八百八町は逢魔が刻

第一章

 あくまでもそこはのどかだった。青く高い空、道の両側に広がる田んぼ。その街道を行く人も、急いでいる人はいてもそののどかさを壊すほどではなかった。

「お侍さま、どちらからいらしたんですか」
 街道ぞいにある小さな茶屋。えくぼの可愛い若い娘は、今自分の差し出したお茶をすする男に声を掛けた。
 彼はまだ二十代前半くらいで、長い髪を垂らしたままにしている。腰に刀を差しているので武士と分かるがどこかに仕える藩士のようではない。かと言って浪人にしてはこざっぱりとしたいい服装をしている。
「ああ、五年ほど長崎へ行ってきて、ようやく江戸に帰るところだ」
その答えに、娘は大きな目を輝かせて若侍に見入った。
「まあ長崎! やっぱり蘭学を?」
「そう、新しい医術は長崎でないと学べないからな」
 彼はまたお茶をすすった。二人に少しの沈黙が生まれる。遠くのほうから何か行列がやってくる音がする。「下にぃ下に」という掛け声がない事から大名行列ではないらしい。
「今夜は品川でお泊まりですか」
 ふと思い付いたように娘が尋ねた。彼は今度は団子を手にとった。
「いや、あのような所に泊まってもしょうがあるまい。このまま江戸まで行ってしまうよ。………馳走になった」
 彼は懐から財布を取り出し立ち上がろうとした。

 と、その時……

 十人位だった。覆面で顔を隠した男達が街道の脇から現れた。いかにも、という物々しい集団が刀を抜いて斬りつけていく先は、ちょうど茶屋の前にさしかかった先程の行列……

 道行く人は突然の出来事に驚いて遠ずさった。茶屋の娘はその場に立ち尽くしてしまっている。医者の若者はそんな娘を軽く押して店に入らせ自分は刀の袋をほどいていた。……何かあれば直ぐ助太刀――もちろん行列のほうだろう――に入れるように。

 賊の狙いは籠に乗っている人物だった。雇い物の中間である籠かきなどはとっくに逃げ、抵抗しようとしたものたちはすでに斬られてしまっている。籠はまったく無防備だった。しかし医者の若者はあえて飛び出そうとしなかった。彼は行列の襲撃のはるか向こうをじっと見つめている。
 男の一人が籠を突き刺した。しかしはっとして籠の戸を開ける。
「いないぞっ!」
 その声に首領らしき男が舌打ちした。
「くそっ、退け!」
 男達は散り散りに素早く走り去った。再び街道に静けさが戻る。……最もさっきまでとは質が違うが。
「お侍さま?」
 茶屋の娘が若者を見上げた。しかし彼は何も言わずじっと考え込んでいる。――籠に乗っていたのは自分と同じくらいの青年だった………

第二章

 如月道場。
 大川の側にあるその建物は、まだ朝も早いせいで静かだった。ここは主に浪人や役人の子供が通っている、あまり大きくない剣術道場だ。

 そこに訪れる人影。
「おーい、今帰ったぞー」
 すると奥からぱたぱたと人が現れた。髪を頭の上のほうで結いあげ、前髪をきっちり分けている少年だ。彼は裏口に立っている髪の長い青年を見ると走って飛び付いた。
「蛍志郎兄さん! おかえりっ。元気だった? 早かったね! 手紙だと明日か明後日に着くみたいなこと書いてたのに」
 青年は自分に張り付いた少年を引き剥がす。
「ああ、早く戻りたくてな、ずっと強行軍で来たんだ。それにしてもおまえもずいぶん大きくなったな、朝之助」
 少年は一瞬きょとんとした後、笑った。
「違うよ兄さん、おれは朝之助じゃない。夏之進だよ」
 今度は青年のほうがきょとんとする番だ。
「え? 夏之進? まさか、本当にあの夏なのか」
「うん………あーっ朝兄さん、蛍兄さんが帰ってきたよ」
 少年が奥に向かって声を掛ける。呼ばれて来た青年は前髪はすでに落としているが、無造作に頭の後で束ねているだけの髪型で、剣道着にうっすら汗をにじませている。
「そうかそうか、こっちが朝之助か。おまえも大きくなったよな」
「こっちがって、蛍志郎兄さん、俺と夏を間違えたのか」
手ぬぐいで額を拭きながら、可笑しそうに朝之助。
「そうだよ、おれは五年たったって蛍志郎兄さんのことすぐわかったのに兄さんはわからないんだもん」
 夏之進少年は、ぷーっとほほをふくらませた。そうすると、それまでよりもずっと幼く見える。
「あのなあ、俺くらいの人間の五年とおまえくらいの五年とでは成長の度合いが全然ちがうだろ。一緒にするんじゃない」
「おまえたち、何時までそんな戸口で話をしている。上がったらどうだ」
 そこへまた別の人間がやってきた。二十代後半ほどの、まだ若いが堂々とした雰囲気を持っている男だ。
「あ、兄上。ただいま帰りました」
「挨拶は良いから早く上がれ。奥で小笛がお茶を入れている」

