージ・ルーカスの、映画界における独自の立ち位置は、自らもイマジン・エンタテインメントという会社を興し、可能な限り製作上の自由を求めようとするロン・ハワードのスタンスと重なるだろう。

またその一方で、ドン・シーゲル作品の中で、ジョン・ウェイン、ローレン・バコール、ジェームズ・スチュワートといった巨星たちと、すんなり共演できてしまう感性。その事実は、今後のロン・ハワード作品にみられるクラシックな感性を思うと、抵抗なく納得できることだろう。

逆に言うと、70年代のアメリカ映画の主流となった、超個性的な演技派俳優達。すなわち、1953年生まれのロン・ハワードに先行してスターの座を築いた世代である、ジャック・ニコルソン、ダスティン・ホフマン、ウォーレン・ビーティ(共に1937年生)や、ロバート・デ・ニーロ(1943生)、アル・パチーノ(1940生)たちのような、70年代的な時代のイコンたちとは、「俳優」ロン・ハワードは到底相容れなかったことも確かだろう。

清潔で感じはいいかもしれないが、強烈でギラつく個性とは無縁の、はっきり言えば人畜無害なルックスのロン・ハワードは、大人の俳優として8〜90年代をサバイブすることは難しかっただろう。二枚目かもしれないが、『スター・ウォーズ』旧3部作の主演を得ながら、映画スターとしては大成できなかった、ルーク・スカイウォーカー役のマーク・ハミルがよい例かもしれない。実際、『アメリカン・グラフィティ』のDVDに収録されたインタビュー映像において、キャスティング・ディレクターのフレッド・ルース自ら、「(ロン・ハワードは)いかにもテレビ向きで、映画には不向きだと思っていた。18歳にして既に下り坂にいると私には映っていた」と、これは正直なところを語る。ハワード自身も「なぜぼくが選ばれたのか、今もって謎さ」と言う。

だがしかし、『アメリカン・グラフィティ』という映画においては、逆にその平凡さこそが求められたのだろうと想像する。ここでのハワードの役どころは、後にも触れる通り、妙に分別はあるが、他人の気持ちには鈍感きわまりない凡庸な優等生である。この映画の狙いとして、個々のキャラクターにはなるべく意味を持たせず、過剰に時代を象徴してしまわないようにするには[]、俳優としてのロン・ハワードのクリーンさは格好の素材だったのだろうと思う。

同様の意味で、ジャンルとしての西部劇が基本的に終焉した後の、その残滓のような『ラスト・シューティスト』で、まるで失われようとするアメリカのイノセンスを体現するかのような、いかにも「若造」そのものといったロン・ハワードの真っ正直なルックスは、映画の中に自然に収まるものだっただろう。すなわち、ジョージ・ルーカスとジョン・ウェインを横断できる肉体、それが俳優ロン・ハワードだったのである。

 

『アメリカン・グラフィティ』は、高校卒業を控えるカリフォルニアの若者たちの、ある1夜を描いた作品である。舞台は1962年。ケネディ暗殺の前年であり、合衆国による北爆開始の3年前。アメリカが「若い国」でいられた最後の年だ。

冒頭から鳴り響く、ビル・ヘイリーと彼のコメッツによる『ロック・アラウンド・ザ・クロック』。全編に50年代ロックミュージックが流れるこの映画はまた、ビートルズ、ローリング・ストーンズらが、世界を覆いつくす以前の、陽気なロック最後の時代でもある。そのことを示す、興味深いシーンがある。

夜の道路を愛車で流していて、なんとか隣に乗っける女の子をひっかけたいジョン(ポール・ル・マット)。ところが、やっとのことで乗っかってきたのは、まだ中学生になるかならないかのキャロル(マッケンジー・フィリップス)で、一夜の恋の対象になどなりはせず、ジョンは不機嫌なことこのうえない。

その時カーラジオから、ビーチ・ボーイズの『サーフィン・サハリ』が流れてくる。ジョンはそれをぶちっと切る。キャロルが「好きな曲よ!」と言ってまたつけようとするが、ジョンは「サーフはきらいだ」と、にべもなくそれを消してしまう。その時のジョンの言い草は、「ロックはバディ・ホリーまでだ」である。

