ちゃぁちゃんの個人的・健康や出来事を
テーマにした日記です。

自己紹介
店主 ちゃぁちゃん
年齢・性別
ご想像にお任せしようと思います。
趣味は絵画にガーデニングともっぱらPC
今の関心事は”健康”です


 

「ロサンゼルス」2ヶ月滞在のつづき〜だよ〜! (3)
 

::3月に入って義弟がラスベガスで入社を希望する人と会うことになり「この際に」と私たちも同行することにしました。
2泊3日で土曜日の朝6時30分車で出発、こんがりと焼いた「塩シャケ」のほぐし身を中に入れて、海苔で全部くるんだ「おにぎり」と飲み物、果物、おやつ等ーーまるでピクニックに行く様なウキウキ?した気持ちで乗り込みました。
街を外れるとただひたすら山と平野で「サボテン」しか生えてないような山ばっかりが延々と続き、道路わきには破裂したとしか思われないタイヤの残骸がかなりの数、放置されてありました。峠越えフーバーダム〈ダム湖の名はシード湖)でアリゾナ州とネバダ州との州境にあり、ダムを背にアリゾナ時計、ネバダ時計があって1時間の時差がありました。かなりの標高のようで何度も耳が詰まってしまい、無理とに大あくびを何度も繰り返しました。それにしてもこんな草木もあまり生えない山の中に青々とした湖が(コロラド川のブラック渓谷)広がっているのには吃驚!
此処からの道は少しづつ微妙に草木が減っていくような?それと比例して山肌が出てきて石や岩が多くなって来たように?感じました。
*カリフォルニアはほとんどが砂漠で街を作るのもまず水の確保、上下水道から草木を育てるスプリンクラーの設置までが完成してはじめて着工だそうで妹の住んでいる街もまだ35年と歴史は浅いそうです。ラスベガスに近づくにつれて山肌の露出が多くなり、2月末にサンフランシスコに行った(この時も車で)時は牛や馬、羊などが山全体に放牧されていましたが此方は動物の影は見当たりません。
若いころにTVでよく見た「ルート66」の標識、右折すればそっちだよ!ってーーー出ていたので窓から上半身をだして思わずパチリ!それにゴーストタウン(Ghost Town Road)誰が名付けたのか何かもの寂しい町を過ぎて一路ラスベガスへ。

今日からの2日間は「MGMグランド」に宿泊し、昼からはショウーを見たりホテルを見て周る予定〈それぞれのホテルが何かのテーマをもっています)私たちの泊まる「MGMグランド」は世界一広いホテルだと言われていて出発する時にパンフレットを渡されて”迷子にならないように”言われましたし、ホテル内でライオンを飼っています。正面ロビーには大きな金のライオンが私達を迎えてくれています。建物や備品にはライオンの絵柄をふんだんに使っています。
有名な所では「ベネチアン」はイタリアのベニスをイメージしていますし「ルクソール」はピラミットやスフインクスなどエジプトをイメージしています。
明日は9時出発で「グランドキャニオン」に行き明後日〈月曜日〉は義弟に仕事が入っているので午前中は義弟抜きで見物、合流して昼食をとり岐路に着く予定。夜はカジノでスロットやポーカー。
まずは昼食、パリス(ホテル)の「ル ビレッジ バフェ」でバイキング(一人$35ドルぐらいだったでしょうか?行く前から着いたら此処で食べようー!とずーっと言っていたので有名なお店だと思います)品数も多くデザートも充実していていく種類も取り揃えられていましたし、とても美味しかったです。
食後は「ベネチアン」へ!その日は結婚式が行われていて神父様と数人の友人、沢山の観光客の行きかう中での事です。チョッと太った少し年配のカップルはとても幸せそうでした。

赤いネッカチーフを巻いてゴンドラを操り、すきとおる声で歌っている。TVで観た事のある風景です。男の人だけかと思っていましたが女の人も舟を操っていい声で歌っていました。
外に出て人の流れについてブラブラ!沢山の人、人、人!
ニューヨークではペットボトルを持ったり首からぶら下げたりしている人は沢山見かけましたが此処ではウイスキーか何かのカクテルのようなお酒をグラスに注いだまま持って歩いている人に沢山出会いました。
道下に目を落とすと飲み終わったグラスが無造作に縁石の上や道路わきに置いてあったりしてーーー。何か凄い街だなーと思いつつ次はルクソールのピラミットを観に!

