2000年公式開幕戦@東京ドーム

チケット販売スケジュール

●日本野球機構とメジャー開幕戦事務局は、日本時間の1月5日、3月に開催されるメッツとカブスによる公式開幕戦、及び巨人、西武と行うプレシーズンマッチの入場券発売要綱を発表している。

発売日:
<am/pmでの先行発売>プレシーズンマッチは1月15日〜21日。開幕戦は1月22日〜28日。
電話予約:CNプレイガイド/03−5802−9900またはam/pm店内「とれたてレジャー情報ボックス(一部店舗除く)
<一般発売>いずれも1月29日から。
発売場所:CNプレイガイド、チケットぴあ、東京ドーム、西武ドーム等
問合せ先:MLB開幕戦事務局(電話/03−216−4930)

入場料金一覧
日付 カード 球場 開始時間 指定S 外野指定 テレビ中継
3月29日 メッツ対カブス 東京ドーム 19:00 12000 10000 6000 4500 4000 立ち見大人1000/子ども500 フジテレビ系で中継予定
3月30日 カブス対メッツ 東京ドーム 19:00 12000 10000 6000 4500 4000 立ち見大人1000/子ども500 日本テレビ/衛星第一で中継予定
3月27日 巨人対カブス 東京ドーム 19:00 10000 8000 5000 4000 3500 立ち見大人1000/子ども500 日本テレビ系で中継予定
3月28日 巨人対メッツ 東京ドーム 19:00 10000 8000 5000 4000 3500 立ち見大人1000/子ども500 日本テレビ系で中継予定
3月27日 西武対メッツ 西武ドーム 14:00 7000 5000 3000 外野自由席大人2000/子ども1000 テレビ朝日系で中継予定
3月28日 西武対カブス 西武ドーム 15:00 7000 5000 3000 外野自由席大人2000/子ども1000 NHK衛星第一で中継予定

am/paよりのお知らせです。

am/pm メジャーリーグ開幕戦 夢のキャンペーン
2000年2月7日(月)〜2000年3月25日(土)
株式会社am/pmジャパン

 株式会社am/pmジャパン(東京都千代田区、社長:秋沢志篤)では、3月に
日本で初めて開催されるメジャーリーグ公式開幕戦への特別協賛を記念し、「
am/pmメジャーリーグ開幕戦 夢のキャンペーン」を2月7日(月)から3月25日
(土)まで店頭にて実施いたします。

 それに伴い、am/pmオフィシャルサイト『site am/pm』でも、
「am/pmメジャーリーグ開幕戦 夢のキャンペーン」と題し、様々なコンテンツを
サイト上に開設し、ホームページへのアクセス向上を計っております。
 am/pmオリジナル携帯電話“サミーフォン”(cdmaOne2対応最新機種)が
抽選で30名様に当たる「やきゅうけんゲーム」やメジャーリーグ開幕戦ペアチ
ケットが3組6名様に当たる「プレゼントクイズ付きアンケート」を目玉に、
充実した内容で展開しております。

くわしくはこちらをご覧ください。
http://www.ampm.co.jp/18/index0.html


<主なコンテンツ>
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幻のメジャー観戦プレミア・チケットが手に入る
『夢のプレゼント・アンケート』
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即日完売した幻のメジャーリーグ観戦チケットをクイズとアンケートに
答えてくださった方の中から抽選で3組6名様にプレゼントいたします。

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熱いメッセージがサミーソーサに届く!
『応援メッセージ大募集』
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日本で開幕戦にのぞむソーサに応援メッセージを送る「応援掲示板」を
開設しています。とくに熱いメッセージは、英訳したのち、直接ソーサ
ーにお届けいたします。またサミー直筆サイン入りTシャツを掲示板に
書き込みをしていただいた中から抽選でプレゼントいたします。

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超謎!めちゃ気になる!プレゼント付!!
『やきゅうけんゲーム』
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site am/pmオリジナル「やきゅうけんゲーム」を設置しています。
am/pmオリジナル携帯電話“サミーフォン”(cdmaOne2対応最新機種)
を「やきゅうけんゲーム」をプレイし、得点を記録された方の中から
抽選で30名様にプレゼントいたします。

