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だらだら日記リターンズVer.2.02

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Talking 'bout pachinko

パチンカーに100の質問(質問提供:たちーずへようこそ

2002年1月

2002年5月30日(木)

●暇状況継続中。日々無為に過ごしているようで、これが非常に辛い。メジャーリーグファンーに100の質問、なんていうネタを延々考えていられるというのは、まぁ確かに今まであまりなかったことなので、これはこれで喜ぶべきことなのだが、やはりここ10年というものずっと激務の中に身を置いていただけに、何ともやるせない気分になってしまう。
今日は相方がアメフトを見に行っているので、帰りは昨日同様渋谷のガイアに立ち寄ってみる。未だお祭り継続中で、ものすごい騒ぎになっていて驚く。昨日は気がつかなかったのだが、この店はドル箱をまっすぐ上に積まず、1段目と2段目を少しずらして積む、言ってみれば階段積みという芸術的かつ危なっかしい方法をとっている。出ている台が少ない時はいいだろうが、今日のようにイベントで出しまくっている時には通路にその不安定な2段目がせり出しているので、これを蹴っ飛ばしてしまわないか不安になる。このイベントの告知ポスターにはマリンちゃんが登場していたので、気が進まないが今日は海をやってみることにする。空き台をさがしていると裏口近くの島でスーツを着たオジサンが今まさに台を離れ、二つ隣で空いた台に移動しようとしているのを発見、離れようとしている台は8回当りで378回転、移ろうとしている台は3回当りで782回転という状況。私はオジサンが見切った台に座る。データを詳しく見ると、既に今日だけで2900回転もしている。もう回りっぱなしの状態だ。確かに釘も甘く、よくわからないのだが小デジタルが当たると開く電チューが、確変の時のように開きっぱなしになる。これって故障?いやいやラッキーと思わねば、と打ち始める。で、いきなり右列でカメ3のリーチ、泡が出て魚群発生、ピタ当り。これには驚く。オジサン、もう少しで当たりだったのに、とそちらを見るとここっちもサメ4で単発当りを引いている。うーん、見切って移った台で単発即当り、でも見切った台はその後即確変引き...。なんかこんなこと前にもあったなぁ、そうだ、土曜日の自由が丘だ!この時は江戸っ子源さんの角台を6000円ほど突っ込んだが100回転ちょっとしか回らなかったので見切り、後ろのチキチキマシンの空き台に移って単発6の即当りを引いた。後ろを振り返ると見切った台には女の子が座り、確変の3を引いている。うわ、こ、これはやられた...、と当たった嬉しさも消し飛んでしまったのだった。この店は確か3.3円の換金率、ここは2.65円、当たった回数でいえば借りを返してもらった勘定になるが、換金後は...。などと不埒なことを考えていたのがいけなかったのかもしれない。当り終了後の再始動1回転目でいきなりサメ4のリーチ、泡から波紋にまで移行してしまい、外れろの願いも空しく当たり。しかも再抽選なし。もう終わりかよ!(Copyright by 三村@さまーず)ひとまず二箱GETは嬉しいが、何かが違う。違和感に苛まれながら打つが、この台とにかく回る。海ってこんなに回るの?というほどの大回転ぶり。結局1箱は飲まれてしまったが、282回転っすよ、お客さん!1箱5000円として1000円当り56回強っすよ!残ったもう一箱を突っ込むか迷う。だが、再始動後は一度も魚群&マリンちゃんが出ていない、エンジェルフィッシュの真ん中並びが目立つ、サメの枠外揃いもけっこうあった...という数々の不安材料を払拭できず。とにかく再始動1回目で単発という最初の一歩からしてダメサインだったかもしれない、でヤメる。次は地下に降りてグラディエーターを開始。2000円でちびちび打つ。隣の学生さんにレインボー予告、思わず「お!?」と声を出すと、学生さんが「来ますよね?」と不安そうな顔で言う。今日3回当り、167回転目...、来るタイミングとは言えるが、今日ここまででどれだけ回っているのかが気になる。初当りまで1000回転くらいしているんじゃ...?学生さんの台は当りのパターンが4種類あるフォースリーチに発展、「こりゃ大丈夫でしょ」と私がにっこりしていうと、学生さんは「自分の前に打っていた人もレインボーで外れてたんですよね」と心配そうな表情。で、信じられないことに外れる。これはショックが大きいよなぁ。学生さんの肩が思いっきり下がっている。わかるぜ、その気持ち...。学生さん「やめた方がいいっすかねぇ?」、私「微妙だねぇ。レインボーが出ているから不調じゃないとは思うけど」とその台のデータを見させてもらう。あ、やっぱり初当りまで1400回転もかかっている。私ならヤメだなぁ。でも、うかつにヤメを勧め、次の人がお座り一発では彼もかわいそうだし。ひとまず、ヤメの回転数を決めて様子を見たら?と言う。次のレインボーも外したら、もう完全撤退決定だが、それは言わなかった。私の方はかすりもせず。追っかけないで、学生さんにがんばってねと声をかけてこの台を離れる。次はミラクルマウス。なんかSPの演出が面白い、というので一度やってみたかった台だったので、ま、名刺代わりということで2000円を投入してみる。この台の特徴はなんといっても図柄の回り方にある。図柄は樽に書いてあり、回転が止まるところでこの樽が横なんだが縦なんだがわからない、表現のしようのない動きをする。ハマっている時はきっとこういう動きを見ているとイライラするのだろうが、今回は最初だけにこの回り方だけでけっこう楽しめた。SPもインディジョーンズのような冒険活劇風の展開で、お姫様を助ける為に振り子のように揺れているハンマーをよけながら進む、とかトロッコに乗って坑道を突っ走りながら当たり図柄の樽を追う、なんていう感じ。当りはずれの確定までの時間は確かに長いが、きっとこういうエンターティメント性にハマる人もいるはずだ。私もこれで当たってくれたら好きになってしまうかもしれない。でも当たらなかったので、それ以上の感慨はなし。それよりも、裏の列でバカボンをやっている奴が、どんどんと音が出るほど台を叩きまくり、これが嫌でヤメとした。本日の収支はぴったり0円。帰り際にグラディエーターを見ると、学生さんは依然奮闘中。おお、あれから120回回して当り無し、やはりなぁ。声をかけるのはやめて帰宅する。

2002年5月29日(水)

●暇で暇で仕方のない日中がやっと終わり帰宅。相方の一件があってから、なんだか気持ちに張りがない。何というか、やっぱり家族が健康上思わしくない時というのは、心配が胸を支配して、なかなかそこから出てくることができないものだ。それでも、渋谷の駅でガイアが2周年祭を開催しているという広告を見て、どうせダメだろうと思いつつ覗いてみる。この店をご存知の方ならわかると思われるが、ここは1階の入り口がうなぎの寝床のようになっていて、ここから階段までの間は壁面にのみ台が設置されている。言ってみれば本来は通路として使うようなスペースにも台を置いているのだ。当然ここは外からもよく見えるし、店に入る為には必ずここを通らなければならない。それだけ衆目を集める場所だけに、ここで玉が出ているととにかく燃える。ドル箱に突き刺さった1万発の扇子を見て、熱くならないパチンカーは嘘だ。しかも、今日は年に1度のお祭り期間。とにかくどの台も扇子、扇子、扇子と来れば、出ない方がもうおかしい。ちょいと打ってみるかと地下に行く。この店はほとんど海ばかり、苦手な私はまずグラディエーターで勝負。2000円で52回転、おお、けっこう回る。でも当たらない。ブルーライト予告しかお目にかかればかった。次は久しぶりの海。7回当り、588回ともう少し育ってから座りたかった台だが、空きがあまりなく選択の余地がない。2000円で52回転、一度魚群を見たが当たらない。隣は魚群、珊瑚礁と来てピョコ戻りで2が当たり、走って3となって確変成り上がり。若いサラリーマンが喜んでいるのが、表情を見なくても伝わってくる。いいなぁ。11回当り189回転の台に移る。回りはまぁまぁだったが、当たらない。こんなにチビチビ打っていれば当たるわけがないのはわかっているが、海に思い切って投資することが怖くてできない。玉がなくなったところで泡予告から4でリーチ、波紋に発展してヒトコマずれで外す。やっぱダメだよなぁ、と席を立とうとすると隣が4でリーチ。お!?と見ていると泡予告から波紋と私とプロセスが一緒、でこっちはピタ止まりで当たり。ああ、こりゃもう帰れってことだなぁ、もう今日はダメだ、と観念して帰る

2002年5月27日(月)

●事故状況の把握の為必要、と警察に言われていたので、事故当日相方が乗っていた自転車を私がえっちらおっちらこいで運び、相方は怪我人ということでタクシーでそれぞれ地元警察署に向かう。ちょうど家を出る時に雨が降り始める。全く、ツイてない時はとことんだ。区の一番はずれから等々力まで、だらだらと上りが続くこともあり、またこの自転車がママチャリタイプで恐ろしくアバウトなギア設定、なんと到着まで30分もかかってしまう。ちょっとしたサイクリングだ。雨が激しくなってくる中、相方と相手を待つ。まさか来ないなんてことはないよな、とかつお節を作る職人の技とかいう番組を警察署のロビーで見ながら待つ。先に相手が到着、かわいそうに彼も雨の中川崎からバイクでやってきた。カッパ姿が妙に哀愁を感じさせる。土曜日に和議申し立てに行った時、念書を書いていれば、こんなことをする必要もなかったのにねぇ。程なくして相方も到着、早速交通事故係に向かう。ここでは完全に事故関係者のみの世界となり、付添いの私は警官に「あんたは何?」などといきなり門外漢扱い。はいはい、あたしゃ自転車運搬係っすよ、などと悪態の一つもつきたくなる気持ちを抑えて廊下に出る。部屋の中では簡単な事情聴取が行われたようで、これが終わって出てくると、今度は事故現場で検証、私は警察署のロビーで待つことに。二人はよく犯人が護送される時に見るワンボックスとマイクロバスの中間の大きさのパトカーに乗って行ってしまい、私はまたかつお節職人の技を見て時間を潰す。小一時間ほどで二人が帰還、調書作成の為再び最初に入った部屋へと入る。結局事務作業が終わったのは10時半頃、戻ってきた相方の顔色もようやく赤みがさしていた。まぁ、確かに被害者とは言え警察と関わるのは神経を使うものだ。結局、相手は反則点4点、罰金なしになりそうとのこと。自転車に乗っていた相方も左側通行をしなかったかどで過失があるとされたらしく、割合は10−0にはなりそうもない。これは残念だが、ひとまず責任の所在が法的にはっきりしたことで、相手の自賠責保険が起動、治療費とそれに関わる費用の請求ができるようになった。笑ったのは、バイクに自転車のカゴでこすった傷が残っていたことで、相方は覚えていないと言っていたが、実際はバイクと自転車は接触していたことだった。確かに衝突回避で頭が真っ白になっていたこともわかるが、ぶつかったかどうかがわからない、というのもいかがなものかと思った次第。ぶつかり慣れていない、ということもあるのだろうが、さすがにこれには苦笑してしまった。
今回の一件で相方もいい教訓になったのでがないかと思う。まず、路上で他者と何かあった時はとりもなおさずまず警察に通報すること。それは、その時痛みがあったかどうかに関係はない。事故直後は何もないと思っていても、当然危機回避の為にアドレナリンが大量に噴出しているので、痛みなどを感じないことが多く、ほっとして、アドレナリンの噴出が止まった瞬間に痛くなり始めることが往々にしてある。特にむち打ち症などはこの傾向が強い。実際相方も夜になってから喉がつまるような気がする、と言い出したわけで、今回はバイクの相手の勤め先がわかっていたからよかったが、通りすがり同士での事故だったらこうすんなりいったかどうか。後づけで事故とする場合、当事者同士で時間を決め、警察に行くという段取りを組まなければならないし、診断書の取付もしなければならない。直後に警察に通報していれば、全ては警察の仕事、診断書も数日後提出で問題ないし、第一自転車を警察署まで運ぶ手間もない。
また、改めて言いたいのは、和議申し立てには素直に応じるべき、ということだ。バイク対自転車であれば、どうしたって過失はバイクの方が重い。我々が相手のところに向かった時、最初に提示した詫び状ないしは治療費支払の念書の作成にYESといえば、仕事を休んで警察に行くという事態は避けられたし、相手も反則点を課せられることもなかった。唯一、保険の適用だけが曖昧になるが、自腹を切ることと反則点、そして手間を秤にかければ、どっちが重いかは誰だってわかるはずだ。
せっかく警察署に来たので、2年半ほどほったらかしにしていた普通免許の住所変更も行った。免許証の写真を見て驚く。うーむ、更新の時、こんなにデカかったのかぁ。病気をしてよかったのかも、とちょっと思う。雨がすっかりやみ、日の光が眩しくなる中自転車を自宅まで運ぶ。で、出社。遅れてやってきた分を残業でチャラにして帰宅。途中昭和パチ屋に立ち寄るが、出なかった。ここにももう来ることはないなぁ、きっと。夜、ウォーキングの途中で地元パチ屋を覗いてみるが、どの島も出ていない。ワールドカップ前最後の掻き入れ時、ということなのかもしれない。しかしあと1週間とはいえ、あまり厳しい設定を続けると、客足はすぐに止まってしまうんじゃないだろうか。

2002年5月23日(木)〜26日(日)

● うーむ。ちょっと困ったことになってしまった。23日朝に相方がパート先に自転車で行く際、路地から飛び出してきた単車をよけようとして急ブレーキをかけたそうなのだが、夜になって喉がつまるような気がする、と言い出したのだ。私は事故なのだから、何故警察に通報しなかったの?と尋ねたのだが、相方はその時は痛くなかったから、と人のいい答え。しかし、そのまま放っておくわけにもいかず、事故の状況を聞く。相手はパート先の隣で勤務しているということはわかっているというので、明日そこに行って相手の名前などを聞いてくるようにと話す。たまたま、相方が偏頭痛の検査の為に24日にCTを受けることになっていたので、ちょうどいいから事故のことを医師に話し、首も見てもらうようにと言う。
24日、やはりCTの担当医から軽いムチウチの可能性があると言われ、その後出勤する際に相手の勤務先に行って名前などを尋ねたが、その時不在だった相手は終業時までに謝りにも来なかったということもあったので、相手と会い、和議申し立てをすることを決める。
25日、朝から相手の勤務先に相方と出向く。事情を話すと、相手と相手の会社の社長が出てくる。詫び状か治療費等の支払を明記した念書を書いて欲しいと伝えたが、歯切れが悪く、ならばと警察に仲介に入ってもらうことを提案すると、社長は自分が出張る必要がなくなったと思ったのか、相手にそれがいいと諭し、結局、後づけで警察に事故報告を行うことになってしまった。立場上、私が段取りを決めることにし、地元警察に連絡、すったもんだの末月曜の朝イチで関係者が集まることになった。その際、診断書が必要ということで、CTをとった病院に連絡して診断書を月曜の早朝までに作成するよう依頼するが、週末は休みだから、と埒があかない。後日でもいいはずだ、と病院の当直は言っているが、何度も警察に行くのはゴメン、ということでインターネットで近くの接骨医を探し、相方に診察を受けさせる。結局、軽い頚椎の捻挫で2週間の加療の必要ありという診断が下り、診断書をGET、ひとまずこれで相手に治療費を請求できることが決まって、ちょっとほっとする。
夜、相方に月曜日の話の進め方をアドヴァイス。合わせて、すぐに警察に連絡をしていれば診断書もすぐには必要がなかったことなども話す。相方は職場などで皆から同じ話をされ、もううんざり、という表情をしていたが、警察もお役所仕事で決まった流れに乗っていないと、やれ、あれを用意しろ、これがないと対応できない、ということを言い出すものだと諭す。まぁ、いい勉強にはなったと思うが、ちょっと仕事が忙しいので月曜日は休むわけにもいかず、とりあえず遅刻することだけを会社の仲間に連絡しておく。
26日は、そうした騒動の結果遅れていたHPの更新とコラムの執筆で一日が終わってしまった。色々なことがあって、本当に大変な週末だった。

2002年5月22日(火)