入り口を入るとアメリカではなく、ここは紛れもなくエジプト!
模写している物だと思うのですがーーー?いやいやー本物に違いない!と思えるほどの物がいっぱい! うあー 凄いなー! うあーって、足の痛いのも忘れて見て回りました。
いよいよ明日はグランドキャニオンです。       2006,4,23


グランドキャニオン(4)

:すぐに続きを書こうと思っている間に6月になってしまいました。事務員さんを頼まれている小さな会社は貧乏なのに忙しいし、株は村上さんとアメリカの株安で塩漬け状態だしロスアンゼルスに居た2ヶ月間は野菜がとても美味しかったので血糖値も安定していてとても健康だったのにー。
帰ったとたん(美味しい物が多いのか)血糖値が上がり始めて又、食事制限でカロリー計算したり何か?忙しくてーーー6月に入り込んでしまいました。今日は真面目にPCに向かってます。
日曜日、朝8時「グランドキャニオン」に向かって出発。

:一歩「ラスベガス」を出ると石とサボテンの道がまたまた続きます。
あまり替わり映えのしない道を進んで行くと少しづつ下草が増えてきて放牧とまでは行かないが牛やひつじの姿や見えてきました。
木々も増えてきて目を凝らすと奥の方にはまだ雪が残っています。3時間以上走ったでしょうか、この道を折れて真直ぐ行くと急に目の前が開けて「グランドキャニオン」が見えてくる!と言われて1時間、遊覧の飛行場などを通りすぎてやっとゲートに着きました。日曜日の精か毎日こうなのか、ゲートは凄い車の列で説明や注意を受けて代金を支払って駐車場に着いたのがお昼でした。

「遠かったー」とか「しんどいー」なんて言葉は何処かへ飛んでいってしまって「凄いなー自然の力って!」声が出ないって本当に有るんですよ!ほんのチョッと場所を移すともうー 風景が違ってみえました。とても広くてお昼ご飯を食べに車で出かけましたら(食事はもうひとつでした)何両も引いた汽車?が停車している駅がありまして対面にホテル(日本に居た時に筑紫キャスターが「グランドキャニオンの上にホテルがあるんだが他に泊まらずにそのホテルに泊まるといいよ!夕日は勿論だけど朝、起きて上がってくる朝日を見ると何て美しいんだろうー」と)を見て此処なんだなー言ってたのはーって、想像するまでも無く言っていた事が目に浮かびました。散策して資料館に行って(此処は雪がかなりかき上げられていました)あまり空と岩場のコントラストが美しかったので思わず絵葉書を買ってしまいました。
夕方近くまでうろうろしてラスベガスのホテルへ。
同じ時間を車に乗って暗くなった道路を下ってくると一面、光に包まれた街が開けます。
眩しいくらいの赤や青の光で宇宙の果てから見てもこの明るさははっきりと見える事でしょう。
夜はギャンブル?とはほど遠い程のささやかな額を楽しみながら「眠らない街」なんて言葉がありますが、それが此処なんだなーって思いました。途中、大きな人2人に両脇を抱えられて引きずって連れて行かれる人も見ました。何をしたのか知りませんが「楽しいだけじゃあー無い街なんだ」って思わず素に戻ってしまいました。      2006,6,17

次は、サンフランシスコに連れて行ってもらった時の事を書きます。



サンフランシスコ(5)

* なかなか続きが書けないので、言い訳を-----。
まず、体調が悪かったことが1つ。 次に、前にも言いましたがちつちゃな会社の事務員さんみたいな事をしているのですが(オール電化と太陽光の設置を生業にしている会社です)家計簿のつけ方ぐらいしか知らないので何だか経理ってーーー難しくて。
なんて、グズグズしている間に雨ばっかり良く降るなー  ロスアンゼルスは良かったなー湿気が無いのでジメジメしていなくて汗なんか少しも出ないし!ーーーって言っていたら梅雨になり、そのまま例年に無く暑い夏に突入!
夏休みに入るともうー駄目です。朝から晩までお掃除と洗濯、料理、それに宿題!
孫は4人、学校を卒業してから ずーっと勤めていたし、気楽に暮らしてもいたので昨年、長女一家と暮らすようになって初めて主婦デビューしたばっかりだったしー。
なので一日の時間の割り振りが下手で、4人の孫の世話で明け暮れていました。
これ、いい訳ですが本音です。
2学期が始まって今、やっとホットしています。もうーロスアンゼルスの事が遠い思い出になってしまいましたので又、気が向いたら書いてみます。    2006.9.10


 ただ今ー!帰りました。 (1) 

