「やっぱきついよ」

青痣のついた顔をにっこりと笑顔にして、雨竜にそう言った。






cigarro





さん」
「はい?」
「またサボってたの?」

昼休み。弁当を広げたに、雨竜は親し気に声をかける。たいして親しいわけではない。
クラスメイトで、毎日少し会話をしている、とそのくらいだ。

「まあねえ。もうダルくて、四時間目数学だったっしょ。せんせウザいし」
「…二年生になれないぞ」


の隣に腰を降ろして、雨竜も自分の弁当を広げた。屋上、コンクリートが熱く焼けている。さきほどまで彼女はここらの日陰に寝転がり、ああダルい、あれ、煙草なくなっちゃった、はは…とか言っていたのだろう。内容はだいたい想像がついた。

「あんたこそ私なんかに構ってていいわけ?」
「なんで?」
「や、優等生がなんで私なぞに構うのかと」


ご飯が少し水っぽかった。箸を一旦置いて、雨竜はの顔をじっと見つめる。
整った顔ではある。前髪は目にかかっているけれど、白い肌は餅を思わせる白さだ。
明るい茶に染められた髪の毛は、いつでもさらさらとしていて、目にかかる前髪をはうざったそうに掻き上げる。その仕草はいつ見てもドキリとさせられるほど色っぽくて、けれどドキリとさせられる度にそんなにうざったいんだったら切ってしまえばいいのに、とも思う。


「『優等生』だから」
「ははーん、いい人ぶってる偽善者ってわけだ」
「そう思っておいて」

軽く苦笑して、タコの形に包丁をいれたウィンナーを口に入れる。冷たかった。

「煙草やめろよ」
「なんで?」
「からだに悪いから」
「…平気よ」

彼女は食べ終わったらしく、弁当箱をしまおうとしていた。
ウィンナーを飲み込む。


「僕は、さんが好きなんだ」
「それ何回も聞いた。聞く度ドキッとするわ」

ははっと笑って、は空になった弁当の箱をバンダナで包みなおす。地味な色のバンダナ。

「うん、でもねえ、私君と恋人になったら」




そこで、チャイムが鳴った。残念、またあとでね、と笑っては貯水タンクの上にのぼっていった。














「ははーん、いじめってわけだ、当たり?」
は大勢の三年生に囲まれていた。全員女子だ。顔の整ったきれいな子から、おせじにも可愛いとは言えない子まで多種多様である。

「あんた見ててムカつくの」
「私貴女達の目に触れたことありましたっけ?」
「なっ…!あんた、物覚え悪いにもほどがあるわよ!」
「あんたの部活の先輩でしょう!?」
「ごめんなさい、座ってもいいですか」


食べ過ぎたか、腹が痛かった。そう訊ねれば、またギラッと睨まれた。
しかしには睨まれる覚えが全くなかった。部活に入った覚えもない。

「すみません何部ですか」
「バドミントンよ!」
「…私帰宅部なんですけど」
「黙れ!」

おいおい神様よ、これちょっと理不尽てものじゃない?と思いながらもはとんできた平手に弾かれる。ぱあん、と小気味良い音が屋上に響く。


「いったいなあ」
「黙れ!」
「それしか言えないんですか」
「なっ…!」
「な…と黙れ、しか言えない能無しですか」

我ながら、先輩相手によくぞここまで言えたものだ、と言った後に自分に感心した。
意外と私って度胸あるのかしら?


「雨竜君と付き合うのやめてちょうだい!」
「はあ?」
「あんたが何部にも入ってないのなんて知ってたわよ」
「そりゃ入ってませんもん」

きれいな子がを睨んでいる。雨竜をたぶらかせば一発で口説けるだろう容姿だった。

(…根が陰湿なんだな…可哀想)


「あのね先輩私彼と付き合ってなんかいないんですよ」
「じゃ、じゃあ会うのも話すのもやめて、雨竜君に近付かないで!」

目には涙さえ滲ませながら、可愛くて足の細い女の子はに言った。丸っこい目がを見つめている。


「無理ですクラスメイトだし」

そう言ったときにはもう、彼女の拳がの目目掛けて飛んできていた。鈍い痛みが左目に走る。背筋をぞわっと寒さが走り抜けるのを感じた。
尻餅をついたに、冷たい視線がいくつも飛んできた。