『サーフィン・サハリ』の発表年は1962年だから、この映画の舞台である1962年ではまさに新曲という設定。ビートルズのアメリカ上陸は1964年。ストーンズのレコード・デビューが1963年だから、『アメリカン・グラフィティ』は、まさにニュー・ロック登場前夜でもあるのだ。「ロックはバディ・ホリーまでだ」と言い切ってしまうジョンなら、その後のロックを受け入れはしないだろう。

陽気にティーンエイジャーの恋を歌い上げる50年代ロックが終ろうとしている。『アメリカン・グラフィティ』は、50年代から60年代へと移行し、アメリカがイノセンスを失う最後の日々を描く作品だ。インタビューでもジョージ・ルーカス自身が、「ベトナム戦争と、イギリス・ロックがすべてを変えてしまったんだ」[]と、若干の否定的なニュアンスを込めながら語っている。ここで、ルーカスやコッポラ、スピルバーグ一派の、ロックに対する見解を探りたいところだが、それについては稿を改めるべきだろう。いずれにせよ、ここでは俳優としてのロン・ハワードは、アメリカの無垢(らしきもの)が失われようとする作品に参加している、ということを強調しておきたい。

 

ともあれ映画は、奨学金も得、翌日には都会の大学に旅立つことになった街一番の秀才カート(リチャード・ドレイファス)が、実は進学を迷っていて、街に残るべきではないかと考えている、とボヤくところから始まる。

そんなカートをたしなめ、くだらん臆病風を吹かしたりするな。でないと、一生この街を出られないぞ、と野心と自信たっぷりで、やはり翌日には進学が決まっている優等生スティーブを演じるのが、ロン・ハワードである。いかにも青二才なハワードの姿が初々しい。

そんな2人とたむろするのが、レース狂でマッチョな先述のジョンと、気の弱いお調子者テリー(チャールズ・マーティン・スミス)である。この4人組が最後の夜を楽しもうと、それぞれ車で流すだけの物語だ。

カートは車で流すうちに、謎のブロンド美女(スザンナ・ソマーズ)を目撃し、一目で恋に落ちる。しかし、惜しくも彼女を見失ったカートは、何とか再会して言葉を交わそうと夜を徹して車を走らせる。

問題のロン・ハワード演じるスティーブである。彼にはちゃんとしたステディのローリー(シンディ・ウィリアムス)がいるのだが、翌朝は大学に進むため、彼女を残して街を出なくてはならない。そのことについて、彼は車の中でこんな勝手な申し出をする男だ。

「(僕たちは)大人だから、発つ前に協定を結びたい。離れている間は自由に交際しよう」

要するに、大学に行って寮生活が始まったら、僕は(君をキープしつつ)他の女の子ともデートしたいから、君も気にせずデートくらいならいしていいよってことだ。いぶかしむローリーに、これはお互いのためで、そうすることで、本当の愛が確かめ合えるはずだと、いつの世も変わらぬ、何の根拠もない「男」の論理を押しつけるスティーブ。

「そうね、もう子供じゃないんだから。5000キロも離れて、恋人があなただけなんて不自然よね」

と、口では言いながらも、スティーブからプレゼントされたとおぼしきネックレスをはずすローリー。それを見たスティーブ、あわてて「何もはずさなくても・・・」と、取り繕うが、ローリーは皮肉で逆襲する。

「はずしただけよ。部屋に飾るわ。だって子供っぽいから」

この映画において、スティーブとローリーは最後までこうした痴話ゲンカを繰り返すことになる。

そうする間、お調子者のテリーは、スティーブに借りた車を乗り回しながら、口先だけで、無理にマッチョを気取り、奔放な少女デビー(キャンディ・クラーク)を車に乗せることに成功するものの、彼女に求められるがままにウィスキーを買おうとして七転八倒したり、ペッティングにもつれこんだはいいが、肝心の車を盗まれてしまったりと、この映画のコメディ・パートを一身に引き受けている。

一方、謎のブロンド美女を捜し求めるカートは、伝説のDJウルフマン・ジャック(本人)に出会い、彼のはからいであこがれの美女と電話で話をすることに成功する。

さて、関係がもつれにもつれて、とうとうスティーブを見捨てたローリーが乗り込んだ車を運転する青年が、ハリソン・フォード演じるボブである。今から振り返っての後づけなのかもしれないが、清潔で坊ちゃん風な俳優ばかりが登場するこの映画において、彼だけがただ1人、後の大スターを予感させるに十分な、極端な野性味を放っている。カウボーイ・ハットまでかぶって、ポール・ル・マット演じるジョンとはまったく違う、暴力的なマッチョぶりである。