昨日は思わぬ出来事でFパチリーグを打ちに行くことが出来なかったが、今日は病院に一瞬立ち寄った後、新台交換のポスターが貼られていた中延のパチ屋に行って、この台を体験する。結論から先に言うと、大負けした。その額2万3000円。そのうちFパチリーグは17500円だ。予想通り、サラリーマンの帰宅時間とも重なったということもあり、台はほぼ満席。たった一つ空いていた台に座ったが、まぁ最初からある程度の予想はできていた。昨日が新台入れ替え、今日、明日も多分出る、という状況下で捨てられた台なのだから、臍への玉絡みが悪いとか、一旦パネル側で転がってから落ち込んでくる玉と臍釘の開き角度がずれているとか、もちろん当たりが遠いとか、そういうもろもろの理由がそこにはあったはず。今日当たり4回、428回転というのも、ハマりと当たりの微妙なバランスのところで終わっているという感じではあったのだが、まぁ前者と見てこの台を打っていた人は捨てたに違いない。でも、とにかく今日は昨日得た軍資金を総動員してこの斬新な台の味見と決めた。勝ち負けなど最初から度外視。度胸を決めて座る。まず、この台の何が斬新かを簡単に説明しておかなくてはならない。これまでのフィーバー台は、大昔のものを除いて打ち手がプログラムに干渉することは基本的にできなかった。ここで言う干渉とは、スロットのように自分の意思で出目を変えることを意味する。このFパチリーグは、ガラス盤面にタッチセンサーを導入し、打ち手にリーチの局面でいくつかの候補から選択をさせようという思想から作られている。簡単に言えば、どっちかに当たりが入っている、さてどっちでしょう?で右を触れば、もしかしたらはずれだったものが当たりに変えられる、というものだ。もしくはどちらかに必ず当たりが入っているから、貴方の意思でそれを選んでください、という言い方でもいいかもしれない。そのタッチセンサー機能はプレイの最初でいきなりお目見えする。プロ野球モードかソフトボールモードかを選択できるのだ。どちらを選択しても当たりの確率などは変わらないようだが、前者なら男、後者なら女とキャラクターの棲み分けがされている。私は迷わずプロ野球を選択する。この冬遊ばせてもらったパワプロくんの後継機ということで、こっちの方が馴染みがあったからだ。で、打ち始める。リーチがかかるまではタッチセンサーの出番はない。臍に玉が入れば投手が投げ、打者が打つ。基本的にストライク3球で打者三振、ということでプログラムは進んでいく。リーチ予告もいくつかあるが、それとリーチ突入は完全にイコールではない。これがはっきり言ってこの台にがっかりした最初の点なのだ。投手がセットポジションに入った時に、この機種のメインキャラクターであるクマのチアガール達が応援をするとアツくなる、らしい。これが続けば続くほどアツさも増す、らしい。だが、ちっとも面白くない。そのうち液晶の上にもいるクマが激しくボンボンを振り出す。これが出ると本当にアツい、らしい。でも液晶上ではリーチもかからない。淡々とプログラムが進んでいくばかり。ガイドにはリーチのパターンなども多彩などと書かれていたが、はっきり言おう。これだけの投資をし、約280回(回ってねー)も回した挙句、私がリーチ時にプログラムへ干渉できたのはたったの1回だ。1回ですよ、お客さん!まさかこれほどタッチセンサーのお世話にならないとは、予想もできやせんでしたぜ。しかも、このSPが来たのは12回転目、つまりそれ以降の260回転余り、私の仕事は玉を打ち出すだけで、一度もガラス面に触れていないのだ。信じられます?お客さん!!氷の魔球というSPになり、「勝負!」と表示されて右を選択。あっさりはずれ。まぁいい、この調子ならすぐ次も来るだろう、と思ってこれですから。私がどれほどアツい怒りモードに入っているかもおわかりでしょう?期待が大きかっただけに、この状況は許しがたいものがありやすぜ、ダンナ。タッチセンサーで外しまくったのなら、私の博才のなさとあきらめやすが、その機会さえ来ないってところに、憤りを感じるんだな、これが。15000円を吸い込まれ、ものは試しと待ちうけ画面の表示を待って、ソフトボールモードにしてみるが、なーんにも変わらない。もうさすがにこれ以上耐えられなくなり、甘釘と表示されているうる星やつらに移動。7回当たり、209回転というカド台を打つ。甘釘がどうして1000円で15回しか回らないのか理解に苦しむが、とにかくこれで5500円ひたすら回す。SPはさくらさん(だったっけ、巫女さんね)を2回、面堂を1回見た。でも、なんかもうせっかくここまで来たんだから、という部分だけで打っていて、ちっとも面白くない。で、ヤメる。駅に行く途中でもう一件パチ屋があったので、覗いてみる。ここにもFパチリーグが一島あったが満席、でも出ていない。ドル箱がちらほら見える限り。海の方がよっぽど爆発している。で、初めてということでモンスターマンション2を打ってみる。今日当たり11回、278回転と、当たりが非常に遠そうな台を3000円ばかり打つ。意外にもコウモリ予告やフラッシュ予告、オバケ滑り等、一通りのものは見たが、当たらない。で帰る。2点まとめてトータル2万6000円、昨日の勝ち金ももう1万円しかない。普段ならガックリと落ち込んで「もうパチ辞める」などと弱音を吐くところだが、今日の場合は負けたというよりも、こんな台に大きな期待を寄せた自分の阿呆さ加減に腹が立つ。たまたまそういう台に座ったことが悪かったのかもしれないが、男女の仲も最初の印象が重要なように、パチとの関係だってそういう部分は絶対にある。まぁ、私が監督なら、これだけ三振を続ける打者なんて即刻ベンチに下げる。GMならマイナー行きを通告するか解雇だ。逆に、打者(ムサシくんというらしい)をこれだけ三振させた投手(コジローというらしい)とは4年間、年俸総額1600万ドルくらいで契約したい。1試合27奪三振ならまず完全試合達成、それを10試合以上やっているんだから、この条件提示でも少ないくらいだろう。野球ファンの純な気持ちを反故にするとは、いやホント、いい度胸してますよ。
できれば、2.5円の店でFパチリーグを打ってみたい。今日は3円交換で、新台入れ替えでも2.5円の店に比べて釘締めまくりだったのだ、と誰か私を慰めて欲しいよ。あああああ、このやるせない気持ちをなんとする!?

2002年5月21日(月)

●●今度新機種としてパチ屋に並び始めたFパチリーグをどうしても打ちたくなってしまった。不幸にも私の行動範囲の中にこの台を設置している店がないので、仕事の帰りに荻窪まで遠征することを決めていた。だが、もう駅から電車に乗るだけ、という段になって、昭和パチ屋でウォーミングアップしてからでもいいかな、とふと思い、ちょっと一杯のつもりで立ち寄ってみる。相変わらず閑散としている中、いつも打っているFカジノに座り、4000円ほど回す。例のドラムが回転する時の音楽1オクターブ上がり、テンポも速くなるSPが2回かかったが、ド、レ、ミと音階が上がっていくのに合わせて真ん中のドラムが当りに向かっていく私の大好きなパターンで外れた為、今日は不調かな、と台を十二支に移動してみることにする。こちらも、いきなり2回転目でリーチ予告「じゃんぷ」が発生、4でリーチがかかり初お目見えの雷神様も登場したが外れ。やはり4000円飲み込まれる。さて、荻窪に行こうか、と店を出ようとしたが、何となくFカジノをもう2000円だけ突っ込んでみることにする。すると1500円入れたところで1オクターブ上がる予告が発生、赤7でリーチ、通常通り真ん中のドラムが回る...、するといきなり高速回転開始、ランプが点滅しそれまでのどんよりとした空気が一気に華やぎ、緊張感溢れるものに変化する。真ん中のドラムがブルブル震えながら赤7の手前から2つ進んでは一つ戻り、を繰り返し、じれったいほど動きがゆっくりになって大当たり。初めて見るパターン、しかもドラムの動きを更に白熱させるオケヒットのようなSE!な、なんてアツい動きなんだ...。正直頭の中が真っ白になるほど興奮した。これが3年前の機種?本当に?今年登場した新しい台が皆デジタルの粋を集めた代物というなら、このFカジノはアナログの極致と位置づけられる。ドラムだからこそ、「間違って当りそう」という期待感も生む。しかも震えたり、いきなり回転が速くなったりとドラムの持つ「そこで回っている」という存在感をフルに活用した演出が実に見事だ。いやぁ、全盛時、一島全てでこの台が回っていた光景はきっと壮観だったことだろう。隣の人にこんなリーチが来たら、間違いなくこっちも手に汗握る。とにかく確変突入、だらだらと続く時短を経て今度は単発のチェリーでリーチ、これが当たった瞬間に全回転開始、青7で当たる。そうか、これって再抽選ということなのね。続いて音階リーチでBAR当り、次は最初と同じ行きつ戻りつリーチで黒BARと立て続けに確変4連続、最後は音階リーチでオリーブ、興奮の再抽選(全回転で確変絵柄を待つ時の気持ちはもう言葉にできない。あああああとため息とも喘ぎ声ともつかないものが口から漏れそうになるのを必死にこらえる、という言い方しかできない。)がチェリーで、長かった興奮の時間が終わった。もうアツ過ぎて顔が上気している。ドラムに蹂躪されまくり、席を立とうとすると腰が抜けそうになっていることに気がつく。玉を交換した後PQカードの残りで先程まで打っていた十二支に移る。すると...、最初の回転で一瞬画面が暗くなり、11でリーチ、「雷神じゃ!」の声で今日2回目の雷神様登場、雷を落としてどんどん真ん中の図柄を進めていく、11に超強力な落雷、むむむ...残った!当たった!再抽選は3と11、どっちに転んでも確変突入、11がそのまま選択される。店員さんが笑いながら「連続挑戦中」の札を掲げに来る。なんか、すごいことになっているなぁ、とぼーっとしながら思う。前回同様ダラダラと長い時短開始、すると寿と書いた図柄が登場、なんだこれ?出た数字は2,3,4、なんかリーチアクションらしきものが始まっている。あ、だるまだ、しかもタイムボカンシリーズに出てくるような小さいロボットのようなだるまがどんどん画面に増えていく。で、積みあがっている図柄を叩いて飛ばしていく。お、これがだるま落しリーチか、でも、あれ?3つ揃った図柄を3つとも動かしている?もしかして全回転のリーチなの、これ?あ、しかも全部確変図柄じゃないか!!と驚いているうちに3で当たり。店員さんももう笑っている。笑うしかないよね、この状況は確かに...。次の当りはなんか神様みたいなのが登場、「サービスじゃ!」の掛け声でリーチに突入、だぶるりーちと表示されて6と7でリーチ、6で当たって再抽選、7が選択されて確変3連続、もうアツくてアツくて、何がなんだか...。だが、さすがに5連チャン連発とはならず、次は三度雷神様登場で4でリーチ、大雷炸裂も4が残り、再抽選でも4が選択(この再抽選も見事。メインキャラクターの猫ちゃんが左に今当たった単発の4、右には確変の11がかくされたふすまの前でどちらを開くか迷い、で、こまわりくんの死刑!よろしくポーズを決めて、右か左を選択するというもの。確率1/2という以上に盛り上がる一瞬だ)し、アツい時間が終わる。交換し、余ったPQカードを海で遊んでいるお姉さんに御祝儀として進呈、4万6000円をGETして店を出る。もう血が駆け巡り過ぎて全身に倦怠感さえ覚える。時計を見ればまだ7時半、荻窪に行くことも十分可能だったが、もうその気持ちは起きなかった。満腹で動けない、というような状況だ。またまた頭から湯気を上げながら帰宅する。途中、やはり御祝儀として相方用に渋谷の東急のれん街で林フルーツのヨーグルトを購入する。最寄り駅に着くと雨が降っていたが、上気した体には返って気持ちがいい。それにしても、ここ数日のラッシュはすごいものがある。運を使い果たして、明日には死んでるんじゃないか、と思った。

2002年5月19日(日)

週末の頭痛のタネはメルマガのコラムのネタ探し、という生活がここ3年ほど続いている。ESPNFOXのコラムニストは、毎日毎日、本当によくもまああれだけのコラムを書き続けられるものだと思う。私の場合@その週にあったニュースを膨らませるAその週にあった些末な出来事を過去のメジャーの出来事にリンクさせるB季節や数年前の同じ日に起きた事件を掘り起こすC注目している選手を紹介する、とまぁこういうカードを手元に置いて、だいたい金曜日くらいから構想を練り始めるのだが、ひとまずここまではネタが全くないという時に遭遇していない。それだけメジャーは歴史があり、関わっている人が多く、事件が頻繁にある、という環境なのかもしれない。そういった意味ではこの4年で休載したのはアメリカ旅行と入院の間だけ、皆勤賞をもらってもいいんじゃない?と思っているが、メジャーだからこそここまで続けられたという言い方もできる。懐が深い世界だ、本当に。で、今週は珍しくネタが豊富だった。ホセ・カンセコが引退を表明した上、メジャー選手の85%がステロイド系薬物に手を出している、という告白を行ったというオイシ過ぎるものと、観客減に悩むブルージェイズが、マリナーズとの3連戦を迎えてジャパニーズ・ナイトを企画、ここに戦前存在した野球チーム「朝日クラブ」のメンバーが招待されたというもの。どちらも捨て難かったが、やはり旬ということでカンセコを選択する。もちろん、オジーの方ではない、念のため。

それにしても、メルマガもここのところずっと読者数が安定し、まぁ相変わらず苦情というか言いがかりのようなメールも来ることは来るが、発行に支障をきたすこともないし、いい感じだ。99年5月に創刊した時は、メルマガ自体があまりポピュラーではなかったし、まぁ続いてもシーズン閉幕までだろうな、と思っていたが、あっという間に500部を突破、Marcyくん、Cubもりさん、ともすけくんと心強いメンバーがサポートしてくれていることもあり、順調にここまで来ることができた。改めて関係者、そして読者の皆さんに感謝の言葉を献上させていただきたい。本当にいつもありがとうございます。

さて、今日はそのおいしいネタを元にコラムの骨子を昼過ぎに作り上げることができたので、HPの更新を済ませた夕方から、隣町のパチ屋で平家物語を打ちに行く。昨日の勝ち金を投入して平家で勝負、できればプレミアムが見れれば、と淡い期待を寄せてみたが、相変わらず釘が辛い。1000円で7回転って何さ?回って沈黙→待ち受け画面という砂漠に水を撒くような状況にさすがにシビレを切らし、3000円でヤメる。続いてフィーバー・カジノに移ったが、こちらは好調。3000円でリーチ予告音を3回聞き、あの胸が躍る音階SPも7、8回見たが、当たらない。来る感触はあるが...ヤメる。で、買い物を済ませ、帰宅途中に地元パチ屋に立ち寄る。昨日のPQカードがまだ残っていたので、これでちょこっと回してみようという趣向だ。台はそれほど選べる環境ではなかったが、本日14回当り、202回転という黄門ちゃまを選択する。この台、初当りまでの回転数が450→400→350→300とどんどん短くなっているので、もしかしたら2000円でも十分勝負になるのでは、と思ったのだ。果たして11回転目、印篭リーチから格さんで当たり。連日のお座り一発!これが再抽選で5となり確変突入、ここからがすごかった。ほとんど30回転以内に次々と確変で来る。助さんリーチから1で当たり再抽選で3、弥七リーチが一段階で5で当たり再抽選で黄門さま、次の当りの前には回転開始直前に格さん、黄門、助さんの目が燃える光景も見た。これってプレミアムだったはず。で7の飛猿リーチ(6/12)、これが一旦外れ、あれ、このプレミアムって鉄板じゃなかったか?と慌てていると飛猿が戻ってきてもう一度忍法をかけ、オール7のプレミアムリーチとなって当たり。次は1でリーチ、これがノーマル戻りで9当り、5連チャンで終了。一息つく間もなく18回転で印篭リーチ、これが3で当たり、再抽選は5、確変引き戻しでもう顔から足からアツい、アツイ。だが、今度は時短100回転を越えても当たりが来ず、ようやく142回転目に1のノーマル戻りで当たり、再抽選は8で確変終了。一応、30回転まで回したが、深追いはやめる。ドル箱7箱@1時間40分、怒涛の出玉に頭から湯気を出しながら換金、3万4000円をGETした。この3日間、当り回数の合計はなんと15回、これって大虐殺のあった5月13日までの5月の回数の合計と同じ数字で、来る時は来るんだなぁ、と改めて思う。14日に昭和パチ屋でフィーバーカジノ3連チャンからの6日間ではなんと27回だ。こんな短期間にここまでの成績って、多分今までになかったことだと思う。

