24.あとがき

 

 この「あとがき」にも章番号をふったのは、意図したわけではないが、「24」という数字になるからだ。この数字がいかに特権的であるかは、ぜひ『ダ・ヴィンチ・コード』の章を参照していただきたい。

 その『ダ・ヴィンチ・コード』。ロン・ハワード作品としては、きわめて特異な存在ではあるが、初めて観た時から、そのラスト・シークエンスについては、震えるような魅力を感じていた。

その魅力の源泉として、垂直のカメラと平行のカメラがクロスし、それがちょうど十字架を形成する。そしてそこにひざまずくトム・ハンクス、というイメージにあることを発見できたとき、私はこの『ロン・ハワード 〜アメリカ映画の継承者として〜』を完成させられるという確信を持った。

 

 最初にロン・ハワードについて、まとまったものを書きたいと思ったとき、私の中には迷いがあった。書き方のスタイルとして2つあると思ったからだ。1つには蓮實重彦『監督 小津安二郎』、もう1つには佐藤忠男『小津安二郎の芸術』。どちらのスタイルで行くか、ということだ。どちらも、1人の映画作家についての最良の文献として、常に仰ぎ見るべき両極端だと信じるからである。

 前者は、「否定すること」、「食べること」、「着換えること」など、様々なテーマをキーにして、小津安二郎の作品世界を浮かび上がらせるというやり方だ。

 そして後者は、小津の作品を11本個々にレビューしていくという、作品論集的なアプローチである。とはいえ、こちらは、上巻において「小津作品のスタイル」、「生いたち」など、テーマ論的な稿を中心においていることから、全体としては極めて総合的かつ網羅的な書物といって差し支えない。

 私自身は前者のスタイルに、激しくひかれながらも、結局後者のスタイルを選んだ。その一番大きな理由は、ロン・ハワードは現在も存命中の映画作家であり、今まさに新作が撮られつつある人物だからだ。そうした場合に、蓮實『監督 小津安二郎』の書き方はやはり選択し得ないだろう。何しろ、ロン・ハワードはその全フィルモグラフィーにおいて、まだ「後期」でも「晩年」でさえもないのだ。

 そしてロン・ハワードの作品群には、今のところあまりにも言葉が与えられていない、という苛立ちがあった。だから、今後別の誰かがロン・ハワードについて何かを考えるときに、資料的にも見識的にも、最初の基本文献として体を成したいという、いささか思い上がった考えも、またある。であるからには、全作品を個々にレビューしておく価値は、十分にあるだろうと判断した次第だ。いろんな意味で、佐藤『小津安二郎の芸術』を範とするのが、最適解であろうと考えた。

 ただ、気持ちのうえでは、この両書籍のスタイルを併せ持つよう、及ばぬながら、せめてもの出来得る限りで努力したつもりだ。キーワード的な切り口で書いたものは、第14、17、21章の3つの「エッセイ」としてまとめてみた。

それに、論としてはロン・ハワード全作品のレビューを集めただけの体裁をとるが、それらすべてを貫く筋として、さまざまなテーマに言及することを心がけている。それこそが、副題にも示した通り、古典的なアメリカ映画を継承しようとするロン・ハワードの姿というわけである。

 そして、スピルバーグの影響圏から逃れようのない時期から映画を撮り始め、1984年にその決定的作品を放つことになる、「84年の世代」――ロン・ハワード、ロバート・ゼメキス、ジェームズ・キャメロンという集団としての位置づけ。

 個別のテーマとしては、特徴的な「垂直のカメラ」や「第三の視線」、「向かい合うことと、並ぶこと」などの視線である。

 以上のことが、せめてもの笑止な大言壮語になっていないことを、願うのみである。

 

蓮實や佐藤による前述の書物や、山田宏一『トリュフォー、ある映画的人生』、浅沼圭司『ロベール・ブレッソン研究』、それに現在書かれようとしている、山根貞男『マキノ雅弘』などをわずかな例外として、我が国には1人の映画作家について、掘り下げ抜いたモノローグがあまりにも少ないのはどうしてなのだろう。