映画のクライマックスは、そのジョンとボブのレース対決だ。ボブの車はバランスを崩して横転。同乗していたローリーは仰天して、スティーブの胸に飛び込むことになる。

翌朝、悔いのないドレイファス演じるカートは、大学進学のために街を出る。そして、進学に迷うカートを痛罵した、ロン・ハワード演じるスティーブは、こともあろうにローリーとの愛を深めるために、進学を延期することを決意する。

この映画のラストでは、直後ベトナム戦争に突入したアメリカで、彼ら若者4人のその後を字幕で説明することで、甘いマシュマロのような青春映画の装いをやめ、まさしく1973年に作られた映画特有の時代環境的な苦さと、切なさを伴って終る。それによるとスティーブは、その後、保険外交員として働くことになるという。

このように、ロン・ハワードが演じたスティーブというキャラクターは、一見野心と自信たっぷりに見えながら、その実、確たる信念もなく(その点では、執拗にブロンド美女を追い回すカートの方がよほど野心的だ)、上っ面の言い分で恋人を困らせ、説得できないとみるや進学すらも延期する、いささか困った優柔不断ぶりをみせる。ちょっとインテリっぽくも見える、俳優ロン・ハワードとしてはうってつけの役だったと言えるだろう。

ともかく、ロン・ハワードはここでジョージ・ルーカスという重要な人脈を得ることになる。監督となった後、ハワードはルーカスのプロデュースのもと、ファンタジー・アドベンチャー大作『ウィロー』として実を結ぶだろう。それに、初めての大がかりなSFX作品『コクーン』を撮るに当たっては、ルーカスや彼の紹介によるスピルバーグからの助言も少なくなかったという。

 

そんな『アメリカン・グラフィティ』の3年後。俳優ロン・ハワードは、ドン・シーゲルの西部劇『ラスト・シューティスト』に出演する[]

冒頭に記したとおり、西部劇の巨人ジョン・ウェインの遺作となった作品である。改めて振り返るまでもなく、製作された1976年には既に、ジャンルとしての西部劇は終了している。そのギリギリ残滓として、いわばジョン・ウェインの記念碑のように製作された作品だ。

製作時点では、ジョン・ウェインが、自分の全身がガンに蝕まれていることを知らず(しかし、本当に知らなかったのだろうか)、必ずしもこれを最後の作品にしようというつもりはなかった。けれど、ガンを宣告された老ガンマンが、最後の決戦を行うというこの映画の内容は、あまりにも現実をなぞっているかのように見えるし、しかも冒頭では、過去のジョン・ウェインの勇姿を讃えるかのように、『リオ・ブラボー』(ハワード・ホークス 1959)や『リオ・ロボ』(ハワード・ホークス 1970)など、彼の旧作の名場面を散りばめつつ始まる。

そして、そのナレーションはロン・ハワードその人である。

「ベトナム戦争とイギリス・ロックがすべてを変えてしまう」その直前、ハートウォーミング50年代を追悼するかのような、『アメリカン・グラフィティ』の青年が、今度は古いハリウッドの大スターの最後の姿を見送ろうとしている。そしてそれはまた同時に、西部劇という、よきアメリカ映画の最後の姿でもある。

ロン・ハワードが俳優として出演した2作品は、ルーカスらニュー・ハリウッドの野心作と、古きよきオールド・ハリウッドの記念作といった具合に、対照的であると同時に、どちらも、国としてのアメリカが大切な何かを決定的に失ってしまう、そんな分岐点を描いた作品であるという意味で、同じだともいえる。この映画史の新しさと古さの対照性と、追悼という意味での同一性。ロン・ハワードはこの相反する2点を一身に受ける、不思議な星のもとに生まれた映画人なのである。

 

『ラスト・シューティスト』は、とある西部の町に老ガンマン、J・B・ブックス(ジョン・ウェイン)が、ふらりと流れてくるところからはじまる。

不案内な土地のため、道の真ん中で往生していると、ちょうどやってきた駅馬車の運転手に「邪魔だからどけ!」とどやしつけられる。慇懃無礼に帽子をとって、道をあけるウェイン。しかし礼をわきまえぬ運転手に「バカめ」と言い捨てる。それにむっとして、腰の拳銃を抜こうとするが、「殺す価値もないよ」と隣席に座ってそれを制する少年ギロムが、ロン・ハワードだ。少年は続けて「老いぼれだもの」と言い放つ。

