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56 自転車

平成12年7月14日(金)

今朝、校門当番で裏門の自転車置き場に立っていたとき、朝のSHRに遅れそうになった男子生徒が裏門から飛び込んでこようとして横転してしまいました。近づいてもなかなか起き上がりません。声をかけるとやっと起き上がりましたが、ワイシャツやズボンも数ヵ所切れて血もにじんでいます。急に90度曲がろうとして転倒したようですが、大きなケガにならなくて良かったですね。

私の父には、親友と呼べるような友人がいました。子供の頃は家族ぐるみでの付き合いをしており、そこの家の長男ともよく一緒に遊んだものでした。この子は私より年下だったのですが、自転車に乗ることが出来ました。私が小学校の1年の頃、幼稚園児の彼が、車に正面衝突して亡くなってしまったのです。父の親友もたった一人の子供を亡くして嘆き悲しんだのですが、私の父にとってもショックだったのでしょう。危険だということで我が家では自転車禁止となりました。小さな自転車を買ってもらい練習していた私は、それを取り上げられてしまいました。

当時東京の北区に住んでいた私にとって、自転車は必需品というほどのものでもありません。赤羽と東十条の駅がどちらも徒歩10分でしたし、都電の駅も近かったのです。バスにもろくに乗ったことの無い私でしたので、自転車に乗れなくても、特に困るという経験がありませんでした。

大学生になり研究室の仲間と軽井沢に遊びに行ったときのことです。最終日の午前中に時間があったので、みんなでサイクリングをしようという話になりました。こりゃー、困った。勇気の無い私は、「自転車に乗れない」とはなかなか言えません。何とかなるだろうと思い、みんなにお付き合いすることにしました。その気になると、自転車をこぐだけならば何とかなるものなのですね。楽しく牧場などを見てまわり、サイクリングを楽しいでいる自分に気が付きました。「これならば大丈夫」と思ったのでがいけないのか。山道の下り坂で、砂利の部分が舗装路に変わるところがあったのですが、思わず前輪のブレーキをかけていたんです。自転車は前輪が止められたので前に投げ出され、私は大きく空を飛んでいました。

サイクリングの後は、東京に帰る列車の切符を買ってあります。医者に行く暇も無くズボンが破け出血しているのを洗っただけで、帰途に着きました。ひりひりと痛むのもつらかったのですが、自分自身にも情けないという気持ちがあり、ほろ苦い帰京となりました。

今は自分の子供たちも何気なく自転車に乗っています。驚いたことに、私は自家用車で通勤しているんですからね。こんなことって、子供の頃にはまるで考えられなかった生活です。自転車に乗れる・乗れないなんて不思議な話でしょうね。でも、東京文京区に育った妻も、結婚するまではやはり自転車に乗れなかったんですよ。

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