越谷宿から栗橋宿を歩く


第3日目(平成20年3月9日)
東武伊勢崎線の武里駅から国道4号線に向かい武里駅入口から前回の続きになります。建御雷神社の前を行き2体の地蔵尊を見ます。

備後北信号のところに史蹟備後一里塚跡があります。東武伊勢崎線の一ノ割駅入口をみて進みます。

この先、藤塚橋交差点を右に行くと古利根川があり昭和の初期まで渡舟場がありました。その後、有料の橋(藤塚橋、別名賃とり橋)が架けられましたが昭和29年(1954)春日部の市制が施行されるまで続きました。

浅間大神と読める石碑を見て国道をさらに進み東武野田線のガードをくぐります。一宮交差点で国道から離れて左の旧道に入ります。

旧道進み粕壁宿に入ると東陽寺があります。山門の脇に傳芭蕉宿泊の寺の石碑が建っています。曾良随行日記に「廿七日夜カスカベニ泊ル江戸ヨリ九里余」と書かれています。小渕観音院に泊まったと言う説もあります。



かすかべ大通りを進みロビンソン百貨店の前を行くと蔵がある白壁の田村家にでます。ここには田村家の裏庭から移された道標があり正面に「西南いハつき」とあります。

埼玉縣信用金庫の前に日光道中粕壁宿の案内板があります。春日部宿は本陣、脇本陣、旅籠45軒があり古利根川で江戸を結ぶ交易地で賑わいを見せました。信号を渡ると街道の雰囲気を残す永島庄兵衛商店にでます。

街道は狭くなり突き当たると最勝院と山門と不動明王がある成就院があります。街道はこの手前の交差点を右折して大落古利根川に架かる新町橋を渡ります。街道は二又の左を進み、しばらくすると右に小渕一里塚跡があります。

歴史を感じさせる建物を見て進むと「左日光道」「青面金剛」と刻まれた道標があります。ここは関宿道との追分になります。青面金剛は庚申講の本尊で日本の民間信仰のなかで独自に発展した尊像です。

小渕南交差点で国道4号線に合流し国道16号線を小渕交差点で横切ります。小渕観音院を見て国道を北上します。



東武伊勢崎の北春日部駅入口を行き杉戸町に入ると北緯36度線のモニュメントがあります。杉戸町と同じ北緯36度線には中国(チンタオ)、アメリカ(ラスベガス)、イラン(テヘラン)あります。

しばらくすると杉戸町教育委員会の大作桃塢生家の案内板にでます。大作桃塢(おおさくとうい)は天保2年(1831)杉戸町に生まれた漢学者で明治大正期に豊秋教舎という漢学塾を開き指導的な人々を育てました。

小さな稲荷神社を見て進み昭和シェルスタンドの先で国道から離れ左の旧道に入ります。九品寺の境内に庚申塔と日光街道の道標があります。天明4年(1784)堤根村の住民が協力して新川村(春日部市)の石工星野常久に作らせたものです。

国道に合流して進むと左に旦照山馬頭院観音寺があります。本尊は馬頭観世音菩薩で伝教大師の作と伝えられます。馬頭院は新地学校が明治6年に設置され、堤郷尋常小学校となり明治35年に移転されるまで永く使われました。再び国道4号線を歩き蕎麦屋でお昼にしました。杉戸警察署の手前でに入ると杉戸宿です。詳しい地図



杉戸宿は本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠46軒がありました。当時宿場では六斎市が開かれいて杉戸宿では5と10の付く日に市が開かれ50(ごとう)市と呼ばれました。

宿場を歩くと関口酒蔵の趣のある建物に目を止めます。文政5年(1822)創業の酒蔵です。近津神社は創建は不詳ですが貞享元年(1684)に本社を建立しています。度重なる再建にもかかわらず平成13年不審火により拝殿が焼失しました。

