「なんで泣いてんの」


大嫌いな人間に、そう声をかけられることは名誉毀損であると、私は思う。

そして私は、訴えてやりたいと、そう思う。






slander







あんなやつ死んじゃえ。
そうよ、死んじゃえばいいんだ。

そう思えば不思議と心は軽くなり、なぜだか今まで泣いていたことがふと馬鹿らしくなった。
 人間の心など、やはり単純なものなのか?
その答えは私の中でのみエコーがかかり頭に響いた。

くすくすと笑い声をたてると、私は私がお姫様になったかのような錯覚に陥る。
 違うでしょ、お姫様はあの人でしょ。
私の中の正常がそう叫ぶが、その正常も私を止める気にはなれないみたいだった。


そうして私はいくつかの自分の声と疑問を聞いた。それぞれに答えを返してあげて、それから私は足首が痛むことに気付く。立とうとしてみると、見事にバランスを崩して転んだ。痛い。
マットの上に座り込んでいたから気付かなかったが、白い靴下は汚れ、その靴下を下げてみると、あらわれた足首は内出血を起こして青くなっていた。

あのクソ女。

意識すると急にじんじんと痛み出した足首と、この痛みを作り出したアホ女のことを交互に恨みながら、私は自分で立ち上がれないことに気付く。
ちきしょう、明日になったら覚えてろよ。
つまり私の手元には鞄、時計はまだ二時をさしてるけれど私は早退するつもりだ。帰り際に保健室に寄って早退しますと言おうと思っていたのに、これじゃ仮病じゃなくて本当に怪我で早退することになりそうだった。


そう思うと、自分が情けなくなりまた涙が滲みはじめた。世界は私と一緒に水の中だ。
転んだ拍子に、情けなく広がったスカートと足は汚れたマットの上だった。
私は大声をあげて、何も考えず、何も思わずにただ泣いた。泣き叫ぶ。もしかしたら誰かに気付いてもらって、そして優しい声のひとつでもかけてもらいたかったのかも知れない。

誰か。誰か。
鼻水を啜り、また自分が情けなくて涙が溢れた。
誰か来てよ。私に気付いてよ。お願いよ。



しばらくめそめそとだらしなくも学校で、それも体育館倉庫で泣いていた私に、誰かが声をかける。
それは少し困惑したような、けれど楽しむような声だった。



「なんで泣いてんの」

驚きのあまりに涙は一瞬引っ込み、けれどこの情けない姿を他人に見られたということにまた少し溢れ出す。
その声は誰のものか私にはわからず、けれど後ろを向くと足が痛いので誰なのか確認することもできなかった。本当に、情けないやつ。

私の考えを読んでか、そいつはひょいと私の前に姿をあらわした。身軽な人間。長い黒髪とにんまりと歪められた口、知らないと言えば知らないが一応顔は知っていた。
戸岐航平。
ドラゴンドライブという今一番熱い(らしい)ゲームをつくった会社の社長の息子だ。私のクラスメイトで私とは席が酷く離れている。なので話したことはない。それに彼はどこか他人と距離を置いているところがあった。私はそういう人間に、できれば深く関わりたいと思っていた。

けれど、この状況はマズい。
私はもしかしなくとも、この人間と深く関わることになるかも知れない。

そして私がこいつと深く関わりたくない理由が、もうひとつあった。


「なんで泣いてんの、って聞いてるんだけど」




私はこいつが、大嫌いだからだ。


私は言いたいことは言う。友達だろうと、いや寧ろ友達に言う。だから私は一時クラスでハブにされたこともあったが、それは裏を返せば上手く人と付き合えるコツというのは、小さな嘘をいくつも重ねると言うことだ。
戸岐航平には、それなりに仲の良さそうな友達が何人かいるようだった。

つまりこいつは小さな嘘を重ねているのだ。それだけなら皆そうだが、こいつのその薄っぺらそうな笑顔の仮面の下には、他人を見下している嘲笑がある。私は知っている。

こいつは笑顔を歪めない。ピクリとも。

「…義理も義務もないです」
「なんで敬語なの?」
「関係ないし教える気もないです」


さっさとここから立ち去ってくれ。そんな叶わないだろう願いを込めながら、私は戸岐航平を見上げていた。こいつは目線を合わせようとも見下ろすことをやめようともしなかった。

