教員採用試験〜合格までの道のり〜




最初の挑戦


大学二年の冬、東京アカデミー主催による模擬テストが行われた。
その頃の私は、取り立てて教員採用試験(以下、教採とする)の勉強などしていなかったが、
その模擬テストが無料だったこともあり、受講することにした。

模擬テストの内容は、教職教養、一般教養、そして論作文だった。
選択問題ばかりだったので、当然、解答欄は全て埋めることができ、
多少の達成感と満足感を持って、試験を終えた。

しかし・・・結果は酷いものだった。
教職教養と一般教養が平均を下回ったことはもちろん、
論作文では、題目の内容を根本的に履き違え、
評価の対象にすらならなかった。
「視野」という題目を与えられた場合、
教育に携わっていこうとする者ならば、まず第一に、
子どもたちに対する視野、教員としての視野を思い浮かべるべきだろう。
だが、私が書いた内容は、生物の物理的な視野についてだった。





先送りの日々


模擬試験での反省から、出身県の過去問を取り扱った問題集を購入した。
過去数年の出題傾向などを一通り読み終えた後、問題に取り掛かった。
しかし、如何せん教採の勉強をしていなかったため、
ほぼ全ての問題に躓き、足踏み状態が続いた。

数日後、私は教採の勉強を止め、六月の教育実習に標準を向けて勉強を始めた。
いい授業をするためだと・・・

もっともらしい理由を自分に言い聞かせることで、私は逃げた。





先送りの日々


大学三年の七月、教育実習を終えた私は、教師を目指すことに迷いを感じていた。
理由は教育実習で、一度も納得の行く授業ができなかったためである。
自分は教師に向いていないかもしれない・・・
頭の中は、ずっとその繰り返しだった。

そんな時、また、逃げ道が見つかった。

大学の近隣で行われていた博覧祭に、生物科の一員として、参加することになったのだ。
私は、ここぞとばかりに取り組んだ、
教採のことなんて考える余裕がないほどに。

忙しい状況に自分を追い込むことで、私は考えることを止めた。


そして、博覧祭への出展も終わり、しばらくはバイト漬けの毎日を送った。
さらに、十月には九州地区生物科教育学会での発表が決まり、
それから一ヶ月はそれに没頭した。


長いながい現実逃避を経て、私はとりあえず勉強をしようという決心をした。
試験直前になって教師になりたいと思ったときに、手遅れにならないように。





努力と怠惰


大学三年の十一月、私は教採の勉強を本格的に始めた。
まず取り組んだのは、小学校全科だった。
二日で一教科を目安に、一ヶ月足らずで一通りの勉強が終わった。

次に取り組んだのは学習指導要領についてだった。
これは小学校全科と重なる内容が多かったため、
半月ほどで一通りの勉強を終えた。 → 日記を読む

次に取り組んだのは教職教養についてだった。
当初の予定では、一月末には一通りの学習を終えるはずだったが、
実際にはそうはいかなかった。 → 日記を読む

そして、そうこうしているうちに、私はまた、勉強をしなくなった。
研究室の先生の働き掛けで、一般の小学校で出張授業をすることになったのだ。
言い訳にするには十分すぎる展開だった。





先送りの日々


出張授業は自分的に散々な内容だった。
多くの人からの支えがあったにもかかわらず、
どうしても納得のいく授業ができない自分が腹立たしく、情けなく、
教師を目指すのを止めようと本気で考えた。

でも、私にはそんなことをする勇気はなかった。
今だから思う、臆病者でよかった。


出張授業を終えても、手の休まる日はなかった。
まず一つ目に、出張授業の報告書作成、
二つ目に、卒業論文の計画立てと調査、
三つ目に、中学校への教育実習の準備
その頃の私にとっては、どれも大変な活動であり、
とても自分のことを考える余裕はなかった。

そして六月の教育実習を迎えるまで、結局教採の勉強をすることはなかった。





人生の転機


当初の不安を裏切り、
中学校での教育実習はとても有意義なものだった。
私は授業をすることがずっと怖くて仕方が無かった。
しかし、その教育実習の中で、初めて、納得のいく授業ができたことで、
考え方がガラリと変わった。
『中学校の理科ならば、自分にも授業ができる。』
私の中に、小さくも確かな自信が生まれた。

