琴平の歴史年表

琴平の歴史を金刀比羅宮を中心とした年表として掲載します。
鳥居、道標、燈籠などの建造物は琴平の町以外も掲載しています。


和 暦 西 暦 金刀比羅宮に関する事項 別 当 その他の事項
長保3年 1001 藤原実秋、社殿、鳥居を修築。
長寛元年 1163 崇徳上皇参拝。
元徳3年 1331 宥 範 宥範、善通寺誕生院を再興。
建武3年 1336 宥範、足利尊氏より櫛梨社地頭職が与えられた。
観応元年 1350 別当宥範、当宮神事記。
観応3年 1352 別当宥範没。
康安2年 1362 足利義詮、寄進状。
応安4年 1371 足利義満、寄進状。
元亀元年 1570 別当宥遍没。 宥 遍
元亀4年 1573 松尾寺に金毘羅宝殿を建立。 宥 雅
天正元年 1573 本宮改造。
天正7年 1579 宥雅、宝物、記録を携えて泉州へ落居。
天正11年 1583 三十番神社葺替。 宥 厳
天正12年 1584 長曽我部元親、賢木門改造。
天正13年 1585 仙石秀久、寄進状。
天正14年 1586 仙石秀久、金毘羅30石、榎井30石寄進。
天正15年 1587 生駒親正、松尾村20石寄進。
天正16年 1588 生駒一正、榎井25石寄進。
天正17年 1589 生駒一正、小松村5石寄進。
慶長3年 1598 大井八幡宮造立。
慶長5年 1600 生駒一正、院内31石寄進。 宥 盛 関が原の戦い。
慶長6年 1601 生駒一正、金毘羅42石寄進。
生駒一正、三十番神社改築。
慶長8年 1603 観音堂改築(慶長年間)。 徳川幕府開府。
丸亀城竣工。
「頭人名簿」書き始め。
慶長11年 1606 片岡民部、多聞院を名のる。
慶長12年 1607 生駒一正、高篠村30石、真野10石、買田村10石、真野5石寄進。
慶長18年 1613 生駒正俊、寄進状。 宥 見 (* 宥見の「見」は目+見です。
慶長19年 1614 多聞院宥見、土佐へ退去。
金剛坊創祀。
元和2年 1616 寛快、普門院を再興(元和年間)。 木村家、荒川家移住。
元和3年 1617 生駒正俊、鐘できる。
元和4年 1618 生駒正俊、院内73石、苗田村50石、木徳村23石、寄進。
元和6年 1620 生駒正俊、鐘楼堂建立。
元和7年 1621 生駒高俊、五条村100石寄進。
元和8年 1622 生駒高俊、寄進。合計330石となる。
元和9年 1623 金毘羅本社でき、古堂は行者堂に引直す。
寛永元年 1624 観音堂改築。 鞘橋改造。
寛永5年 1628 菅納家、竹川家移住。
寛永8年 1631 多聞院片岡家、土佐より再度移住。
寛永10年 1633 荒川家より一ノ鳥居建立寄進。 小国、塩屋家移住。西ノ屋移住、酒造業を始めた。
寛永12年 1635 参勤交代の制度開始。
寛永14年 1637 島原の乱。
寛永15年 1638 里村玄陳「詠歌体」奉納。
寛永17年 1640 生駒高俊、「讃岐国大絵図」奉納。 生駒家改易。
寛永19年 1642 松平頼重、高松に転封。
寛永の大飢饉〜2年間。
池御領(五条、榎井、苗田)設置。
寛永20年 1643 丸井家、中村家移住。
正保元年 1644 大井八幡宮改築。
正保2年 1645 別当宥見、将軍に拝謁。
頼重、三十番神社、大行事堂改造。
宥 典
正保3年 1646 松太夫、権太夫事件発生。
慶安元年 1648 330石の朱印状。 参詣道を変更。
慶安2年 1649 頼重、大門再営。
慶安3年 1650 頼重、飼葉料として毎年30石寄進。
慶安4年 1651 頼重、木馬舎建立。
承応3年 1654 頼重、「象頭山」「松尾寺」の額奉納。 里村玄陳他燈籠奉納。
明暦元年 1655 丸亀に金毘羅屋敷普請。
万治元年 1658 京極高和、丸亀に入部。
万治2年 1659 本宮遷宮、書院改築。
鐘楼の元に鳥居建立。
万治3年 1660 本地堂創祀。 京極高和、三田に勧請。
大坂に金毘羅屋敷造営。
寛文元年 1661 頼重、千体仏堂を改築。
寛文5年 1665 頼重、願文をささぐ。
寛文6年 1666 宥 栄
寛文8年 1668 頼重、石燈籠献納。 川添家、移住。
寛文9年 1669 頼重、石燈籠献納。
寛文10年 1670 頼重、石燈籠献納。 松太夫、権太夫事件解決。
寛文11年 1671 頼重、石燈籠献納。
頼重、願文をささぐ。
林整宇・林恒宇、「讃州象頭山十二景詩」。
寛文12年 1672 頼重、「金毘羅大権現」の額奉納。
「山下家規則」出来る。山下家の世襲制を決定。
延宝元年 1673 頼重、神馬領50石寄進。石燈籠献納。多宝塔建立。
