「マズい!」

放課後に、叫ぶ少女が居た。
少女がいることはなんら不思議ではない。ここは学校で、教室の中なのだから。

しかしその少女がひとりで叫んでいるとなれば、状況は少しおかしい。

「何がマズイの」

彼女の友人に見える少女が笑いながら近寄っていくと、彼女はまた大声で説明した。

「明日数学だよ、どうするんだよ、どうせチミも勉強なんてしてないんでしょう!?」

芝居がかった声で、大げさなリアクションを取る。
ゆかいな少女だ。見ていて退屈しない。
「いや、しかしねチミ!私には秘策があるんですよ少女M!」
「いやMじゃないよ」

フッフッフ…と微笑みを浮かべてから、それじゃあ先帰っていいよ、と言う。
友達は何それ、教えてよ!と眉を顰めた。

口に人指し指をあてて、静かに、と目で友達に訴え、それからこちらへ歩いてきた。





「石田君、石田君、どうか私に数学を教えて下さい」

雨竜の前で、お辞儀した。



「僕?」
「だ、だめかな、あ、いや、だめだったら別にいいんだよこれっぽっちも気にしないから!」

正直に言ってしまえば、面倒臭い。これが彼女以外の人間だったらすぐに断っていただろう。


しかし目の前にいるのはいわゆる思い人。青春である。




「いいよ、僕でいいなら」

その顔がまるで花が開くように笑顔に変わっていくのが、酷く嬉しかった。







really?







「あーもうあれよね。数学のテストって前日は学校燃やしたろか!っていうくらいテンション上がるわよね」
「いや僕は別に」
「いやとか別にとか多いなアンタ!」
「…」

目の前にあるのはノートの海、海、教科書のテトラポッドが近くにいくつもあって岩の代わりには鉛筆消しゴム参考書。

書かれているのは数字、数字、数字。


「私数字見るだけで吐き気するわ」
「それはつまり嫌いってこと?」
「直訳すればそうね」



机をよっつつなげても海は溢れてテトラポッドは落ちかかっている。はあ、と大きな溜息を吐いた少女が雨竜に勉強を頼まなければ、彼は今頃家で読書をしていただろう。

しかしそれほど、恨めしく思ってはいない。寧ろ好都合だと思っていた。


「えー、で、なんですか?なんなんですか?」
「何が?」
「これなんて読むの?」
「…」
「さんといち」
「…さんぶんのいちって読むんだよ…」
「え、ほんとう?」
「小学校からやり直したほうがよくない?」
「失礼ね!か、かけ算くらいなら…」
「じゃあ1×0は?」
「え?一じゃないの?」
「…ゼロだよ」

先が思い遣られる。高校の勉強に全く着いて行けていない理由はやはり、彼女が数学の授業中は無条件で眠っているからだろうか。どんなに暑い日でも寒い日でも、は数学とあれば眠っている。ある意味うらやましい神経の持ち主だ。

「あーもういいよ、いい。明日のヤマだけやろう」
「ヤマ当て得意?」
「テスト範囲全部やればいいよ」
「…あんたアホ?」
「失礼だな君は!」


ずり下がった眼鏡をクイと上げなおして、それから雨竜はまた説明に入る。人に物を教えるのは苦手だったが、彼女はなんとなく理解はしているようだった。


「で、これはさんぶんのいちって読むのね」
「…今の話聞いてた?」













「あーもうやんなるよ!だめだだめだだめだ、いくら秀才の頭では理解できても蟻の頭には理解できないわ!」
「…蟻…」

外は暗い。春先だと言うのに、外は暗かった。

「今何時?え、し、ちじ?」
「七時半だね、正確に言えば」


こんな時間まで教室で二人っきりでいたかと思うと、急に顔が熱くなってきた。

「わー顔赤いよ、やらしー」
「う、うるさい!」
「シャラップ!って言いなさいよ」

けらけらと彼女はよく笑った。雨竜をけらけらとからかったかと思えば、次の瞬間にはもう数字を見つめている。


「英語は苦手なんだっけ?」
「数学よりは苦手じゃない」
「あんたにも苦手があったのね!」

鞄にノートと教科書を戻している間も彼女はけらけらけらけら、腹を押さえて笑っていた。
その笑顔に内心転がりたいくらい雨竜はドキドキしているのだが、彼女はそれにこれっぽっちも気付いていない。


「今日のさ、勉強教えてくれたお礼に、今度なんか奢るよ」

にこっと笑えば、白い歯が薄い唇の間から覗く。長い睫毛が白い頬に影を落としていた。



「別に奢ってくれなくていいからさ」

(       )

言葉が出てこないよ。


「…。今日の生物のノート、とってないかな」
「え?」
「いや、ちょっと寝てたから」

思ったことを言えずそう言えば、彼女は呆気に取られたように目を丸くしてみせてから、大袈裟に笑った。
石田君でも居眠りすることなんてあるんだね。



「いいよ、文字汚いけど」
「ありがとう、明日には返すよ」

、と彼女の文字で書かれたノートを雨竜は受け取り、礼を述べてから鞄にしまった。
そしてあることが思い浮かんで、すこし口の端をあげる。

「ほんとうにそれだけでいいの?」
「うん、ありがとう」


変わったやつだね、と困ったように微笑んでから、それじゃあ帰ろうか、と言う。
変わったやつは君の方だ、と言おうとして止めた。










「しょうがない、この熱いミルクティーを君に奢ろうじゃないか」
「いや別に…」
「いやとか別にとかやめなさいって。人の好意を無下にするんでないよ」

彼女は小銭をジャラジャラと自動販売機に入れて、細い人指し指でボタンを押す。ピッと音をたてて落ちてきた缶を取り出して、微笑みながら雨竜に渡した。


「はい、ありがとう」



熱いから気をつけて、とまるで母親のように言うと、ポケットから取り出した白いハンカチで包んだ。
「あ、ありがとう」
「小銭いる?」
「なんで?」
「いや、石田君は開けるの下手そうだなと」
「…開けられるよ」









翌日、雨竜はノートに「ありがとう。それと、好きだ。 石田雨竜」と書いたメモを挟んでに返した。あれ、わざわざ返しに来てくれたの?あとで受け取りに行こうと思ってたのに、わざわざありがとう!と笑った。


今日は生物の授業はない。メモに気付くのは、いつだろうか。





(付き合ってくれ)

言えないけれど、言葉を読んで。



















女々しい雨竜でお送りしました「really?」、名前変換が二ケ所くらいしかなくてすみません。ありがちネタを雨竜を女々しくすることでどこまでアホにできるか、が今回の課題でした(いらん課題を設けるな)

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