教採の約一ヶ月前、教育実習の最後の挨拶、
自分に光を与えてくれた生徒たちに感謝の意を込めて、
中学校の先生を目指すことを告げた。





悪足掻き


教育実習が終わり、教採の勉強を再開した。
再開といっても、元々小学校の教採を受ける予定だったため、
ほぼ振り出しに戻った状態から、始めるようなものだった。

最初の2週間は、教職教養を勉強した。
教育法規以外の内容については、以前に勉強したことがあったため、
購入した問題集の内容については、ほぼ全て抑えることができた。

残りの2週間は、専門教養の理科を勉強した。
普通ならば、全く時間は足りない。
しかし、高校三年の時、公務員試験を受けるために、
物理・化学・生物・地学の全範囲を独学で勉強していたこともあり、
暗記系の内容を除けば、ほぼ全ての内容を抑えることができた。

一般教養については、範囲が広く、限りある時間の中で、
確実に効果を上げることは難しいと考えられるため、
取り立てて勉強をすることはなかった。

一ヶ月前での突然の進路変更、受かる自信など更々なかったが、
その時の自分にできることは、全てやった。・・・つもりである。





一次予選(前半)


試験会場には、たくさんの受験者が犇めいていた。
会場の手前で、某教育通信社から受け取ったビラの片隅に、
数問の予想問題が載っていた。
問題を読む。見た覚えが無い。むろん解けない。
私は、十分ぐらいかけて、その問題を頭に叩き込んだ。

試験開始、まず、教職教養と一般教養が行われた。
記述問題だと聞いていたが、実際は選択問題が多く、
思っていたよりも簡単に感じた。
もちろん、全く分からない問題もあった。
しかし、少ない勉強量で作り上げた実力、
やれることはすべてやったと開き直るしかなかった。

次に、専門教養が行われた。
専門教養は大きく八つの内容に分けられており、
始めに学習指導要領などに関する問題があり、
残りが物・化・生・地に関する問題だった。
内容の二つ目に、生物の進化について、記述形式で答える問題があった。
私はここで躓いてしまった。
途中の問題を飛ばしていたことで、解答欄がほぼ全てずれていた。
急いで解答欄を修正したが、気持ちが動揺してしまったのだろう、
続く問題を一つも解けないまま、ただただ問題用紙のページを捲っていった。

最後のページを開いたとき、やっと正気に返った。
その後は、まさに死に物狂いだった。
額に汗を滲ませるほど、ガツガツと問題を読み解いていった。
気が付いたときには終了の合図。
余裕など微塵もなかった。
しかし、解答用紙には、八割以上の問題が答えられていた。





一次予選(後半)


昼休みを挟んで、集団討論が始まった。
教職教養と専門教養でいっぱいいっぱいだった一ヶ月、
もちろん集団討論の準備など何もしていなかった。

私は、願書の提出が遅かったため、集団討論は一番最後だった。
そのため、会場で知り合った人に一冊の本を貸してもらい、
待ち時間を使って、集団討論の要点・注意点を頭に叩き込んだ。
そして、幾つかの予想される題目について、
自分なりの意見をまとめた。

さらに、自分と一緒に集団討論を行う人たちと、積極的に話をした。
集団討論の経験無し、準備はずさん、
そんな私のささやかな抵抗は、
本番で少しでも自分が話しやすい環境を作ることだった。

集団討論に入る二十分前、題目が与えられた。
題目は『習熟度別授業をどう考えるか』だった。
予想してはいなかったが、比較的取っ付き易い題目で安堵した。

そして集団討論が始まった。
健闘むなしく、私は緊張状態に陥っていた。
声が震える。
考え易い題目だけに、皆が考える内容も酷似していた。
『このままでは、評価の対象になりえない。』
そう思った私は、安易に発言せず、必死で周りの討論に耳を傾けた。
そうしているうちに、私はもっともらしい意見の応酬によって、
話の視野が狭くなっていることに気付いた。
私はここぞというタイミングで、
『教育活動全体から見た習熟度別授業』という考え方を提案した。
このような思考ができたのは、
曲がりなりにも、学習指導要領の内容を捉えていた賜物だろう。