「そうさ老いぼれさ」と自嘲気味につぶやきつつ、両者は離れていくが、ギロムはその後ろ姿をわずかに気にしている風情だ。

ブックスはまず、旧知の医師を訪問する。この老医師を演じるのが、『スミス都へ行く』(フランク・キャプラ 1939)や『翼よ! あれが巴里の火だ』(ビリー・ワイルダー 1956)など、アメリカの良心を代表してきたジェームズ・スチュワートである。ウェインとスチュワートの共演はジョン・フォードの『リバティ・バランスを射った男』(1962)以来のこととなる。

ここで、再会の喜びを語り合った後、ブックスは老医師に体の不調を訴えるが、残念ながらそれは癌であり、余命いくばくもないことを告知される。実はその診断結果は別の町の別の医師から、既に宣告されていたのだが、西部の男ウェインは、絶対に信頼できる医師の見立てによってのみ、初めて事実を受け入れることができるのだ。

鎮痛のためのアヘンチンキの壜をわたされたブックスは、余生を過ごすための宿を老医師に紹介される。その宿を女手一つで賄うロジャース夫人がローレン・バコールだ。そして、彼女の息子を演じるのが、冒頭でウェインを「老いぼれ」よばわりした、ロン・ハワードというわけである。

ブックスは実は伝説の「殺し屋」として知られた男だった。夫人にはその身分を隠して、保安官として投宿する。しかし実は「殺し屋」という事実を知って、伝説の男が自分の家にいることに子供っぽく浮かれるギロムに対し、夫人は立ち退きを要求する。けれど彼女は、ブックスの哀願と余命いくばくもないことを聞いて、迷いながらも宿泊を認める。反発し合いつつも、次第に心を通わせあう2人。堂々として紳士的なブックスは、野蛮で危険な悪党なんかではないことを彼女は知るのである。

そんなブックスにすっかり魅了されたギロム少年は、ブックスに銃の指導を受ける。

こうしてロン・ハワードはジョン・ウェインが銃の手ほどきをする、最後の男となった。

この指導シーンは、実に興味深く作られている。射撃の腕そのものはハワードも悪くないのだ。2人は順に白樺の幹を狙うが、命中率ではハワードもウェインに比べて決して劣るわけではない。ハワード扮するギロム少年はウェインに聞く。

「なぜこれまで勝ってこれたの? 腕前はぼくと同じくらいだ」

ウェインの教えはこうだ。

「撃ち合いは常に正々堂々と行う。早くて正確なだけでなく、強い意思が必要なんだ。ところがたいていの男は強い意思を持っていない。撃つ前にまばたきをしたり、息をする。わしはしない」

ここでギロム少年(ハワード)は、黙ってブックスの話を素直に聞いているのだが、しかし笑顔を浮かべつつも、実に曖昧な表情を浮かべていることに注意しておきたい。彼はウェインの話を実はあまり理解していないのではないか、そんな漠然とした、つかみどころのない愛想笑いなのだ。

そもそもこの場面が、ジョン・ウェインが、その圧倒的な銃の腕前をみせつけるような、痛快な展開になっていないことが、既にこの映画が何かを訴えようとしてはいまいか。西部劇のセオリーとしては、ここで銃の達人による胸のすく銃さばきが見られるはずなのだ。

おそらく『ラスト・シューティスト』では、100発100中の、コンマ何秒の早撃ちといった「伝説」などないことを伝えようとしている。そうじゃなく、ガンファイトとは心の問題なのだと。ここで、ハワード演じるギロム少年は、明らかにがっかりしているのだ。自分と同じ銃の腕前の西部の伝説の殺し屋だって? と。西部の終焉とともに、旧世代が新世代に伝え損なったものが、この場面に集約されているような感すらある。

旧ハリウッドの遺産を引き継ぐにあたって、ジョン・ウェインが銃を教える最後の俳優として、ロン・ハワードが学び損ねている若者を演じたというのは、とても興味深いことだ。