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『メジャーリーグ開幕戦 夢のキャンペーン』その他のページ
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◎野球ファンの方にも全く野球のことを知らないという人にも
 楽しんでいただけるように様々なコンテンツを揃えました。

・メジャーリーグについての知識深めることができる『What's M.L.B.』
・サミーソーサの感動秘話を連載している『STORY OF sammy』
・サミーソーサと日本の子供達とのふれあいを紹介している
 『サミーソーサ野球教室レポート』
・夢のキャンペーン限定の店頭オリジナルグッズを紹介している
 『オモシロMLB関連アイテム』

くわしくはこちらをご覧ください。
http://www.ampm.co.jp/18/index0.html

S指定席売りきれ(1/30)

●1月29日から始まった一般販売だったが、開幕戦も29日、第二戦の30日の試合分は共にS指定席と外野指定席が完売となった。すでに22日にCNプレイガイドで先行発売がされていたが、チケットの売れ行きに関係者も驚いているとのこと。ただし、巨人とのオープン戦のチケットは2割前後しか売れておらず、こちらの方はまだチャンスあり。

Histry

●設立は1962年。初代の監督は、Caseという愛称で親しまれたケーシー・スティンゲル。ヤンキースで12年間指揮を執り、10回の優勝を数えた名将だ。しかし、初年度の成績は40勝120敗、勝率なんと.250。あと1年を残しながら、この年のメッツが20世紀最弱のチームと言われている。しかし、スティンゲルの洒脱なコメントとサービス精神により、メッツはニューヨーカーに愛され、観客動員数は年々増加、スティンゲル最後の年にはヤンキース以上の集客を果たしている。成績の上では見る影もなかったメッツの名前が一躍全米中に知れ渡ったのがギル・ホッジスが監督だった69年のこと。首位カブスとは8月第2週の時点で9.5ゲーム差となっていたのだが、ここからメッツのミラクルが開始された。終盤49試合で実に38勝という驚異的な追い上げを見せたメッツは、最終的には8ゲームの差をつける独走でチーム初のポストシーズンに突入する。プレイオフでもブレーブスに打ち勝ってあれよあれよという間にワールドシリーズへ。対戦相手のオリオールズは、この年109勝を挙げる強さで、下馬評ではメッツ不利、しかもエースのシーバーが捕まって初戦を失ってしまったたものの、ここから4連勝でチーム創設8年目にして初のワールドチャンプ獲得という離れ技を見せてくれた。優勝パレードの日、天気予報では「マンハッタンの天気は、晴れところにより紙ふぶき」という有名なフレーズが流れている。 ヨギ・ベラが監督だった73年に、メッツは再びワールドシリーズに進出する。首位から5位までが最終的には5ゲームにまで縮まる大混戦だったこの年のペナントレース、メッツは8月26日の段階で借金12の最下位に沈んでいたが、ここから24勝9敗という爆発的な追い上げを見せて、結局82勝79敗で大逆転優勝を果たした。やはり戦前の予想ではレッズ有利と言われたプレイオフにも3勝2敗でうっちゃり勝ち、69年の再現かと思われたが、ジャットフィッシュ・ハンター、レジー・ジャクソンを擁するアスレチックスに3勝4敗で敗れて、二つ目のチャンピオンリングには届かなかった。以降、70年代後半から80年代前半にかけて、メッツは再び低迷する。特に至宝トム・シーバーを77年に放出したことは決定的で、当時も、そして今でさえもファンに議論される大愚行となっている。FA市場に選手獲得へ乗り出さず、チームの有力選手を惹きとめることもしなかったこの頃のメッツが浮上できないのも道理といった状況だった。しかし、デーブ・ジョンソンが監督に就任してから、再びメッツは上昇への道を歩み始める。グッデン、ストロベリーという自身がマイナーの監督をしていた際に指揮した若手を積極的に登用したジョンソンは、当時としては非常に珍しく、また高価だったコンピュータを導入して選手達のデータを解析、これが采配に生かされて、メッツは86年に108勝54敗で地区優勝。