延宝3年 1675 狩野安信・時信、「象頭山十二景図」(延宝年間)。 社領と池領と地替え。
瓦師久兵衛移住。
延宝4年 1676 伊予屋、大津屋移住。
延宝5年 1677 護摩堂改築、釈迦堂創祀。
延宝7年 1679 京極高豊、虎ノ門へ金刀比羅大権現勧請。
貞享2年 1685 大淀三千風、「不二の詞」。
貞享3年 1686 大雨洪水、鞘橋流出。
貞享4年 1687 大雨、神山の松損木多し。 神山の松にて鞘橋普請。石垣も出来る。
元禄元年 1688 宥弁真念、「四国遍路道指南」。
元禄2年 1689 小書院普請。 寂本、「四国遍礼霊場記」。
元禄3年 1690 宥 山 大淀三千風、「日本行脚文集」。
元禄4年 1691 別当宥山参府。
元禄7年 1694 本宮葺替。 京極高通、多度津藩主となる。
唐国雷音博、「讃州象頭山十二境詩」。
元禄8年 1695 松平頼重没。
元禄11年 1698 大井八幡宮神門再興。
元禄12年 1699 雲外東竺外、「象頭山十二景詩」。
元禄13年 1700 岩佐清信、「象頭山祭礼図屏風」(元禄末頃)。 木村寸木、「金毘羅会」。
元禄15年 1702 本社屋根葺替。 余島屋移住(元禄年間)。
宝永元年 1704 真光院引直し造作。
宝永3年 1706 山奉行の始まり。
宝永4年 1707 広谷庵上棟。
宝永6年 1709 別当宥山、天顔を拝す。 別宗祖縁外「和象頭山十二景詩」。
宝永7年 1710 太鼓楼上棟。
「日帳」始まり。
巡検使来る。
金川屋、渡辺家移住。
正徳2年 1712 京極高澄、石燈籠寄進。
神輿できる。
大井宮普請。
正徳3年 1713 池御領巡検使来る。
正徳4年 1714 社領と池御領の境目確定。 高松に金毘羅屋敷普請。
正徳5年 1715 京都政所、絵馬奉納。
大井宮遷宮の件あり。
金山寺町大火。
七ケ村念仏踊り。
享保元年 1716 京極高澄、般若経寄進。 苗田村の者、芝居にて大喧嘩。
享保2年 1717 頼豊、50石寄進。
巡検使来る。
書院普請。
称名寺鎮守宝殿建立。
享保の改革〜25年間。
享保3年 1718 池領検見衆参詣。 鞘橋普請始まり。
菊池武雅、「象頭山金毘羅神詞記」。
享保4年 1719 池領検見衆参詣。 愛宕山の土橋掛る。
伊藤長胤、「讃州象頭山十二景詩」。
享保5年 1720 尊勝寺普請上棟。 西口峠境目絵図。
享保6年 1721 公儀による社領改め。 榎井村境道の橋修復。
池御領、高松藩預りとなる。
享保7年 1722 文殊・普賢像、釈迦堂へ安置。 伊予屋、鶴之助の酒株、道具買取。
享保8年 1723 孔雀明王像、神前不動像、愛染不動像出来る。 新町鳥居普請。
享保9年 1724 御守所の砂風普請。
頭屋神事。
小石川へ勧請。
丸尾五左衛門、「戎と鯛」絵馬奉納。
享保10年 1725 神前廻廊普請。
川辺村喜多次郎より御供田寄進。
享保11年 1726 あい屋次助、阿波町へ移住。
享保14年 1729 玄関前敷石普請。
神馬屋を現在地に移転。
大雨、大風。
鵜足郡廻船中、「翁」絵馬奉納。
享保15年 1730 観音堂開帳。 洪水。
豊島内蔵撰、「讃州象頭山観音尊像の霊異」。
享保16年 1731 義唱房(後の宥弁)出奔。
享保17年 1732 池領の巡検使通過。
広谷墓地に閻魔堂建立。
享保の大飢饉。
盆踊り初めて出来る。
榎井村大火。
享保18年 1733 龍王社造立。 財田村石橋成就。
元文元年 1736 江戸大和田屋、金燈籠建立。
元文2年 1737 高松藩、頭屋米100石寄進、合計300石となる。 宥 弁 大井宮遷宮。
元文4年 1739 望月宗屋参詣。
元文5年 1740 鞘橋普請。
多田屋移住。
望月宗屋「小春笠」。
寛保元年 1741 多聞院慶範隠居、貞範に譲る。
寛保2年 1742 万燈堂建立願い。 新町伊予屋、内町永楽屋、阿波町鍛冶閉門。
寛保3年 1743 山下弥右衛門、逼塞。 寛永の百姓一揆。
苗田村にて富興行。
延享元年 1744 称名寺春日明神修覆。 多田屋新右衛門、金毘羅参詣船許可。
内町大火。
延享2年 1745 高松より金燈籠寄進。
延享4年 1747 多聞院慶範、「古老伝旧記」を編す。 虎屋兵次郎、閉門。
寛延元年 1748 万燈堂上棟。万燈堂倒壊。 梅門、「俳諧集象山影」。
寛延2年 1749 宥弁、財田西ノ村天満宮へ鳥居寄進。 岡本一楽子、「讃州那珂郡小松荘金毘羅大権現加護物語」。
寛延3年 1750 社領人数改帳面。 丸亀領、多度津領、百姓一揆。
宝暦元年 1751 万燈堂改造。 鞘橋柱替え。
宝暦2年 1752 愛宕町平兵衛、追放。
宝暦3年 1753 勅願所になる。 並木正三、「金毘羅御利生幼稚子敵討」。
