光あふれるこの場所で  (No.1/4)

  男の故郷では誰もが道の両端に"良い木"を植えた。
  人々は慎重に、丹念に、丁寧に、細心の注意を払って木を選び、その木を植え、心からの愛情を注いで世話をした。木が根付き、枝を伸ばし、葉を茂らせると、人々は声をあげて喜んだ。
  人々は木を敬い、木を愛した。樹木は自分たちを守ってくれる存在なのだと信じていたのだ。道はありとあらゆる人、物が行き交う重要な場所であり、それゆえに危険も多い。そのような場所に心優しい守護者である木を植えるのは、ごく自然なことだった。
  道だけではなく、男の故郷では、庭に、広場に、公園に、墓地に、聖地に、ありとあらゆる重要な場所には、守り手である樹木がいた。それは人が重要な場所のまわりには必ず木を植えたからでもあったが、逆に見事に育った"良い木"の庇護を求めて人々がその場所に集ってくるからでもあった。枝をのばして涼しい影を、雨からの避難場所を提供し、その豊かな花が実が鳥やリスや虫を養い、舞い落ちる木の葉はそのまま豊かな土へと姿を変えてさらなる恵みを約束する。
  「いかなる詩も樹木の美しさにはかなわない」
  これは男の故郷で古くから用いられていた言いまわしのひとつだ。他にも故郷では誰かの気立てのよさを誉めるときや美しい娘をたたえるとき、頑健な男を評し、子どもの愛らしさをいつくしむときなど、人々はありとあらゆる場面で樹木をたとえに使うのが常だった。
  そして樹木はそんな人々の思いによく応えてくれた。男の故郷では、道を歩いていて事故や犯罪に巻き込まれる者はまずいなかった。もっとも男の故郷では事故も犯罪もめったに起こらぬことではあったのだが。たとえ月がその姿を隠す新月の夜であっても、恋人との語らいのために家を抜け出すことを恐れる娘はいなかった。"良い木"に守られた"正しい道"を行く限り、どのようなわざわいも自分の身にふりかかることはないのだと、みな知っていたからだ。
  男の故郷の人々にとって、樹木とは愛情の、信頼の、尊敬の対象だった。それはごくあたりまえのこと。木に守られて生きた人々の中には、死に際して特に愛した特定の樹木の根元に埋めてくれるように頼むものも大勢いた。そのような遺言を残さなかった場合にも、死者がまわりに愛される存在であったときには、姿がよく美しい花を咲かせ甘い実をむすぶ、そんな特別に"良い木"が選ばれて墓に植えられることがしばしばあった。


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