「インターネットはバーチャルですからネ」
                                          
 virtualinternet.htm
                                                                      
 2002年7月22日
私が住む町の、消費生活センターで女性相談員と話をしているとき、相談員はしきりに「インターネットはバーチャル(virtual)ですョ」と強調していた。
ここで言う「バーチャル(virtual)」というのは光学関連の用語で、「虚像の」という意味の形容詞。その反対は「実像の」(real、リアル)である。名詞形はvirtuality と reality で、それぞれ「虚像(性)」と「実像(性)」という意味。わかりやすく言えば、「ウソ」と「ホント」ということです。
この相談員が、「インターネットというのは、バーチャルですからネ」と言うのは、「インターネットではみな本名を名乗らず、本当の自分を隠していますから、どこまで信用できるかわかりませんよ」という意味です。住所や電話番号を知らせると、どのような嫌がらせがあるかわからない。無いとも言えるし、あるとも言える、全く不安定な、ある意味では、よんどころ無いネット社会の中で生活することを、私たちはしぶしぶ納得しているのです。
だから、ネット社会では、本名を名乗らずに、ニックネームを使ったり、せいぜい電子メールアドレスぐらいしか自分の本当のことを明かさないことで、お互いが了解し合っている世界なのです。
そのような世界では、実は自分を偽って、ありもしないことを、あるようにいとも簡単に書けてしまう。相談員は「例えば、Aという会社の悪口を言ったり、批判している人のことを、私たち相談員は頭から信用するわけにはいかないのです。というのは、その悪口を言っている人が、実はA社のライバルのB社の社員である可能性もあるんです」と説明していた。
なるほど、そういうことがあるのか。私などとても考えてもみなかったことだ。しかし、どこの、だれか、ということがわからなければ、そういうことがあっても、責めようもない。それをいいことに、発言に無責任になるということは、たしかにあり得ることだと思う。
ある掲示板で、「ネットは『間違い』や『いい加減』の宝庫でもある」と極論した女性がいた。例えば、ネットの音楽関係で、「ダニーボーイ」をアメリカンフォークといい、あるところでは、アメリカンジャズといい、またあるところでは、黒人霊歌などと分類しているあたりは、みなそれぞれ自分の立場に固執していることから生じる分類であって、得手勝手と言えば、そのとおりではないかと思う。そのことと、音楽史的な分類とはまた別ではないか、と思えたことがある。
そのようなことを、一概に責めることも無いかもしれないが、やはりできるだけ真実を述べてほしいと期待するのは私だけではないはずです。自分の名前を、バーチャル(virtual) なニックネームで表し、住所も電話も隠してしまうと、私たちはどこにどのような信をおくのだろうか。何もないのだろうか。そんなことはないはずです。もし何もなければ、私たちがインターネットごっこなどして無為に過ごすには、あまりにも大人になり過ぎていませんか。
そうではなく、いまだに飽きもせず、インターネットをしているわけだから、何かがより所になっているのでです。それが、あなたや私や彼や彼女が書いている、コメントそのものだと思う。そのコメントに信をおいているからこそ、みなインターネットを続けることができるわけです。ところが、そのコメントがバーチャルであるなら、もうお手上げだ。私はホームページをオープンして、掲示板に投稿する理由は全くなくなる。
MLなどで、よくオフ会をしているが、これなど、お互いにお互いの reality を確認したいと思う、精一杯の気持ちの表れかもしれない。テープ起こしの注文メールが届いたときに、始めて自分の氏名を明かしたり、電話番号を知らせたりするのも、相手の発注のコメントを無条件に信じているからだろう。お互いにインターネットをする人は、自分のコメントにウソがないようにしたいものですね。そんなことをすれば、それを読む人への、最大の裏切りになる恐れがあります。

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