r i n d  (ラ イ ン ド









好きだった人にフラれた。
海に報告したいくらい、あっさりと。
もしかしたら夢なんじゃ?って疑うくらい、あっさり。


「…いっそ死んじゃおうか」



…ううん、そこまで私の人生、軽くない、…と思いたいな。





屋上のフェンスにもたれ掛かり、下からびゅうびゅうとふいてくる風を、いつもは鬱陶しく思うはずなのに、今日は何故だかもっともっとふいてくれと、思った。






三時間目だった。始業のベルが学校中にけたたましく鳴り、生徒たちは着席する。

そっと目を瞑る。

友達は心配してくれているだろうか?いや、そもそも、本当に友達だと呼べる人間が、自分にはいただろうか?
先生は訝しがっているだろうか。三時間目は、なんだっただろう。

もうそれすらも思い出せない。このまま、一部ずつ、ひとつずつ、体の機能が正常に働かなくなって、昨日できたことが明日にはできなくて、いつか、動く事が出来ない。
そうやって、麻痺するように、死ねたら。



目を開ける。
風が騒がしい。
スカートが持ち上がって、下着が見えてしまった。

「はは…」

苦笑して、まあ別に手で押さえなくても誰も見てないと思い、そのままにしておくと、やがて声がかかった。







あの人ならいい。







もう一度目を瞑る。
知らない、いや聞きなれない声だったが、声を発している人物の名前くらいはわかった。
だけど、その人物がここにいる理由は、わからなかった。


「…石田君、か」

目を開け声のほうを仰ぐと、貯水タンクの上に俯せに寝転がって、眉をぐいっと顰めて、眼鏡を右手に持ったまま、這うように彼は私を見下ろしていた。

「一人でいる時に苦笑すると、将来子供が健康じゃなくなるらしい」
「…どこで聞いたのよ、それ」



眠っていたのだろうか、彼が眼鏡を外す用など、そのくらいしか見当たらない。
日当たりのいい、貯水タンクの上。
だけど彼みたいな優等生が、なんで。


「子供なんて産むスケジュールは、今のところ私の人生手帳には書き込まれていないわね」
「じゃあ何年か先に書き込んでおくといい。しっかりと、消えないように油性のインクで」

眼鏡を掛けなおして、石田はむくりと起き上がった。
見直してみると、少し寝ぼけたような顔をしている。やはり眠っていたのだ。




「…石田君は、なんでこんな所にいるの」

「それは君も一緒だよ。今は教室に居るのが正しいんだと思うけど」

正しいんなら、なぜそうしないんだ。
彼は正しい正しくないで物事を判断する、実にばっさりとした人だと思っていたのに。

「教室だったっけ?なんか専科だった気がするんだけど」
「…今日の時間割りは、忘れてしまったんだ」


眼鏡をくいとあげなおして、石田はこっちを向いた。
眼鏡は光に反射し光って石田の目は見えないが、その口元から察するに、またいつもの冷たくて固い、表情なのだろうと思う。


「石田君、私今死のうかどうしようか、迷ってたのよ」


俯いてフェンスに指を絡ませ、本当ならあの人とこうして指を絡ませたかったなどと頭の端で考えていると、石田がひとつ大きな欠伸をした。
その音に、驚いて顔をばっとあげる。

「…驚いた。石田君でも欠伸なんてするんだね」
「…。君は僕を猫型ロボットか何かと勘違いしてやないか?」
「確かにテスト前には便利ね。範囲については口が重いけど」


猫のように、姿勢をなおして石田はまた寝転がった。
手を交差させて、その上に顎を乗せてチェシャ・猫のように貯水タンクの上から、にやにやと見下ろしている。…決めた。今度からチェシャ・石田と呼ぶことにしよう。

「石田君は」
「石田でいいよ」
「変なことを修正するのね。下の名前はなんだっけ?」
「雨竜」

うりゅう、と私は小さく呟く。
うりゅう。どんな字を書くのだろう。思い出せそうな気もする。クラス名簿、テストの順位表、どこかどこかで彼のフルネームは目にしているはずなのに。

うりゅう。


「…あっ」
「なに」
「雨の龍って書くんだ」
「りゅうは簡単な方ね」

欠伸をまぜながら、石田はたびたび名前について言葉を落とす。
漏らすや発するではない。落とすのだ。舌の上に置いておいた言葉が、不意にこぼれてしまったかのように言葉を落とす。落とし物。


「じゃあ、雨竜でいいわ」
「構わないよ」

本当なら、あの人も。




もうやめよう。
頭を振って、目をぎゅっと瞑る。
耳を澄ますと、風が少し弱くなっていることに気がついた。

目を開けて、現実を見なければ。

は?」
「へ?」
「名前」
「ああ…よ」
?ああ、そんな名前だったね。漢字についての説明はいらないよ」


また欠伸が混ざる。
脳天気なのかなんなのか。いやまあしかし、彼の欠伸など貴重なものだろうから、しっかりと拝ませて頂いておくことにしようか。

「じゃあ僕もと呼んで構わないね」
「…」








あの人も、





?」
「…。でいいよ」

「そりゃ、よかった」

にかっと、石田らしからぬ笑いをこぼす。
歯を見せた笑い。

「話を再開していい?」
「どうぞどうぞ、いつでも口を大きく開けて待っているよ」



石田はこんなキャラだっただろうかという疑問がふと浮かんだが、起きたばかりできっとまだ寝ぼけているのだろう。と、いうことで納得することにした。

「雨竜は、なんでこんなところにいたの。今日なんかは風も冷たいし」
「夏に風が冷たいことはいいことだろう」
「…そうかもね」


また目を瞑る。それと同時に、フェンスに全体重を預けたため、ぎし、と鈍く唸る。
古い錆びたフェンスでも、さすがに人一人程度なら支えられるようだった。
というか、そうじゃなければ困る。非常に困る。

石田は一呼吸おいて、すこし考えるように上を向いてから諦めたように深呼吸をひとつして、

「僕だって、現実から目を背けたくなる事くらいあるよ」

と、言った。いや、落とした。




「…そっか」
「そうだ」
「無理矢理な気もするけど」
「無理矢理じゃない」

オーバーリアクションをしてみせてから、石田はよっと立ち上がる。
鈍そうなのに、意外と身のこなしは軽そうだ。



「…あー、なんかお腹冷えたな。そろそろ中に戻ろうか」
と、石田は一度腹を擦って、ハシゴを降りながら言う。
その声は少し上擦っていたから、きっと気を使ってくれてのことなのだろう。




「…そうだね、もう冷えた」









あの人は、あの人だ。









チェシャ・石田の落とした言葉を全部拾ってから、教室に戻らなければなと一人ではなく、目の前にいる石田がとまってくれていることを確認してから、苦笑した。


子供をつくるスケジュールはないけれど、いつか気が変わるかも知れないから、なるべく一人で苦笑するのはやめようと、思った。















チェシャ猫っぽい石田氏とか現実逃避する石田氏が書きたかっただけです。


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