今年2017年は政宗さま生誕450年。仙台、盛り上がってますね!我が家は、偶然にも伊達ブーム。昔の大河ドラマに、たまたま見たアニメ戦国BASARAシリーズ(ゲームはしないので、分からないのですが)にと伊達三昧。と、伊達関連の本を読み漁ってみたりもしています。戦国大名から、江戸期の大名へ変わりゆく姿が魅力。 で、政宗さまが朝鮮の役の降り持ち帰った「梅」「王羲之の孝経」に興味が湧いた訳です。私は趣味で書道をやるのと、やはり歴史好き。古い物のいわれだの、伝来だのが好き。気になり出すと、追求したくなるタチで。また政宗さま本人が、かなりの達筆なのでそのあたりも知りたい。 ネットで探してみると、台湾の華梵大學東方人文思想研究所助理教授の莊兵さんとおっしゃる方が、2010年に「日本見存《王羲之草書孝經》考察」(訳すると「日本に見られる《王羲之草書孝經》考察」)という論文を発表なさっておられる。「《御注孝經》的成立及其背景 ──以日本見存《王羲之草書孝經》為線索」(訳すると「《御注孝經》の成立およびその背景 ──日本見られる《王羲之草書孝經》の手がかり」)という論文も有る。幸いにもウェブ上で、読むことができる。私は簡体字が分からないが、台湾は繁体字!なんとか要点は分かったつもりだ。以下、莊兵さんの論文を参考。 そもそも「王羲之の草書孝経」は王羲之が、東晋の若き成帝の『孝経』の手習いの教材として写したものであった。唐宋時代は皇室図書館所蔵、のちに民間に流出。書画の名家たちの手を次々と渡り、明代前期頃、朝鮮に渡ったようだ。そして、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、伊達政宗公により日本に持ち込まれた。その後、歴代仙台藩主の宝となった。その間、四代藩主綱村公は二度、黄檗宗の即非如一、高泉性潡ら書画の名僧に鑑賞させ、題字と跋を作らせた。 ちなみに、現在は伊達家蔵品を原本とした、刻拓本を図書館で見ることができる。以上。 朝鮮出兵の折、朝鮮の宮殿で他家は宝物を物色、政宗さまと細川忠興さん二人ともに見識が高かった。で、書庫か何かで王羲之の「孝経」を発見。その価値の分かる二人、一つしか無いこの本が欲しくなる。しかし双方譲らないので、本を二つに裂いた。そして、伊達細川の両家に半分ずつ伝わった。 後に時代が下り。六代藩主伊達宗村さんの頃。延享四年(1747年)8月15日、江戸城内での刃傷事件・細川宗孝殺害事件が起こりました。人違いで、細川宗孝さんが斬られました。たまたま居合わせた仙台藩六代藩主の伊達宗村さんが、細川の藩士たちに指示して細川家は取り潰しを免れたそう。後日、細川家からお礼の品として、二つになっていた「孝経」の半分が、贈られたそう。私の読んだ本では、この「孝経」は双鉤塡墨(そうこうてんぼく)だった、と書いてあった。太宗皇帝があたりが、真筆は墓に持ち込んだのかもしれない。もし、真筆を双鉤塡墨にしたものであったなら???「昭和十年五月 伊達家蔵品展覧会出品 絵葉書 於斎藤報恩会博物館, 王義之筆孝経 政宗公朝鮮より齎来」を見る限りはなるほど、双鉤塡墨かもしれない。 小林紫山(治道)臨書のものは、昭和12年に刊行されており、題名に「王義之孝経」とある。仙台で刊行された拓のものを臨書したか、伊達家所蔵品を直接見て臨書したか。前者に違いないと思うのだが、美しい。 絵葉書のおかげで、昭和初期までは、伊達家に伝わっていたことも、分かる。問題はその後!仙台市博物館には所蔵されていない、とお答えいただいた。仙台空襲で焼けていなければ、、、。今も伊達家に伝わっているのでは?現存するなら、見たいなぁ。 メモ。政宗さまの書、気になる!どこの筆使ってたのかな。「十暑岷山葛」じゅつしょびざんのくず。は国立博物館にある。びざんで葛の衣を着て十回夏を過ごす?とは。遺品の中の一つ、墨は方于魯だそうで。十暑岷山葛の書より、書状や消息の字の方が好きだな。 即火中、火中。秘密だから、燃やせ?納得いく字じゃないから、捨ててくれ。字にこだわる政宗さま、その気持ち分かるなぁ。燃やしてね、捨ててね、とあるのに今も現存するのは何故??家臣たち、捨てたくなかったんだよね。存命中から、揮毫の依頼も受けていた政宗さまですから。