すべての試験を終え、一人帰る家路、

『今の自分にできることは全てやった。
 今年落ちたとしても、来年までにもっと勉強してこよう。』

何もかもがうまくいったわけではなかったが、私は満足していた。





一次予選(結果)


八月末、教採一次試験の結果がでた。
郵便書留で郵送されてきたのだが、ちょうど外出中だったため、
受取人不在で発表よりも数日遅れての確認となった。

合格

正直、うれしかった。
倍率は案外低かったし、試験内容にも満足はしていたが、
まさか受かるなんて夢にも思ってもいなかった。
私はうれしさで舞い上がっていた。
そして、興奮が冷めてきた頃に、ふと気付く。
やばい・・・

そう、一次試験を受かるなんて夢にも思っていなかった。
私は二次試験の準備なんて・・・何もしていなかった。





二次予選(前半)


一次試験同様、短期集中の悪足掻きを終えて迎えた試験当日、
開場一時間前にも関わらず、試験会場には10人程度の人が集まっていた。
その中には、一次試験の時に集団討論の本を貸してれた人もおり、
共に一次試験合格を称え合った。

最初の試験は論作文、題目は“生きる力”に関連するものだった。
これまでに、何度となく考えてきただけに、
内容には事欠かなかった。
しかし、なかなか書き出しがうまくいかない。
(このHPを見ていて、気付いている方もいるかも知れない…
そう、私は文章を書くことが得意な方ではない。)
70分900文字の論作文、残り30分の時点で、
私はまだ半分しか書いていなかった。
『まただ…、丁寧に推敲することはできそうにもない。』
必死の頑張りでなんとか書き上げたが、
出だしからこれでは、先が思いやられる。

次に、模擬授業があった。
題目について考える時間は十分に与えられたが、如何せん経験がない。
講師経験者も多数いることを考えれば、
ここで話す内容に差が付くことはどうしようもないことだろう。
こんな分かりきっていることで悩む必要はない。
思い付く限りの言葉を並べ、
緊張で震える手を抑え付け、
とにかく大きな声で話した。

引き続き面接があった。
練習はもちろんやっていなかった。
しかし、自信はあった。
曲がりなりにも精一杯学業に励み、
一学生として教育に触れ、悩み、考えてきたつもりである。
面接は、そうして創りあげてきた自分の考えを有りのままに出すだけでいい、
それが教員として望まれるものであれば、面接官の目に留まり、
そうでなければ、落とされる。
それだけである。





二次予選(後半)


試験科目も残り二つ、いよいよ大詰めである。

まず、適性検査が行われた。
クレペリンと、質問紙法による検査だったが、
普段パソコンばかり打っているためか、
クレペリン検査で手が攣りそうになった。
情けないことである。

次にパソコン技能の試験が行われた。
日頃からパソコンを使ってデータ処理をしていれば、
ワードとエクセルの基本など、問題にもならない。
終了20分前、早々と試験を終え、会場を出た。

試験会場を出たところで、講師をしているらしい女性が、
勤務先の校長先生に報告の電話を入れていた。
次の日から、早速授業があるようだ。
試験が終った開放感でしばらくのんびりしようなどと
思っていた自分が恥ずかしくなった。
こんな自分でも、来年からは、
日々責任を持って生活しなければならないのだと感じた。





二次予選(結果)


十月上旬、ついに二次試験の結果が発表された。

合格

普通なら飛び上がって喜ぶべきところだろうが、
私はその頃、卒業研究に忙殺されていて、
そんな余裕はなかった。
私は生物科に所属しており、昆虫について研究していたが、
土日も休まず研究室に来るものの、終わりが見えなかった。
研究室の先生にも、「○○の卒論は終らんな。」と言われていた。
もし卒業できなければ、合格なんて無意味。
私は、合格の喜びを噛み締めることもなく、
その後三ヶ月の間、卒論に没頭した。


そして、無事卒業研究を終え、卒業が決まった今、
『頑張ってよかったな』、
と、素直に思える自分がいる。