アリスの声











「返して」



少女が手を伸ばす。
甲板の端で夢の世界に行きかけているゾロの視界には少女の腕からしか入っていなかった。
まるで、宙に浮かんでいるよう。


「大切なものなら、なんでしまっておかなかったの?」

凛とした、女性の声。
ゾロはその声の方に視線を向ける。

実に楽しそうに笑う、ロビンが立っていた。
右手の中にすっぽりと収まっているのは、―「不思議の国のアリス」の、アリスの小さな木像。
青いワンピースを着た少女は、手を伸ばしている少女によく似ていた。



「…それは…っ。確かに私がいけないけれど…!」
「でしょう?私を責めるのはお門違いじゃない?」


「でも、それは私の物よ」



ゾロよりもいくつか年下の、青いワンピースを着た少女。
その少女は、アリスの小さな木像を宝物だと言って笑っていた。

だけれど、宝物はロビンの手の中。



「あら…」

ロビンは、アリスを宙に投げる。

「っ!」





「私は海賊だもの」


パシっと音をたてて、アリスは、またロビンの手の中に戻った。


「ねえ、お嬢ちゃん。やたらと人に自分の大切なものを教えてはいけないの」


の顔からは汗がひかないし、握った拳からポタ、ポタ、と甲板に汗が滴り落ちている。
ロビンは、顔色ひとつ変えずに楽しそうに口を歪めている。




ゾロは、その二人のやり取りを、まるで少しだけ興味を惹く玩具のように感じていた。
だから少しだけ興味を惹かれている。



「あなたは海賊の船に乗った時、自分の大切なものを海賊に教えた。その結果がこれでしょう?」


はそういえばクルーではなかった。
ゾロはぼんやりとそんな事を思い出しながらも、なかなか会話が進まないもんだなあ、と考える。

そろそろ瞼が重くなってきた。



何も答えないまま、は俯いた。
ただ、握った拳だけが震えている。



「…いらないの?だったら捨てちゃうけど」

くるりとゾロのいる方へ方向転換したロビンが見つめるのは、遥か彼方の海の底。
そして、勢いをつけて、右手の中に入ったアリスを深海に葬ろうとする。


「…やめて、下さいって、ば」


ドサッ。


ロビンに飛びついたが、真直ぐな声で呟いた。
甲板に押し倒されたロビンは、に強く腕を掴まれている事に気がついた。


そして、とても痛い事にも。


ロビンの頭のすぐ横にの頭があった。
闇の様な漆黒の髪が、濡れていく。

泣いている。涙をこぼしていた。




「大切な、人からもらったんです、お願いやめて」


の嗚咽の混じった声を、空を見上げながら聴いていた。
甲板に広がったロビンの髪に、顔を押し付けているようで、耳に少しだけの髪が引っ掛かってくすぐったい。



ゾロの寝息が聞こえる。
ああ、会話を聴いていた彼は寝てしまったのか。



「私のこと、怖い?」



もう誰も聴いていないのに、今さら潜めた声でロビンは言った。


「…」

少しの沈黙。
ああ、結構痛いなと思う。
自分は少女を傷つけてしまったのだ。



天気はいい。
鴎が時折空を駆けていく。
今自分の上に被さっている少女くらいの歳の頃には、自由に空を飛ぶ鳥に憧れを抱いた事もあった。

雲は、切れ切れに空を隠していた。


「怖く、ない」






この子は、強いなと、思った。
頭を掠めたのは、自分が彼女の歳の頃には、何をやっていただろうかということ。
たぶん、いや確実に、弱くて、ちっぽけな自分は、大柄な海賊に身を隠していただろう。

この少女は、は、強く、
私は、弱い。





それがなんだかとても痛かった。







「…強いのね」


思わず本音が零れてしまって、気を抜いていた自分を憎んだ。
ゾロの寝息は大きく、ロビンの声はかき消されてしまいそうだったけれど、すぐ傍にいるにはしっかりと聞こえたようだった。



何も言わず、少女は立ち上がる。
光に背を向けて、ゆっくりと。















ゾロが目をあけると、外は闇に包まれていた。
星が瞬いているが、ぼやけた視界には月しか映らなかった。


「ゾロ、起きた?」

青いワンピースの少女がゾロの顔を覗き込む。
いつもこの青を見ると、海だか空だかと同化してるように見えてしまう。
それは、昼の話だけれど。



「昼はごめんね。昼寝の邪魔しちゃったでしょ」

言いながら少女は、照れくさそうに笑った。
綺麗な笑い方。
まるでいつかのくいなみたいだ。



「今日はね…外で食べるの」
座っているゾロに目線を合わせるため、は膝を折る。


声を潜めて、
「満月だから!」
嬉しそうに言った。


確かに、よく見ると月は真ん丸のようにも見える。
この間は三日月だったのになあと思って、時間の感覚がなくなっている自分に気付いた。

当たり前かも知れない。
ずっと海の上にいるのだから。



、手伝って」

ロビンは甲板に出したテーブルの上に何本も手を咲かせながら、を呼んだ。
なんだかあの手の多さにもしかしたらロビン一人でも十分人手は足りているんじゃないかなあとは思ったけれど、口には出さず、後ろを振り返りながらゆっくりと立ち上がる。


ゾロには何も言わずに、はロビンのところへと歩いていってしまった。







「あ」

ゾロは思い出して、声を上げた。

!」

叫ぶと、ロビンに皿を渡しているがこちらを振り向いた。
ロビンは少しだけ眉を顰めているが、気にしないことにする。


を手招きすると、ロビンはあからさまに不機嫌になった。


「(アリス、返してもらえたか?)」
しゃがみ込むよう促し、従ってしゃがみ込んだの耳に、潜めた声を流した。



少しの沈黙。

ルフィとサンジがいつものように騒ぎあっているのにやっと気付く。
ロビンがこちらを睨んでいる。
ウソップがチョッパーと一緒につまみ食いを企んでいるのも見えた。











そして、
青いワンピースの少女はゾロを見ると、にっこりと笑って頷いた。






















「不思議の国のアリス」を読んで書いたもの。
青いワンピースの女の子は実はずっと書きたかったものでもあります。
だって他のところだと真っ白なワンピースばっかりなんだもの…!







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