 奥の座敷にはもうすでにお茶と菓子が準備されていた。前髪分けの少年と剣道着の青年は縁側、後の二人は座敷の机に座った。
「これでやっと兄弟が揃ったな」
 最後に現れた若者はこういうとふっと微笑んだ。彼は如月霜十郎(きさらぎ そうじゅうろう)。若くしてここ、如月道場の主である。
 長崎から帰ってきた総髪の青年は蛍志郎(けいしろう)。医者になるという夢をかなえるため、五年まえに一人で長崎へと旅だったのだ。
 剣道着は朝之助(あさのすけ)。前髪分けは夏之進(なつのしん)。二人は共に道場の師範代を勤めている。
 この四人が如月家の兄弟である。

「そう言えば蛍兄さん、こんな時刻に帰ってくるなんて中途半端だよ。夕べはどこに泊まったの」
「な、なんだよいきなり。おまえには関係ないだろ」
「そんな隠すことないのに。別に品川でいいことしてきたってなんとも思ってないさ。そうだよな、夏」
 品川の宿場には大きな岡場所(売春宿)があるのだ。
「うん、興味無さそうな振りして結局は蛍兄さんも男だって事だね」
 下の二人は久し振りに会う兄をからかう。
 道場に久し振りの笑いが溢れた。

☆    ☆

 翌日。
 如月道場は小さな町道場には不釣合な客を迎えていた。
「……なに、どこの藩のお姫さまだって?」
「……しーっ。俺だって良く聞こえないよ。でもなんか知らんがお忍びみたいだぞ」
「こら、なにこそこそと盗み聞きしてるんだ」
 後ろからの声に朝之助と夏之進は飛び上がった。
「うわっ、ごめんなさい………あれ、蛍志郎兄さん?」
「で、一体どんな要件なんだ、あの人達」
「なんだ、兄さんも知りたいんじゃないか」

 奥座敷ではどこかの藩のお偉いさん一行と霜十郎が襖や障子を締め切ってなにやら話をしている。一行は高貴な若い娘とそのお付きの女数名、人の良さそうな老人といった小人数である。
「で、なぜ私どもに姫君の護衛なぞを頼まれるのでしょう。藩の剣術指南がいるのではありませんか」
小声ではあるが、霜十郎の声が襖から漏れてくる。
「ですから先程も申し上げた通り私どもにはここしか頼るところがないのです。事を公にできない以上藩の者に話すわけにはいいきません。どこに敵の目が光っているか分かりませんから」
「しかしここだって……」
「実はここのことは我が藩の先の江戸留守居役、神崎庄左衞門殿に聞いてきたのです」
 その名前を聞いて霜十郎は黙り込んだ。
「実は、私どももなぜ我が鈴代藩とこの道場が関係あるのか分からないのですが………」
「私も詳しいことは分かりません。しかし亡き父が神崎様に世話になっていたことは事実です………分かりました、お引き受けしましょう」
 その言葉に話をしていた老人の顔に大きな安堵の表情が浮かんだ。
「本当ですか、ありがとうございます」
「さてと………おまえたち、話は聞いていたんだろう、入ってきなさい」
 霜十郎は不意に襖に向かって声を掛ける。鈴代藩の者たちは開けられた襖の向こうに現れた三人に驚きの目を向けた。
「大丈夫です、これはうちの弟たちですから。聞いていたと思うが、鈴代藩の姫君の護衛をすることになった。で、こちらがその唯姫様」
「唯じゃ。よろしくおねがいする」
 紹介されて、高貴な娘は人懐っこそうににこっと微笑む。年はまだ17〜8ほど。世間知らずに育ったのだろう、きょろきょろと部屋の中を見渡していた。
 服装もなるべく質素にしてるが、上物の生地を使っていることがすぐわかる。

「でもなんでお姫様は狙われているんだ。そこら辺くらいは教えてもらわないと困るよ」
「……実は……」
 鈴代藩は山の中にある小さな藩だ。そこの殿様には跡継ぎの男子がなく、一人娘の唯姫に婿を迎えて跡継ぎとすることになった。相手はすでに決まっていて三日後に見合いということなのだが、やはり気に食わないものがいるらしい。
 彼等は見合いまでの三日間と見合いのときの護衛を依頼してきたのだ。