宝暦4年 1754 正徳4年の「社領境目絵図」を改訂。 内町車屋移住。
宝暦5年 1755 社領内の葬礼は夜分と決定。 福居屋「讃州金毘羅参詣道法道中記」。
宝暦6年 1756 新町鳥居、貫石破断、普請。
宝暦7年 1757 鞘橋普請始まる。
宝暦9年 1759 京極高矩、石燈籠献納。 苗田村にて相撲興行。
桜屋藤三郎、閉門。
宝暦10年 1760 木食上人より万燈堂本尊大日如来寄進。
日本一社の綸旨を賜う。
鞘橋西に石燈籠建立。
素麺師かも屋、移住。
宝暦11年 1761 石玉垣初めて上る。 宥 存
宝暦12年 1762 五人百姓、大門内にて飴売り許可。 55番札所に金毘羅勧請(宝暦年間)。
明和元年 1764 伊藤若冲、書院の襖絵を画く。 鞘橋下普請。
札の前かも屋、閉門。
明和3年 1766 金山寺町、大火。
与謝蕪村、金毘羅滞在。
明和4年 1767 与謝蕪村、「秋景山水図」。
横町講中、石燈籠奉納。
京大坂仲間口、「道案内石」奉納。
明和5年 1768 五条村、大芝居。
鞘橋普請。
明和6年 1769 仁尾覚城院三等撰、「讃州金毘羅霊験記」。
明和7年 1770 雨乞い多数有り。
明和8年 1771 別当宥弁、「金堂再建趣意書」。 鞘橋流失。
安永元年 1772 大洪水。
鞘橋の跡仮橋出来る。
安永2年 1773 広谷庵再建上棟。
安永3年 1774 新田屋、高藪に移住。
安永4年 1775   尾藤二州参詣。
四条村の者、芝居口にて騒動。
安永5年 1776 本社屋根葺替。
安永7年 1778 今村美景撰、「金毘羅参詣海陸記」。
安永8年 1779 竹田芝居舞台全焼。
天明元年 1781 鞘橋造立釿はじめ。
粟島より石鳥居建立の願書。
天明2年 1782 五人百姓のみ、仁王門内にて飴売り許可。 天明の大飢饉〜5年間。
鞘橋改造。
粟島庄屋、高藪の鳥居建立。
天明3年 1783 医師山内玄孝、尾崎玄仙、三井隆安、役所支配となる。 多田屋、移住。
天明4年 1784 高松殿様より石燈籠寄進につき灯明料届く。
天明5年 1785 拝殿屋根葺替。 鞘橋石階成就。
下山、村井他12名閉門。
天明6年 1786 榎木谷にて古剣発見。
天明7年 1787 円山応挙、書院の間の壁画を画く。 大井八幡宮へ戸帳寄進。
榎井延商問屋、石燈籠奉納。
天明8年 1788 絵馬堂釿はじめ。 宥 昌 二本木銅鳥居建立。
片原町石田屋閉門。
寛政元年 1789 絵馬堂上棟。 寛政の改革〜4年間。
中村屋宇七等、戸閉。
しば叟外撰、「金毘羅御利生記花上野誉の石碑」。
寛政3年 1791 高松の御用達中より真鍮の釣燈籠奉納。 倉敷土手町に燈籠建立。
寛政4年 1792 神輿再興成就。 三條御供田に若宮明神神社壇建立。
寛政5年 1793 伊予吉岡伝蔵、参詣百回満願碑建立。 江戸高松上屋敷に金毘羅大権現を勧請。
寛政6年 1794 円山応挙、壁画を画く。
桜の馬場に鳥居建立。
西口峠に鳥居建立。
小林一茶参詣。
多度津鶴橋に鳥居建立。
寛政9年 1797 接待所再建上棟。 阿波町火災、30軒焼失。
寛政10年 1798 備中梶谷、横瀬に燈籠寄進。
寛政11年 1799 長崎良蔵、王文治の「降神観」の額届く。 宥 彦 時太鼓打五郎太夫、追放。
丸亀中府に石燈籠建立。
寛政12年 1800 蒲生君平、牧石潭を訪ね来る。
今村美景、「讃州象頭山金毘羅利生記」。
大野原村に燈籠建立。
享和元年 1801 土蔵上棟。 皆川淇園、「讃州象頭山十二境詩」。
三井、岸上村に燈籠建立。
享和2年 1802 長谷川佐太郎、銅水溜奉納。
享和3年 1803 高畠八郎、仇討ち。
西鹿庭村、坂出村、宇多津村、大野原村に燈籠建立。
文化元年 1804 尾崎悦之助外、贋小守で退役。
大井八幡宮上遷宮。
倉敷代官三河口太忠、到着。
文化2年 1805 備中早島港、因島椋浦港に燈籠建立。
一宮村、川東村に燈籠建立。
文化3年 1806 薬師堂を拝して金堂建築の計画。 丸亀福島湛甫竣工。
片原町、阿波町大火。
大芝居出火、全焼。
菱屋平七、「筑紫紀行」。
下庄村に燈籠建立。
文化5年 1808 中府に「百四十丁」石燈籠建立。
伊能忠敬来讃、測量。
北岡村、坂田村に燈籠建立。
文化6年 1809 永井に石燈籠、造田村に燈籠建立。
郡家村に道標建立。
文化7年 1810 宝塔下の坂道普請。
太鼓堂修繕普請。
鞘橋大破、造作。制札場も再建。
二宮金次郎参詣。
文化8年 1811 絵馬堂再建成就。 宥 慎 土器村、福家村に燈籠建立。
寺家村の燈籠、再興。
うどん、そば商売の許可。
文化9年 1812 金剛坊開帳。
玉垣普請。