大激戦となったアストロズとのプレイオフを制し、レッドソックスとのワールドシリーズに臨んだ。1918年以来悲願のワールドチャンプにあと1勝と迫るレッドソックスに対して、メッツは地元シェイスタジアムでの第6戦をパスボールと1塁手バックナーの世紀の大トンネルで逆転サヨナラ勝ちし、続く第7戦も逆転で勝利、ミラクルメッツの再現を果たしている。88年にも地区優勝を飾ったが、この時はドジャースに大番狂わせの敗戦を喫してワールドシリーズに進出することはできなかった。そして、ヴァイオーラ、ボニーヤ等FAやトレードで大物選手を獲得するも働かず、ジョンソン監督もレッズへと去っていった90年代は、再びメッツの暗黒時代が始まっている。特に93年は59勝103敗と轟沈、62年の再来と揶揄された。しかし、ダラス・グリーンに代わってボビー・ヴァレンタインが監督となってから、チームは確実に変革している。97年には91勝を挙げた90年以来の5割復帰、98年はワイルドカードをカブス、ジャイアンツと最終戦まで争うところまで粘り、昨年は終盤の連敗から安泰と見られていたワイルドカードを手放しそうになりながら劇的な勝利でレッズを振りきって88年以来のポストシーズン進出を果たしている。この3年間、トレード、FAでピアザ、ヴェンチュラ、ライターら大物を迎え入れた賜物ではあるが、一方でバーニッツ、ブローニャ、ヴィーニャ、ハーニッシュ、ケント、セギー、ヴィスカイーノら現在他球団で活躍している選手達をトレードで放出してしまっているという事実もある。99年のレギュラーで生え抜きはアルフォンゾとオルドネスの二人だけ。先発陣に至っては、かろうじてボビー・ジョーンズ一人といった具合だ(実際故障でほとんどその責務を果たしてはいないが)。こうした拝金主義的なフロントの運営が、21世紀のメッツをどのようなチームにしていくのか、興味は尽きないとところではある。
さて2000年のメッツだが、なんといっても話題はオルルドをFAで失った後に入るジールと言える。元々は捕手だったジールは90年のカージナルス時代に1塁、三塁、外野も守うなど、1塁手として出場経験がないわけではないが、98年から3塁のみという状況で、打撃のみならず守備の名手でもあるオルルドの穴が埋められるかどうか。逆に先発陣はアストロズからハンプトンを獲得、これで一本柱が通った形になっている。
永久欠番はギル・ホッジスの14、ケーシー・スティンゲルの37、トム・シーバーの41、そして各球団共通となっているジャッキー・ロビンソンの42。タイトル獲得者はサイ・ヤング賞がトム・シーバー3回、ドワイト・グッデンが1回。新人王はトム・シーバー、ジョン・マトラック、ダリル・ストロベリー、ドワイト・グッデンの4人。
●カブスの歴史は古い。ナ・リーグが創設された1876年にシカゴ・ホワイトストッキングスとしてスタートしている。この年、チームは見事優勝を果たしたが、このとき監督兼投手だったアル・スポルディングは、チーム52勝のうち47勝を挙げるというものすごい記録を残している。スポルディングは、名前からもわかるように、スポーツ用品メーカーの創設者でもある。ホワイトストッキングスと名乗っていたのは1893年まで、以降1897年までコルツ、1902年までオーファンズとチーム名が変わり、1903年に現在のシカゴ・カブスがお目見えした。1901年にシカゴのスポーツライターがチームの面々をカブス(小熊たち)と呼び、これがチーム名に採用されている。カブスの最初の黄金時代は1906年から1910年までで、この間4年連続リーグ優勝、そして1907年と1908年にワールドシリーズを連覇している。1906年にはシーズン116勝を挙げ、これは現在に至るまでのメジャー記録になっている。98年のヤンキースでさえ、あと二つ足りなかっただけに、この記録は21世紀に入ってもしばらくは破られないであろう大記録といえる。そしてこの6年のワールドシリーズは、史上唯一のシカゴ対決となっており、結果はホワイトソックスが4勝2敗でこの世紀の対決を制している。7年、8年は共にタイガースとのワールドシリーズで対戦したが、1908年のシリーズではモーデカイ・ブラウンとオーバル・オーバーオールの二人のエースがそれぞれ2勝ずつ挙げる大活躍で、ここで敗れたタイガースは1935年までワールドシリーズ制覇を待たなければならなくなっている。