「でもさ、見合いっていったってこの結婚はすでに決まっているわけなんだろ」
「……ま、まあそうなんですけど」
「だったらさ、護衛をつけるんじゃなくいっそのこと身代わりを立てたらどうだ」
 朝之助はにやっとして言った。
「こら、滅多なこと言うんじゃない」
「だってそう思わないか、そのほうがずっと安全だと思うよ。相手には後で謝ればいい」
 このとんでもない提案に一同のものは考え込んでしまった。なるほど朝之助の言うことはもっともである。
「なら誰が身代わりになるの? 小笛さん?」
 夏之進が尋ねた。小笛は霜十郎の妻である。
「いやあいつでは無理だろう。ここはやはり………」
言葉を止め、霜十郎は質問者をじっとみた。他の兄弟もそろって夏之進を見やる。
「ちょ、ちょ、ちょっとなんでみんなこっち見るんだ。やだよおれ、女装なんて絶対やだ」
「こいつならまだ背も低いし……」
「化粧すればなんとかごまかせそうだし……」
「敵に襲われても自分でなんとかできるし……と言うわけで夏之進」
 ぽん。朝之助が夏之進の肩に手をのせた。
「頑張ってくれ」
「何でだよ、朝兄さんだっていいじゃないか。おれが……」
「おっと、それ以上騒ぐと言うぞ、道場のみんなに。それでもいいのか」
 ぴたっと夏之進がごねるのを止めた。渋々、口一杯の苦虫を噛み潰したような顔で彼はうなずいた。

☆    ☆

 ぱっちりした目。きゅっと引き締まった口元。少しふっくらした頬は紅色に染まっている。赤く袖の長い着物に裾まで届きそうな大きな刺繍の施された帯。頭は着物と揃えて赤い花のかんざし。耳の後ろに垂らした髪。
 ほうー。部屋の男達はみな溜め息をついた。
「本当におまえ、夏之進か」
「悪かったな、おれで。……もー、なんとなくそんな気はしたんだ。だから嫌だったんだ」
「あらあら、夏さん、その格好でその言葉使いは駄目ですよ。もっと女の子らしくしなさい」
 真面目な顔で小笛が言う。
「小笛さんまでそんなー。どうやって女らしくしろって言うんだよ」
「それならば私たちが三日間礼儀作法を教えます。ええ、少しでも姫様に近くなっていただかないと困りますから」
 唯姫付きの女中が申し出る。唯姫も喜んで言った。
「わらわも手伝いいたそう。夏之進、勘張るのじゃぞ」
「もー、おれやだ」
かんざしが落ちそうなほどに頭を振って、彼は叫んだ。


第三章

 それから二日後、朝之助は町中へ遊びにきていた。姫君を預かっているので剣術道場は休み、霜十郎はその護衛、蛍志郎は道場の離れに診療所を作っていて夏之進は礼儀の稽古、つまり彼だけ暇だったのである。

「あーあ、つまんねーな。こないだの雰囲気からいって夜中に刺客が襲ってきたりするかと思ったけどなーんにも無いし。何かないかなーっと」
 そのとき彼は角の茶屋で何かもめているのに気付いた。
 ごろつき浪人風が三人と、部屋住みっぽい身なりをした青年が一人。向こうでは店の娘がおどおどと様子を見ている。
「てめえは店のもんじゃねーくせにそんな事言うのか」
「店のもので無かろうと、ただ食いしようとした人間を注意したっていいだろう」
「あの、お侍さま、いいんです………」
「あなたは黙って。仮にも刀を差していながらそのような振る舞いは放っておくわけにはいかない」
 ごろつきが難癖をつけて食事の代金を払わないで出てこようとしたのを、青年が止めたらしい。この程度の揉め事は浪人が増えてきた世の中、いくらでもあるものだった。

 若侍の不遜ともいえる言い方に浪人たちは完全に頭に来たようだ。
「言わせておけばーっ」
 回りにできていた人だかりから悲鳴がもれた。浪人の一人が刀を抜いて若侍に斬りかかったのだ。
「おおっと、そこまでにしたほうがいいよお兄さん。余計かっこ悪くなっちゃうよ」
 その刀を受け止めたのは朝之助だった。彼は刀を跳ね返すとさっと刃を宙で踊らせた。次の瞬間浪人たちの袴の帯が切れ下に落ちた。
「くっ……おぼえてやがれ」
「あーあ、やっぱりあの台詞だ。他に思い付かないのかまったく」
 ごろつきが去って行った方を興味なく眺めながら朝之助。
「あの、ありがとうございました」
その彼に店の娘が頭を下げた。
「ん、お礼ならこっちの人に言いな。俺は礼を言われることはしていない」
 あくまで朝之助は暇つぶしがほしかっただけなのだ。別に正義感がどうの、とかいうことではない。ただ、暇つぶしにしてはあまりにあっけなかったたが。
 茶屋の娘は今度は若侍に頭を下げた。その彼は朝之助に近付いてきた。
「おまえ、結構強いな。どうだ、少しそこで飲まないか」