金堂施主決定。
買田村、恵光寺全焼。
石築八百蔵、櫛梨村より移住。
西笠居村、新居村の燈籠建立。
「金毘羅案内記」「象頭山十二景之図」。
文化10年 1813 金堂起工式。 宥 学 大井祭礼用に輿太鼓、獅子、練り物できる。
滝宮村、周防大島に燈籠建立。
曲亭馬琴撰、「金毘羅大権現利生記」。
文化11年 1814 宥 怡 瀬戸田港に常夜燈建立。
二本木銅鳥居、倒壊。
高藪町大火。
津田村、鹿庭村、木太村、佐股村、粟井村に燈籠建立。
伊予田窪村に二十八里の道標建立。
文化12年 1815 頼山陽、多聞院章範を訪問。
滝宮村、新居村、和田浜村、福岡村に燈籠建立。
文化14年 1817 藤井高尚、「清少納言之碑詞」を撰す。 森徂仙筆、絵馬「猿図」奉納。
西分村、庄村に燈籠建立。
文政元年 1818 二本木銅鳥居修覆。
岡本村、佐渡島、安原下村、岡本村に燈籠建立。
岸駒筆、絵馬「雲竜図」。円山応瑞筆、絵馬「舞楽図」。
文政2年 1819 大原東野、「象頭山行程修造之記」。
「花上野誉石碑」刊。
文政3年 1820 鞘橋普請、世話人決まる。
植巳作、「雙鶏育雛銭細工」奉納。
枌所西村に燈籠建立。
「讃州象頭山正祭頭騎大略図」刊。
文政4年 1821 土器川渡場、前山村、井戸村、粟井村に燈籠建立。
因島三庄村に常夜燈建立。
伊予田窪村に二十八里り道標建立。
文政5年 1822 多聞院章範、「多聞秘書古老伝」を修補。 十返舎一九撰、「讃岐象頭山金毘羅詣」。
上高岡村、下高岡村、北亀田村、陶村に燈籠建立。
文政6年 1823 牧野黙庵、一時帰省。
川部村、国分村に燈籠建立。
文政7年 1824 茶屋、旅籠の区分決定。 宥 天 下高岡村、千疋村、吉野上村、花稲村に燈籠建立。
伊予朝倉上村に二十四里の道標建立。
文政8年 1825 鵜足郡土器川裾より阿野郡境までの一円を御供田として寄付。 万福院宥瑞、神辺の廉塾訪問。
梁川星厳夫婦参詣。
富籤始まる。
川部村、花稲村に燈籠建立。
文政9年 1826 金光院役所、「象頭山霊宝録」刊。
観音堂開帳。
池尻村に燈籠建立。
文政10年 1827 菱屋喜三次、鞘橋普請。
石津亮澄撰、大原東野筆、「金毘羅山名勝図会」。
近江平井九市等、羽床村にて辰蔵を仇討ち。
出羽成沢八幡に「金毘羅大権現」石碑建つ。
広瀬旭荘参詣。
井戸村、鹿庭村、宇多津村、姫浜村に燈籠建立。
文政11年 1828 琉球人、生野村に石燈籠寄進献立。
与北村茶堂に石燈籠建立。
三井雪航撰、大原東野の「蟲塚」建立。
水主村に燈籠建立。
文政12年 1829 摂津芥川に燈籠建立。
鞘橋普請。仮橋取り除き。
大水にて社領川筋傷多し。
伊予屋、不勝手隠居。
丸亀、遠州掛川講中の燈籠建立。
天保元年 1830 池領が松山藩預り。
尾上菊五郎来演。
郡家村に燈籠建立。
芝居を金山寺で行うことに決定。
天保2年 1831 金堂初重棟上げ。 後藤漆谷、隠居宥怡を訪問。
工屋長治、「多度津湊の図」。
丸亀新湛甫の築造願い。
太田村に燈籠建立。
天保3年 1832 「象頭山規則書」。 宥 日 高松久家暢齋の賀筵。
丸亀西平山新湛甫の工を起す。
下高岡村、百相村に燈籠建立。
天保4年 1833 丸亀新掘湛甫竣工。
天保の改革〜6年間。
天保の大飢饉〜6年間。
牧野黙庵、一時帰省。
興泉寺、鐘楼堂上棟。
伊予内ノ子村に三十八里の標石建立。
氷上村、安原上村、新居村に燈籠建立。
市川鰕十郎、来演。
天保5年 1834 隠居宥怡、真光院へ移居。
米騒動、高松、丸亀、松山より役人来る。
庚申堂附近にて米騒動。
神事場馬場始めて出来る。
多度津港新湛甫起工。
井戸村、鹿庭村、元之大村に燈籠建立。
伊予佐礼谷村、長浜村に道標建立。
天保6年 1835 箸蔵寺で贋開帳あり。 町奉行設置される。
芝居定小屋(後の金丸座)上棟。
芝居小屋前で大喧嘩。
三本松村に燈籠建立。
天保7年 1836 仁王門再建発願。 長谷川佐太郎、参詣人御守代奉納。
天保8年 1837 金堂二重目上棟。
三條村御供田の若宮大明神壇再建。
山越会所に牢屋できる。
宥 黙 大塩平八郎の乱。
宇多津から一丁毎の丁木を建てる。
日柳燕石、「象山竹枝」。
天保9年 1838 金山寺町、大火。
五三昧墓地整備。
大井宮遷宮。
丸亀に江戸千人講燈籠建つ。
多度津港に新湛甫できる。
多度津鶴橋鳥居元に石燈籠建立。
五条村に燈籠建立。
天保10年 1839 池領、松山藩預りから倉敷代官所支配となる。
流岡村に燈籠建立。
天保11年 1840 称名寺鎮守春日明神修覆。
金堂銅屋根葺き終了。
中村歌六来演。
多度津須賀に石鳥居建立。
大野原村に燈籠建立。