::4月の3日に帰ってきました。
 2ヶ月も行っていたのでさぞや時差ボケで1週間は夜昼、反対になって
(日本から行った時は5日ほどで直りました)困るなーと思っていたのですが
留守中の事務処理が(小さな会社の事務を頼まれていて)山積みでボケてる
暇が無くて2週間もかかりました。
            やっと、PCに向かう時間が出来ました。
::ロスアンゼルスの中心から車で30分ほど郊外の「Sierra]と言う町でまだ出来て35年程の若いけれど計画された治安の良い町です。
まず驚いたのは ロス空港に着いた時に「空港内で不審物が発見されましたので機内で待機して下さい。」と放送があり、待つこと1時間。
OK!が出て人の流れに沿ってノロノロ(本当にノロノロで、待機している間に何機もの飛行機が到着したようですごい人数で、背の低い私なんぞは埋もれて 大袈裟に言えば息苦しいほどでした。
どんなに沢山の人が居ても「指紋、顔写真」を取りましたので凄く遅れてしまって、迎えに来てくれていた姪は「もしかして、飛行機に乗り遅れて来ていないのではないか?」思ったんだそうです。

::姪の顔を見たのと、迎えの車に乗り込んだ事でホット!して「とうとう来たんだー 遠かったーって(行く時は9時間30分、帰る時は11時間弱=気流の精だと言われました。)
所が走り出してーーー何か変! 車は時速80キロが普通だそうで「何をそんなに急いで何処へ行くのーって感じで、4車線ほどある道路を右へ行ったり左へ行ったり2月の始めなのに(冬だそうですが)ブーゲンビリアの鮮やかな花の咲いた生垣、オレンジやレモンがいっぱいに実を付けている側に桃や桜の花が咲いているし、山茶花と椿、その足元には水仙、コスモス、ベコニア、パンジーにカラー 兎に角、日本に咲く四季とりどりの花が一度に一緒に咲いていました。
道行人はコートを着ている人、長袖のTシャツの人に半袖やノースリーブの人、ジャンバーの人と色々。車の中はウッスラト汗ばむ暑さ(私は冬支度)朝夕は寒くて暖房しなければならないそうですが昼間は暖かくて半袖シャツで丁度いいそうです。
湿気が無いのでカラット!しているので、真夏でも木陰に入れば涼しくて風が通り過ごしやすいんだそうです。「来週の日曜日はスキーに行こうよね! そして明日の昼はプール(戸外)に行くよ! 水着、持ってきた?」-----だって!  2006,4,16  つづく 

 (2)
前の所は(ニューヨークに12年ほど住んでいて、昨年の8月に此処〈カリフォルニア〉に引っ越して来て始めての冬だそうです。〉此処は雪は山だけで冬らしくなくて、妹や姪達は「何か変ん!ニューヨークは 2月と言うと吹雪の日が多く雪が積もって外にも出にくくかったのだけど、冬が来たー」ってーーー。
「冬だけの楽しみがあったのにー」って!私には此方の方が暖かくて良いなー
此処に滞在している間は、近くのモールへの買い物などはいくら車でウロウロしてもOK!ですが、遠出は駄目! 車のスピードがあまりに速いのと道が解らない事と、事故に巻き込まれてもいけないので 義弟の運転で土、日曜日しか出かけて行ってはいけない事ともうひとつの方法は、義弟の出張の時に付いて行ける!って事が決まりました。
早速、日曜日に日帰りで3時間弱の道のりでスキー場に行きました。雪は少なかったのですが沢山の人手で驚きました。道々崩れかかっている所がいくつもありましたが手を加えて補修している風にも見えませんでした。1つ「凄いなー」と思った事は、来る道の山々は、石や丈の短い草とサボテンでしたが雪山に近ずくにつれ木々〈葉丈の長い、柔らかそうな松の木?)が多くなり、よーく目を凝らして見ると電信柱や電波塔に葉っぱを付けて、木とそっくりに作り、立ててあったのは驚きました。
しっかりと自然に溶け込ませていて、よくよく見なければ解りません。
水曜日はこのあたり(全ての集落?《100軒以上》=ビレッジ?はコンクリートやレンガなどの塀や生垣、木々などで囲われている)の地域は通称「タートル・ロック」と言う所で公園やプールがあり、そこに昼間行ってきました。勿論、戸外です。