海外に目を向けるなら、ベルナール・エイゼンシッツ『ニコラス・レイ ある反逆者の肖像』、ドナルド・スポトー『アート・オブ・ヒッチコック』、ジョセフ・G・キッカソーラ『フィルムズ・オブ・クシシュトフ・キェシロフスキ』(未訳)などの充実しきった研究書、評伝の類を含めると膨大な書物がリリースされているというのに。

私自身はそういう状況に、大海に砂粒を投げるほどの影響力もないとはいえ(そもそも出版の当てがないから、ネット上で発表するしかない有様だ!)、動き出さずにはいられないという思いから、ロン・ハワードについて書き始めたという次第だ。

なぜロン・ハワードなのかという点には、本文で存分に触れたつもりなので繰り返さない。しかし固有名詞としての映画作家は、ごく一部の天才的な存在を別として、それを顕在化させ浮上させるのは、やはり批評の使命だろうと信じている。

ヌーヴェル・ヴァーグの価値は、それを構成する個々の人物が映画史に残る傑作を作ったということの他、ジョン・フォード、ハワード・ホークス、オースン・ウェルズ、アルフレッド・ヒッチコック、ヴィンセント・ミネリ、フリッツ・ラング、エルンスト・ルビッチなどなどなど、あまたいる天才たちを、しかるべく映画史の星座の中に配置しえたことではなかったろうか。

そうであるならば、その恩恵をたっぷりと被った、後の世代がそれを踏襲しなかったら、何もかにもが引き継がれなくなってしまうのではないか。ただでさえ、玉石混交の新作が次々と公開され、封切が終わればヒットの大小にかかわらず、レンタルショップの「新作」コーナーに並んだかと思うと、数ヶ月後には作品の出来不出来とは無関係に、すべてが一律に棚の中に紛れ込んでいく、今日の映画産業にあっては。

毎週封切られる作品を、シネフィルとして時間のある限り鑑賞し、「目利き」としての鑑定家然として、それなりのレビューをしたためるのも、あるいは意味あることかもしれない。だって、21世紀の映画ジャーナリズムは、それすらもほとんど存在しなくなりつつあるのだから。けれど、そればかりをやっていても、勢い映画を「消費」するという行為に、加担するだけだという思いを禁じることはできない。

こうした考えが古臭く、時代錯誤な「作家主義」の真似事というそしりは免れないかもしれない。けれど、映画を体系的にとらえ、秩序だった意識のもとに血肉とするためには、固有の人物名にこだわりぬくという姿勢があっても許されようし、また決しておかしくもないと確信する。

本稿をネット上の発表のみに甘んじ、出版の試練を経てもいない、たかが超弱小の一批評家ごときにしては、減らず口が過ぎることは、どうかご容赦いただきたい。しかし、訴えたいことは以上の通りだ。

 

ロン・ハワードという俳優出身の映画監督は、私にとって最も重要な人物であることから、本稿はほぼ2年をかけての作業となった。もっとも、ロン・ハワードについて一番初めに執筆したのは、第14章の「エッセイ1〜水に飛び込むことについて」である。『アポロ13』を観たその日のうちに、興奮冷めやらぬ想いで書いた短文だった。だから実質的にはほぼ10年を超えた作業になっている。その後も折に触れて書き継いできたものを、通読に足るものになるよう、本格的に加筆訂正を重ねてできあがったのが本稿だ。

執筆にあたって、最も頻繁に参照したのは、Beverly GrayRon HowardFrom Mayberry to the Moon・・・and Beyond”(Rutledge Hill Press)である。この書物はロン・ハワードの伝記として、現在のところ唯一出版されている、極めて充実した大部の書物である。

