4.『ラブINニューヨーク』 (“Night Shift1982

 

念願の初監督作品『バニシング IN TURBO』が成功したものの、ロン・ハワードが次回作を撮るまでに、5年という決して短くない年月が経っている。もちろん、何もしていなかったわけではない。この間、実に3本のTVムーヴィーを演出し[]、さらに俳優としても『アメリカン・グラフィティ2』(B.W.L.ノートン 1979)を含み[]、人気TVシリーズ『ハッピー・デイズ』の第5シーズンのレギュラーを依然として続投(1980年に終了した第7シーズンで降板するまで、6年にわたる長寿番組となった)。多忙をきわめた時期を送っている。

テレビ俳優としての圧倒的な知名度がかえって邪魔をする形になり、「映画監督」という肩書きを名実ともに手に入れるために、ハワードとしては最も苦しんでいた時期といえるかもしれない。実際、1981年にはハリウッドのウォーク・オブ・フェイムに名を残しさえしたのである。だが、映画作家への決意がいかに固いかは、『ハッピー・デイズ』のレギュラー継続を求めて、出演料の倍増を提示した、パラマウントとABCのオファーを蹴ったことからもわかる。

「多くのテレビ番組をやったけれど、自分の中に演劇的な興味を呼び覚ますことはなかった。これから先、そのことが変わるとは思えない。俳優を続ける限り、ぼくは映画界で重要な地位を占めることはないだろう」[]

「監督の仕事に忙しくなれば、演技をする時間はなくなる。それで満足だ。俳優は常に待ちの存在だ。超スーパースターでもない限りは、つねにお呼びがかかるのを待たなければいけない」[]

この頃のこうした言葉に見え隠れする、あせりにも似た監督業への野心と、何より独立心の強さは、ルーカスやスピルバーグがそうであるように、イマジン・エンターテインメントという、後に自分のプロダクションを持って、映画製作を行う資質ともつながるだろう。

また同時にこの時期は、メジャーな劇映画の監督としてステップアップするための、修行期間だったとも言えるかもしれない。なお、余談になるが、この時期1981年には、後に『ヴィレッジ』(マイケル・ナイト・シャマラン 2003)で映画デビューする、長女ブライス・ダラス・ハワードが誕生している。

 

『ハッピー・デイズ』のレギュラーを終え、いよいよ映画監督として本格的な活動の機会をうかがうハワードは、ここで後の活動の基盤となる、決定的な出会いをする。『ラブ IN ニューヨーク』以後、現在にいたるまでプロデューサーとしてコンビを組むこととなる、ブライアン・グレイザーである。

ハワードよりも3つ年長のグレイザーは、ハワード同様にUSCOBである。ただし彼は映画でなく、最終的に法律を修めている。グレイザーの映画界入りのきっかけは、ワーナーの法務部への入社だった。しかし、製作側の方がよりうまい商売になるとにらんで、TVプロデューサーに転身。何本かのヒット作を手がけ、さらなるジャンプアップを狙っていた時期に、やはり映画監督への野心満々のロン・ハワードと出会ったのである。

『ラブ IN ニューヨーク』のアイディアは、もともとグレイザーが、新聞記事から持ち込んだものだ。ハワードはこのプロットを、『ハッピー・デイズ』のライター・チーム、ババルー・マンデルとローウェル・ガンツにコメディ色豊かなシナリオにまとめさせる。

しかし問題は資金繰りだった。駆け出しの製作者と、『ハッピー・デイズ』の青年俳優が演出するというプロジェクトに、気軽に出資する者はいなかった。

しかし救いの手をさしのべたのは、ワーナー系列のラッド・カンパニーを仕切っていた、アラン・ラッド・Jr.である。このとき仲介したのは、『アメリカン・グラフィティ』で関係を築いたジョージ・ルーカスだったという。

こうして『ラブINニューヨーク』のプロダクションがスタートする。主演には、やはり『ハッピー・デイズ』のレギュラー人気スター、ヘンリー・ウィンクラーを迎える。ここでも、ハワードがいかにTVシリーズのチームと、良好な仕事をしてきたかがわかる。ウィンクラーは、『ハッピー・デイズ』で、ハワードを上回る人気を獲得しており、いわばハワードとはライバル関係にあったのだが[]、いわば「格下」俳優の監督作品に出演することを受け入れるだけの、良好な関係を持っていたということだ。

その共演者として抜擢されたのが、当時無名の才人・マイケル・キートンである。キートンの騒々しくクレイジーな演技は、スマートさを是とするハワード作品には、そぐわぬ影響をもたらす可能性があった。実際、スタジオ側はキートンのあまりの破天荒ぶりを案じて、キャスティング変更をハワードに迫ったという。