ちょっとまとめてみる。

日付

     

機種

当り回数

備考

2002/5/14

昭和パチ屋 Fカジノ

3

 

 

昭和パチ屋 ハクション大魔王

1

 

2002/5/15

昭和パチ屋 Fカジノ

1

 

 

地元 黄門ちゃま

2

 

 

地元 ワンパクパーク

1

 

2002/5/16

昭和パチ屋 Fカジノ

3

 

 

昭和パチ屋 十二支

1

 

2002/5/17

昭和パチ屋 十二支

3

自由が丘で江戸源、チキチキ轟沈があった

2002/5/18

地元 黄門ちゃま

5

 

2002/5/19

地元 黄門ちゃま

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隣町で平家物語、Fカジノ小沈があった。

 

 

 

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しかも、打っている時間はトータルでも12,3時間程度だと思う。この状況がいつまでも続きますように...。って無理な話ってのもわかっているが、とりあえず書いてみた次第。明日はどんな風が吹くのかなぁ。

2002年5月18日(土)

久しぶりに最高の気分だったりする。まさに1週間を終えるにふさわしいフィナーレだった。今思い出しても知らずに笑みがこぼれる。生きててよかった。
今日は相方がパートなので、朝メシの準備なし。それゆえ買出しに出かけたのだが、やはり地元のパチ屋は気になる。昨夜は自由が丘でヴィンテージ物のアイリッシュをしこたま飲んでしまったこともあり、財布が寂しい。で、打たずに昨日の状況だけを確認しようと店に入る。今週、とにかくこの店では黄門ちゃまが平均的に出ているので、前々日2回、前日14回という台にチェックを入れる。なんか全体的に午前中、しかも土曜日なのに出ているので、ちょっと試しに、で6000円ほど入れてみる。142回転までとよく回った方だが、なんと1度もSPに発展せず。なんだかなぁ、でお腹も空いたし深追いせずに店を出る。財布の方はもう吹けば飛ぶほどの重さ(推定50g)で、銀行で金を下ろそうかを思ったが、朝パチで入らない時に現金を継ぎ足すと、夜出ないというジンクスがあることを思い出し、やめる。帰宅してメジャーの試合経過を横目にHPの更新開始、程なく新庄が満塁本塁打を打って驚く。夕方、去年までいた会社の先輩と一緒に等々力の打ちっぱなしに行く。バッグが埃だらけだったのを見て、あー、本当に練習に行っていなかったんだなぁ、と改めて思う。きっとショットもめちゃくちゃになってんだろうなぁ、と打席に入って打ち始めると、そうでもない。っていうか前よりもスウィングが安定している。きっと体重が落ちて体の回りがよくなったのかもしれない。これで今度のラウンドでは同じ組の人に迷惑をかけないで済みそうだ。かなりほっとする。夕食後、ウォーキングの途中で朝やられた台の様子を見も兼ねてパチ屋に向かう。3000円しかないが、これを全てPQカードにする。突っ込む金がなければ、それ以上は負けないのだ。朝回した台は予想に反して当たり6回、しかもオール単発だったようで、データを見る限りではチェイスしなくて大正解だったようだ。で、座ったのは438回転で捨てられていた今日当たり19回、400回転から500回転の間で満遍なく当たっているという台。夜モードなのがちょっと嫌だが、これなら今の軍資金でも可能性はありと見た。500円で12回転、もうちょっと入ってくれよ、と500円分を追加したところで格さん、黄門、助さんが揃って印籠リーチに突入、格さんで当たり再抽選で5。まさにデータ通りの一発、ここまで回して捨てた人、本当にすいません。おいしくいただきました。時間を見ると午後10時15分、まだまだ保証を心配する状況ではない。次は8で格さんリーチ、当たって3に成り上がり、3回目は1で飛猿リーチ(9/12)、当たって7に成り上がり、4回目は1でノーマル戻り(レアだと思ったら、単に私が引いてなかっただけのようでした。2日続いて見たら、プレミアムではないよね、やはり)再抽選で3、次が飛猿リーチから8で揃い、再抽選も8で確変終了。5連チャンで時計を見れば残り10分、当たり直後の再当たりを期待してギリギリまで打つが3回転目に3でノーマルリーチが来たのを最後に音沙汰なし。それでも2万4000円のプロフィット
GET。閉店間際に入店したことを思えば、これはもう出来すぎの展開だったと言える。それにしても、16日に大虐殺があったのに、週末にはチャラになってるってのが実にいい感じだ。貸してたものが返ってきたのだと言ってもいいかもしれない。ハッピーっす。

2002年5月17日(金)

出社するも今日は入力業務なし。体力を持て余していたこともあり、夕方は昭和オアチ屋でフィーバー・カジノを打つ。なんか、昨日の爆発台、というカードがかかっているのが気になったが、オススメ台の表示は変わらずもやはり設定をしぼったか、いつものようにリーチ予告音鳴りっぱなしという感じではない。6000円突っ込んであきらめ、十二支に移る。こちらは2回転目から暗幕隠し(これは滑りリーチと言った方がいいのかな?)でリーチ、3回転目にリーチ予告から花火リーチともう今すぐにでも当たりそうな雰囲気。1000円投入でダブルリーチがかかり1で当たって確変動突入。ダラダラと異常に長い時短が続いたが、チューリップが球を拾いまくって上皿の球がどんどん増えるという状況に頬も緩む。で、また7と8のダブルリーチから風神SPに突入、7が選択されて当たり、確変継続。次は2で当たって交換、収支はプラス。ゲゲゲの鬼太郎を2000円だけ打って店を出る。夜は中学校、高校時代の友人と自由が丘で飲み。いつもお世話になっているショットバーで昔話に花を咲かせる。みんな偉くなってしまって、私一人病気で明日の生活をも知れぬ、という状況にピッチも上昇する。ちょうど我々の生まれ年のアイリッシュがあるとのことで、これを飲み始めたのがいけなかった。午前1時まで飲み続け、お代も一人1万2000円と、かなり高めになってしまった。タクシーに乗った友人達を見届けて、私も帰宅する。雨が降っていたが、仕事はさておき今日は非常に楽しい時間を過ごせたので、気分はいい。

2002年5月16日(木)

昼休み、またしてもてくてく歩いて昭和パチ屋に向かう。いつものフィーバーカジノに座り、2000円投入で赤7当たり。今日は確変だ。3日続けて短時間で告当たりを引くと、何だか当たらない方がおかしいような気がしてくる。なんと言うか、凌ぎを削ってパチンコを打つのが非常に不健康な気分になってしまう...。で、次は青7、また次は赤7と全てあの甲高いリーチ予告から当たり、全回転(多分再抽選みたいなイメージなんでしょうね)で単発のチェリーとオリーブから成り上がりという理想的な展開。あっという間にドル箱を積んだが、時計を見るともう昼休みは残り12分、あ、ダメだ。次の当たりを待てない...。食事休憩にしようかと思ったが、ここは潔く台を放棄することにする。確変を知らせるランプが点灯するのを見えない振りをして事務所に戻る。夕方、昼間の出球の交換の為にまたまた昭和パチ屋へ。昼の台を見ると本日は当たり4回、つまり私が離れた後は単発で終わったということになる。ちょっとほっとする。爆発されていたら、かなり悔しかった、実は。で、この台を1000円ばかし回してみるが、昼休みとは別台のようにリーチに入らず、即ヤメ。続いて後ろの島のオススメ十二支に座る。2000円で花火リーチから単発の8が当たる。まぁ、これで昼休みに逃した1回を拾えたのでよしとしよう。今日は相方がお出かけで、夕食は自分で調達しなければならず、久しぶりに渋谷ののれん街でお弁当を購入し帰宅。9時半過ぎに、昨日新台入れ替えが告知されていた自由が丘のパチ屋に散歩も兼ねていく。昨日の段階で既に新台は設置されていたものの、板が入れられていて機種がわからなかったが、見ればチキチキマシンだった。あ、これかぁ。タッチパネル式のパチリーグを期待していたのだが(やっぱ野球ファンならこの台は打ちたいっすよね)。平均的にどの台も20回前後当たっていたが、空き台なし。さて、どうしようかと思ったら、店員が江戸っ子源さんを指差して「この台でどうです?」とオススメされる。見れば当たり1回、578回転という台。うーん、確かに来そうではあるがなぁ...。でもチキチキも空きそうにないし、ということでこの台に座る。回り自体はそれほど悪くもなかったが、やはり不調台だったようでリーチがかかってもまるっきりSPに発展しない。結局6000円突っ込んだところでチキチキに空きが出たので移る。チキチキも黄門ちゃま同様上皿と下皿が一体となったタイプ(ホタル、というらしい)。盤面を見ると、なんか左右対称じゃない。右上から左下にスロープがあり、球がそこに乗ると左側から臍を目指して流れていくというもので、あ、そうか、レースなのでコースを意識しているデザインなのか、と打ち始めてから気がつく。ワープも多分トンネルをイメージしているのだろう。3つの穴があり、真ん中に球が入ると臍に向かってまっすぐに流れていくようになっている。凝ったのはいいが、どうやって打ち出しの調子を掴めばいいのかわからない。液晶画面も気になった。お馴染みのキャラクターたちがコーナーを回って出てくる、というようなデザインになっているのだが、これがまた見にくい。リーチになっているのかどうかがすぐにはわからなかった。目がとにかく疲れる。6000円突っ込んでも1回もSPを見ることが出来ず。2000円を追加投入したところで球ころがしSPに突入、だったのだがこれが何と言うか非常に間延びしていて、珍しく見ていてイライラしてくる。もう当たらなくていいから早く終わってくれよ、と思ってしまう。当たり外れ以前に、もうこの台は今後打つことはないな、と確信する。合計1万4000円をロスト、新台入れ替えは無様な3連敗となったが今日全体では収支はプラス、よしとする。

2002年5月15日(水)

昼休み、またしてもてくてく歩いて昭和パチ屋(と勝手に名づけた)に向かう。昨日と同じ台に座る(Fカジノという台であることを教えていただきました)。打つ。2000円で単発当たる。深追いせず店を出る。今日は昼飯を無事に食うことができ、余裕を以って事務所に戻る。夕方、交換にまたその店を訪れる。よせばいいのにオススメの海を打つ。あっという間に1万円沈む。これが普通だが、昨日、今日のことがあるので気分は異常に落ち込む。帰り際家に電話をし、自由が丘で待ちあわせてラーメンを食べることになる。早く着き過ぎてしまい手持ちぶさたなので、近くのパチ屋に入ってみる。むう、明日新台入れ替えかぁ。今日の収支はマイナス5000円、ならばと明日帰りに勝負に出ることを心に決める。相方とラーメンを食べ終え、お約束のドラムマニアとギタフリで遊び帰宅。ウォーキングに出て、やはり地元のパチ屋で閉店間際のハイエナを敢行する。なんというか、読みが冴えていたようで、黄門ちゃまで最後の当りが午後3時台、大当たり5回、274回転といういつもなら座らない、しかも両隣が同時に大当たり中という非常に迷惑な中その台に座り3000円を突っ込む。と60回転弱で八べぇ登場、黄門でリーチに入り、大八車も出る、あ、こりゃ来るのかな、と見ていると、普通なら真ん中の数字が動き、それが直接当たりで止まるか、印篭マークが出てSPに突入という流れになるのだが、黄門を通り過ぎ、次の1になった時に一瞬動きが止まる。あ、外れかぁ、とがっかりしていると、数字が戻って黄門で揃う。え、この台ってノーマルの戻り当りなんてあるの?再抽選に入り無事確変の5で当たったが、隣で打っていたお父さんまで「何だ今の当り方!そんなのあるの?」と驚きの声を挙げている。何か動きが変だったのは確かで、戻りの前に音楽が止まっていたような気がする。当たって嬉しいというよりも、非常に奇妙な気持ちになってしまった。もう一度この機種のことを調べる必要がありそうだ。確変突入後はキャラクターが揃っての印篭リーチで単発1当り。PQカードは1500円残っていたので、まだ当たりを経験していない、そう私のハートを思い切り踏みにじってくれた憎っくきワンパクパークに移る。本日大当たり21回、まんべんなく各時間帯で平均的に当たっている台に座る。もう今日の勝ちは確定したので、気持ちが楽だ。もうすぐ玉が飲み込まれそうになったところで黒背景の予告から4でリーチ、SPのパズルランドに発展とここ3日間見慣れた光景が始まる。あー、これ爆弾が爆発して次の数字にいっちゃうんだよなぁ、と見ているとやっぱり爆発で数字は5に、相性最悪なのね、この機種とは、と思った瞬間4に戻って当たり。再抽選でも4で単発確定、でも、ま、あれだけ投資してるんだから、当たりが見れただけでもよしとしよう。ラウンドを消化し玉抜きをしていると、隣のおばさんが、パズルの単発は連チャンするよ、と声をかけてくる。またまたぁ、ないっすよ。と言いながら玉を全部店員に渡す。すると保留玉で黒背景、確変のC(図柄はロボット)でアクアタウンリーチに発展する。おばさんは、ほら見た?玉貸してあげようか?と自分の台の手を止めて、我が事のように行く末を見る。ないとは思いつつ当たれと願う私。時計は閉店13分前、今なら続行可能だ。来ちゃえ来ちゃえ!!!...で、やっぱり外れ。おばさん、掴んで私に渡そうとしていた玉を自分のドル箱に戻す。盛り上がりましたねぇ、と私が言うと、おばさんもリーチ到来、風船リーチに突入、二人で来い!来い!と連呼、でこちらは確変で当たり。おばさん万歳、私も何だか嬉しかった。店員さんが時計を見ながら、もう保証ギリギリです、どうします?と聞くが、おばさん当然続行選択、私も行く末を見届けようと隣の台に座り直す。蛍の光が流れる中、単発の2でリーチ、パズルワールドリーチに発展、当たって再抽選、でまたまた確変の7に成り上がり。すげぇ!この引きの強さ!おばさんは、もう1箱を保証で加え、本日12箱の大勝利(だと思う)。しかし、「あー!まだ続いたかもしれないのに!来るのが遅い!」と一言。さすがはギャンブラー、これには参りました。

2002年5月14日(火)

大虐殺から一夜明けた。目の調子だけではなく、景色が暗い。見事な五月晴れだが、私の目にはそうは映らない。昨日のことが嘘であってくれ、と願うも財布は軽い。再び去来する後悔、そして怒り...。
しかし、昼休み。契約先の事務所からかなり離れたところまで昼飯を食べに出かけて発見したひなびたパチ屋、そのあまりに前時代的なたたずまいに引かれ、とりあえずどんな台が設置されているかだけでも見ようと入ってみる。1000円のPQカード?へぇ、こういう細かい単位まであるんだ、ということでオススメ台と表示されている台に座る。全然懲りてないなぁ、と自らに苦笑していると、いきなり最初のリーチで確変がきた。へ?台の名前すら知らない古い機種からちんからしゃんと玉が吐き出されてくる。何だかわからないが打ち続ける。ドラムが回る時に流れる音楽が1オクターブ上がる、リーチ予告?単発で当たる。あ、もう終わりか、と思うと全回転開始。むうう?また確変で当たる。玉が出る。再び打つ、時計を見る。もう休みは残り20分、次が確変できたらヤバイ!また1オクターブ上がる、単発で当たる、全回転する、うわぁぁぁぁ、単発で止まる。お、よかった!500円のPQカードを片手にリサイクルカードを携えて会社に走る。残り10分、まずい!タクシーを止め、500m先の事務所で降りる。エレベータに乗る、チャイム鳴る。あぁ、間に合った...。一体何だったのだ、この昼休みは!?昨日の負けの半分がたった25分で回収できた。これだからパチはやめられない、まさに舌の音も乾かぬうちのこの言い草、我ながら呆れる。
夕方、昼の出玉の交換の為にその店に行く。残ったPQカードで別のオススメ台(ハクション大魔王の奴)に座る。打つ。やたらリーチ予告が出る。そのうち単発で当たる。まさにオススメ!こんなことがあるのか!?なんだか、半日もかけて台を攻めたりするのがバカらしくなってくる。
しかし、現実はそうは甘くないのだ。帰宅後、いつものように大虐殺の舞台となった地元のパチ屋にウォーキングの途中で入る。新台摩天楼は昨日の半分くらいの規模だったが、それでも存在感たっぷりに鎮座ましましている。昼休みで得た軍資金で打つ。轟沈する。くそ、このワンパクパーク、なんで前日からの合計で3万3000円も突っ込んで出ないのか?そんなにオレのこと嫌いな?くくく。しかし、今日の収支はプラス、これは本当に久しぶりのこと。明日から生きていける。希望の光を確かに見た1日だった。