全ての家がこのプールの鍵を持っていて好きな時に入るようです。
冬ですから温水で、寒くも暑くも無く丁度いい温度で清潔にお掃除が行き届き、ジャグジーもあって、濡れたまま外に居てもポカポカして昼間は初夏のようでした。

*ちなみに此処から「ディズニーランド」までは車で30分、「ハワイ」までは飛行機で4時間30分(家から10分ぐらいの所に飛行場が2箇所もあり、いつ空を見上げても飛行機雲があって、皆は新幹線に乗るような感覚で飛行機を利用しています。
近くに電車(駅)は無く離れた所に線路があるのですが長距離の列車や貨物が走っているだけでニューヨークのように地下鉄に乗ってチョッと買い物!って言う訳には行かないので車が無いと不便です。バスは有るのですが慣れない者には何処へ行くのか地名や場所の名前などがきっちりと解っていないと出掛けられません。

*サンディエゴで空母ミッドウェイやアシカを見た事、サンフランシスコでゴールデン・ゲート・ブリッジやアルカトラス島、ビクトリア ハウス、ラスベガスからグランドキャ二オンへなど、又書きます。  2006,4,20 つづく


 

=2月4日に出発!=

* 昨年の9月末に退院してから「毎日の食事と運動だけが健康に生活出来る唯一の
要である。」との結論でーーー日々、3食分のカロリーを計算して記帳、血圧と体重も測りこれも記帳する。
運動量が(運動が嫌いであまりしないので)足りないので万歩計を付けて1万歩
をめざしてウロウロしても、せいぜい7,000歩!
ウロウロせずに普通に過ごすと4,000歩止まり!
食事もチョッと油断すると1,600Kcalや1,800Kcalを軽く超えてしまう
真面目に1、400Kcalをキープして何日も暮らしているかと思うと、無性に
甘いもが食べたくなったり、どか食い をしたくなったり、1日中食べ物の事
ばかり考えている

お正月も無事に(特に、大好きな「おもち」との戦い!)通過ー!ーーーっ
思っていたら、何か胃が大きくなったみたいで少々食べても満足しなくなって、
早く少食になれて胃を小さくしなければーーー。

* 昨年の8月にニューヨークからロサンジェルスに引っ越した妹が、この27日に
去年果たせなかった父親の墓参りに帰ってきます。
膝の痛みも後20%だし、「糖尿病」だって見ただけで大体何Kcalか解って
きているし、妹が帰る時に一緒に行ってきます。
H.I.S.で航空券も買えたので、2月4日に出発します。 2006.1.17

 

[[教育入院]]

*8月24日10:00時[教育入院]
1日4回(7:00、12:00、17:00の3回は食前30分、21:00は就寝時)血糖値検査
数値が70〜150までは正常。
70以下の時は「ブドウ糖を10g」、150以上はインスリン注射(ノボラピットを数値によって
1単位ずつ)を自分で打つ
1日の摂取カロリーは1,400カロリーだけど入院中だし痩せるために1,200カロリーにする
・標準体重の計算式  =身長(m)x身長(m)x22=(標準体重)
・1日の必要エネルギー=標準体重(Kg)x身体活動量=必要エネルギー
・身体活動量の目安 =[25〜30]軽い作業(事務職、主婦、サラリーマンなど)
           [30〜35]普通(立ち仕事、看護師、調理師など)
           [35〜  ]重い作業(農作業、漁師、建設作業者など)
・1単位=80カロリー(私の場合は1日の摂取カロリーを1,200カロリーとするため)
・(1,200カロリー)割80キロカロリー=15単位(食品交換表で分類する)

*朝、6時の起床から21:00時の就寝まで「糖尿病」の勉強と付き合い方や合併症、
血糖値の計り方と注射の打ち方、カロリーの計算の仕方と献立の立て方など
其の合間を縫って膝のリハビリーーーと、とても忙しい入院でした。
アッと言う間に1ヶ月が終わって「血糖値」も「100」以内に戻り、
体重も7kg減量出来ましたので退院後が勝負でしょうか?
美味しいものがいっぱいあるので食欲の誘惑に負けないでカロリー計算を
しっかりして「糖尿病」と付き合っていくしかないなー。
こんな病気になるのなら(贅沢病なんて言うけど違うと思うなーどちらかと言うと
貧乏病の方があたっていると思う)もっと美味しいものを食べておくんだったなー
9月24日(土)退院しました。  2005.9.28

 

想い通りにいかないよー!