しかしハワードは、それに組みしなかった。たしかに演出上は、このキートンの演出に最も腐心したはずである。しかし、抑制のきいた演出(キートンに必要以上の出番は与えない場面配分を意味する)と、主役のウィンクラーを喰いすぎない巧みな場面配分で、マイケル・キートンの魅力だけを引き出し、画面に活気を与えつつも、映画全体のカラーを損ねないよう、理性的な演出に徹した。この映画の成功は、キートンをバランスよく扱えたことに多くを負っているはずである[]

 

それにしても幸福感いっぱいの映画である。この映画が示す、何ともいえない温かさが、今後のロン・ハワード作品を特徴づけるイメージとなる。設定そのものはいささか物騒なものだ。主人公の職場は死体置場。そして映画のしょっぱなから、殺しである。

開巻早々、ニューヨークの街角を逃げる黒人男性。しかし逃げ切れず、彼は謎の2人組みに、椅子にしばられたまま、2階の窓から放り投げられてしまう。

たまたまその建物のすぐ下のコートで、バスケに興じている2人の若者の片方が、ダンクシュートを決めると同時に、そのゴールに放り出された男も盛大に落ちてくる。何ともショッキングな、しかしアクション感満点の導入だ。

殺された黒人男性は、娼婦たちを取り仕切る「ヒモ」だった。ショバ代を出し渋っていたために、見せしめとして命を落とすハメになったのである。その死体が運び込まれる死体置き場の管理人が、主人公のチャック(ヘンリー・ウィンクラー)であり、死体の身元確認に来たのが、娼婦のベリンダ(シェリー・ロング)。実は2人は同じマンションの隣同士なのだが、このときはまだはっきりと気づいていない。

チャックがいかに気弱で、妥協に妥協を重ねた生き方をしているかは、すぐに明らかになる。部屋に帰る途中では犬に追い回され、出前のサンドイッチの種類を間違えられても文句ひとつ言わずにこらえるのである。そのうえ職場(死体置場)に行くと、勤続年数が長いというのに、いきなり深夜勤務を命じられて文句一つ言えない。その深夜勤務にしてから、日中勤務の若者が昼間にさんざん散らかした、ソーダやスナックなどのゴミを自分で片付ける始末なのだ。そうしたうえで、自分が落ち着く観葉植物をロッカーから出し、フィアンセの写真を丁寧にデスクに並べる。

この男にとってさらに運の悪いことには、相棒になった相手が、騒がしく一方的な変人ビル(マイケル・キートン)であったことだ。常に落ち着きなくしゃべり続け、自分のことを「アイデアマン」と豪語し、一攫千金を夢見てろくでもないほらを吹き続ける男である。

そんな噛みあわぬ2人が組んで、重い気分で仕事をしていたある日、チャックはケガをして倒れているベリンダを快方することになる。ただし、快方するつもりが、ガールスカウトの子供たちに彼が襲ったと誤解されて、さんざんに殴られ、結局彼の方が快方されることになるのだが(チャックを殴る少女の1人が子役時代のシャナン・ドハーティ)。

チャックは神経過敏なフィアンセ、シャーロット(ジーナ・ヘクト)ともう一つ親密になりきれず、欲求不満に耐えかねていたが、これを機会にベリンダと急接近する。そして、ベリンダのケガをビルに話したことから、事態は急展開する。「ヒモ」がいない娼婦は客になめられる。だから、金を払ってくれなかったり、暴力をふるわれたりするというのだ。

ビルは「じゃあ、自分達がヒモになろう」と言い出す。始めは渋るチャックだが、いつしかまるめこまれて、死体置場をオフィスとして、娼婦のデリバリーを始めることになる。事務所は大成功。ビルもチャックも、もちろん娼婦たちも全員がハッピーであるかに見えたが、当然そうもいかなくなってくる・・・という筋書きである。

 

次第にひかれあっていくチャックとベリンダ。この映画は、娼婦、ギャング、死体置場など、ニューヨークのマイナス面ばかりを寄せ集めて作られているのに、なぜだか品のよいコメディになっている。

それは、出演者の誰もが潔癖な顔をしているし、マイケル・キートンも鼻つまみ者を演じてはいるが、決して下品なアクションやジョークはやらない。キツイ暴力描写やセックスシーンはなく、冒頭の殺人シーンにしても、何も知らずにバスケに興じる2人の若者のお笑いシーンと並行して描かれるので、少しもヴァイオレンスを感じさせない。そして、物語の大半は夜の設定だが(何せ原題が“Night Shift(深夜勤務)”だ)、室内シーンばかりなのでいつでも明るく、薄暗くサスペンスフルな場所では決して物語を進行させないことも、重要な演出ポイントだ。そうした画面作りが、この作品に明朗な雰囲気を与えている。