2002年5月13日(月)

悲しい一日だった。まさに大虐殺というやりきれない喪失感が胸を締め付ける。もうこの世の終わり、そう言いきっても構わないだろう。
今日は病院に行くつもりだった。で会社に休むとメールを入れて病院に向かう。すると、いつもお世話になっているパチ屋で、今日が新台の入れ替えだ、という告知がされている。おお!?と見ればワンパクパークという見たこともない台の名前、これは打ちたい、できれば勝ちたい、と一度は封印したパチへの思いが溢れる。速攻で病院に行く、戻る。もう開店しているが、ひとまず入ってみる。新台に一つ捨ててある台がある。これぞ我が運命、ただ無心に打つべし!打つべし!打つべし!打つ...。仮にも新台のお披露目、当り確率1/312.5までには来るだろう、普通。しかし、400回転を過ぎてもSPリーチはことごとく外れる。周りを見ればドル箱の摩天楼状態、500回転を過ぎても、600回転を過ぎても、大当たりの知らせは表示されない。気がつけば2万1000円も投入していた...。大惨敗...。金以上に自分はもうパチンコの神様からは愛されていないという思いが胸につのる。時計を見ればまだ12時前、おいおい、今から会社に行けば午後から間に合っちゃうよ...。休んでこのまま一人家にいるのは辛すぎる、行こう、会社へ。と慌てて準備をし、部屋を出る。自転車に乗る。ガリガリ、と変な音。見ればチェーンにスーツのパンツが食われている。慌てて自転車を止めて外す。スーツに見事にかぎ裂きができている。ちびまる子ちゃんなら、ここで右顔面に縦三本線だ...。会社に着く、仕事なし。しかも休むとメールを入れた人々は全て休んでいる。誰もメールを見ていない。出社していることに気がついてもらえたのはもう帰宅時間間際。仕事来る、必死にこなす。残業はつかないのにきちんと仕事を片づけて、帰宅する。スーツの穴から風が入る。自由が丘の駅で、階段を降りながら穴が気になる。直すのにいくらかかるだろう...。その時、後ろにいた奴が足を踏み外して私を押す、私も足を踏み外す、恐怖の階段将棋倒し!?いや、何とか後ろの奴を背負う形で私は踏みとどまった。しかし衝撃で落ちていく鞄、散乱する中身...、ああめがねケースが転がっていく...。蹴られた...。事態収拾の為に階段を占拠する形になったが、お兄ちゃんから邪魔だと罵声を浴びる。一体なんという一日なのだ...。会社なんて行かなければよかった...。夕食を終え、ウォーキングに行く。気になってパチ屋を覗く。依然として摩天楼は存在していた。自分が苦しんだ台を見る。空いている。やっぱり出なかったのか、この台、と今日の戦績を見て愕然とする。なんだよ24回って!?しかも午後に集中して大当たり連発、午後2時台で5回!?がーっと血圧が上がる。いいだろう!お前と心中してやる!...よせばよかったのだ、この時に。また6000円が消えた。しかも200回以上も回り、SPリーチも10回に1回はきていたというのに、リーチ説明に掲載されているパターンは全て見たのに、当りだけがこなかった。

惚れた女が自分に気がないとはっきり言ってくれるタイプならば、ある意味幸せだ。脈がなかったとあきらめることが簡単だからだ。オレの思いを簡単に踏みにじりやがって、と好意を憎しみに変えて自分を守ることもできる。しかし、今日のパチはそうではない。好意を受け入れ、自室にまで通しておきながら...の繰り返し。これは本当にタチが悪い。あきらめきれない。

財布もほとんど重さを感じないほどやせ細ってしまった。もう潮時だ。パチはやめよう。収支云々ではなく、惚れた女に愛されていないとわかった時の男の身の振り方は、いつの時代も立ち去ることと決まっているではないか。歩きながら、そんなことを考える。悲しい一日だった

2002年5月12日(日)

大学時代も含め、引っ越しは何度か経験しているが、一番困るのは床屋を変えるかどうか、という点だと思っている。約3ヶ月に1回、後ろ髪をつかめるようになった頃合いが床屋に行くタイミングとしているのだが、このペースだと年に多くても5回しかお世話になることがない。長く通えば床屋さんも私の髪質などを覚えてくれるし、いちいち髪型の説明をする必要もなくなるので非常に楽チンなのだが、そうした蜜月状態を引っ越しで解消してしまうのはもったいないと思っている。特に腕のいい床屋さんなら尚更だ。で、私の場合、現在の部屋の近くにもいくつか床屋さんが存在しているにも関わらず、未だに依然住んでいた西横浜まで足を運んでいる。仕事を休んでいたこともあったのか、前回は3月中旬に切ったというのに髪の伸びが速く、もう切り頃となってしまったので、天気もいいし、ということで自転車で横浜に向かうことにする。私の住んでいるところからだと走行距離は約15キロということになるが、前回初めて自転車で行った時にはまだ体力も戻っておらず、1時間半以上かかってしまった。大きな坂もないコースなだけに、これは明らかに時間がかかり過ぎたが、今回は鶴見で新たな裏道を発見できたこともあり1時間弱で到着することができた。けっこう自分なりに今日の走りは満足できたが、その道に長い人ならこの距離でそんなに時間がかかるのか、とツッコまれてしまうかもしれない。5時に到着すればいいところを4時半に着いてしまったので、早速かつて毎日お世話になっていたニコニコ商店街を散策する。古びていい雰囲気だったパチ屋は改装してしまっており、どこにでもある今風の店になってしまったのが残念だった。だが、住民の平均年齢が極めて高い街柄だけに、羽物が一島ずらりと並んでいるのを見た時には、やはり西横浜、と思わずにやりとしてしまった。もうCR機に凌駕され尽くしたと思われたパチンコ業界も、羽物を作っている業者はまだけっこう存在しているようで、「新台」と書かれた札がつけられていたのには少々頼もしさを覚えてしまった。釘を読む楽しみっていうのは、出玉とはまた違った意味でパチンコの魅力でもあるだろうし、手打ちだってもしかしたらまだまだ生息できる余地はあるかもしれない。まぁ、私ですらそういう時代を知っているわけではないが、地方のゲーセンなどで手打ちの台がぽつんと置かれていたりすると、思わず100円だけ打ってしまったりする。商店街はワールドカップの垂れ幕も下がり、そうか、横浜も試合会場だもんな、と改めて思ったが、新横浜と西横浜は字は似ているが場所的にはかなり遠い。どれほどの集客効果があるのかはわからないが...。日曜が歩行者天国になるのは相変わらずだが、今日はここでフリマが開催されていた。ちらっと覗くと本当に家庭の不要品を打っている店ばかりで、特にめぼしい物はなかった。さて、とあらかた散策を終えて床屋に行くと、店の前にマスターがいた。なんでも暇で、予約を入れていた私を待ちながら外の掃除をしていたとのこと。日曜日の夕方と言えば、床屋さんも掻き入れ時だと思っていたが、5月は床屋業界が冷え込む時期なんですよと言われ、そんなものなんのかと思う。確かに3月あたりは新入学やら就職やらで皆髪を切りに来るが、5月はゴールデンウィークで金を使うこともあり、髪はまだ伸びていないは、金はないわということらしい。なるほどねぇ。結婚後、円形脱毛症になっていたことを教えてくれたマスターは、今回もそのチェックをしてくれた。問題ないようです、と言われてほっとする。けっこう仕事を再開したことで、また何か頭方面で起きているのではと心配していただけに、これは嬉しかった。6時過ぎに整髪も終わり、また夏に、とマスターに別れを告げて帰路につく。ちょっと天王町に足を伸ばしてご存知ホワイト餃子を購入、これを相方へのお土産として横浜から離れる。帰宅は途中で休憩を入れてしまったので8時ちょうど、相方は私が走っている間実家に帰っており、またたくさん食べ物を頂戴してきたようで、夕食は餃子とご実家からのもらいものという内容になった。やはり自転車で疲れていたのか11時過ぎに猛烈な睡魔に襲われて寝る。

2002年5月11日(土)

前日異常に早く寝てしまったので、午前3時というこれまた異常に早い時間に目が覚めてしまう。もう一度寝ようとしたのだが、どうにも寝つけず、もう起きてしまうことにする。HPの更新をしているうちに夜が明け、そのまま朝食、相方がパートに行っている間、近所のパチ屋に行き、5000円ほど負けて帰宅、その後もHPを更新し、というあまり動きのない一日を過ごす。夕方になり、さすがに眠くなったので寝に入るが、携帯が鳴って起きる。と、行き付けのショットバーから電話で、野球チームのユニフォームができたとのこと。おお、早くもか、と眠気もすっ飛ぶ。このチームのユニフォームは、オールドスタイルで、最初に見た時にそのセンスのよさに感心していたもので、是非自分も袖を通したいと思っていた代物。実際に目にするのが非常に楽しみだ。夕食の後ウォーキング、途中で霧雨が降ってきたので、自由が丘でいっぱいひっかけてこようかと思っていたところを切り上げて帰宅する。メルマガの今週のコラム、帰ってこなくていいとファンから冷たい仕打ちを受けたレッズのケン・グリフィーを取り上げることにする。

2002年5月10日(金)

多分、この日記を最初から...そう1997年9月1日に始まった、だらだら日記(まだバージョンは存在しなかった...まさか2.02まで来るとは...)から読まれている方も始めて目にするかもしれない単語が遂にここに登場した。そう、ゴルフの誘いを受けてしまったのだ。かつての私を知っている方なら、毎日のように打ちっぱなしに行っていたこともよくご存知だろう。暇さえあればクラブを握り、会社を休んではラウンドし、それでも飽き足らずに相模川や青梅のショートコースを一人で回り、と、とにかくバスケットボールに復帰する前の2年間、それこそ狂ったようにゴルフ漬けの日々を送っていたのだ。いつも日焼けしていたので、冬でも泳ぎに行っているのか?とお客さんにまで言われたほど。この2年間は、余り思い出したくないが、大学時代から通算して7年間も付き合っていた彼女と別れ、その空虚感を埋めるがごとく、今から思えばなんであの娘と、と自分でも訳の分からない相手と付き合い、と非常に乱れた時期の最後にやってきた日々だった。自分では大馬鹿者時代と呼んでいる1993年、94年の2年間以来、実に7年ぶりのものなのである。その翌年、今の相方と知り合って付き合ううちに、ゴルフ熱は急速に冷え込んでいった。付き合う為にゴルフに回す金と時間がなくなったということなのだが、ちょうど家を出て一人暮らしを始めた時期も重なって、ライフスタイルを変えざるを得なかったのだ。だが、2年間でベストスコアを89まで持って行ったことを思えば、あのまま続けていたら今ごろどこまでスコアが縮まっていたか、とちょっと惜しい気もしてきたりする。確かに、その後も付き合いで数回ラウンドしているが、いい思い出はない。その最たるものが勝沼のコースに向かっていた中央高速で、車(マーチ。しかも5速マニュアルという非常にレアなものだった。前の持ち主がタダで譲ってくれて、4年ほど乗っていた)が、追い抜いていったトラックが車線変更で落とした砂利だか何だかを拾って、ボン!と音がしたのを最後にエンジンがかからなくなってしまったのだ。朝6時過ぎの中央高速、しかも11月の下旬と、トラブルというには余りにも条件が揃い過ぎた中で、私は惰性でマーチを転がし、緊急電話の側で車を止め、JAFに助けを求めた。およそ30分、エンジンがかからない為暖房の入らない車内でガタガタ震えてJAFを待つ間の心細い気持ちは、後にも先にも経験したことのないものだった。当時はまだ携帯などなかったので、今これほどの孤独感を得ようと思ってもなかなか味わえないと断言できる。どうも、この事件がゴルフを完全に生活から排除する決定打になったような気がする。というのも、その次のコンペの時には、同乗させてもらった人の車が常磐自動車道でオーバーヒート、吸い込んだら一発で肺がやられそうな黒い煙を吐き出してまたしても路肩に止まってJAFを待つというが起き、ゴルフ=車がダメになる、という変な図式が頭の中でできあがってしまった。そして、今のところ最後のラウンドとなっている大月でのコンペで、一緒に回った親会社の人が、その後に亡くなってしまったことでもう完全にゴルフは封印状態となった。私のひとつ上の人で、糖尿病が死因だった。しかし、過労が底辺にあり、葬式の際には非常にやりきれない思いにさいなまれた。超アッパーの豪快なスウィングをする人で、飛べば方向など気にしない、というスタイルは今でも忘れることはできない。結婚してから1回だけ近くの打ちっぱなしに行ったが、ショットはブレるはすぐ手にマメはできるは、で愕然としたこともある。潮時はとうの昔に過ぎていたことを強く感じていた次第だ。前置きが長くなったが、その私にゴルフの誘いが来た。もちろん、GOだ。すさまじいスコアになるのは目に見えているが、たまにはこういう屋外でハッスルするようなことがあってもいいではないか。もしかしたら、今ハマっているパチンコから抜け出せるきっかけになるかもしれないし。途中でまた車がトラブルに遭うことも、もうきっと時効だろう。パーが一つもあれば御の字、などというと、過去の私が怒り出すような気もするが...。ひとまず当日のレポートを待たれよ。

2002年5月9日(木)

今日は休み。ちょこっと病院に顔を出して職安に行き、めぼしい求人が出ていないかを調べる。当然自転車で渋谷まで走ったのだが、中目黒まで自宅から20分を切ったのが非常に嬉しかった。ご存知の方も多いと思うが、世田谷区、目黒区方面から渋谷など山手線の内側を目指す時は、どうしても目黒川を渡らなければならないが、これがけっこう自転車にはキツイ。行きも帰りも必ず上りが待っているわけで、電車で行ってしまおうか、という弱腰の原因にもなるのだが、自転車に乗りまくっていることもあって今日はギアを一番重いままにして登頂に成功する。これが実に気分がいい。帰りに代官山に寄ってクロワッサンを購入、いいバターの香りを周囲に撒き散らせつつのライディングとなった。中目黒のパチ屋で竜王伝説をやるが、いやぁ出ないこと出ないこと。見たら朝から当たりのあった台は0、確かにそろそろ来るか、という期待値は充満しているが、全部ハマリ台という可能性も高い。5000円投入でレインボードラゴンを数回見たが、ヤメとする。帰宅後はHPの更新。部屋の空気を入れ替えようと窓を開ければ、異常に冷え込んでいて驚く。5月も中旬となって、これほど寒いって過去にあったのだろうか?一時28度くらいまで気温が上がったが、これでは冬に逆戻りだ。夕食後ウォーキング。長瀬くん主演のドラマ「ビッグマネー」も見たかったが、明日は仕事なので見てから歩きに行くと寝るのが果てしなく遅い時間になってしまうので、録画を頼んで出発。最寄りのパチ屋で黄門ちゃまをトライ、3000円で単発当りを引くが、ここでヤメずに別の台に移って続行をかける。大八車予告等来そうな匂いがプンプンしていたが、キャラクター3人が揃って始まるSPを2回続けて外したことと軍資金が底をついたので本当に後ろ髪を引かれながら店を出る。ここでは6000円の負け。ヘコみまくりで涙も出ない状態だ。1時間ほど周囲を歩き、近くの小さい神社に球交換時に出た端数でもらったお菓子をお供えする。もう賽銭を出す甲斐性もなかったのだ。家に帰って録画されていたドラマを見る。長瀬くんはIWGPやムコドノと同じノリで見ていて気分がいい。今、朝のTBSで大竹しのぶのディア・ウーマン(でしたっけ?)を再放送していて、若き日の長瀬くんも出ているが、今と芸風は全く一緒。もう他のキャラクターはできないんじゃないだろうか。それでも全然OKだが。植木等がいい味を出している。もうおじいちゃんとドラマの中でも呼びかけられる風貌になってしまったが、カラカラ笑いながらも腹に一物あるぞ、という役をやらせたら右に出る者はいない。改めて認識する。ああ、もう一度ギターを弾いてはもらえぬだろうか...。桑田と共演したのを見たのはもう20年くらい前のことだ...。で、このドラマだが、まぁ株を介してのサクセスストーリーということで、見ていてもあまり疲れないのがいい。ストーリーも安直と言えば安直だが、それが悪いとも思わない。今後の注目は原田泰造演じるまつば銀行のトレーダーの崩落と植木等が既に宣言しているまつば銀行をつぶすという作業がどう進行していくのか、というところだ。既に口座も開設、3億円の小切手の切り出しもできる大得意様となっているだけに、最終的には筆頭株主になって、という流れになりそうだが、その過程でどこまでこの目を釘付けにしてくれるかが楽しみだ。 なんか、またIWGPを最初から見たくなってしまった。