天保12年 1841 森寛齋、木馬塗替。 大坂糸屋、鞘橋両側へ雪洞奉納。
五三昧に三界万霊塔建立。
大井宮随神門普請。
野間田村、山崎村、百相村に燈籠建立。
天保13年 1842 大雨、社領水損多し。
坂町道筋補修。真光院宥瑜、浄願院兼住。
榎井春日祭礼時、旗岡と六条の者喧嘩。
与北村茶堂に六十一度参詣碑が建つ。
笠居村、川東上村に燈籠建立。
伊予壬生川村に二十一里の道標建立。
天保14年 1843 仁王門修覆上棟。
金堂厨子上棟。
芭蕉百五十回忌追善俳諧。
下高岡村、池戸村、安原上村、西庄村に燈籠建立。
伊予禎瑞村、壬生川村、高部村に道標建立。
弘化元年 1844 氷上村、田中村、東前田村、西庄村、千疋村に燈籠建立。
弘化2年 1845 金堂、全て成就。
観音堂開帳。
備前長栄講、一ノ坂口へ唐獅子奉納。
牧野黙庵、一時帰省。
周防国土佐屋、永井に道標建立。
伊予屋半左衛門、逼塞命じられる。
牟礼村、山田尻村に燈籠建立。
伊予佐礼谷村に三十四里道標建立。
弘化3年 1846 小豆島金栄講、本地堂前玉垣寄進。
山下直馬、「古今進退録」編集始める。
神事場小屋建成就。
高松の金毘羅屋敷修覆上棟。
郡家茶堂附近に賽祷碑建つ。
研師嘉八、移住。
植田村に道標建立。
弘化4年 1847 合葉文山に寺内の絵図残らず模写させる。 新町鳥居元南北の道拡張。
石渕の土橋流失、再興。
暁鐘成、「金毘羅参詣名所図会」。
新名村、井上村、安原下村、円座村、新名村、上高野村、箕浦村に燈籠建立。
神田村、伊予臼坂村、松瀬川村、長野村に道標建立。
嘉永元年 1848 松山より桜馬場北側の玉垣奉納。
山下盛好、「古今進退録」編終了。
三井隆邦、表医師となる。
阿波街道口に鳥居建立。
長尾西村、上高岡村、浅野村、寺井村に燈籠建立。
伊予東方村に二十九里り道標建立。
嘉永2年 1849 学問所、武術稽古場上棟。
大洲より万燈堂前玉垣寄付。
籠所再建上棟。
高藪町入口、地蔵堂建立。
伊予波止浜に金毘羅燈籠建立。
牧野黙庵没54歳。
嘉永3年 1850 金堂横手よりの坂(下向道)玉垣寄付願いあり。 日柳燕石撰、「金郷春の夕栄」。
伊予北方村、辻村に道標建立。
嘉永4年 1851 箸蔵寺贋開帳指し止め。 横町の両側に玉垣、石燈籠建立。
三井雪航没。
丸亀福島の金毘羅屋敷再建上棟。
嘉永5年 1852 御影堂裏の井戸堀成就。
愛宕町天満宮再建上棟。
森寛齋に出入り絵師を命ずる。合葉文山に茶道並に申付る。
丸亀新堀北側に燈籠第二基。
備前堀江に常夜燈建立。
三井雪航撰、「雪航詩鈔」。
大野村、羽床上村に燈籠建立。
嘉永6年 1853 多度津米屋、金堂前の標石献納。 黒船来航。
吉田松陰参詣。
内町で出火。谷川町、大火。
出羽諏訪神社に「象頭山」の石碑建つ。
笠居村、観音寺中津浦に燈籠建立。
嘉永7年 1854 日米和親条約締結。
安政元年 1854 神輿新調成就。
金堂前の回廊上棟。
大坂金毘羅屋敷上棟。
満濃池、堤切れ。
道作工人智典、弘化3年以来丸亀口から銅鳥居までの道筋修理終了。
高燈籠建立願い。
大地震、新町の鳥居崩壊、高藪口の鳥居破損。
芝居小屋前に稲荷大明神勧請。
野間田村、新名村、東分村、郡家村に燈籠建立。
伊予川之江村に八里道標建立。
安政2年 1855 新町に石鳥居建立。
清河八郎著、「西遊草」。
東潟元村、牛川村、大野原村、阿波岩倉村に燈籠建立。
伊予信里に四十六里の燈籠建立。
安政3年 1856 高藪町宝殿重徳霊神社壇再建。
高燈籠地堅め相撲。
安政4年 1857 宥盛に大僧正位贈られる。
宝殿上棟。
宥 常 下田条約締結。
土器川渡場に燈籠建立。
高燈籠地築き。「萬歳講定書」出来る。
多度津永井に石鳥居建立。
川東下村、池内村、寺井村、寺家村に燈籠建立。
安政5年 1858 観音堂開帳の高札建てる。
森寛齋、本宮彩色のため来着。
因島金因講、連子塀燈明堂下半分上棟。 
日米修好通商条約締結。
安政の大獄。
高燈籠台石工事。上棟。
大井宮本社裏側葺替。
内町大和小路宝殿相楽霊神社壇再建。
荒川栗園没39歳。
西前田村、福家村、造田村に燈籠建立。
白鳥村の金毘羅社に鳥居建立。
安政6年 1859 因島金因講、連子塀燈明堂上半分上棟。
一の坂口鉄鳥居建立。
御守所建替え。
御神前南手石垣築出し工事。
石州益田他、桜馬場南側玉垣寄付。
大地震。コレラ流行。
高燈籠の燈籠成就。「象頭山高燈籠図」刊。
河井継之助著、「塵壺」。
笠居村、円座村に燈籠建立。
姫浜に六里の道標建立。
立見山に鳥居建立。
万延元年 1860 観音堂開帳。
令泉為恭来着。
阿州工藤嘉兵衛、桜馬場敷石寄付。
桜田門外の変。
榎井村から内町、金山寺の茶屋、置屋に乱入。