そして、シェリー・ロングが見事に表現した、キュートで清潔感のある、気立てのいい娼婦が、純愛に目覚めていくというこの作品の基本設定は、後に2本の重要なバリエーションを産むことになる。

純情な高校生(トム・クルーズ)が両親の旅行中をみはからって、高級娼婦(レベッカ・デモーネイ)の手引きで自宅を娼館にして小遣い稼ぎをする作品だ。この奇妙な青春コメディは、トム・クルーズをブレイクさせた。製作時期がかなりだぶっているはずなので、直接の影響関係はないかもしれないが、同じワーナー作品として関連する可能性はある。

もう1本は、『プリティ・ウーマン』(1990)だ。高級娼婦によるシンデレラ物語の代名詞のような大ヒット作だが、この先駆が『ラブ IN ニューヨーク』であることは決して忘れてはならないだろう。この映画でジュリア・ロバーツがスターダムを駆け上がったが、監督のゲイリー・マーシャルが、前述の通りロン・ハワードとヘンリー・ウィンクラーを擁するTVシリーズ『ハッピー・デイズ』の製作総指揮者だったことは、偶然でないはずだ。『プリティ・ウーマン』は間違いなく、『ラブ IN ニューヨーク』を母体とする作品である。

『ラブ IN ニューヨーク』の魅力を語るのは難しい。抜きん出て特徴的な何かが見出せるわけではないからだ。公開当時にいち早くレビューを発表した蓮實重彦も、この作品の魅力的な細部を紹介しつつ「悪くない」という言葉を繰り返し、「許せる映画というカテゴリーが存在するなら、『ラブ IN ニューヨーク』はまさにその典型である」[]という、もって回った賛辞を綴る。しかし実際、その通りなのだ。

とはいえ、やはりこの作品の冴えは、人間関係のバランス配分であり、その人物に好感を抱かせるテクニックである。女1人、男2人の物語だが、三角関係を匂わせるような無駄な葛藤が生じないので、物語が停滞しない[]

恋の芽生えは、ヘンリー・ウィンクラーとシェリー・ロングに焦点を合わせて、いささかも揺るがない。ロング以外の娼婦たちも大勢登場するが、これは文字通り「その他大勢」で、誰一人印象に残るような女性は出てこない。たとえば、ヒロインたちを見守るリーダー肌の娼婦とかが出てきたら、まるで映画の雰囲気は違ってしまっただろう。

問題は、ウィンクラーのフィアンセ役、ジーナ・ヘクトをいかに物語から排除するかなのだが、これも実に鮮やかに解決させる。彼女が重度の潔癖症であることを最初に見せておき、「ヒモ」の真似事をやったことから、ウィンクラーを刑務所にぶちこんでしまえばいい。すると、彼女の方からあっさりと三行半を突きつけるよう、勝手に物語が進むはずだ。

娼婦のシェリー・ロングの部屋の内装がすばらしい。娼婦という職業から連想させる、ケバく乱雑で散らかしっ放しの部屋ではないのである。狭いのはしかたがないとして、さっぱり片付いていて、朝日が気持ちよく差し込み、白に統一された室内には古いミュージカルのポスターが品よくあしらわれ、ちょっとウディ・アレンの映画に出てきてもおかしくないような室内設計なのだ。しかも料理が上手だったりもする。ただしTシャツとパンティ一枚で台所に立っちゃうような、コケットな一面まで持っていたりして、同棲相手としておよそ理想的なチャーミングぶりである。

このヒロインなら、気弱な主人公のチャックに、安心して添わせてあげたいという気持ちにさせられる。きっと何かの過ちから娼婦という商売を選ばざる得ない事情があったんだろうなという連想さえ浮かぶくらいだ。だから誠実そのもので、生真面目なチャックの組み合わせはおよそ理想的だという感情を無理なく支えてくれる。

そんな2人を支えるかのように、マイケル・キートンが程よく人情味を与え、コメディ・リリーフとして物語に活力を加えれば、あとはハッピー・エンドに向けてまっしぐらである。

 

また、これも一つのアメリカの弱者たちの物語だ。死体置場の深夜勤務という、底辺のそのまた下の職業の主人公。相棒はロシア系移民で、貧困層から何とかはいあがろうと、から元気だけで世を渡ろうとしていることがほのめかされる。そしてヒロインは娼婦。

