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27 留年

平成11年 2月 5日(金)

いよいよ,高校も卒業認定の時期である。3年間の高校生活を無事に終わろうとしている生徒も多いが、中にはさまざまな事情ですんなりといかないケースもあるだろう。落第とか留年なんていう言葉に恐怖感を覚えた人も結構いるのだろうか。

留年、正式には原級留置。中学校では、こんな事はない。高校に入って、みんな話には聞いているだろう。しかし、なかなか本当に留年してしまうケースは少ないので、経験者を知っている人も少ないであろう。

私が高校に入学したときに、1クラス男子ばかりが50人いる中で、留年した生徒がいた。私の母校は共学校ではあるが、男女別のクラス編成をしており、300人中、男子は100人で2クラスであった。

えっ、何で男子が女子の半分しかいないのかって! 母校は、もともと府立第2高女といって、女子高だったのである。 中学の頃に聞いたうわさでは、掃除の時間になると、男子が箒やぞうきんを持って掃除をしているそばで、女子が監督をしている女性上位の学校だといっていた。 実際には、そんなことはまるで無かった。

男子は、体育の時間に柔道をすることになっていたのだが、毎週1時間で2年間柔道をするのではなくて、毎週2時間でその代わり1年間としていた。男子は2クラスだから土曜日の1,2時間目と、3,4時間目に分かれ、柔道で汗を流したものである。そこで、男子は入学したら柔道着を買わなくてはいけないのだが、せっかく買った柔道着も2年になると、もういらない。そこで登場したのが、さっき出てきた留年した生徒である。彼は2年生の柔道着を1年生の希望者に斡旋するアルバイトを考えた。私もその口車に乗って先輩の柔道着を買ったのであるが、その縁で柔道部に入れられてしまうという悲しい運命が待っていた。

自分が教員になって、担任として初めての仕事は退学届の用紙を生徒の家まで届ける仕事であった。実は、1年目は副担任で様子を見ていたが、2年目に担任をしようと思っていたら、残念ながら希望者が多いせいか、担任をさせてもらえなかった。仕方がないので1学年の副担任となっていたが、夏休みに1年の担任の一人が、北海道に駆け落ちしてしまい、退職願が郵送されてきた。驚いた学校側ではとりあえず代わりの担任を急いで決めなくてはならない。私にも打診がきた。いや、まわりの人はそんな形で担任するのはやめなさいと忠告してくれたのだが、もともと担任希望であったので、引き受けることにした。そして、最初の仕事が、上に書いたように退学届を持っていくことであった。そのクラスは今までの担任が野放しにしていたので、なかなか私の言うことなんぞ、聞きはしない。トランプで遊んでいるのを注意すると、
「前の担任の先生が良いといったのを、何でいけないというんだ!」
と文句を言って来る。授業も持っていないし、なかなかしっくりいかなかった。

そのクラスに、不登校の生徒がいた。彼は優しそうな子で、おばあさんに大切に育てられていた。1年間をまともに過ごしていなかったので、私は彼と両親に言った。
「このまま中途半端な状態で進級しても、もう高校1年という時代は2度と帰ってきませんよ。自分が納得出来る高校1年を過ごしてみましょう。」
担任のくせに、進級に向けて努力もせずに、留年させてしまった。後で、ちょっぴり後悔。ちょっとやりすぎかな。しかし、彼は大きく変わった。部活動も写真部に変わり、体育祭のときなど腕章を腕に巻いて活躍しているではないか。本人に話を聞くと、留年したおかげでやり直しを出来て良かったと、言ってくれた。

逆に、上の学年から留年してきた生徒を担任した事もある。他の生徒に隠してもしようがない。「先輩。先輩。」とみんなの先頭に立たせ、クラスの中心に据えた。彼も、楽しく1年間を過ごし、今度は間違いなく進級していった。

留年しそうな生徒たちも、何とか卒業できるかもしれない。しかし、私は留年してもう一度納得できる1年間を経験することも、良いんじゃないかという気がする。いや、無理に留年することもない。しかし、無理に卒業することが彼ら・彼女らの人生にとって、本当に幸せなのだろうか。もちろん勝手な思い込みであるが、そんなことを考えてしまった。

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