千住宿から越谷宿を歩く


第2日目(平成20年1月14日)
JR北千住駅西口をでて千住二丁目交差点を右折して宿場通りへ入ります。宿場通りの一本目の左の路地に千住本陣跡の説明板があります。千住宿には1軒の本陣があり、この北側が本陣があった場所で千寿本町小学校前の通りまで約120坪の広大な屋敷でした。

千住ほんちょう公園には千住宿高札場由来の説明板があります。宿場通り商店街はシャッターアートが続きます。都立足立高等学校美術部などが平成18年の夏から歌川広重の日光道中をモチーフに描いたものです。

少しすると横山家住宅にでます。屋号を松屋という漉紙問屋で江戸時代後期安政年間の建物です。広い間口と格子窓など伝馬屋敷の面影を残しています。

向かいは絵馬屋吉田家で江戸時代中期から続く絵馬、行灯、凧を描く際物問屋です。さらに行くと槍かけだんご「かどや」があります。昭和20年代に創業し建物は明治時代に建てられたものです。水戸光圀公が千住宿を通った時、一行が槍を立て掛けた松が近くにあったことから名前が付いたそうです。備長炭で焼くだんごに人気があります。



街道を行くと北へ旧日光道中、東へ旧水戸佐倉道の道標があります。ここが水戸街道との追分になります。その先で再び道は別れ、北西へ旧日光道中、北へ旧下妻道の道標があります。下妻道は喜連川へ向います。

さらに進むと長屋門のある名倉医院です。名倉家は江戸時代から接骨医として名が知られていました。 名倉医院の先で街道は荒川土手に突き当たり、左へ進み土手を歩き足立区生涯学習センターで荒川を千住新橋で渡ります。

広い河川敷の先にJR常磐線の鉄橋が見えます。千住新橋を渡り歩道橋を下りると首都高速道路の下を左に進み川田橋信号で右折して旧道へ戻ります。

しばらく歩き東武伊勢崎線の梅島駅のガードをくぐります。梅島駅前通り商店街を行くと小さな梅島天満宮があります。島根交差点を進むと左側に草津温泉の看板がある銭湯を見つけました。

島根四丁目には将軍家御成橋の碑があります。将軍秀忠、家光が鷹狩りや日光参詣の折、御膳所となった安穏寺へ立ち寄る際に渡った橋です。安穏寺は応永17年(1410)長久山妙覚寺として創建されました。



街道は足立島根郵便局のある交差点を進むと島根鷲神社入口にでます。島根鷲神社は文保二年(1318)の御中興で島根神代神楽が伝承され二の酉などで島根ばやしと共に奉納されます。

都道103号線を歩き六月二丁目、竹ノ塚へと進みます。竹ノ塚は無数の古墳があり竹が自生していたことに由来します。足立区立渕江小学校の前を過ぎると足立清掃工場の煙突が見えてきます。東武バス大曲停留所をからうねうねとした街道を歩き足立清掃工場の前を行きます。

高層住宅の下を行き草加バイパスをくぐり旧国道4号に合流してけなが川を渡ると草加市に入ります。

旧国道4号線は県道49号になり東武伊勢崎線谷塚駅からの交差点で富士浅間神社にでます。本殿は天保13年(1842)の創建で境内から見る本殿は草加八景の一つです。

吉町5丁目の交差点のひあぶり地蔵を見て進み街道は県道から離れ左へ入ると草加宿になります。



街道を進むと草加市役所にでます。庁舎は豪商大和屋浅古半兵衛の屋敷跡で一角に浅古家の地蔵堂、別名子育て地蔵があります。道路の反対側はNTT草加支店になります。

街道情緒が漂う建物を見ながら進むと日光街道、葛西道の道標があります。葛西道は東京葛飾区、江戸川区へ通じる古道です。

草加駅前通りからの交差点には草加町道路元標があります。少しすると右手奥に八幡神社があります。享保年間に稲荷社を祀ったのが始まりとされ草加市指定文化財の獅子頭雌雄一対が保存されています。さらに進み小公園「おせん茶屋」で休憩しました。この公園は昭和62年に造られ草加せんべいの伝説の創始者おせんにちなんでいます。