ニューヨークを舞台にしてはいるが、彼らが闊歩するマンハッタンは決して華やかだけの街ではない。ネオンや人通りこそ賑やかだが、よく見ると背景に写る店の数々はストリップ小屋であり、成人映画館である。80年代ブロードウェイの猥雑さを生々しく記録している。主人公が通勤に使う地下鉄は落書きだらけだ。弱者が弱者なりの、愚かしくもささやかな幸せを見つけようという小さな物語。それが『ラブ IN ニューヨーク』である。

この作品は、興行収入こそ2100万ドル[]と、中規模なヒットにとどまったが、80年代半ば、少しずつ市場が形成されつつあったビデオ市場での人気作品となった。メジャーでの初監督作品として、内容的にも経済的にも、申し分のない成功作である。

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【注釈】

[] その3本は“Cotton Candy” (1977), “Skyward” (1980), “Through the Magic Pyramid” (1981)である。

 

[] 『アメリカン・グラフィティ2』では、既に『スター・ウォーズ』で時の人となったジョージ・ルーカスは、製作総指揮のみを担当。監督・脚本は、サム・ペキンパー監督の『コンボイ』(1978)の脚本家、B.W.L.ノートン。ルーカスに請われての監督デビュー作である。キャストとしては、出演を拒否したというドレイファス以外の、ロン・ハワード以下ひと通りは参加する。

『アメリカン・グラフィティ』のキャラクター権はユニバーサルにあり、契約上ユニバーサルはルーカスに対して1本以上の製作を要求できた。ルーカスは「続編」製作を望んでいなかったが、さりとて自分以外の者の手でキャラクターが歪曲されるのは恐れたという。しかし、企画としてはやはり強引な感を否めず、興行的には惨敗となった。このことは、大ヒット作品の続編の失敗という手痛い経験をルーカスに与え、『スター・ウォーズ』の続編である『帝国の逆襲』を控えた彼の、大変なプレッシャーとなる。

これら作品成立の背景については、デール・ポロック『ジョージ・ルーカス伝 スカイウォーキング《完全版》』(高貴準三・監訳 ソニーマガジンズ 1997P.317325 に詳しい。

『アメリカン・グラフィティ2』について、正直なところ筆者自身も、日本公開されたがいまだに見る機会を得ず、作品としての適切な判断がくだせない。調べるところによると、それぞれのキャラのその後を、オムニバス形式で語った内容とのことである。

 なお、ロン・ハワード演じるスティーブは、その後ローリーと結婚し双子をもうける。スティーブは超保守的な夫となっており、妻ローリーが家計のために職を持とうとすると、烈火のごとく怒るようなタイプとして描かれている。

 

[] Barbara KraerRon Howard Child Star Hollywood Director”(Enslow Publishers, Inc 1998P.79

 

[] Gray 前掲書 P.89

 

[] 『ハッピー・デイズ』第3シーズンから参加の、ウィンクラー演じるフォンジー役の人気が、あまりにも大きいため、番組は『フォンジーのハッピー・デイズ』と、タイトルを変更することさえ提案したという。これに対しては、さすがにハワード自身が拒否し、製作サイドもそれを受け入れている。

 

[] この作品を踏み台に、マイケル・キートンは、その狂気的演技を全開にした大ヒット作、『ビートル・ジュース』(1988)への出演を果たす。その時に出会ったティム・バートン監督とはさらに『バットマン』(1989)、『バットマン・リターンズ』(1992)で組み、キートンは大スターの座を不動にする。

 

[] 蓮實重彦『映画に目が眩んで』(中央公論社 1991)P.80 

 

[] この設定について、淀川長治・山田宏一『映画は語る』(中央公論新社 1999P.324 において、山田宏一は次のように語っている。

「『突然炎のごとく』はアメリカですごく評価されたんですね。(中略)ロン・ハワード監督の一九八二年の『ラブINニューヨーク』もそっくり影響を受けた作品でした。」

残念ながら、この発言は当たっていないと思う。トリュフォー流の1人の女性をめぐる、2人の男の三角関係はここにはなく、その分キートンの人物像に深みはなくなったが、それをカバーして余りあるエネルギッシュな演技が役柄を支えたところに、マイケル・キートンの手柄がある。ロン・ハワードの頭に、もしかしたらトリュフォーはあったのかもしれないが(この設定でトリュフォーをイメージしなかったら、それは映画人ではない)、それを匂わせることを周到に避けたところに、ハワードのバランス感覚がある。

 

[] http://www.the-numbers.com/people/directors/RHOWA.html のデータによる。