高燈籠竣成。
大水、大風あり札之前裏山崩れる。
五三昧庵上棟。
羽間延命堂に手洗石できる。
井戸村、鹿庭村、山崎村、安原上村、柞田村に燈籠建立。
伊予石経村、阿方村、高岸村に道標建立。
伊予三津町厳島神社玉垣に三十五里と刻まれる。
文久元年 1861 内町本陣上棟。
備前下村に両面鳥居建立。
日柳燕石撰、「象山竹枝」刊。
千疋村に燈籠建立。
伊予上分村に八里二十五丁の道標建立。
文久2年 1862 阿州講中、大門から鳥居まで敷石寄付。 緒方洪庵参詣。
梶原藍水、「讃岐国名勝図会金毘羅之部」調べ。
日柳燕石著、「よしこの松の婦多葉」刊。
松崎村、春日村、伏石村、佐股村、相栗峠に燈籠建立。
野田村、新田村に道標建立。
文久3年 1863 榎井村羽間屋、大芝居にて喧嘩。
朝倉村、山崎村、円座村、枌所村、柞原村、辻村に燈籠建立。
立見山に燈籠建立。
伊予新屋敷村に二十里の道標建立。
元治元年 1864 合葉文岳、茶堂並に申付る。 禁門の変、第一次長州征伐。
伊予岩城港金毘羅堂に標柱建立。
池領、高松藩預りとなる。
梶原藍水、「讃岐国名勝図会金毘羅之部」刊。
榎井村六条西口に鳥居建立。
吉野上村、粟井村に燈籠建立。
慶應元年 1865 仁尾村講、桜馬場石段三十五間寄付。 第二次長州征伐。
高杉晋作、金山寺町に潜伏、脱出。
長尾名村、吉光村、一ノ宮村、萱原村、炭所西村に燈籠建立。
阿波重清村に燈籠建立。
伊予吾川村に三十一里半の道標建立。
慶應2年 1866 松岡調、「象頭山神宝図録」。 大雨、洪水、鞘橋流失。
羽床上村に石燈籠建立。
慶應3年 1867 登回廊建立。
賢木門前に真鍮鳥居建立。
備前山田屋、一ノ坂より仁王門まで八十三間の石段、敷石寄付。
武州佐藤佐吉、本地堂前へ唐銅鳥居奉納。
「お蔭詣り」流行。参詣人多数。
大政奉還。おかげ詣り大流行。
高燈籠講中より燈明料千両寄付。
旗岡に石鳥居建立。
大麻村茶堂道作上人智典、阿讃国境から明神落合までの道を整備。
吉光村に燈籠建立。
伊予山口村、上三谷村、上田渡村に道標建立。
明治元年 1868 土佐藩に軍用金差出。
廃仏毀釈の布告。
御一新基金一万両。
金光院号を廃止、琴陵となり社務職命じられる。
金毘羅領は土佐藩の支配となる。
金刀比羅宮と改名。
観音堂、三十番神社等を廃す。
奈良春日神社富田光美より大和舞を伝授される。
宥 常 戊辰戦争、鳥羽伏見の戦い、江戸城開城。
高松藩の京、大坂屋敷没収される。高松藩征伐。
池領、土佐藩預り。
日柳燕石没52歳。
神仏分離令。
琴弾山山頂に金毘羅大権現遥拝石建立。
吉光村、畑田村、原村に燈籠建立。
明治2年 1869 本社、神道に祭替修行に付、諸堂、御守所等残らず改革となる。
万福院、尊勝院、普門院に退身申し付ける。
金堂を旭社などと改称。
土佐藩鎮撫から倉敷県管轄となる。
版籍奉還。
四国十三藩会議。
鞘橋改造成就。
大町村、春日村に燈籠建立。
明治3年 1870 万福院宥明、福田万蔵と改名、家来となる。
旧多宝塔の建物除去。
神輿初めてお旅所に渡御。
苗字の制度開始。
満濃池修築。
笠居村に燈籠建立。
明治4年 1871 金毘羅領、倉敷県から丸亀県へ移管。
国幣小社に勅定(事刀比羅宮)。
廃藩置県。
塩飽島尾上菊五郎他、中府と横瀬に石鳥居建立。
池領、倉敷県から丸亀県へ移管。
暴徒五千人町内に乱入、本陣など焼き払い。
高松、丸亀両県を合して香川県となる。
岡村に燈籠建立。
明治5年 1872 松岡調、事比羅宮禰宜に任ぜられる。
元普門院宥曉、松尾寺に移動。
琴陵宥常、事比羅宮宮司に任ぜられる。
焚鐘を興泉寺へ売り渡す。
仏像、雑物什器等売却。
諸堂内の仏像を焼却。
金光院日帳を売却、買戻し。
徴兵制公布。
琴平郵便局創設。
藤沢南岳、「象頭山十二境詩」。
大隈重信、アーネスト・サトウ参詣。
象頭山を琴平山と改名する旨布告。
川東上村に燈籠建立。
明治6年 1873 仏像、仏具等焼却、売却の許可。
博覧会開催。
深見速雄、事比羅宮宮司に補せられる。
墓を広谷墓地に移動。
深見速雄 太陽暦採用。
名東県に合併される。
西讃竹槍騒動。
金毘羅村を琴平村と改名。
氏子祭を執行。
内町裏に学校上棟。
大野原村浅水に「こんぴらさん」祀られる。
明治7年 1874 事比羅宮崇敬講社設立。
元鐘楼跡に皇太神宮遥拝所できる。
美馬君田没63歳。
郡家村に燈籠建立。
明治8年 1875 元観音堂取崩し、本宮再営。
三穂津姫社創建。
別当宥盛に厳魂彦命と諡し、威徳殿を厳魂神社と改称。
真須賀神社、神餞殿上棟。
元三十番神社石立社を睦魂神社と改称。
有栖川宮熾仁親王筆、「琴平山」を大門楼上に揚ぐ。