2002年5月7日(火)

休み明け。朝一度雨が降ったようだが出社時は霧雨状態、で傘を持たずに家を出たのだが、会社に着く頃にはいい勢いで降り始めていて、せっかくクリーニングから戻ってきたスーツが濡れる。非常にブルーなスタートだった。しかも引っ越し先の新しい席がわからず、フロア内をうろうろするに至り、ブルーはグレートブルーに格上がりする。お分かりかと思うが、今の契約先での状況は非常に辛いものがあって、居辛さは筆舌に尽くし難い。別に悪いことをした記憶もないが、休んでいる間に部内も様変わりし、空気は以前に比べて重くなっている。一刻も早くここから出たいという気持ちを抑えながら日々を過ごすというのは精神的に非常によろしくない。7月からの新しい仕事には、こういう部分から解放されるという期待が強い。まぁ、行ってみたら同じだったというオチもあるかもしれないが、それはそれでまた一興だ。とにかく今は先を楽しみに耐えるのみだ。午前中、以前担当していた仕事に年次処理が発生することが判明したので、旧担当ということで打ちあわせに参加する。客先で同じ話をしてくれといわれたがこれは断った。はっきり言って、打ちあわせに行って無事に済む自信がない。今だって1時間もPCの前に座っていると疲れてしまうのだ。客先で倒れても、何も保証をしてくれないのだから、自分で自分を守るしかない。冷たい?いや、もう気を遣って神経をすり減らすことを放棄しただけだ。夕方、雨が本降りになってきたので、仕方なく傘を買って帰る。会社近くのパチ屋に寄り、グラディエーターを5000円ほどやるが出ない。しおれた気分のまま家へ向かう。夜も雨だった為、ウォーキングにも出れなかった。

2002年5月6日(月)

GWも最終日、金欠も手伝って、取りたてて特に大きな出来事もなく過ぎ去った4日間だたが、職場復帰に疲れた体を休めるにはいい時間だったと思う。相方はバーゲン&母の日用プレゼントの購入ということで朝イチで外出、私も10時に家を出て近所のパチ屋に向かう。これまでのデータ収集でこの台は出る!回りもいい!という50番台、私がベティと名づけた台に座り、戦闘開始。いきなり16回転目で格さん、黄門、助さんのキャラクター3人が揃い、SPに発展する。単発の8で当たり。早くも交換。幸先はいいが先行き不安な立ち上がり。再びPQカードを突っ込んでチェイス、夜モードに入って103回転目で炎の八べえ登場、大八車まで飛び出してアツさ爆発!当然弥七でリーチ、2で当たるも再抽選で7に成り上がり確変突入。いいぜ、この台!と自分の眼力にうっとりとしながらも、次が助さんリーチで単発当りにがっくり。ここから地獄が始まり、GETした2箱は全て飲み込まれて終了。結局最初の1箱分はキープできたものの失望感強し。帰宅して遅めの昼食をとりHPの更新とコラムの作成を開始する。

今回はアストロズと30年間の球場名使用契約を結んだにも関わらず、簿外債務に政治家との癒着とまるで日本の某企業のような立ち居振舞いで豪快に倒産したエンロンを取り上げる。たまにはこういう経済方面もよかろうと思ったのだが、調べれば調べるほどその急激な発展ぶりとそれ以上の速さで失速していった様に驚く。元々は石油や天然ガスといったエネルギー原料をプラントなどを保持して販売していた会社なのだが、クリントン政権が標榜した自由化政策に乗っかって取引き市場を次々に開拓、拡大していったのだが、その内容がすごい。排出規制のある二酸化硫黄の排出権の売買なんて、必要としている企業はそれほど多くないはずだが、きちんと取引きが行われていたりする。二酸化硫黄の排出が不可欠な会社は、どんなに高くても権利を買うだろうという思惑...いや幻想だけで市場が成り立っていたとしか思えない。カリフォルニアで電力不足が問題になったが、この原因を作ったのもこの会社だった。電力の自由化=電力市場で電力の取引き、というのはかなりすごい発想だ。まぁ、電力は設備投資に莫大な金がかかるので、普通に考えれば作った者勝ち、のはずなのに、市場で電力価格が安く取引きされてしまうかも、ということから発電所事業を見送る業者続出、その上折りからの好契機で会社は増え、電力消費量も増大し、供給は減少、需要は増大という事態に突入、これに市場が連動して電力価格はうなぎのぼり...、これってバブル期の日本と一緒、電力を土地を入れ替えればその狂乱ぶりもわかろうというものだ。消費者としてみたら、電気料金は上がるのに電気が来ない、という許し難い事態に突入、これも全てはエンロンから献金を受けた政治家が電力市場に何も規制を引かなかったからで、土地の値段を野放しにして上がるだけ上げた日本と本当によく似ている。株ならストップ安、ストップ高があるが、何もないのではもう実勢との連動など知ったこっちゃない状態。アメリカ人の大好きなマネーゲームにカリフォルニアの電力は翻弄されまくったわけだ。結局、高いカリフォルニアではなく安いアリゾナから電力を買おうという、言わば当たり前の見方が出始めた頃にはカオスも沈静化し始めたのだが、それでもエンロンは市場操作を行って電力価格の暴落を回避しようとしたというのだから、日本の証券会社よりもタチが悪い。しかも、これもよくある話だが簿外取引きも横行し、ここでの損失は増大する一方で、窮地を脱するべく他者との合併で乗りきろうとすれば、過大な資産報告をしていたことがバレて御破算となり、時代の寵児エンロンはこれで終焉の時を迎えた。今後は政治献金の行き先とその議員がエンロンに便宜を図った経緯などがどんどん明らかになるらしい。既に副社長は自殺しているが、これも知り過ぎた男の始末なのでは、と他殺説も根強いようだ。うーん、このあまりに日本的なストーリーに感動すら覚えてしまう。笑ったのは、この事件のレポートの中に「くよくよするなエンロン、日本にはもっと悪い企業がある」というものがあり、何それ?と読んでみたら雪印のことだった。至言ですなぁ。

夜、相方と再びパチンコ。二人で1万円を投入したが玉砕する。座って1回転目で炎の八べぇから大八車、猿飛の当り9個入りリーチに入っていき二人で以上に興奮するが、外れた。ここでやめておけばよかった。失望感からか今日の夕食は閉店間際で半額となったお惣菜でいいよ、という寂しいゴールデンウィーク最終日だった。ウォーキングの時、またそのパチ屋で同じ台を見ると、我々の後に200回ほど回されていたものの当たりはなし。3000円突っ込んでみるも玉砕。何だかもうパチから足を洗いたくなるような一日だった。コテン。

2002年5月5日(日)

午前中は朝飯を買いがてらパチ屋で黄門ちゃまを小負け、午後はHPの更新をしばらくしていたが、買い物に行くという相方と一緒にパチ屋に再突入する。二人並んで3000円ずつ吸い込まれて一旦店を出たが、何となく出そうなので一人戻って3000円再投入、で単発当たり。隣のオジサンが、帰らなくてよかったね、と声をかけてくれるが、しっかり4000円負けてます...。帰宅して相方に話すと、続けてればよかった!とくやしいを連発、気持ちはわかる。夕方から再びHPとメールマガジンのコラムのネタを探す。事件らしい事件がないので、苦戦する。まぁ、まだ時間もあるし、ネタが見つからなければエドガー・マルティネスは殿堂入りできるか?という非常時用のコラムを持ち出せばいいのだ。というわけで、夜中は東風荘で遊ぶ。一時役満を二日連続であがったのでRが久しぶりに1400まで届いたが、その反動でとにかくここのところツモられっぱなし状態、遂に今日はR1300も割り込んでしまった。なんか、パチも麻雀も下降傾向、血圧と体重だけが現状維持、だったりする。

2002年5月4日(土)

古い話で恐縮だが、ETを劇場で見たのは高校2年の時だった。スピルバーグの宇宙人もの、ということでドンパチやる内容とばかり思っていたのだが、あまりにもノーブルな話で涙出っ放しだった。映画を見て泣くなんて、最近などしょっちゅうのことなのだが(ラブ・オブ・ザ・ゲームはヤンキースタジアムのブルペンが映ったところでもう半泣きだった)、高校時代にあれだけ泣いた映画はETだけ。愛と青春の旅立ちでさえ涙のなの字も出なかったことを思えば、その特異さ、いやツボのはまり具合も納得頂けるだろう。結婚後、また見たいと思いTSUTAYAに行って探したところ、もう廃盤でない、と言われ愕然としたこともある。ちなみにTSUTAYAではフィールド・オブ・ドリームスもやはり廃盤で置いていない。リトル・ビッグ・フィールドはあるのに、何故だろう?80年代の映画が冷遇されているというのも、寂しい話ではある。そのETが帰ってきた、ということで相方と渋谷まで見に行くことにする。ハチ公前から公園通りの坂まで、もう芋を洗うような混雑で辟易とする。まるで三軒茶屋のがらくた祭りのようだ。この混雑の中を5人で横一列になって歩く、という無神経な輩に腹をたてつつも映画館に到着。開演10分前に中に入ると、最前列しか空いていない。この位置で映画を見るのは初めて。下からパースがかかっているETの顔は、また独特のものであることを知る。スターウォーズもそうだったが、未公開カットが挿入されているとそこだけが妙に浮いている印象を受ける。ETの場合は多分ETが風呂で溺れるフリをしてエリオットを驚かせる、というところだったのだろうが、まだお互いのことを探り合っている、ETにしてみたら地球人とは何ぞや、という状態で、相手をからかうようなことができるのか、非常に違和感を覚えてしまった。もちろん、ETが死にかけるところは20年前同様また泣いた。改めて、どんな気の利いた言いまわしよりも、シンプルなセリフの持つ力の方が胸を打つものだと思う。相手が地球人でなければ尚更だ。ドリュー・バリモアは、本当に顔のイメージが変らない。彼女はこの後、どん底を経験して今の地位に上りつめたが、顔だけはそうした影響を受けずに成熟したんだな、と改めて感じる。エリオット役の男の子、どうもダイヤモンドバックスのジェイ・ベルを思い浮かべてしまって仕方ないのだが、も今はどうしているんだろう。最近はとんと映画に出ているという話は聞かないが...。夕食は自由が丘のとんきでヒレかつ定職を食す。ここは本当にキャベツも含めていつ来てもうまい。あまりにうまくて毎日でも通ってしまいそうになるが、油ものは今の私には天敵でもあるだけに、食事選択の際には常に頭の片隅から追い出さなければならない存在なのだが、その禁断という調味料が自分の中でまた一段と味を高めてしまう効果を生んでいる。この後、カロリー消費の為にいつもより歩かなければならないと思いつつ、皿を舐めとらんばかりに堪能する。何度も書くが、ここのヒレかつは本当にうまい。帰宅後、すぐにウォーキング。パチ屋に立ち寄って少々打つも出る由もなかったが、何故か充実感溢れる一日だった。

2002年5月2日(金)

久しぶりに神宮に行く。我がヤクルトの勇姿をこの目で実際に見るのは約1年ぶりのこと。しかし、ビールを飲み、蒲田の鳥久などで購入したおつまみ兼夕食の幕の内弁当を食しながら、目も口も楽しい観戦となると2年前にまで遡らなければならない。それだけ昨年は仕事が忙しすぎたのだ。もちろん1度、その間隙を縫って金曜日の夜に相方と待ち合わせて神宮に馳せ参じたこともある。しかし、この時も試合開始1時間後にようやく到着、座ったと思ったら携帯が鳴り、親会社の経理(大嫌いな奴)から理不尽な理由から(私はもう帰るけど、週末に出社して経理システムを動かす。だから今晩中にデータを作り直せ)帰社を余儀なくされたのだ。滞在時間たった20分、ビールの詮を開けたところで球場を離れなければならなかった。まるで電波少年か何かの弾丸ツアーみたいだった。今思い出しても腹が立つ。せっかく神宮に来て、何でこんな思い出話をしているのかというと、ヤクルトが中日の川上に完封を食らった為だ。序盤の拙攻でチャンスを潰していた上に、好投のホッジスの足を引っ張る守備の乱れ、そして名前も知らなかった森野に本塁打を浴びるという見ていて血圧が上がりまくる展開に、思い出したくもことを思い出さざるを得なかったという次第だったわけだ。今年は何度か神宮に現れる予定だが、こんな試合ばかり見せられるのでは気が滅入るね。

2002年5月1日(木)

飛び石での出社となってしまったが、今日は事務所内の引越しで、出ざるを得なかった為仕方がない。ゴールデンウィークと言えば引っ越し、これがもう定番となっている会社なので、社員ではなくなったとは言えもう慣れっこになっている。近いうちにここを出ていかなければならないので、まぁ少し早い身辺整理といったところでもある。実は、倒れる直前の週末も引っ越しで、この時かなりの荷物を処分したのだが、5ヶ月経ってみるとまだまだ捨てるべきものが多いことに辟易とする。自分の部屋もどこかの研究室のような状況(自分の大学で言えば理学部の研究棟のイメージ)なので、さもありなんという面は確かにあるが、使うかもしれない物というのはなくても問題はない物、と解釈しなければならないと改めて反省する。ただ、私がかつて担当し、入院療養中に契約破棄となってしまった仕事の関連資料を目にした時には泣けた。進行中の物、売り込みをかけようとしていた物、クレーム対応の途中だった物...、体を壊すほどのハードワークぶりを如実に物語る資料、ファイルの数々を処分することは本当に辛かった。もし、今回の一件で契約先を訴えることになったら、いの一番で証拠資料として提出できる物ばかりだ。当時の私の魂の叫びまで聞こえてきそうで、本当に居たたまれなくなってくる。もちろん、これほどまでに知恵と気力を投入した仕事だっただけに、充実感がなかったとは言わない。それも健康であればこそいい思い出に昇華するのだ、と書類の山を捨てながら強く思う。余りにセンチメンタルな作業だったが、午前中にはあらかた終了、午後はPCを梱包し、以降何もすることがなくなってしまった。5時までの3時間、ただひたすら窓の外を見る。座っているだけでいい、という契約でここにいるが、本当にそうなってしまうとこれがまた辛い。と思っていたら、引っ越し作業で皆がてんやわんやとなっている中で目立っていたのだろう、4時に帰っていい、とのお達しが下る。これ幸いと事務所を飛び出し、夕方まで駅前のパチ屋でグラディエーターを打つ。初めてレインボー予告をこの目にし、3回当たって収益もプラスとなった。耐える時間が長かっただけに、この結果は本当に嬉しかった。その後ハイさんを誘って高円寺で飲みとなった。メジャー談義に花を咲かせ、9時過ぎに解散、その後三鷹まで足を伸ばして平家物語を打つ。9000円投入し惨敗も、この台だとあまり悔しくない。前回同様、頭の中で琵琶の奏でる16ビートのサウンドを響かせつつ帰宅。今日はJRで渋谷まで戻った。

2002年4月25日(木)