:4月に入り思いのままに朝寝坊をして「何だか仕事に行かないっていいなー!」
そうー思ったのは2週間ばかり、左膝が痛いため正座は勿論のこと、歩く事すら
出来なくなってしまって毎日、毎日リハビリ!
根気強く頑張って、頑張って!痛みは完全には取れないが何とか杖を突いて歩けるようになって、
やれやれって思っていたら今度は高熱で(30分ほどの間に平熱から41度まで
熱が上がるため悪寒が走り震えが止まらない)救急車で7月14日入院!
何の熱か解らず解熱剤を入れても3時間しか効かないので時間が迫ってくると怖くて怖くて
あの震えが又始まるーーーって

結局、病名は「腎盂腎炎」7月23日退院
入院中に調べた血液検査で「血糖値」が異常に高かったので再度血液を採取、検査
をしたが、やはり「血糖値」は[406]有りました。
医者は「僕の知っている患者の中では上から5番目に数値の高い立派な糖尿病患者です。」
かかれば一生付き合っていかなくてはならない病気で有り、直ることは無い!
ゆえに「糖尿病がどんな病気か?放って置くとどんな余病を併発するか?
如何して一生、付き合っていくか?」それと、体重を減らす事!などなどーー
そのために1ヶ月後の「教育入院」となりました。2005.7.28

やっとフリーになりました

* 2005年3月31日待ちに待った完全退職。
何十年も決った時間に起き、バタバタと出かけ 渋滞の中、車を走らせる。
 明日からは起きたい時に起き、食べたい時に食べる。
 どうしようもないほどだらしなく気ままに、いい加減にしばらく生きてみたい。
飽きたら息子の所で孫と数週間、気候のいい時だけ四国八十八ヶ所を
ぶらぶらと歩いて廻ってもみたいし、8月末の父の1周期に妹が帰るので
その帰り、一緒にニューヨークに一緒に行って3ヶ月ばかりーーー
などなどと思っていたのですがーただ今、左膝が痛くて歩行困難となり
医者(リハビリ)通い。本当に思いと通りにはならないですねー。
                            2005.4.10

再就職をして

*3月31日で退職
*4月1日付で再就職(半年ごとの契約制で2年間)
「あれもしょう!これもしてみたい!」と思っていたのですが後2年間、
おあずけです。
仕事の方は、1日の流れがまだ判らないので「チョツト!」疲れ気味。
タバコを止めてから少し太りぎみなので丁度いいかな?2001.4.27


*現在2003.6.15ですが、まだ勤めています。
2003.3に「もう2年、勤める気持ちはありますか?」と総務から電話があり
2005.3.31まで勤める事にしました。 2003.6.15

家作り計画...大失敗!!

**かねてから思い抱いていた「  」への第一歩として老後を空気や水の美味しい
所で小鳥の声で目覚め夕焼けを眺めながら自家製の「ハーブ紅茶」を飲み
陽の入りと一緒に眠る。
野菜を作ったり花を育てたり、土いじりをしながら好きな絵を描いたり
レース編みをしたりーーー!
**息子が田舎に60坪ばかりの土地を買ってくれましたのでその日々のために
小さな家をーーーと
**勤めの帰りに目に入ってきました「1坪=26,7万円」これが失望への始まり
でした。               2001.8.10

**とうとうこの地に居を構えることを断念しました。
 諦めるのに長い事かかりましたが又、一から計画を練り直して念願の田舎暮らしに
向けて頑張りす。 2004.6.20

やっと恋人に会えました

*四条畷に住む息子の誘いで29日夕方に加古川を出発、天満宮駅下車
近くの料理店で『貝ずくし会席』をご馳走になりました。
*あくる30日(土)車で出発!1時間程で『興福寺』に到着しました。
ここまで来てやっと判りました。
「恋人に会わせてくれるんだ!」って
子供達が小さかった頃から逢いたいなーって言っていたのを思い出してくれたのかな  違っていました「はずれ」です。
子供達の配慮では無かったのです。
以前、お嫁さんと話をしていた時に「お母さんは随分と以前から(阿修羅)に
逢いたいと思っていたのだけれど近いのに何だか行く機会が無くて未だに逢えないでいるの!
それに(イースター島のモアイにも逢いたいんだ!)って子供達に言うと
小さかった頃は「俺達が大きくなったらモアイに逢わせてやるから」って
言ってくれてたんだけれどーーー
最近は「もし連れて行けなかって、お袋が死んでしまったらモアイの頭の上に
灰を蒔いてあげるから」って言うのよ!」って話たことがありました。
その話を覚えていてくれたお嫁さんの提案で今回の招待となったようです。
(阿修羅)の悲しそうにも、怒っているようにも見える姿に逢はせてもらって
何年もの 想いがかなって子供達からの退職祝いを有り難く感謝しました。
ただ1つ、足を延ばして「東大寺」にも行って来ましたが、とても足が重くて汗だくでした。
外国人が多く韓国から修学旅行に来ていました。
どの人もいくらかはうっすらと汗もかいていましたし、ちょつと疲れた風も見えましたが私程では無いようでした。
だめ押しに出来上がった写真を見て大ショック!メッチャ太ってるー!
ーーーと言う訳で本気で今度はダイエット!します。      2001.7.1