☆    ☆

「ほう、剣術道場か、道理で。……俺は近江流太郎。旗本の部屋住みだ」
 さっき出会ったばかりだというのに、二人はすっかり意気投合していた。昼間だと言うのにすっかりできあがってしまっている。
「ところでなあ、朝之助」
「なんだ」
「すこし俺に雇われないか。いや、明日だけでいい。引き受けてくれるなら五両出す」
あやうく酒を吹き出しかけた。
「五両? やばい仕事じゃないだろうな。それだったら断るぜ」
 会ったばかりの人間に五両出す、などといわれたら一歩引いてしまうのが普通の反応だろう。
「いや、やばくはない。ただ人に会ってくれるだけでいいんだ。それも女。決して悪いようにはしないから」
「なんだよそれなら自分で会えばいいだろう。わざわざ金まで出して」
 ここで急に流太郎は真面目な顔になった。
「おまえでなければ困る。俺はおまえほど腕に自信はないんだ」
「………それって、やばいっていうんじゃないのか」
「そうかもしれない。けど朝之助なら大丈夫だと見込んたんだ」
「わかったよ、引き受けてやるよ。………なんか最近この手のやばい話が多いな」

第四章

 なんとか夏之進は様になってきた。多少不自然なところはあるがじっと静かにいればまずばれることはないだろう。
「それでは夏之進殿、参ろう」
「はい」
「うまくやるんだぞ、夏姫さん」
「うるせーっ、そういう兄さんこそちゃんとおれを守ってくれよ」
「ゴホン」
「………お兄様もちゃんとわたくしのこと守ってくださいませね」
 普通の町人用の籠にのせられ夏之進は出発した。まず鈴代藩の下屋敷へ行き、そこから改めて見合いの場所に行くのである。
 そのあいだ唯姫は道場で霜十郎と小笛が見てることになっていた。もちろん町娘の格好をさせている。
 蛍志郎が夏之進の用心棒としてついていくことになった。
「でもなんでおまえじゃないんだ、朝之助」
「俺も今日は別口で頼まれごとするんだよ。別に蛍志郎兄さんだって大丈夫だろ」
「まあそうなんだが………」
 霜十郎の疑問は別なところにあった。
「つまり、朝之助さんが夏さんについていかないのは凄く珍しいことなんですよね」
 小笛が笑いをこらえて言った。霜十郎がうなずく。
「ちょっと義姉さん、人聞きの悪い言い方をしないでくださいよ」
「そうなのか。仲が好くて羨ましいのじゃ。わらわにも兄弟がいればいいのに………」
 唯姫の言葉に、霜十郎と小笛は完全に笑い出した。

☆    ☆

「ここ……なのか」
 朝之助は入ろうかどうしようか迷ってしまっていた。そこは高級そうな料亭である。しかし流太郎の教えてくれた場所は確かにここだ。
「すみません、こちらに小野寺兵馬と言う人がおられると聞いたのですが」
 かなりの決心をして中に入り、出てきた女中に伝えるとすぐ奥へ走って行った。すでに話は通っているらしい。

「若君」
 奥から来た中年の男はそういいかけ、朝之助の顔を見るとあれっとした表情をした。
「私は近江流太郎殿に頼まれてきた如月朝之助と言います。この手紙を渡せばわかるって……」
 そう言ってかれはしっかり糊で封をされた手紙を差し出した。男はざっとそれに目を通すと安堵と失望の混じったような溜め息をついた。
「……分かりました、お上がりください。如月殿と言われましたな」
 彼は料亭の奥の、一番小奇麗な部屋に通された。
「まずやっていただくことは、これに着替えてください」
「え、こんないい物に?」
「あと言葉使いも礼儀正しく」
「あっはい」
「剣の腕は確かなのですな」
「一応剣術道場で師範代を勤めています」
 みるみるうちに朝之助は立派な、それこそどこぞの若君のような格好にされてしまった。
 渡された白造りの刀をちょっと調べて、彼はようやく息をついた。
「で、一体これから俺は何をさせられるのですか」
 ちょっと兵馬はびっくりしたようだ。
「おや、聞いていない? これからあなたはあの人の身代わりとして見合いに出てもらうのです」
「み、みあい?」
 朝之助の心に嫌な考えが浮かんだ。これってもしかして………
「相手は鈴代藩の唯姫さま」

 や、やっぱり………


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