●復帰後、初めて仕事らしい仕事をする。目がすぐに疲れてしまい、1時間ともたない。タバコを吸いに行ったり、お茶を買いに行ったりとおよそ持続力がない。改めてブランクの大きさを見せ付けられる思いがする。もちろん、こういう身体になる原因となった業務ではないというのに、だ。で、帰り際、上に呼ばれて打ち合わせを開始、私の契約内容について、ということだが、料金はまぁ下がっても仕方ないとして、問題は期間だ。オファーがあった時は一言も出なかったのだが、勤務を始めてこの作業は6月末で終り、それ以降の更新はない、と告げられる。狐につままれたような思いだ。なんでそういうことをこの時期になって言う?驚きで、頭が爆発しそうになる。こういう時は...平家だ!平家しかない!刹那的な思いは、平家を設置しているという三鷹のホールへと足を向かわせる。そう、いつものように設置パチンコ台検索サイトで見つけ、一度は行ってみたかった店だ。そぼ降る雨の中、三鷹の南口に歩を進める。わかりにくいロケーションだったが、コンビニの看板の灯りにも助けられてお店を発見、早速3日ぶりの平家を堪能する。結果から言えば確変で2連→単発と計3箱を出したが、結局全て飲み込まれた。まぁ、身の回りにはない台だけに、負け分はやらせていただきました代、でいいのかなと思う。平家の当たりを見れたことで、会社での悔しさも少しは癒えたし。帰り道は吉祥寺から久しぶりに井の頭線に乗って帰ってみるが、まっすぐJRで渋谷まで行った方が遥かに安かったことに気がつく。やはり頭に血が上っていたようだ。

2002年4月24日(水)

●朝の通勤電車がこれほど疲労するものとは思わなかった。考えてみれば昨年の12月3日以来、約4ヶ月半ぶりのラッシュ、しかもピークを遥かに過ぎた午前10時台の山手線でこの有り様だ。寄る年波とは言いたくないが、認めざるを得ない状況と悔しく思う。仕事は適性検査の点数つけだが、この日は初日で何もなし。休んでいる間に溜まっていたメールを読む。既に関係がなくなったお客さんから、激励のメールが入っていたことを今になって知った時の気持ちは、ちょっと言葉にはできない。日付を見ればちょうど24時間ぶっ続けで点滴を受けていた頃のもの。涙が出そうだった。年が明けてすぐにこのお客さんの仕事がなくなったことを聞いたのはつい最近のこと。もし自分が元気だったら、結果は随分違っていたように思う。しかし、それは叶わぬ願い。私は私で、孤独な戦いを強いられていたのだ。仮にこのメールを年明け早々に見ていても、とても仕事などできる状況ではなかったのだ。5時までいる、という話だったが、今日は仕事もないしということで4時に帰らせてもらう。帰宅途中で学芸大学で降り、昨日新台導入だった店に行ってみる。その島だけ異常に混んでいたが、ほかの島はガラガラ。で、せっかく来たんだしということで、グラディエーターを打つ。で惨敗。リーチはよくかかるが、何せ当りが遠い。200回転以上でかすりもしないリーチの連続、どっと疲れる。まだ明るい時間に帰宅。HPを更新していると相方がパートから戻ってくる。ああ、これってなんか療養している時と一緒のパターンだ。夕食を食べ終わってウォーキングに出る。まだ10時前、近所のホールでは海物語の甘釘フェアを開催中。で、打ってみる。粗方皆さん執り終えたのか、島にはオジサンが一人だけ打っていたが、どの台にしようかな、と見ていると、そのオジサンが自分の隣の席を指差して「ここはハマリがないよ」とご推薦のお言葉。今日は負けているし、少しでも回収できればとオジサンのオススメ台でスタート。しかし出ない。4000円が飲み込まれ、仕方なくもう2000円突っ込もうとPQカード交換機に行って戻ってくると、オジサンが騒いでいる。ん?席を立った時に回っていた奴が1−9の黄金リーチに入り、しかも赤い放射を帯びている。これってスーパーリーチだっけ?と思っていたら9で当たり。あわわ、早く球をこめなきゅ、と焦っていると、オジサンが一掴み球を投入してくれる。ありがたきは、パチンコジャンキーの友情だ。無事に入賞口に球が入り、オジサンに利息をつけての球返却も終了。確変中の当りは単発の5、やめようか迷ったが、帰り支度をしているオジサンが「もうひと粘りしてみたら」と悪魔の囁き。うーむ、まぁハマっても閉店20分前だし一箱は飲まれまい。で続行開始、直後に4でノーマルリーチ、ピタっと止まって大当たり。なにこれ、こういうことってあるの?ああ、閉店まで残り12分、時間がもっとあれば突っ込みたいが、確変で来ても閉店10分前からは打ち切りで、保証は一箱では行くにいけない。断腸の思いで交換に臨む。13500円をGET,学芸大での負けを精算してちょうどプラマイ0だった。

2002年4月23日(火)

● 朝、定期診断の為病院に行く。チャリを飛ばし、9時前に到着。予約の時間を受付の端末で確認すると...、しまった今日は10時からだった。それでも採血、採尿があるのでそのまま受付に予約票を提出、もうこれまでに何度となく血を抜かれた採血室にいそいそと赴く。今日の血の色は赤系だった。別に血の色だけでは何も判断できないらしいが、どす黒いよりも赤に近い方が何故かほっとする。採尿も滞りなく終了、後は内科の受付前で予約番号を呼ばれるのを待つだけだが、行ってみて愕然とする。おいおい、診察開始からもう30分は経っているというのにまだ2番?うーむ、私の主治医は緊急の患者を診ることが多く、その場合は外来の予約患者が後回しにされる。そう言えばさっき救急車が来ていたからなぁ...で、仕方なく屋外で時間をつぶす。いい天気だったが、病院で見るとけっこう胸にチクリとくるものがある。やはり、仕事途中で息を抜いている時とか、休みの日に洗足池で見るとか、そういう時こそ青空も本来の魅力で胸に飛び込んでくるものだ。しかも、今の私は青空を見ていてもところどころが灰色だ。これもけっこう悲しい。病気や故障って、本当に何もいいことがない。1時間ほど予定時間を遅れてようやく診察を受ける。内科的に変化のあったことはなかったので、前回お願いしていたおたふく風邪の免疫チェックの結果を見てもらったが、なんと私は免疫がなかった。主治医が予防接種しますか、というので、是非にとお願いする。てっきり内科かと思っていたら、なんと小児科で受けるとのこと。まさか、この年になって小児科の受付に並ぶのか、私は...。5月末に予約がとれたが、主治医はそれまでにおたふく風邪にかからないでくださいよ、などと怖いことを言う。結局病院を出たのは12時ちょっと前、診断時間にしては4時間の病院滞在は明らかに長すぎる。次回は予約時間を確かめてチャリを飛ばそう。帰宅途中、中目黒のホールでパチンコを打つ。今日は竜王伝説にする。この台は龍が乱舞する割には大してリーチの信頼度が高いわけでもなく、前回打った時には惨敗を喫した。再び挑戦と相成ったのは、単に釘が甘かったから。で、打ち始めると早速お隣さんにリーチ、で一発で確変GET。モーニングが仕込んであるなら、こっちにはこないな、と早くも絶望的な気持ちになりながらも打つ。けっこう回り、リーチもそこそこ来るが、竜王は微笑んではくれない。それでも背景が夕方になったところでスーパーリーチに突入、で7で来た。ここまでの投資は9000円、しびれる直前の竜王初当りだ。時短に入ってすぐに5で大回転リーチ、単発当りに大仰なリーチは非常に空しいものと思い知る。外れないかなぁ、という期待も空しくそのまま当たり。栄光の時間は何故にここまで短いのか?ちょうど収支的にもいい感じなので、深追いせずにそのまま交換してしまう。帰宅してHPの更新、日課となった散歩で午後の所業も終わった。一眠りすればいよいよ職場復帰の朝だ。

2002年4月22日(月)

● ついに満願を成就した。CR平家物語A1を初めてこの手に触れたのだ。土曜日に桜新町のお店が空振りになったことで、更に平家熱に火がつき、日曜日に別の平家設置店の探索に走った次第。結局神奈川への進出を余儀なくされたが、意外なことに私の実家側に設置店があることが判明、無理矢理実家に帰る用事を作って遠征を敢行した次第。綱島のお店にもあるとの情報も得ていたので、様子見がてら途中下車して接触を図ったが、店舗改装中で長期休業となっており、嫌な予感が胸に充満する中、ターゲットのお店に到着、店内を見渡すと...あった!しかも1台だけ!!これが夢にまで見た平家か!と喜んだのも束の間、この台はこの日のサービス台に指定されていて、先客が既に打っている。おお、目前にして平家よ、更に私を避けるのか??しかも先客は確変の最中、いつ終わるとも知れぬ無制限状態とは...。仕方なく他の台で時間を潰すこととしたが、平家の状態が気になって仕方がない。これでは当然、自分の台に集中もできず惨敗。だが、パチンコの神は私を見捨てることはなかった。先客は確変後単発となり、1箱飲み込まれたところで撤退、私がその後に座ることができたのだ。既に200回以上回っているだけに、あの流麗にして華美なリーチ画面を見ることができるかもしれない、と期待は大いに高まったが、玉は無情にも次々と吸い込まれ、まさに祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり状態。ところが、惚れている弱みか当たらなくても全く腹が立たない。いや、それよりも打てば打つほど、平家から奏でられる管弦雅楽の響きに魅せられ、いつのまにかうっとりとしている自分に気がつく。笙の甲高い音色がそうさせるのか、それとも琵琶の奏でる16ビートのリズムがグルーブ感を生むのか、これが噂に聞くトランス状態なんだという状況だ。結局惨敗に終わったが、堪能した。店を出てもビートが鼓膜をゆすっているような気がする。実家に帰り、病状と今後の仕事の状況等々を家族に報告する。私が学生の頃には考えられなかったなごやかな一時を過ごす。親父がPCを入手し、生意気にもインターネットに接続しているというので見てやると、OSが98のくせになんか重い。システムをチェックすると、メモリを32MBしか積んでいないではないか。これではさすがに...。しかもダイヤルアップ接続の線の細さもあって、うちのHPを開くのにめちゃくちゃ時間がかかる。聞けば、3200円で買ったという。確かに安いが、100MB/SECも可能というこのご時世、あまりにもこれでは貧弱すぎる。数万円出せばこの100倍はいいマシンが買えるから、と親父を諭す。夕食を食べて帰宅の途につくと、また鼓膜にあの琵琶のビートが...。閉店まで2時間弱、もう一度平家と一戦交えようぞ!ところが...、店内に入るとまた先客、しかも1000円ずつちびちび打っている。おっさん、それじゃ出ませんぜ、と胸座つかんで頭をゆすってやろうかと思ったが、軍資金が寂しい状況なのでじっと待つ。小一時間経って、ようやく親父があきらめて席を立つ。おお、あれから一度も当たっていない。しかもかなり回っている。5000円をカードに変えていざ出陣、しかし玉は飲み込まれていくばかり。私はトランス状態に身を任せながらも消えていく球に郷愁を覚える。ああ、もうすぐ平家とお別れしなければならない...。そして最後の500円が消えていこうとしているまさにその時、7でリーチ、そしてスーパーへ発展!!おおおおおおおおおおおお、来てるのか?来ちゃってる??ここのところ、この終了間際に当たることが多いが、平家もそれに習ってくれるのか!?5で回転がゆっくりとなり、長い長いリタルダンド、6...、7...、通り過ぎる...しかしこれは?もしやあれか?おお7に戻った!平家の販促HPで見た戻りパターンで確変GET!一気にアドレナリンが脳みそに充満する。悦楽とはまさにこのことなり!平家初日で当り画面をこの目にするとは!この嬉しさは筆舌に尽くし難い。しかも、当り中のメロディがまたイカすではないか。ラウンド終了時には鐘が鳴る。これが諸行無常の響きなのか。当たって歓喜の渦にいるプレイヤーに、世の無常を伝えようとは、何から何まで他の台とは一線を画す愛い奴よ...。コアなファンを有する理由もよくわかろうとうのものだ。血圧も徐々に下がり始めた頃に15ラウンド終了、次は単発で当たったが、これもまた予習し、一度はお目にかかりたいと願っていた大群琵琶法師リーチ!ここまでサービスしてくれるとは!興奮の中2回目の当りも終了、上気して湯気さえ出そうな状況で、もう少し押したい気持ちにもなったが、帰りの電車も気になり始めたし、後ろ髪をひかれながらも店を出る。電車の中でも琵琶の音色が聞こえ続けている。ベン!ベン!

2002年4月21日(日)

●毎日が冬休み、から毎日が春休みになった私にとっては、日曜日の雨というのはあまり関係のない世界になっているが、相方は洗濯しようと思っていたのに、とカンカンだったりする。それにしても、ここんところいい天気、少なくとも大袈裟な雨は降らなかったわけだが、ここまで本格的に降ると本当に冬は終り、寒いとは言え季節は確実に夏へと移行していると感じさせられる。
新聞を読んでいたら、広島市長が暴走族に暴走族追放条例を説明したチラシを配ったという記事が出ていた。広島のゾクもかなりすごいと聞いたことがあるが、条例まで作らせるとはそんじょそこらのゾクとはレベルが違う。なににしてもこの条例に違反すれば6ヶ月以下の懲役ないしは10万円以下の罰金ということになるそうだ。警察としては後ろ盾ができたことで取り締まりもしやすくなるメリットがあるが、ゾクの方はきっと何もかわらないんだろうな、と思う。アメリカで飲酒の認められない州と認める州の州境で酔っ払いがフラフラしており、飲酒できない州の警察官がこちら側にきたらすぐに捕まえてやる、と待ち構えているのに、酔っ払いはあとちょっとで州境をまたぎそうになりながらも越えてこない、警官がジリジリしている、というコントを見たことがあるが、このゾクもいざとなったら岡山とか山口とか、隣の県の近辺にだけ出没して、つかまりそうになると県境を越える、なんてことをやるかもしれない。本気でやるなら条例のように地方公共団体レベルでやるのではなく、刑法の改正で臨んだ方がいいはず。夜歩いていても、けっこう迷惑だもんね、コノテの輩は。で、このチラシを配っていたのが秋葉広島市長だったのだが、あれ、この人って元社会党の衆議院議員だった人?と下の名を見ると忠利だったので、ああ鞍替えしたんだ、とわかった次第。秋葉氏を知ったのは山口美江や故久和ひとみなんかと一緒にテレ朝のCNNに出演していたからで、確か当時は大学の教授ではなかったかと思ったが、もうどっぷり行政に浸り、ゾクの相手もせにゃならぬ、となっているわけだ。時代は変わっておりますな。そういえばCNNを見ていたのももう15年以上前ですか。ショービズ・トゥディは毎週タモリ倶楽部とセットで見ていたし、CNN本体のスポーツコーナーでメジャーの映像がちょこっとでも見られるところもよかった。ブレーブスのターナー・オーナーはCNNを起こした人でもあるけれど、あの頃自分のチームであるブレーブスの映像をたくさん番組に盛り込んでいたら、少なくとも私はファンになっていたかもしれない。まだ若かったし。

2002年4月20日(土)