年代を感じさせる銭湯を見て神明神社へ進みます。本陣跡地前交差点を左に行き古川橋を渡ると東武動物公園駅にでます。

本陣跡地前交差点を直進すると街道情緒が残る質小林の建物があります。街道は右に曲がりますが、ここにも古い建物が残っています。

杉戸七福神の宝性院を行くと東京駅という看板が目に入ります。給食などを扱っていましたが、現在は料理店になっています。門と蔵が見事な屋敷を見て進み国道4号線に合流します。

杉戸国道出張所を過ぎると景色は田園風景に変わります。山田うどんの駐車場内に杉戸町教育委員会の茨島一里塚の説明版があります。県立幸手高校の標識の先で幸手市に入ります。

東武日光線杉戸高野台駅の標識を過ぎ幸手団地交差点先で国道を離れに入ります。



旧道に入り東武日光線の踏切を渡ると田園風景が広がります。少しすると幸手南公民館の前に上高野村道路元標があります。この道路元標は御成街道ぞいの石井酒蔵前の橋のたもとに建てられていたもので歩道工事の際にこの地に移転したものです。

しばらく行くと街道はスーパーマーケットBelcの前で突き当たります。ここは日光御成街道との追分になります。

東武日光線の踏切を進み倉松川に架かる志手橋を渡ると幸手宿に入ります。幸手宿は江戸時代から日光御成街道と日光街道が合流する宿場で栄え本陣1軒、旅籠27軒がありました。

少しすると右側に神明神社があります。宝暦5年(1755)に伊勢皇太神宮の分霊を祀った神社で江戸時代には高札場があったところです。

幸手駅入口信号を過ぎると情緒ある古い建物が残っています。荒宿交差点を行くと左側奥に聖福寺があります。本尊は阿弥陀如来で観音像は運慶作と伝えられています。江戸時代には将軍の日光社参の際や例幣使の休憩所として使われました。寺の入口には芭蕉句碑があります。



街道が右に曲るところに一里塚跡があります。明治時代初期まで両脇に塚が残っていました。道は3本に別れ街道は左へ行き内国府間で国道4号に合流しますが、少し回り道をして真直ぐ進み権現堂堤へ向かいました。

国道4号線北2丁目の交差点を歩道橋で越えます。真直ぐ進むと熊野権現社にでます。熊野権現、若宮権現、白山権現の三社を合祀した神社です。この地は江戸時代から大正時代にかけて権現堂河岸の船着場として栄えました。案内板に従い権現堂堤へ歩きます。

権現堂桜堤は1km続き水仙、桜、紫陽花、曼珠沙華など花で四季折々楽しませています。順礼の碑を見て歩くと桜土手の卵塔があります。台座の上に卵型の石を乗せた僧侶の墓です。平成2年に堀出されたもので阿閣利、権大僧都の称号から密教系の位の高い僧侶の墓です。

桜堤が終ると明治天皇権現堂野立址の碑があります。中川へ続く権現堂川を行幸橋で渡りに入ります。



静かな住宅地を行くと史跡日光街道道しるべがあります。安永4年(1775)に建てられた道標で左日光街道右つくば道と刻まれています。日光街道と現在の茨城県五霞村を経て筑波へ続く街道の分かれ道です。

雰囲気がある建物を見て進むと雷電神社にでます。街道は国道4号線の下の細い道を行きます。国道にでますが、すぐ下の道へ入ります。

栗橋町に入り、しばらく行くと小右衛門一里塚跡にでます。幸手宿と栗橋宿の中間にあり現在、塚の上には字堤外から移築した弁財天堂が建てられています。さらに街道は狭くなり国道4号線をトンネルでくぐると権現堂川に沿って歩きます

東北新幹線の高架下を行き小右衛門北信号の手前で国道をくぐり細い道を行きます。国道4号線にでると栗橋大一劇場で左の旧道を進みます。上川通神社を見て真直ぐ進みます。

再び国道に近づき栗橋宿へと進みます。デジタルカメラのバッテリーが切れたのと夕暮れが近づいてきましたのでJR宇都宮線の栗橋駅へ急ぎました・ 詳しい地図