「じゃあさ、もう一度聞くけどなんで泣いてるのかだけ教えてよ」
「教えたらなんかくれるんですか」

敬語はクセで、目つきが悪いのは生まれつきだ。こいつにどうこう言われる筋合いはなかった。いや、目つきが悪いのは聞かれていないけれど。

戸岐航平は少し間をあけてから、何やらポケットをガサガサと漁りはじめた。そしてすぐに私に握った手を差し出す。

「飴あげるよ」

そんな意味もなくにっこりと笑われても、私はそれを受け取ろうともしないし笑顔を返そうともしない。
さっさと気づけ。そしていなくなれ。


「いらないどっか消えて」
「やだ、って言ったら」
「…」

本当ならじゃあ私が消える、とか言いたい。そして彼もその言葉を待っているような顔だった。だけど私にその言葉は言えない。立てないからだ。それどころか体勢を変えるのすら、足首が痛みもうできなかった。
戸岐航平は私が何も言う気がないことに気付いたのか、膝を折り私に目線を合わせた。
帰ってくれたほうが私は何倍も嬉しいと、なぜ気付いてくれないのだろう。


「さっきさあ、教室ですっごい叫んでたじゃん、アンタ」
声を潜めて戸岐は言う。足首の痛みが吹っ飛んだら見てろてめえ、と声には出さず心の中で毒づいた。
今さらだが、間近で見るとこいつの顔は結構整っていた。それがまた苛立つ要素にプラスされる。

「叫んでたのは甲高いほうでしょう」
「そうだっけ?あ、そういえば一人分しか聞こえなかったな」
なおこいつは笑顔を引っ込めない。ずっと笑っている。
「叫んでたって感情が爆発したって証拠じゃない。馬鹿らしい」
「でもさ」

体勢は変えられない。戸岐は笑顔を引っ込めない。

「そのほうがスッキリすると思うし見てるほうもスッキリする」
「何が言いたいんですか」
「あんた低く唸ってたじゃん、ずっと」
「…」
「それでずっと睨んでた。男子にしてみりゃ泣いて高い声で叫んでる女子のほうが可愛くは見えるって」
「何が言いたいんだって聞いてるんだ」


つまりこいつは私と喧嘩していたクソ女の方が好みだったとそれだけなのだろう。
そんなことは私には関係のないことだし、野次馬をやっていた男子達がどう思っていたかもどうでもよかった。

「飴でも舐めてさ、スッキリしなよ」
「スッキリしたくて喧嘩したんじゃない」



情けないことに、なんだか彼の言うことが正論に聞こえてきてしまった。
どうしようもなく、情けない人間だった。
もう、どうでもいいなんて嘘だ。

また私は泣き始めた。唇を噛み締め、声が聞こえないように。
目を瞑り、俯いて戸岐航平の顔は見えないようにした。



情けないことに、私は他人の前で泣くのが赤ん坊のとき以来、はじめてだった。





顔は見えなかったけれど、戸岐航平はたいして驚いていないようだった。笑顔を引っ込め、ただ私を見ている。哀れんでいるのか、それとも嘲っているのか?
答えは知りたくない。私はただ声が漏れないよう努めた。









「落ち着いた?」

しばらく経ち、優しい声で彼は聞いた。私は頷く。
 ああ、戸岐航平。君のランクが今少し上がったよ。
彼にとってはどうでもいいだろうことを考える。


「飴あげる」
私の手に、彼は無理矢理飴玉を握らせた。

手を開いてみると、そこには確かに飴があった。透明のラップに包まれている、緑色の丸いそれ。
メロン味だろうか。目が痛い。なんでこんなに優しくしてくれるのだろう。
いろいろな考えが混ざりあって、また一筋涙が伝う。

飴をあけて、緑色のそれを口の中にいれる。舌の上で転がすと、メロンの味が口の中いっぱいに広がる。


「ありがとう…」


大嫌いだった戸岐航平に、私は気付けば礼を言っていた。
意外といい人間かも知れなかった。愚痴ひとつ言わず、私が泣いているのを傍らで聞いていてくれた。
何か言うのでもなく、何もせず、彼は聞いていてくれた。



「いい人だね」

私はやっと顔をあげて、今日始めての笑顔をつくる。
きっと不細工な笑顔だろうけれど、それでいいと思った。
「恩返し」
戸岐はそう言って、にっこり笑った。私の何倍もきれいな笑顔だった。
言葉の意味は解らなかったけれど、どうでもいいことだと思った。
そこで戸岐が立ち上がり、ひとつ伸びをする。

「そろそろ行こっか。部活何?」
「…帰宅部」
「うわ切ねえ。俺も」
「おんなじじゃない」

くすくすと笑いあって、くだらない女子達との会話よりも何倍も楽しいことに気がついた。
今日はじめて話す男子と笑いあって、私はとても幸せだった。
「ん?どしたの、鍵閉められちゃうよ」

「…」

そうだ、幸せだとかそういう以前に、私は立てないのだった。
泣いてスッキリして忘れていたけれど、私は自力で立てないのだ。戸岐に立たせてもらうのはさすがに格好悪すぎる。どうしよう。