●実は今、あるHPにベタ惚れ状態だったりする。パチンコに纏わる悲喜こもごもを見事な文章で綴っており、思わず私から応援のメールを出し、ご好意から管理人さんとメール交換をさせて頂いている。その方のお気に入りの台を一目見たいと思い、今日はそれを設置していると検索サイトにアップされていた桜新町のお店に行ってきた。自転車で走ること20分ほど、実はうちの側を流れている川のほぼ源流部分が桜新町の駅周辺だったという新たな発見もありつつ、胸をときめかせて店に入ったが。が...、既にその台は撤去されていた。非常にショックな面持ちの中、元米米クラブの石井竜也氏がプロデュースしたという台で勝負、大惨敗を喫してしまった。まぁ、自転車で遠乗りしてカロリー消費もできたからいいとは思ったが、会えると思っていたまだ見ぬ人が、既にその場を去っていたという切り口は妙に胸に切ないものをもたらせてくれる。これってもう恋なのだろうか???明日も別の候補店を探しに行ってしまいそうで、ヤバイ雰囲気だ...。
ところで、今世界的に有名になっている日本人カップルをご存知だろうか?ナカノ君とタカハシさんというのだが、芸能人の類ではない。この二人が何故有名なのかというと、ほとんど戦場同様のベツレヘムは聖誕教会に観光気分で出かけ、瓦礫を横目にのんびりと座っている姿が、CNNに報道されたのだ。そう、世紀のバカップルとして紹介された日本人なのだ。この二人はここ半年間をかけて世界を旅しているそうで、その間、ほとんどテレビも新聞も見ていなかったという。 BBCもこの二人を取り上げ、「ベツレヘムのパレスチナ人住民は二人が明らかに戦争状態になっている中を教会に向けて歩いているのを、ハラハラしながら見ていた」としている。これ、コントではよくあるが、実際に起きた話なのだ。ナカノくんはガイドブックに夢中で周囲が目に入らなかったと語っているそうで、ヘルメットをかぶり、防弾チョッキに身を包んだカメラマンが声をかけられ、戦車や弾痕を見た時、初めてそこが普通の状況ではないということをやっと理解したというから、その心臓の強さは大したものだ。テレビも新聞も見ていない、というのは多分見ても何を言っているのかわからないからだったと推測している。煙が立ち上がるNYのグランドゼロでピースサインをしながら写真に収まっている日本人観光客の軽薄さに非難が集中したこともあったが、この二人はもしかしたらテロ事件のことも知らないかもしれない。20代後半らしいが、とにかくいいボケっぷりを見せてくれたものだ。日本の恥だ!と怒りのコメントを出している評論家もいるが、私としては彼等が帰国した際、成田空港で取材陣が世紀のバカップルはこいつらだ!とカメラを向けている中を、成田空港のガイドブックを見ながら二人が通り過ぎていく、というシーンを期待している。もう一度笑わせてこそボケの真骨頂、でしょやはり。

2002年4月19日(金)

●職場復帰が正式に決定した。今回は以前の部署に戻るのか、それとも同じ会社の別の部署で心機一転するか、が最大の焦点となっていたが、結局勝手知ったるかつての部署で、体の様子を見ながら日々を過ごすという選択に終わった。今回は、メジャーに例えて言えば故障してFAとなっていた三塁手の私が、復帰は出来るが三塁などしばらく守れませんぜ、という状況にいて、方や指名打者としてなら契約延長に応じるという以前のチームと、守備の負担の少ない一塁手として契約したいという別の球団の間で、さてどうしようかという板ばさみになったということになる。ユニフォームに愛着はあるし、できれば三塁も守りたいが、フル出場は無理なだけに、打席に立つだけでひとまず行こう、と考えた次第だ。ホームランは打てないが、進塁打くらいなら大丈夫、というかなり情けない指名打者ではあるのだけれど。また、昨日さる野球雑誌の編集長からうちのHPでの雑誌の告知の依頼を受けたので、OKという返事に加えて仕事も下さいと書いておいたのだが、早速原稿を見たいとメールがあり、速攻で1本書き上げるというハプニングもあった。昨日パチンコで大敗したが、懲りずに地元で打ったところ、1000円で3回も当たるというラッキーもあった。ハイさんに何気なく電話をして盛り上がり、40分近くも話した、など変化の多い一日だった。何となく療養生活の終焉が近くなったせいなのかなぁ、とも思う。休めなくなると思うと、急に時間の進み方が早く感じられるというのも、面白いと言えば面白い。

2002年4月18日(木)

●久しぶりに朝8時に家を出る。今日は眼科の診察を受ける日だ。昨晩降った雨がやんでいることを確認して、自転車で目黒の病院に向かう。自宅から約20分、2月14日に今乗っている自転車を買った頃は倍の時間がかかっていたのだが、あれから2ヶ月の間に随分足が鍛えられたようだ。病院に到着したのは8時50分、入院中には隠れタバコを吸っていた中庭で一服した後、眼科に向かう。未だに苦手な瞳孔を開く点眼薬を施され、主治医が名前を呼ぶのを待合室で待つ。主治医はいつものように眼底をチェック、どうやら右目の網膜の真ん中に少々むくみが出ているらしい。悪くなると、またレーザーで打たなければならないという主治医の声を聞き、愕然とする。あの痛みに加え、生命線とも言える真ん中を打たれてしまう可能性があるなんて...。絶対に避けたい状況だが...。ビビる私に主治医は今後検査は別として診察についてはもっと間隔をあけてもいい、と予想外のコメントを出してきた。むくみがあるなら、もっと診断を密にして、できれば薬なんかも出して欲しいものなのだが...。症状が悪いなりにも安定している、という解釈をするしかないのかもしれない。どちらにしても、もう完全に目は治らないのだから、なるようになれという捨て鉢な気分にもなってしまう。診察後、中目黒まで行ってパチンコを打つ。早く帰宅してマリナーズ対レンジャース戦もみたいのだが、例の瞳孔を開く点眼薬のおかげで、世の中が二倍の明るさに見えており、あまりのまぶしさにとても屋外にはいられないのだ。今日は前回確変5連チャンを果たしたパワプロくンを攻める。だが、この見せに設置している3台ともモーニングは仕込まれていないようで、蟹歩きで3台をチェックした後竜王伝説をやる。よく回ったのだが玉砕。時計を見ると11時半を回っており、もう自転車を運転しても大丈夫だなと確信、途中学芸大学で昼食を買って帰宅する。その後はHPの更新に全力投球、夜は相方の実家に行って晩御飯をご馳走になった。

2002年4月17日(水)

●ところで、昨日の仕事の話で、もし障害者の認定を受けられれば、すぐに正社員採用する、という話が一瞬持ち上がったことを書き忘れてしまった。障害者...、思ってもみなかった切り口で、一晩たっても頭の中でこの言葉が渦巻いている。企業が社員数(というか雇用保険加入者数だったかな)に応じて障害者を雇用しなければいけないということになっているが、実はこれって守られていなかったりする。まぁ、100人で確か2人だったかの障害者を雇用しなさいといったような通知が毎年各会社に来るのだが、これをクリアするのは非常に難しい。実際、私が人事をやっている時も、この通知が来る6月は障害者雇用の話題をどうしても上としなければならなかった。難しい、というのはやはり生産性とバリアフリーのスペース確保、特に四肢に障害のある方についてはトイレはもちろん、階段周りや事務所入り口にも改造を加えなければならず、その投資額はかなりのものになってしまう。ただ、私のように何とか社会生活は一人で送れるという障害者であれば、確かにそうしたコストが発生しないので、正式に社員採用という話もよくわかる。もちろん私も認定されればメリットはある。あまり可能性はないが、もし何かの間違いで一番下の6級にでも認定されれば、所得税や地方税が軽減されるし(課税所得からの控除額が増える=税金が下がる)、市区町村の行っている助成金や補助金なんかも受けられる場合もあるからだ。あ、そうそう、シルバーシートにだって大きな顔をして座れるしね。だがなぁ、やっぱり自分を障害者だ、と認識するのは難しいし、辛い。すごく世界が狭まってしまうような印象を受けてしまうのだ。一応、監督署や医者に相談はしてみるが。

2002年4月16日(火)

●仕事復帰、というか以前と同じ契約先と別の仕事で再び契約を結べないか、と交渉にでかける。雨が降りそうだったこともあり、非常に憂鬱な気分だったが、背に腹は変えられず。途中、以前お世話になった契約先の別の部署の方から声をかけられたが、異常に痩せているので尋ねたところ、なんと2月に胃を2/3も切除したというではないか。しかも、3月から仕事に復帰していると聞いて更に驚く。その上、手術したのが2月14日、翌15日には退院したと言うからもっと驚く。そんなに早く娑婆に復帰できるものなのか?なんだか、こんなに社会復帰まで時間がかかった自分が、実は慎重すぎるのかとも思ってしまう。それはそれとして何か仕事ありませんか、と一応ジャブを打って別れる。こういう時、考えておくと言われれば、それは即ちないという意味(アメリカ人はこういうところが理解できないらしい)にとるのが普通なので、あまり期待しないでおきつつ、以前の契約先の部長さんと面談。新しい仕事を作るという嬉しい話。ほっとしてスケジュールを確認していると、先ほど別れた人から電話。打ち合わせが終わったらこっちにも来いとのこと。ほいほいと赴くと、仕事をくれるというではないか!ついさっきまではこれからどうやって食っていこう、またライターとしてバリバリ書かないといかんかなぁ、とかなり暗い気持ちだったところ、いきなり二つも仕事候補が出てくるとは。嬉しい反面、どちらかを断らなければならない現実に今度は苦しむことになった。期限は今週中、どうする?どうする??

2002年4月15日(月)

●金曜日、初めて地元の歯科医に赴いて1年以上前に仮詰めした歯の治療に行ったのだが、麻酔をせず我慢しろ、という根性系だった為、あまりの痛さに途中で削るのをやめてもらった。行きつけの歯医者が11月まで勤務していた会社の側だったので、非常に行きにくかった為の苦肉の策だったのだが、完全に裏目に出てしまった。で、結局今日、少々痛むのを堪えながらも行きつけの歯科医に1時間かけて行って来た。事情を話すと、すぐに麻酔をかけてくれ、治療はスムースに終了、まぁ一安心ということだったのだが、医者から麻酔なしでここまで削ったら、そりゃ痛いですよと同情されて苦笑する。私がへたれ、っていうわけではないですよね?と話すと受付の女の子まで大笑いとなった次第。プライドも保たれたし、痛みもひとまず去ったし、めでたしめでたし。

2002年4月2日(火)

●メジャー開幕、とは言っても懐かしいアナハイムでは一日早くスタートしているので、純粋にはそうは言えないおかもしれないが、ランディ・ジョンソンの完封劇、なんていう記事が踊ると、季節はもう春なんだなと思う。日記も、肉体的にも精神的にも非常に辛い2月後半、3月だった為に、あまりにおぞましい内容になりそうで書けなかったというのが実情だ。その間、レーザー照射を両眼に2回ずつ受け、これで終わりかと思ったら、眼は照射前以上におかしくなってしまい、現在も治療が続いている。もしかして医療事故なのか、これ?
ここのところ、気がめいることが続いている。メルマガの読者、このHPに来た人からの心ないメールだ。そのほとんどは、きっと春休みで暇な学生からのものだと思われるのだが、その内容もまたえげつない。まぁ、以前から揚げ足とりの書面というのは何通もあり、それは私の英語力不足、メジャーの知識不足、もっと言えば知能不足が原因ということになるのだろうけれど、例えば「眼が見えないのに野球のHPなんてやるな」という趣旨のものにはさすがにがっくりきた。世の中、本当に残酷な人はいるのだ。こういう考え方って、ホームレスをリンチして殺してしまうようなものに直結しているんじゃないかと思う。
病気を患って以降、本当に気が弱くなったことは自覚している。何をするにも眼をのことを考えてしまう。こんなこと今までなかったし、今後もずっと、持ち続けなければならないと思うと我ながらぞっとする。それでも、今まで通りの生活をということでHPの更新をし、メルマガを発行しているのだ。当然負担はかかっている。その結果がこういうメールというのも、悲しい話だなぁ、と他人事のように思ってしまう。別に、激励のメールなんて欲しいと思わないし、そういうことをわかってくれとも言わない。言わないが、もっと相手を思いやる気持ちがあってもいいと思うのだが、どうなんだろう。
基本的に、もう「こんにちは」とか「読者です」というタイトルのメールはもう読まないことにする。あしからず。

2002年2月10日(日)

●やはり、多血症の方が心配で、献血に行き、少し血を抜いてみようと思い立ち、インターネットでチェックして五反田の献血センターに行くことにした。献血なんてもう10年以上行っていないが、最近はかなり施設もゴージャスになり、検査項目を広範囲にわたっていて驚く。問診を受け、血液型をチェック、その血で同時に肝機能もチェックされたが、問題なしと言われてまずほっとする。今は血を見れば全ての病気がわかる、なんていわれているが、その一旦をまざまざと見せ付けられた思いがする。病院であれだけ採血されたというのに、血をとられるということだけでも世界は広いものだ。一人掛けソファーを横にしたような場所に座り...というか寝かされ、献血開始。なんと、目の前にはテレビが設置されている。ホンジャマカの石塚が食いまくっている番組を見ながらほんの数分で献血完了。400ccの血液に別れを告げる。そういえば、前回の献血の時にはヤクルトのジョアだかなんかもらったな、と思ってロビーに戻ってくると、ご自由にお飲みください、と紙コップ型の自販機がフリーの設定になっている。なるほど、と思う。お菓子も食べ放題(って大した内容ではないんですが)で、なんというか本日は何人分の血が足りません!なんて表に書いてあるのとは随分中の雰囲気は違う。妙にフレンドリーと言えばいいのか。まぁ日本はもう売血制度がないし、それでも血は足りないし、ということでボランティア感覚で献血をここまで進めてきたわけだから、危機感を煽りながら(でも、これがなかなか自分の身に降りかかる危機という感じにならないのが問題と言えば問題だけど)こういう腰の低い対応になるのも納得ではある。まぁ、何にしても自分の体調を簡単に調べてもらえるし、多血症云々は別にしても定期的に献血はしたいと思う。五反田の目黒川沿いにある赤ちょうちんで遅い昼飯を食べ、夕方帰宅する。夜は都立大まで歩き、メルマガを発行する。献血のせいか、無性に眠くなり、12時過ぎには就寝と相成った次第。

2002年2月9日(土)

●レーザー照射から一夜明けた。まぁ特別腫れぼったいとか、視力が落ちた、視界が悪くなったということはないのだが、とにかく充血がひどい。これは気温の低さも関係しているのかもしれないが、きっと瞳を開きっぱなしにさせるあの目薬が原因なんではないかと思う。だが、痛み自体はもうほとんど感じることもなく、午後から相方と連れ立って深沢のケーキ屋に向かうことにする。ここは夕べテレビで紹介されていたところで、画面に出た住所を見て以外に近そうだ、ということで行こうという話になったのだが、実際、この深沢という場所は車がないと本当に行きづらいところと痛感する。大井町線で等々力まで行き、そこからバスで5分強(インターネットでは駅から5分と書いてあったが、多分それでは半分も来れないと思う)。で、店に入ろうとすると店内が人でいっぱいになっているのに気がつく。さすがテレビ放映のあった翌日、世田谷マダムが放っておくはずがない、というところだろうか。ショウケースはほとんど空で、人気のないと思われるケーキも残りわずか。この圧倒的な売れ方には驚いてしまう。相方に好きなもの(とは言っても選択の余地などほとんどないが)を買いなよ、と金を渡して私は店の外に出る。小雨が降るなんとも冴えない陽気の中、人で溢れそうなこの店だけが、なんか妙に景色にマッチしていないようにも思えた。インターネットで調べた時、あの高木シェフの、という書かれ方をされていたので、きっとテレビに関係なくよほど有名な人なんだろうと思っていたが、やはり気になるのは味だ。相方が購入したケーキが何かもわからなかったが、これを我々だけで食べるのもいかがなものか、ということで急遽相方の実家に電話、いいケーキが手に入りましたので、一緒に食べましょう、ということで池上に向かうことに。で、早速ケーキを食してみたが、確かにうまい。クリームの濃厚さは筆舌に尽くしがたいものだ。このケーキ屋のレビューの中には、大きさの割りにもう食べられない、などと書いていたものもあったが、なるほど、それもよくわかる。これは生クリームにしてもカスタードクリームにしても濃さを求める人には絶品だろうと思う。ということは、病人の私には少々辛いということになる。乳脂肪の味が際立ちすぎて、他の具材の味が死んでしまうような気もした。しかし、だからまずいなどとはとても言えない。世の中にこんなケーキもあたのか、と感じ入ってしまった。栗が丸ごと入ったモンブランがあるそうだが、この日は売り切れで、今尾はそれを食べてみたいなぁ、と思った次第。夜はお義父さんたちと鎌田で食事をし、帰宅。さすがに移動続きで今日は疲れたが、メルマガのコラムを書きつつ就寝。

2002年2月8日(金)