せんべい店を見ながら歩くと東福寺にでます。四脚門の山門、本堂、鐘楼、本堂外陣欄間は市指定文化財です。境内にはふれあい仏石持ち上げ不動明三鈷の松など見所があります。

街道は大きく右にカーブしておせん公園県道49号(旧国道4号)にでます。



県道を歩くと望楼が見えてきます。伝右川を渡ると札場河岸公園になります。旧日光街道の綾瀬川沿いを整備した公園です。

五角形の望楼は内部に入ることができ望楼からは綾瀬川や草加市内を一望できます。江戸を振り返る芭蕉翁のブロンズ像の先に高浜虚子の句碑があります。
順礼や草加あたりを帰る 虚子 
綾瀬川に沿って歩くと日本の道百選の顕彰碑があります。埼玉県土の縮尺3700分の1で形どりプレートは草加市の位置に設置しています。国道29号線を矢立橋で渡ります。矢立橋の上から見た松並木の景色は綺麗です。1500m続く松並木を歩きます。松原文化通りに架かる百代橋を渡ると松尾芭蕉文学碑水原秋桜子の句碑があります。
草紅葉草加煎餅を干しにけり 
河岸公園を過ぎると綾瀬川沿いの桜並木を歩きます。東京外環道をくぐったところには芭蕉と曾良の旅の様子を描いた絵タイルがあります。



槐戸橋(さいかちどばし)を進みます。対岸は藤助河岸跡で江戸時代に建てられ年貢米や特産物などを積み綾瀬川を船運で江戸まで運びました。

綾瀬川は左に曲り、街道は道なりに蒲生大橋を渡り越谷市に入ります。橋の袂に蒲生一里塚があります。埼玉県内日光街道に現存する唯一の一里塚で東側の一基と愛宕社残っています。

綾瀬川を左に見て蒲生茶屋通りを歩きます。清蔵院を過ぎて蒲生本町交差点で県道49号に合流します。蒲生駅入口交差点を行きます。旧国道は見るものべきものはなく、ただひたすら歩くことになります。東武こしがや自動車教習所を過ぎるとJR武蔵野線南越谷のガードをくぐります。越谷駅に入ったところにあるラーメン店で昼食にしました。

右手に照蓮院を見て瓦曽根歩道橋の先で街道は左に入り県道52号を進み越谷宿に入ります。越谷宿は越谷本町から元荒川の先の大澤まで南北に延びていました。

旧街道の雰囲気が残る建物が残っています。白屋旅館、鍛冶忠の建物や塗師屋の蔵などを見て元荒川に架かる大橋を渡ると県道325号になり大沢の商店街を歩きます。かつての越谷宿はこの辺りが中心で本陣大松屋福井家、脇本陣や旅籠がありました。



街道から高層ビルが見えてきます。北越谷駅前再開発事業で建てられた地上28階のパルテきたこしで商業施設、公益施設や共同住宅が入居しています。街道は東武伊勢崎線に沿うよう右にカーブして最初の信号を左に入り東武伊勢崎線をくぐります。

高架をでると元荒川の桜堤通りで景色が一変します。街道を行くと左奥に立派な門があります。ここは、宮内庁埼玉鴨場で皇族、政府高官らが賓客を招き鴨猟を催すため明治41年(1908)に開設されました。江戸時代より将軍家、大名家に伝わる技法により鴨を捕獲します。捕獲した鴨は国際鳥類標識調査に協力し放鳥しています。敷地は12万屬旅さで通常、一般は立ち入り禁止となっています。

東武伊勢崎線の上間久里踏切を渡り草加バイパスの下を行き陸橋入口の交差点で国道4号線に合流します。

せんげんだい駅入口を過ぎると春日部市に入ります。少しすると大枝香取神社があります。旧大枝村の鎮守様です。四時を回りましたので東武伊勢崎線の武里駅入口で今日の歩きを終えました。