ちゃあちゃんの禁煙法


*壁紙を変えてやれやれ!って思ったら
以前書き込んでいたものが全部消えてしまいましたのでもう一度書いてみます。

*禁煙挑戦回数      7回
*喫煙年数        28年
*1日の喫煙本数    40本
*最長禁煙日数     90日(約3ヶ月)
*最小禁煙日数     4日
*最後の喫煙日     2000年7月
*現在までの禁煙日数  7年1ヶ月禁煙(2007年8月15日でーーー )長かったよう にも
 思うし、あっと言うまだったようにも思います。

** 今までは、ただひたすら吸わずに我慢するだけの禁煙方法でした。
長く止め続け るには血液中から   ニコチンが無くなれば良い訳だから
(ニコチンが無くなるのに2週間ぐらい)
**今までとは違う禁煙の仕方で吸わない我慢するのを止める事
**肺に煙を入れず口の中だけで吐き出せばOK!
そう考えていけばとても簡単に止められそうに思えてきました。
 タバコは吸ってもいいのです。肺にさえ入れなければーーーと。             2007.8.6

***あと1年で10年なりますので此処へのカウントの書き込みは10年で終わりに
したいと思っています。
今は漂ってくる煙が喉を痛くし、そーっとその場を離れます。
かっては私もこんな嫌な思いを人にさせていたのだなーと思うこの頃です。
同い年の友人が「この年になるともうー止められないわ!
何かをするのはやっぱり!若い内やなー」って!
今年で69才になり早い時期によく止める気になったものだと思っています。 2010.3.18

* 1日目
    朝起きて、まず1本
 この習慣を壊すことは容易な事ではありません。
 肺に入れなければいい訳ですからタバコに火を点けて一服吸います
(勿論、煙は決して肺には入れず)口の中だけで吐きます
* 2日目から
  5日目までは、たいして吸いたいとも思わず
1日2本ばかり(ふかすだけ)
*1週間たつと今度は吸いたくて吸いたくて、肺に入れない事にイライラして きました。1本の内の1口を少し肺に入れる。
たったそれだけの事でイライラが納まった。
*10日目煙を心ゆくまで肺に入れたい気持はあるけれどイライラは無く、
空吹かしだけで納得!(今日は1本だけ)
*14日目(2週間)空吹かしも無く、吸っている人の煙に誘われはするが
欲しいとは思わない。
*30日目(1ヶ月)10日目以降タバコは口にしていない。煙の臭いがクサク感じる。
*今まで「タバコ吸ったからってお酒のように暴れるわけけじゃ無し、迷惑なんて掛けてないわ!」って思っていましたが、こんなに嫌な臭いを撒き散らしていたんだと反省しきりです!
*変化が3つ
(1)タバコを吸っている時は、コーヒーをブラックで1日5杯は飲んでいました。
今は、コーヒーは欲しく無くなり紅茶を飲むようになりました。
(2)体重が徐々に増えてきています。
(3)友人達と喫茶店に行っても手持ち無沙汰で、時間を持て余すようになり レストランや、喫茶店などに今の所あまり行かなくなりました。
*今日までの所、タバコは止め続けていまーーーーーーー す。 2001.3.15



*初めての「フリーマーケット」出店!

*加古川市主催で4月29日(日)日岡山公園でフラワーフェスティバルが開かれ「フリマ」の出店が当たりました。
準備にたっぷり時間をかけて当日をむかえました。
11時開始なので9時に現地到着。人、人の山で車を止める所も無いし
もうお店を出して売ったり、買ったりしています。気持はあせるけど
決められた場所には行かれず、何もしないのに汗ダクダク!
やっとの思いでお店を出し「いらっしゃいー!」っていったら凄い
人垣で品物はグジャグジャ!になるし、もーう大変だった!
でも!ハマッテシマイマシタ!!楽しかった!   2001.4.30