著者による、作品に対するなまじっかな主観や評価がほとんどなく、公正かつきわめて透明度の高い書物のため、余計な知見に惑わされることなく非常に役に立った。ただ、残念ながら『ビューティフル・マインド』のオスカー受賞を最終章とする出版物のため、それ以後の作品については記されていない。現在のところ増補もされていないので、是非近い将来改訂をかけてほしいものだ。

もう1冊しばしば参照した書物には、Barbara KramerRon Howard Child Star Hollywood Director”(Enslow Publishers’ Inc)がある。これは何と、子ども向けに書かれたロン・ハワード伝である。子役のスターとして有名なロニーは、努力の甲斐あって念願の映画監督になり、ついにはアカデミー賞もとりましたといった類の、シンプルで薄い本だ。子ども向けの本だけあって、平易な英語である上に、情報としてはGrayの本に準じる部分も多数あるので、概要をつかまえるのに非常に役に立った。

 

そういえば、ちょっとした思い出も記しておくと、2006年にオーストラリアはキャンベラ大学のシンポに参加した際、チェックイン前にホテルに預けたバッグを丸ごと紛失されたということがあった。

そのバッグには、この2冊と、執筆のための構想ノートを入れたままだったので、心底青ざめたものだった。結果として、帰国する当日に奇跡的に発見されて戻ってきたのだけど、最後まで見つからなかったら、完成が遅れるどころか、意気阻喪して執筆を放棄してしまったかもしれない。

バッグは他の団体客のものと混ぜて、タクシーの運転手が持って行ってしまっていたのだ。最後に1個だけ持ち主不明のバッグが余ったので、ホテルに戻って来たというわけである。正直者の運転手で助かったが、しかしなんで数日後に戻すんだよ、すぐに戻しに来てくれよと恨んだことも正直なところだ。

 

さて、この『ロン・ハワード〜アメリカ映画の継承者として』は、これをもって一通りの完結とするが、もちろんロン・ハワードは現在のところ、次回作が続々待機中である。

2008年中には公開が期待できる、“FrostNixon”。そして『ダ・ヴィンチ・コード』の前編にあたる『天使と悪魔』。今後は逐一のアップデートは行わないつもりだが、必然的に数年単位での(すなわち永遠に)増補改訂は義務づけられることだろう。その折々に、ロン・ハワードがどのような顔を見せているのか、そうしたことを含めて刻印していければよいと願っている。当たり前だがこだわりは一生続くのである。

そして本文中にも触れたが、私自身においては、1984年に『スプラッシュ』、『ロマンシング・ストーン/秘法の谷』、『ターミネーター』を同年中に、立て続けに観たということが、決定的な原体験となっている。映画について何かを書きたい、いや、書けるかもしれないと思った最初のきっかけでもあるし、何より一生映画を観続けようと固く決意したきっかけであった。

今回、ロン・ハワードについては存分に吐き出したつもりでいるので、次回以後は、ロバート・ゼメキス、ジェームズ・キャメロンに言葉を与える作業へと向かっていくだろう。そしてもちろん、彼らのはるか上空を旋回しているのが、スティーブン・スピルバーグという人物だ。

いずれにせよ、力の及ぶところではないが、永遠なる目標として、ここにあえて宣言してしまいたい。精進を重ねたいと思っている。

 

最後に、この2年近くにわたって、来る週末、来る週末、ほとんど朝になるまで、身悶えしながらPCのキーを叩いては、何度となく書くことに迷い、悩み、詰まった。一度書ききったのに、全面的に消去して一から書き直した章もあった。

そんな中、折に触れて激励し、適確なアドバイスをくださり、また何より筆者としては「そこをこそ読んでほしかったんだ!」というポイントを、胸のすくほど正確にご指摘くださった天津啓士郎さんに、心からの感謝を捧げたいと思う。最もよき理解者であり、最も厳しい批判者で、天津さんの折に触れてのお言葉がなければ、本稿はまるで違ったものになったか、最悪の場合、途中でやめてしまった可能性もある。天津さんは私に最後まで書ききる根気と、書いてもいいんだという勇気を与えてくださいました。

 

2008211日  東京 自宅にて

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