信教自由の布告。
川東下村、安原下村に燈籠建立。
宇多津村蔵前に鳥居建立。
明治9年 1876 神餞殿落成。
宥常、事比羅宮宮司解任、禰宜となる。
摂津難波村に金刀比羅神社新営落成。
愛媛県に合併。
明治10年 1877 本宮上棟。 新名村に燈籠建立。
金山寺芝居を稲荷座と名付く(この頃)。
明治11年 1878 有栖川宮熾仁親王筆、「事比羅宮」、「賢木門」額進納。
白峰神社創建。
高橋由一、「伊勢二見浦図」奉納。
与北村、羽方村に道標建立。
明治12年 1879 賢木門再改造。
常磐社、菅原社造営。
琴平山大博覧会。コレラ流行で途中で中止。
高橋由一、油絵三十五枚奉納。
出雲直江に金刀比羅神社上棟。
由佐村に燈籠建立。
明治13年 1880 第2回琴平山大博覧会。
火雷社改築。
元万燈堂を移転、南絵馬舎とする。
高橋由一来社、「鯛図」奉納。
丸亀町内に道標建立。
明治14年 1881 水野秋彦、明道学校教授に任ぜられる。
琴平菅広松他、本宮鉄玉垣寄進。
富田光美、神楽舞を教授(明治20年再来)。
高橋由一、「琴平山遠望図」他奉納。
東植田村、山田上村、佐股村に燈籠建立。
中姫村西組中に「こんぴらさん」祀られる。
伊予露峰村に道標建立。
明治15年 1882 古川躬行着任。
神輿新調成就。
水野秋彦編、「金刀比羅宮御大祭記」刊。
鞘橋屋根銅葺直し竣工。
明治16年 1883 明道学校開校。
明治天皇、短刀を勅納。
有栖川宮熾仁親王、太刀と鏡進納。
森寛齋、狙仙筆「猿図」に補筆。
古川躬行没74歳。
明治18年 1885 国幣中社に昇格。
明治19年 1886 宥 常 深見速雄没。
四国新道起工式。
田能村直入参詣、合葉快堂と邂逅。
中村長土居の金毘羅祠に燈籠建立。
明治20年 1887 電灯点灯。
明治21年 1888 お旅所にて初めて田植祭執行。
境外末社菅原神社仮遷宮。
讃岐鉄道起工式を挙行。
香川県となる。
明治22年 1889 社号を金刀比羅宮に復帰。
大日本帝国水難救済会設立。
琴平、丸亀間に鉄道布設。
猪鼻峠新道工事完工。
水野秋彦没41歳。
横井村に燈籠建立。
明治23年 1890 久世光熙、琴陵家の養子となる。
(* 熙の字はニスイです。)
琴平町役場、象郷村役場開庁。
讃岐新道、徳島県内37キロ工事終了。
一ノ宮村に燈籠建立。
稲荷座、正面を入母屋式に増改築。
明治25年 1892 宥常没53歳。南光利宮司となる。 南光利 合葉快堂没63歳。
畑田村に燈籠建立。
明治26年 1893 琴平町役場再建。
観音寺町中州に燈籠建立。
明治27年 1894 ラフカディオハーン参詣。
四国新道開通式を挙行。
愛媛県高井村に道標建立。
明治28年 1895 中川武俊 豊田村池尻に道標建立。
明治29年 1896 旭社内陣改造。
明道学校廃校。
善通寺に第11師団設置。
明治30年 1897 四国鉄道会社設立許可。
讃岐電気会社営業開始。
琴平公園開設。
明治31年 1898 白峰神社を境内に奉還。 神宮ロ籌 金山寺芝居小屋、改造して千歳座と改称。
志度町北中浜に石碑琴平神社が建つ。
明治32年 1899 表書院修繕。
旭社修営。
光 熙 仲多度郡となる。
千歳座こけらおとし、中村福円興行。
大野原村下木屋に「こんぴらさん」祀られる。
明治33年 1900 電話設備設置。 新町北、金倉川東側の地に遊郭できる。
明治34年 1901 円山応挙の襖絵など国宝に指定。
襖絵の七賢人の面部を濃墨で塗抹する事件発生。
二ノ宮村に道標建立。
明治35年 1902 菅原神社千年祭執行。 栄橋架かる。
琴平丸亀間に乗合馬車運行。
二本木の松枯れる。
金丸忠七千歳座を買収、金丸座と改称。
明治36年 1903 東宮殿下(後の大正天皇)参拝。
宝物館建築開始。
愛媛県中之庄村に九里の道標建立。
二本木の鳥居取崩し。
明治37年 1904 防火用貯水池工事竣工。水道敷設。 山陽鉄道が讃岐鉄道を吸収合併。
明治38年 1905 厳魂神社竣工。
宝物館新築。
表書院修繕。
鞘橋移転。一ノ橋架橋。
明治39年 1906 裏参道整備。
絵馬所修繕。
大門修営。
私鉄が逓信省鉄道局に移管。
長尾村に燈籠建立。
筆岡村の金毘羅祠に注連柱建立。
愛媛県樋ノ口村に二十七里一丁の道標建立。
明治40年 1907 大門大修理。
「金刀比羅宮記」刊。
中村福円、祭具料寄進。
琴平・丸亀・多度津間に乗合馬車運行。
明治41年 1908 松尾寺宥暁、金刀比羅宮を告訴。
幽深殿修理。
大野原村下木屋に「こんぴらさん」祀られる。
二ノ宮村に道標建立。
愛媛県妻島村に十一里の道標建立。
明治42年 1909 森鴎外、「金毘羅」を発表。