1914年にリグレーフィールドが開場したが、当時はフェデラル・リーグのホエールズが使用しており、ウィーグマン・パークと呼ばれている。1920年にウィリアム・リグレーがカブスを買収し、この球場がリグレー・フィールドと命名されたのは1926年になってから。しかし考えてみれば1914年は明治44年、ここで建設された球場が現在に至るまでカブスの本拠地として使用されているというのは驚異としかいようがない。1988年8月8日までナイターが行われなかったことも有名で、これはオーナーの信念である「野球は太陽の下でやるもの」を忠実に守ったこと、そして球場が住宅地の側にあることによる配慮からで、現在でも他の球場に比較してデーゲームが圧倒的に多い。さて、1920年代のカブスはどうだったかというと、1998年にカージナルスのマグワイアが70本塁打を放つまでナ・リーグの本塁打記録56本を持っていたハック・ウィルソンが活躍していた。ウィルソンはシーズン191打点という全く以って信じられないメジャー記録も持っている。1929年からの10年間で1929年、1932年、1935年、1938年の4回のリーグ優勝を果たしているが、ワールドチャンプを獲得するにいたっていない。1932年、ヤンキースと対戦したワールドシリーズでは、ベーブ・ルースの予告ホームランが生まれている。1999年の年末にどうも指差したのはヤジが飛んでいたカブスのベンチだったのではないか、という報道もされているが、歴史に残る一発であることには間違いはない。第二次大戦終戦の1945年にナ・リーグを制して以降、カブスは長い低迷期に入る。1953年、カブス史上初の黒人選手アーニー・バンクスが加入、チームは66年まで最高が5位と万年Bクラスの様相を呈していたが、バンクスは1958年、59年と連続でMVPに選出された。61年には新人王に輝いたビリー・ウィリアムスも加入したが、それでもチームは浮上しなかった。カブスが次にポストシーズンに進出したのは1984年で、パドレスとのプレイオフに臨んだものの、連勝後に3連敗を喫して敗退、89年にも地区優勝を果たしたが、この時もジャイアンツに退けられている。80年代は名手ライン・サンドバーグ、リック・サトクリフ、マーク・グレイス、アンドレ・ドーソンを擁して非常に強力なチームとなっていたが、やはりワールドチャンピオンにはついぞ手が届かなかった。以降カブスは、ラファエル・パルメイロ、グレッグ・マダックスを放出してしまうなど迷走を続けつつ、90年代に再び低迷の時期を迎えている。そして迎えた98年、カブスはソーサの打撃開眼とタパニ、ベックの先発、抑えの両エースがチームを引っ張る形でメッツと激しいワイルドカード争いを展開、最終盤にはジャイアンツの猛追を受けた結果、162試合を終わって両者同率となり、1ゲームプレイオフがリグレーフィールドで行われた。これに勝利したカブスはチーム史上初めてワイルドカードでポストシーズンに進出、89年の地区優勝を経験している唯一の選手だったベテランのグレースにとっては、非常にうれしい瞬間となった。NLDSではブレーブスに一蹴されたが、間違いなく98年のナ・リーグはカブスの大躍進がエポックであったし、ソーサとマグワイアの二人によるホームランキング争いは、ストライキで失ったファンの心を再び球場に戻した点でも賞賛されるべきパフォーマンスだった。しかし99年、カブスは再び低迷し、シーズン中には年俸抑制のためマルホランドらベテランを放出、2000年はソーサ、グレースの二枚看板の元、新陳代謝を続ける陣容で迎えることになる。
MVP受賞者はギャビー・ハートネット、フィル・キャバレッタ、ハンク・サウアー、アーニー・バンクス、ライン・サンドバーグ、アンドレ・ドーソン、サミー・ソーサの7人、延べ8回。サイ・ヤング賞はファーガソン・ジェンキンス、ブルース・スーター、リック・サトクリフ、グレッグ・マダックスの4人。新人王はビリー・ウィリアムス、ケン・ハップス、ジェローム・ウォルトン、ケリー・ウッドの4人。そして永久欠番はアーニー・バンクスの14、ビリー・ウィリアムスの26、共通欠番のジャッキー・ロビンソンの42となっている。