やがて、伝説の殺し屋が街にいることを知った無法者どもが、宿に襲撃をかけるようになる。静かに暮らしていられなくなったブックスは、最後の決戦に乗り出すことになる。どちらにせよ、癌に蝕まれた残りわずかな人生。寝たまま死ぬのを待つのは御免蒙るとばかりに、散髪し、きれいに髭をあてて戦地に乗り込もうとするブックスの姿は、一種の儀式性すら帯びて、夫人との最後の別れを惜しむ。生きて帰れないことはわかっているのだ。

来るべき、サルーンでの凄絶な果し合いの末、ブックスは勝負にこそ勝つが、思いもよらぬ相手の背後からの銃で命を落とす。決闘の一部始終をみつめているのはロン・ハワードだ。ジョン・ウェイン最後の戦いを目に焼き付ける未来の巨匠。

背後からの弾に倒れた西部の伝説の仇を、ハワード演じるギロム少年が、これは正面から堂々と撃つ。その銃を苦々しげに捨てるギロム。銃による落とし前はこれが最後という意思表明である。ちょうど現場にやってきたジェームズ・スチュワートには、目もくれずにギロムは酒場を出る。

その酒場を出るギロムを写すカメラは、ここだけ手持ちカメラによるリアリスティックな表現、すなわちアメリカン・ニュー・シネマな雰囲気を与えている。カメラは揺れ、構図は斜めにひしゃげ、逆光で写りこむ日光はハレーションをおこしている。西部の巨人の仇を討ち、その銃を捨てたところで突如、映画はそれまでの古典的なカメラワークを捨てる。旧から新への引継ぎ完了である。

 

気難しいことで知られたジョン・ウェインだが、撮影中、ハワードとはよく馬が合ったようだ。撮影の合間には、チェスを楽しむなど、かなりかわいがられたらしい。そして、ジョン・ウェインが彼をどんなに気に入ったかということは、「これまでに組んだ子役で一番うまい」と広言していたことのみならず、(ついに撮られることはなかったものの)次回作の監督に、ロン・ハワードを望んでいたことからもうかがわれる(実現していたらすばらしかった!)[]

こうして、『アメリカン・グラフィティ』に引き続き、ロン・ハワードは若くしてどんなベテラン俳優とも、コミュニケートできる方法を身につけた(いや、もともと備わっていたのか)。なにせ、ジョン・ウェイン、ローレン・バコール、ジェームズ・スチュワートを相手に立ち回ったのだから無敵である。そんな彼の、超ベテラン俳優たちから信頼を勝ち得る天分は、老人の集団劇である、後の監督作品『コクーン』へと、存分に生かされることになるだろう。

この章では、ロン・ハワードが俳優としてのキャリアを終えようとするにあたって、どんなに不思議な映画史とのめぐり合わせに行き当たったかについて語ることが、狙いである。そしてその偶然が、ハワードに対するある種の畏敬を伴う、軽い驚きを読者に与えることができたら本望である。

前へ  次へ  TOP

 



【注釈】

[] 過剰に時代を象徴してしまわないようにすること。すなわち、個性豊かな登場人物を配して、彼らをある種のヒーローにすることは、この映画においては許されない。全員が観客と同じ目線にあり、等身大の人物として描き出すことで、観客が自らを映画の登場人物ひとりひとりに投影させることが、『アメリカン・グラフィティ』の使命である。

 

[] 『アメリカン・グラフィティ』DVD映像特典 「メイキング・ドキュメンタリー」による。前出のフレッド・ルースおよびロン・ハワード自身のコメントも同様。

 

[] 「俳優」ロン・ハワードを論じるうえで、その意義は『ラスト・シューティスト』に包含されると判断し、本稿では取り上げなかったが、この2本の間にあたる、1974年の『スパイクス・ギャング』への出演も記しておきたい。監督はやはり職人肌のリチャード・フライシャー。主演はリー・マーヴィンで、アメリカン・ニュー・シネマ末期のアンチ・ウェスタンである。銀行強盗スパイクス(マーヴィン)の命を救ったことから、彼と行動を共にすることになる、3人の若者(ハワード、ゲイリー・グライムス、チャールズ・マーティン・スミス)の物語。

 

[] ジョン・ウェインとロン・ハワードとの交流のくだりについては、ドナルド・シェパード/ロバート・スラッツァー/デイブ・グレイソン『DUKE ジョン・ウェイン』(高橋千尋・訳 近代映画社 1989)を参照した。