「いった…」

目の前の色が判断できない。ただ先輩達がけらけらと笑う声が聞こえてくるだけだ。

「あんた煙草も吸ってるでしょう、明日先生にチクっておいてあげる!」

可愛い声なのに、と心の中で思ってから、は彼女達が去っていく背中を見つめる。失明したらどうしてくれるんだ、と呟いた。












…」
「なに?」
「…なっ…!なんだその顔…!」

の青痣に気がつくと、雨竜は走って来た。心配そうな切れ長の目が眼鏡の奥での青痣を見ている。

「どうしたんだ」

泣きそうな顔をして、雨竜はに訊ねた。
眉を下げて、の顔を覗き込む。



やめて、その顔。



「石田、さ」
じんじんと左目の端は鈍い痛みを訴えている。

「結構先輩達に人気あるみたいよ」


煙草の煙を空に吐き出した。青い、空。

「何言って…」
「やっぱりさあ」


昼休みの続きだけど、と付け足してから、は雨竜の心配そうな目を見る。ずっと好きだった、目だ。






「君と付き合ったら、きっとこんなの日常になっちゃうんだよ」





雨竜は密かに先輩達に人気がある、と以前友達に聞いたことがあった。実際、三ヶ月ほど入部していた卓球部の先輩達は雨竜がどうのと話していた。
そのときは変なこともあるもんだなあ、と気楽に考えていたが、今はそうもいかなかった。


「煙草、さ」


白い煙の出る棒。覚えたのは、中学二年のときだ。ずっと好きだった人にフラれて、煙草でも買って補導されようか、と学校を抜け出した。制服姿のままポケットに入っていた小銭で煙草を買っても、誰も咎めなかった。そのあまりにあっさりとしすぎた人々の無関心に、誰もいない家へ帰ってからは腹を抱えて笑ったものだ。それから、折角買ったのだから、とマッチで火を点けた。思っていたよりは、不味くなかった。


「吸ってるとすごい情けなくなってくる」



煙草を指に挟んだまま、は俯いて目を隠した。鼻の奥がツンとする。



「授業サボって煙草吸ってるとね、私何やってるんだ、って」





屋上、空が近い。
けれど、まだ空は遠い。


「どうしようもなく、なってくるんだ」

声が震えている。





「なんで、言ってくれなかったんだ」
「なに、を」
「前からずっといじめられてたんだろう」

ああ、知ってたんなら。

ねえ、言って欲しかったよ。


「確信が持てなくて今まで聞けなかったけど」
今にも泣きそうな顔の雨竜が、の目の前に立っている。
悲しませているのは、



「言ってくれたら、なんでもしたのに」
「…心配かけたくなかった」

いつも自分を心配してくれた雨竜に、申し訳なくて、言わなかった。言ったところで、どうなるのかも、想像がつかなかった。














名前を呼ぶのをやめて。


「僕は、君が好きだ」

泣きそうな顔をやめて。


「知ってるよ」
「だから、だから」

雨竜の頬に、涙が一筋伝った。なんでそこまで心配してくれるの。



「もうやめてくれよ、何も隠さないで」




「うん…」

なんでそこまで。





青痣のついた顔で、はにっこりとへたくそな笑みを浮かべた。

「ありがとう…でも、やっぱりきついよ」


まだ痣が痛い。目眩はもうしないけれど、痛みはとれない。

「君の隣にいるとつらい」



思い出してしまう、泣きそうになってしまう、それでもやっぱり楽しい。




「ありがとう」



の頬に涙が伝う。けれど、笑っている。
鼻を啜って、嗚咽を漏らしながらも雨竜に訴える。


「ごめんなさい」



俯いて、は泣いた。









「今は、なにもいらないから」

雨竜はもう泣いていなかった。きれいな細い指が、の頭を撫でる。
乾燥した指。

「とりあえず、煙草やめよう」


コンクリートの上に、いつの間にか落下していた煙草を、雨竜は踏んで火を消した。

「それから、前髪切って、それからだ」


「うん…」

の返事は小さすぎて、けれど雨竜にははっきりと聞こえたようで、か細い声は小さすぎて、けれど愛しい人には、はっきりと聞こえた。


















中途半端に痛くて中途半端に終わる、という更に痛い話。引っ込みがつかなくなっただけ…(言っちゃった!)ウチの雨竜は報われません。ええ。

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