明治43年 1910 松尾寺宥暁金刀比羅宮を告訴の件裁定が下る。
「金刀比羅宮神苑樹木之記」刊。
柳谷墓地拡張。
明治44年 1911 「金刀比羅宮史料第一巻」編集成る。 愛媛県津根村に十一里の道標建立。
大正元年 1912 厳魂神社三百年記念大祭。
「金刀比羅宮奥社三百年記念大祭絵図」刊行。
二本木の銅鳥居を現在地に移転。
国鉄琴平駅舎改築。
大正2年 1913 志賀直哉参詣。
富士見町に金陵座開館。
大正3年 1914 大麻山南部の地を買収。 山田村の田が主基斉田に指定される。
「琴平町記」刊行。
大正6年 1917 大野原村大鞘に「こんぴらさん」祀られる。
大正8年 1919 木造十一面観音立像ほか国宝に指定。
「金刀比羅宮史料第二十巻」、「金刀比羅宮私記」編成る。
大正9年 1920 陶村に燈籠建立。
大正11年 1922 勅納白鞘短刀、国宝に指定。
大正天皇参拝。
図書館竣成。
琴平参宮電鉄開通。
国鉄琴平駅を現在地に移転。
二本木の榎を取り払う。
大正12年 1923 松平頼重寄進の太刀国宝に指定。
図書館南に付属運動場設置。
大宮橋架橋。
大正13年 1924 琴平電鉄設立。
愛媛県重松村に百五十六粁の道標建立。
大正14年 1925 愛知金明講、大宮の鳥居建立。
昭和元年 1926 琴平納涼博覧会、公会堂にて芸妓の琴平踊。
フランス大使クローデル参詣。
猪鼻峠のトンネル工事完工。
大野原村十三塚と残水、「こんぴらさん」祀られる。
昭和2年 1927 登山電鉄ケーブル布設反対決議。
琴平電鉄、琴平・高松間開通。
昭和3年 1928 琴陵宥常の銅像建立。
「金刀比羅宮風光図会」刊。
学芸参考館開館。
昭和4年 1929 本宮高台つき出し。 汐見橋架設。
昭和5年 1930 本宮北側路面拡張工事竣工。 琴平急行電鉄、坂出・琴平間開通。
昭和6年 1931 茶所改築(翌年竣工)。
昭和7年 1932 「金刀比羅宮祭儀図会」刊。
「金刀比羅宮史料第四十巻」編成る。
昭和8年 1933 桜馬場中央青銅鳥居竣工。 二宮忠八、「飛行奉仕歌百二十首」奉納。
昭和9年 1934 「金刀比羅宮史料第六十巻」編成る。
雨乞いの神火、各地方に拝す。
瀬戸内海国立公園指定。
大せんだん、室戸台風で三枝の一つを失う。
昭和11年 1936 学芸参考館増築工事竣工、学芸館と改称。 琴平町亀井信資、美馬君田筆「習字手本」奉納。
琴平町福田美喜子、合葉文岳筆「崇徳天皇宸影」ほか奉納。
昭和13年 1938 祓川大鳥居竣成。
昭和14年 1939 「金刀比羅宮史料第六十巻」編成る。 江戸新吉原寄進の石燈籠、金倉寺に移転修築。
昭和15年 1940 御前四段坂南側に玉石垣寄付建設願い。 北神苑南面東側に玉石垣寄付建設願い。
昭和16年 1941 「金刀比羅宮略記」刊。
琴陵光熙著、「神代の琴平山」刊。
北神苑東面南端に玉石垣寄付建設願い。
昭和17年 1942 銅鉄等金属製の燈籠・手水鉢・鉄柵等を供出。
琴陵光熙、正四位に叙せらる。
昭和18年 1943 銅製鷲、銅馬等供出。 久世章業
昭和19年 1944 「金刀比羅宮史料第九十巻」編成る。
昭和23年 1948
昭和24年 1949 光 重 エドマンド・ブランデン参詣。
昭和25年 1950 象頭山、国立公園に編入。
昭和天皇、幣餞料共進。
「ことひら」創刊。
昭和26年 1951 象頭山、天然記念物に指定。
表書院屋根修覆。
昭和27年 1952 蹴鞠、無形文化財に指定。
掃海殉職者顕彰碑建立。
昭和28年 1953 宗教法人規則施工。
昭和29年 1954 幽深殿修覆。
昭和30年 1955 書院、重文に指定。
琴陵宥常銅像再建。
鞘橋、橋桁等取替。
壷井栄参詣。
榎井村と合併。
昭和31年 1956 大宅壮一、山下清参詣。
鞘橋橋桁等取替え。
昭和32年 1957 本宮高台欄干コンクリート完成。
昭和33年 1958 映画「こんぴらさん」「けまり」完成。 象郷の大部分を編入。
昭和34年 1959 奥書院解体修理(翌年まで)。
昭和39年 1964 東京水道橋に東京分社遷座。
昭和40年 1965 表書院大修理。
神楽殿附近拡張工事。
昭和42年 1967 琴陵光熙銅像建立。
昭和43年 1968 斎館改築工事。
本宮拝殿屋根葺き替え。
昭和46年 1971 本宮遷座祭。
昭和54年 1979 三穂津姫社社屋屋根葺き替え。
昭和57年 1982 旭社四脚門、重要文化財に指定。



 文責:三水会:橘 正範

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