お盆の迎え火
 
 八月の一三日は迎え火を焚きます。亡くなった人があの世から帰ってくるので門口まで迎えにいく風習があります。なぜ近くの駅や空港でないのかというと、飛行機や電車で帰ってくるのではないからです。
 あの世は次元の違う世界で飛行機が空港の点滅信号で誘導されるようにお線香の火を目当てに時空を超えて飛来するのです埼玉県と長野県境に大滝村という村があります。今から三百年まえのことでした。その年は旱魃で山合いの小さな田んぼの稲も枯れてしまい、大きな山火事が起りました。その上疫病まではやり、事故や病気で亡くなった人が大勢でました可愛いさかりの子供を亡くしたり、恋人を亡くしたり、働き盛りの人も大勢亡くなりました。食べるものにも不自由しましたが、何よりの人々の嘆きは最愛の者を亡くしたことでした。せめてもう一度会いたい。そのためにはあの世までいってもいいと思う人が少なくありませんでした。村全体が沈んだ空気に包まれ、修理中の釣り橋はそのまま、切り倒した材木も放置されたままです。若い奥さんを亡くした寺小屋の先生は一日中ボンヤリしていました
 大滝村には五人の村長がいましたが、このままでは村は駄目になってしまうと心配し相談した結果村はずれの阿弥陀堂にお願いにいきました。
(阿弥陀様、一年に一度でよいから死んだ者に会わせてもらえませんか) 
阿弥陀様は申しました。(良かろう。ではお盆の三日だけ亡くなった人をあの世から返してあげよう。でもそれでよいのかな)
(それはもう、村の者がどんなに喜ぶことでしょう。仕事も手につかず毎日泣き暮している者達はそれを聞いて明日からどんなに元気ずけられるでしよう。お有難とうございます)
 その年のお盆には阿弥陀様の約束通り、迎え火を焚くと亡くなった方たちがあちこちに忽然と現われました。
 ちゃんと足もあってです。
「只今」といって帰ってきたのです。再会した人達はみんな手を取りあって涙にくれました元通りの家族で食卓を囲んで一時をあの世の楽しい話に耳を傾けました。夕方になると小学校やお寺の境内で開かれている盆踊りの会場は連れ立っていく人達でそれは賑やかなものでした。
(おや、昨年中風で亡くなった。本家のおばあちゃんでねえの、その後元気? )
(おさとちゃんかね、昨年の私の葬式にはいっぱい泣いてくれて有り難うね。一年見ねえうちにまた一段と器量良しになったのう。わしは中風が直ってほれこうして盆踊もできるよ)踊りの輪から外れて抱きあっている若いカップルは、昨年亡くなったおみねちゃんと与作みたいです。
(私のことは忘れてもうほかのひとと所帯もってもいいのだに)
(おらあ、そんなことできねえ)
 ふたりは一時でも離れたくないみたいでした。
お盆の三日間は何処の家でも、帰ってきた家族のためにそれぞれの家で出来るだけの持てなしをするのにおおわらわでした。今のように大型食品店はありませんでしたが、新鮮な野菜や山菜をとってきて御馳走をつくったのです。特にその季節に取れ始めるものは、そのひとがきてから一緒に食べようとしてとってありました。このような特別な機会つくってくれたのは五人の村長と阿弥陀様です。村の人達は村長と阿弥陀様に感謝しました。
 初めの二、三年は特に問題ありませんでした。もう会えないと諦めていた親しい人や恋人に再会して多くの人が狂喜し、またあの世の話を聞くことで悪事を働く人も少なくなりました。しかし、三年五年経つうちに問題が出初めました。どんなに愛しあっている恋人同志といっても、三日だけであの世へ帰ってしまい次のお盆までの三六二日間はいないのです。
(権助よ、言いにくことだがな。おつうはあの世へいったもんだ。いつまでもひとり身でくらすわけにはいかねえよ。おらもばあさまもだんだん年をとるで、野良仕事もだんだんきつくなるし、子供がいなければこの家は絶えてしまうでな。三年忌も済んだで隣村のおよねと身を固めてくれめいか)
という話や、嫌われ者だった鍛冶屋の八平じじいのように死んでくれてホッとしていた家もあります。八平はしゃばにいるときと変わらず小言ばかりで酒癖が悪くたとえ三日でも(村長もよけいなことをしてくれたもんよ。早く盆が過ぎねえかしら)
と家族中その間難儀をしているという話などでてきました。後添えを貰った田五作の家では先妻のおとらが後添えをいびるので今年は迎え火を焚かなかったんだとそういう話もでてきた。たった一年に三日ばかりでも逢えると思うと、もう嫁にいく気のなくなってしまった若い娘や、嫁を貰う気がなくなってしまい一生独身でいるのだという若者が出始めました。村の将来から考えてみると困ったことです。
先代の和尚さんのように、最初の年には出てきたものの
(一度死んだ者がでてくるのは良くない。わしゃむこうで般若湯でも飲んでおるので皆の衆によろしく)と自分から来ない者もでてきました。
 生前俳句や和歌など書いて死ぬまで目のでなかった酒屋の隠居も、帰る気はないがばあさんに渡してくれと何か書いたものを預けてきました。

人は桜の花でなし
一度散ったらさようなら
草葉の影などオレはいないよ
 
来てみれば
こんな素敵なとこはなし
酒はうまいし
ねえちゃんは奇麗だ
 
ここはもと
生れる前からいたところ
食うに困らず
死ぬこともなし
 
蜂が来て
刺されることはあるけれど
蓮の台で今日も一日
 
現世を
たまに覗いてみるけれど
相も変わらず
御苦労さん
 
死んでみれば
生きてる人の恐ろしく
暗い場所では出会いたくなし
 
輪廻転生  
次の台本覗いたよ
そんな配役拒否します
 
会ったみたら
釈迦も孔子もお友達
ゲ−トボ−ルで今日も過ごしぬ
 
いろいろと心残りはあるけれど
地球は遠い星の界
 
 相変わらず何だか分からない和歌だか、都都逸だか書いてありました。
(ひとつくらいマシなのがあったら石碑にでもするかね)
酒屋のばあさまが顔色を伺いながら言いました。生きているうち無理矢理読まされて迷惑をしていた人達です。あきれて誰も返事をしませんでした。
 その晩、ばあさまはじいさまが届けてくれた紙切れを(死んだあとまでわしに恥をかかしおってあのバカじじい)と丸めて風呂の炊き付けに使ってしまいました。
 迎え火を焚かれなかった人や、あまり歓迎されなくなった人はお盆の間行くところがなくなって柳の木の根方などにたむろし(恨めしい)と通る人に気味の悪い声で訴えたが、怖がれたり、嫌がれるだけのことでした。
(初めての年と違って、訳の分からんいろいろな問題がでてくるもんじゃのう)
 思案の結果、村の長老たちが五人集まり阿弥陀様にまたお願いしました。
(折角のご配慮でしたが、死んだもんはあの世にいったままでいいみてえだの。思い出だけでいいのではねえだろうか)
(やはりの)
阿弥陀様はうなずきました。
 それからはもうお盆にはいまのように本当に帰ってくる人はいなくなったんだと。