●ついにレーザー照射の日が来た。昨日、目の異常を感じて急遽病院に駆け込んだこともあり、もう覚悟はできている。ああいう怖い思いを今後少しでもしないようにする為に、レーザーは不可欠なものという認識がたた一日でできてしまった。それでも何かあるといけないので、メールのチェックやHPの更新だけ午前中に済ませ、午後イチで病院に向かう。最初はいつものように瞳を開く目薬を点眼される。その後ひたすら待つ。午後2時開始の予定が、30分経っても40分経っても名前が呼ばれない。だんだん、気持ちが焦りと不安で満たされそうになる。気が小さいとこういう時が本当にダメだ。すぐに子供に戻ってしまう。ようやく名前が呼ばれ、事前の眼底チェックを受ける。問題は発見されず、いよいよ照射台に顔をくくりつけられてレーザー開始。とにかく、異常にまぶしい光を受け、情けないがレーザー前に早くも目がくらみそうになる。今日は右目で、何だか小さいレンズのようなものを挟まされている。で、まず一発目。あまりの光に驚いてそのレンズを思わず目から落としてしまう。そこからはもうまぶしさとレーザーの当たり所によってずーんと来る痛みに耐えながら、レーザーを何発打たれたかをカウントしていた。なんだか、こうして打たれていると、目が本当に悪くなってしまったんだなぁと思う。これだけまぶしい光をあびながら、網膜の死んでいる部分ははっきり影になって見える。これがまた妙に悲しかったりする。涙は痛みでも出たが、この悲しさの分も少しはあったかもしれない。200発を越えたかどうかということころで本日は終了、来週は左目、再来週はもう一度右目、と先生から話を受ける。先生に「もう一回ですか、本当に右目は悪いんですね」と話すと、「悪いっすよぉ」と返答。けっこう深刻な会話だと思うのだが、私は思わず笑ってしまった。右目がくらんで見えないので、しばらく病院で休み、ある程度回復したのを見計らって帰宅の途につく。突然、退院した時に是非やらなければと思っていたまままだ献血をしていないしたいなと思い、病院でできる場所を聞くと、大森にセンターがあるという話。右目の視界が赤いまま、病院の前からバスに乗り、大井町を経由して大森に行ってみる。交番で聞くと、もう閉鎖されたとのこと。なんか、このまま一生献血できないような、いやーな気分で帰ることに。大森からバスで洗足池というルートを選択した。家では相方が心配しながら待っていた。なんというか、ここのところずっとこんな相方の顔を見ている。レーザー照射の恐怖(?)とまだ打たれるんだ、という話をしながら、不覚にも涙が出てしまう。こんなところで泣いても仕方ないと思うのに、涙が止まらない。本当に、こんな悲しい気持ちから解放される日は来るのだろうか...。

2002年2月7日(木)

●朝食を終え、いつものようにウォーキングに出かけると、ふと見上げた空に丸い球がいくつも見えて驚く。目の玉を動かすとぶわっと現れ、どんどん沈んでいくように見えるが、たまに血管のようなものも浮き出して見え始め、これはやばいだろうと、心拍数が急激に上がり始める。とにかくこれ以上網膜が死ぬ部分ができるのは御免蒙りたいとうことで、まず血圧を上げようと坂道をダッシュを繰り返したりしてみたが、一向によくならない。仕方がないので、タクシーを捕まえて病院に急行する。眼科は非常に混んでいたのだが、担当の先生もレーザー前に異変が起きたのかと比較的短時間で診察を初めて下さったのには助かった。で、いつものように眼底を見ていただいたのだが、特に新しく詰まっている血管はない、変化はないようだ、とのことでまずは安心する。ではこの変な球のようなものは何でしょう、と聞くとどうやらオリのようなものが目を動かすたびに目の前を舞い上がり、それが見えちるようだ、とのこと。確かに、血管を何かが流れていく、というよりは、引力に従って落下している、という感じだ。首を傾けてみると、やはり傾けた下方向に向かって球が落ちていく。なるほど、最初からこうしてチェックしていればよかったわけね。ここのところ目のことには神経質になっていて、ちょっとした変化も怖くて仕方がなかったりする。もう、こういう思いはこれで終わりにしたいと切に思う。結局、自宅には夕方到着。ちょっと散歩のつもりが大騒ぎになってしまったことを相方に話すと、笑われる。いや、笑い話で終わって本当によかたったすよ。

2002年2月6日(水)

●モーニングサービス続行中、と散歩の途中に前を通りかかったパチンコ屋に書いてあったので、久しぶりにやってみようかと座ったら、なんといきなり連チャン開始、結局1時間30分出続けて、競馬で言えば100倍の還元となった。で、相方に今晩は外に飯を食いに行こうと話、結局田園調布駅前、長島家御用達でお馴染みの鳥瑛に行くことに。平日、しかも水曜日の夜7時だというのにもう満員。うちらが入ったのが最後の空きスペースだった。ここは鳥料理しかないことで知られているが、つくねも腿焼きも本当にうまい。こんなに鳥ばっかり食ったのは初めて、と言いつつ手羽まで追加してしまうほどうまかった。帰りは自由が丘を経由してもちろん徒歩で帰宅。なんか久しぶりに普通の生活を送ったような気がする。

2002年2月5日(火)

●目の調子は一進一退というところなのだが、どうもここ数日血圧が高めで、それが気になる。特に、下がっていないといけない夜寝る前に上が140台というのは、なんとなく釈然としない。もしかしたら、ずっと飲み続けている降圧剤に体が慣れてしまったのかなぁ、という気がしている。というよりも、これだけ毎日薬を飲み続けるなんてこと、今までなかったし。今日は午前中からウォーキングで石川台、雪谷と回って田園調布で昼飯を買い帰宅する。どんどん気温が下がってきているな、と思ったら夕方には雨が降ってきた。あまりの寒さと雨で夜のウォーキングは早々に中止する。体重維持ができるだろうか...。9時台に歩きに行かないのは久しぶりのことだが、テレビを見ているとTVKでマーシャル・ロウをやっている。これ、サモ・ハン・キンポー主演の刑事もので、相方のテレルは星の王子ニューヨークへ行く、のセミ役でお馴染みアーセニオ・ホールだ。この人、非常に憎めない表情で好きな役者、というかコメディアンなのだが、本家本元のアーセニオ・ホール・ショーをまだきちんと見たことがない。というか、アメリカでまだ放送しているんだろうか???なので、コメディアンとは知りつつもちゃんと笑っておかなきゃな、と思っていたりする。マーシャル・ロウは跳んだカップルよろしく番組の最後にNG集が付帯している。これがけっこう面白かった。それにしても、なんで格闘シーンに拳銃の撃ちあいがないんだろう?カンフーだけって、なんか異様な気もする。それと、香港のアクション同様、その辺にあるものを全部利用してってところがまたいい。そのうちワイヤーで役者を吊ったりするのかしらん?ひとまず毎週見ることにしようと思っている。

2002年2月4日(月)

●大丈夫とは思っていても、やはり旅行の疲れがどっと出て、朝なかなか起きられなかった。目も血圧も特に異常はなく、まぁ血圧はさすがに少々高めだったが、ひとまず飛行機くらいは耐えられる状況になったんだとほっとする。それでも日中、たまに右目の真ん中が酸欠状態(ピクピクと痙攣するように視界が遮られる)が出て、ちょっと恐怖にかられるが、これもレーザーの照射まで、がんばってもう少し耐えてくれ、と願うのみ。悪化の傾向がちょっとでも出ると、怖いこの治療も早く行ってくれという気持ちに切り替わるから現金と言えば現金なものだ。昨日の雨もあがり、午前中、夜共にウォーキングで外に出る。今朝体重を測ったら、土曜の朝と同じ数値をキープしていてほっとする。ある程度筋肉もできあがり、基礎代謝量がそれなりに上がってきているんだな、と勝手に理解する。

2002年2月3日(日)

●徳島の二日目。朝、おそるおそる目を開けると、特に異常が出ていなかったのでほっとする。やはり旅先だけに、環境の変化がどの程度体に影響を及ぼすかがわからなかったのだが、まぁこの程度の無理なら利く、ということなんだろうと勝手に納得する。薬はきちんと飲んだし、たかが一泊でこれまで保っていた体の状態が崩れるようなら、間違いなく社会生活への復帰なんてできない。確実に体は戻っている、と確信していいんだろうなと思う。ホテルの中でバイキング形式の朝食をとる。カロリーを念頭に和食中心で攻めてみたが、どれもけっこうおいしかった。まぁ値段が値段だったから、まずいということでは困るわけだが。Marcyくんと10時前に合流、私としては20年ぶりの鳴門海峡を見に車を出してくれた。生憎の曇り空、そして昨日から寒気で観光客なんていないのでは、と思っていたが、さすがは徳島が誇る名所だけに鳴門大橋の見学スペースにはかなりの観光客が集まっていた。この場所の売りは、なんと言っても渦潮を足元に見ることができる、の一点に尽きる。床、とは言っても仮設の足場を少し立派にしたようなものだが、のところどころに強化ガラスがはめ込んであり、そこから眼下にごうごうと太平洋に向かって流れていく海流を見ることができる。高さにして50mくらいはあるかもしれない。これにはかなりビビった。目が悪いことも作用しているのだが、一瞬床に穴が開いているように見えるのだ。思わず飛びのけると、後ろの観光客から笑い声が。いい芸ができたということなのだろうが、いやいや、これが誰だって最初はビビりますって。ひとしきり海流を眺めた後空港に向かい、Marcyくんの相方と合流、昨日飲み屋で話題になった徳島のカツなどをお土産に頂戴する。本当に、感謝の言葉もない。飛行機は折からの低気圧の影響でのっけから揺れまくり。上昇中は子供が泣き、水平飛行に移って一旦は静かになったものの、着陸態勢に入ろうとするところからまた激しく揺れ、それに比例して子供の泣き声が大きくなる。いやぁ、気持ちはわかる。わかるのだが、その泣き声で生来の飛行機嫌いの虫が私の体の中で暴れ始める。アメリカでメジャーを追いかける生活をしたいな、と思っているが、この病気を克服しない限りは到底無理。何とかしないとなぁ、と思っていると雨の羽田に飛行機は無事に着陸した。予定よりも10分ほど早く降り立ったのはよかった。鎌田までバスを使い、帰宅は3時過ぎ。あまりの寒さに驚く。夜、雨がやんでいたのでいつものように石川台から川沿いに洗足池まで歩く。

2002年2月2日(土)

●急遽決まった徳島行きの日。天気はまだ晴れているが、インターネットでチェックすると徳島は雨模様のようだった。寝ている相方を起こさないように午前7時30分に出発。中原街道まで歩いてタクシーを拾い、京急鎌田から空港線で一路空港へ。空港線は工事が終わってから初めて乗り込んだが、糀谷までは昔のまま、それ以降はいきなり近代的な佇まいになっていて驚く。空港で何か食べようかなと思ったが、やなりこれから飛行機に乗り込むと考えるとどうしても胃がそれを受け付けてくれない。お土産などを物色しつつ搭乗ロビーに向かう。飛行機に乗るのはあのアメリカ旅行以来で、ここ半年で2回目ということになるが、同じことを昨日相方に話したら、そんなこと言う人初めて見た、と言われる。飛行機が怖いんだから、仕方ないではないか。定刻よりちょっと遅れての離陸となったが、こういうことはSFからLAに移動の際連続で味わっているので何とも思わなかった。雨や風がないのでそれほど揺れないことは予想できたし、私にしてみればかなりクールに離陸を待つことができた。JASというと、これもかなり久しぶりで、多分10年ほど前に仕事で鹿児島に行って以来ではないかと思われる。機内では限定商品の販売です、などとスッチーが回ってくるので、ブランド品が安く買えるのかな、と思っていたら、JASのトレーナー等々という実に味のある商品ばかりだった。買ってもいいかな、と迷っているうちに着陸態勢のアナウンス。徳島って、新幹線等使って行こうとすると7時間くらいかかるのだが、飛行機だと本当にあっという間だ。空港でMarcyくんに連絡を入れ、バスで待ち合わせの徳島駅へ向かう。曇り空から今にも雨が落ちてきそうだったが、Marcyくんと会う頃には雨が降り始めていた。工場の一角にあるというかなり謎めいたうどんやに連れていってもらい、まずは名物を堪能する。つゆは血圧を考えてパスしたのだが、このうどん、さすがに名物の中の名物というだけあってしっかりした味になっており、つゆなんかなくても食べられる。いやぁ、これを東京で食べられたらなぁと思う。その後、喫茶店で夜までメジャーの話で盛り上がる。今まで渡せなかった昨年のアメリカ旅行の土産を渡し、一昨年作ったうちのメルマガの販促用メモ帳をようやく手渡すこともできた。これで今回の仕事の2/3はもう終わった。夜、Marcyくんの相方さんとも合流、駅の側の飲み屋で夕食会を開始する。基本的に酒を飲むと血流がよくなって目が見えるようになるのだが、この日は地酒に徳島名産の海の幸を堪能、目も舌も絶好調となって、非常に楽しい時間を過ごさせてもらった。ホテルに戻って最上階(だったかな)のバーで軽く飲んでみる。夜景がきれい、ということで楽しみにしていたのだが、悲しいことに真っ暗だった。これって、私の目が悪いってことではないと思う。徳島の夜はかように早い...。

2002年2月1日(金)

●明日の徳島行きに備えて、相方と二人で午後から鎌田に行き、お土産やら航空券やらを購入する。今回の徳島行きは、一にも二にもMarcyくんへにお礼を直接言いたかった為で、仕事を休んでいる今だからこそ、そして来週に控えている目の治療の前に、ということで急遽予定を作ってもらって実現したものだ。相方が胃痛で苦しんでいる時にICQで相談に乗ってもらい、本当に助かったこともある。問題は目や血圧の具合がどうなるか、ということでもあるが、正直言って土日に何かおかしくなっても眼科、内科の担当の先生は共に病院にはいないわけだし、治療を受けたくても結局は週明けということもある。まぁ、この程度の移動で変調をきたすようであれば、もう障害者の申請をして、今後は社会保険で食っていく、場合によっては生活保護もやむなし、というだけのことだ。当初は新幹線で行こうと思っていたのだが、結局移動時間が圧倒的に早いこと、そして運賃も朝割等使えばいい勝負になるということも併せて、恐怖症にはそれこそ目をつぶって空路を選択することにする。途中、昼飯を食おうと言うことで、前々から気になっていた蓮沼のインディアンという店に行くことにする。ここはラーメン、カレー共にガイドの常連となっている店だが、前を何度も通っている相方は非常に怪しい雰囲気だと言う。かえってそれが気になり、トライしてみたいとかねがね思っていた次第だ。着いてみると確かに怪しい。カレーに最上級という接頭語がつき、しかもうち以上においしい店があったら連絡して欲しいという但し書きまである。この異様な自信に、だまされてみようと思って入ってみる。両方がそこそこ食べられるセットを注文するが、一番おいしかったのはラーメンに入っていたチャーシューだった。元々スープは塩分の関係で全部飲むつもりはなかったが、仮にそれがなくても多分飲み干すことはできなかった。魚系のだしと塩をベースにしているのだと思うが、各誌が絶賛した内容と同一かというと、?マークだ。うーん、この味が今の通にはOKなんだろう、きっと...。カレーは、具がないタイプもので、昔よくお子様ランチで出てきたように、ライスが一旦型に入れてある。味は...、焦げ臭い。辛さはほとんど感じなかったが、なんだか漢方薬のような風合いだ。こちらも、ガイドと実際で違いがあるように感じた。というか、私はおいしいとは思えなかったのだが...。入院生活で舌がおかしくなっているのかもしれない。その点は何ともいえないが、では舌が娑婆の味に慣れたら、もう一度試しに来るかというと、きっとそれもない。単純に嗜好の違いなんだろうなぁ、これって。店を出て鎌田まで歩き、ここで買い物を済ませる。鎌倉ニュージャーマンでお土産の包装を待っていると、酔っ払いが交番にいる警官に喧嘩を売っていた。大声で何かを講義しているが、その支離滅裂ぶりが妙におかしかった。さすがに警官もあまりにしつこいので腹が立ったのか、うるさいよ!と応戦している。酔っ払いとしては、まさに我が意を得たり、というところなんだろうなぁ、更に罵声に拍車がかかる。まだ午後4時過ぎだというのに、このテンション、これで本格的に飲み始めたら、どこまで行ってしまうのやら。帰りは雪谷で降りて夕食の食材を購入し帰宅。夜はいつものように石川台から川沿いに洗足池に歩き、そこから都立大、自由が丘と回って帰宅。徳島でもウォーキングできればいいのだが、一応できないことを想定して長めに歩いてみた。


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