「なに?腰抜けたの?」

彼はくすくすと笑っていたが笑い事じゃない。本気で痛い。ああどうしよう。


「…実は足首を」

項垂れて、私は白状することにした。




その足首に怪我を負った理由までなぜだか延々と話し、私は彼が何か言うのを待った。

「はあ。最初っから言えばよかったじゃん」
「…。いや、君が来た時は私あんたのことだいっきらいだったし」

大嫌いな人間にそんなことを言うのも。

「へえ、じゃ今は大嫌いではないんだ」
「…さあ」


なんだか可笑しくて、また笑いながら私は鞄を開けた。つまらない教科書とノートが所狭しとつまっている。なんで中学校なんかに真面目に通っちゃってるんだ私は。さすがに湿布なんかは入ってそうもなくて、私はそのまま鞄を閉めた。

「んじゃあさ、保健室まで行く?」
「いや行けたらね。這って行くのはさすがにプライドが」
「あ、保健室でいいの?」
「は?」

言うが早いか言い終わってからか?
彼は私の手を引いて立ち上がらせると、そのまま私を背負った。なんて恥ずかしい人間だ。ていうか私は君より重いよ戸岐航平。

「かるー」
「あんた頭イカれてるよ」
「いや俺いつもオヤジとか運んでるから」
「は?」
「オヤジ飲みはじめるとすっげ飲むのね。そんでそのオヤジを布団まで運ぶのは俺なわけ」
「はあ…戸岐の父さんてあのごっついおっさん?」
「そうそれ」

細いからだで私を背負って、そのまま彼は歩き始めた。本当に重いと感じていないらしかった。

ああ、この人いい人だ。













「よっと、到着しましたよお姫さま」
「ありがとう、王子様」
くすくすと笑いながら、私は到着しましたよと言われておきながら降りられないことに気がついた。
彼もそれに気付いたらしく、降ろそうとしていたのを止めてドアに手をかける。

「あ、王子って言ってくれるなら俺勇者の方がいいな」
「私RPGよりファンタジーだから」
「意味わかんないよ」
「はいはい勇者様」

失礼します、と言って、戸岐は私を背負ったまま保健室に入った。保健室の中は廊下と違いとても暖かい。


「すみませーん、足首蹴られて」
私はソファに降ろされる。戸岐はきょろきょろとあたりを見回していた。保健室が珍しいわけでもなかろうに。

「あら、彼氏は置いてらっしゃいよ」
「やだなあ、先生。違いますよ。これからオトすんだから」

ほんの冗談である。そうだ冗談だ。戸岐の冗談に、自惚れるなと全身の細胞ひとつひとつが叫ぶ。

ソファにからだを沈め、私は保健室の美人な先生と戸岐とを交互に見つめた。


「あらまあ、捻挫しちゃってるわよ」
「…足痛くて歩けないんですけどどうやって帰ればいいですか」
「そうねえ、そこの彼氏に背負ってもらってお家まで帰れば?」
「先生冗談キツいです」

あははははは、と私は乾いた笑い声をあげる。椅子に腰を降ろしていた戸岐がこっちをちらりと見た。


「いいや…足引き摺って歩きます」
「大丈夫?誰か呼ぼうか?」
「今家には誰もいないので」
「あらそう」

先生は棚から湿布を取り出して、患部に貼ってくれた。ひんやりと心地よい。

しかし痛いものだった。足を引き摺って歩くのも面倒臭そうだ。けれど家まで帰るにはそれしかないのだろう。
ぴょんぴょん片足だけで歩くのも耐えられなさそうだし。

「じゃあ失礼します」


片足を引き摺って、私は保健室のドアに手をかけ振り向き頭を下げた。
 先生、私今の1mくらいでもう倒れそうです。
泣き言を言うのも馬鹿らしくて、そのままドアを開けた。

「あれ、もう行くの?」
先生と自分用にか、カップをふたつ用意してコーヒーメーカーを動かしていた戸岐が顔だけこちらに向けて聞いた。髪が長いなと、なぜだか改めて思う。
「ちょっと待ってよ。じゃあ失礼します」
にっこり、戸岐航平は笑って頭を下げた。

「…関係ないじゃない」
「そういうの悪いクセだって。素直にありがとうって言っとけ」


へらへら笑う戸岐に、私は拍子抜けしてしまう。
私に肩を貸してくれた彼に、本当ならば名誉毀損だと訴えたかった。












けれど、名誉毀損だと訴えるのは、染まった頬が元に戻るまでは無理そうである。




「失礼します」

保健室のドアが、冷たくぴしゃりと閉じた。

















…なんか微妙…な…。続くかも知れませんがたぶん続きません(言うな)
しかも気付けば名前変換無し。あれ…?




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