冬の山で働く

はじめに
  北北海道の山や原野は、深い森に覆われていた。 しかし、いつの頃からか、 北海道に日本人が入り込んで、 木を切り出 し、材木として、運び出していった。 数百年、数千年かけて育ってきた森林は、 跡形もなく消え、 くまざさの原野だけが残 された。   北海道に移住した人々は、材木を切り出 し、炭を焼いて生活の糧としてきた。この地に戦後の開拓農家として入植した私たちも残り少なくなった材木を切り出し生活してきた。 その頃のことを記録に残しておこうと思う。




冬山が始まる
 農作業が終わり、野山が白い雪で覆われる頃になると冬山が始まる。小頭(こがしら)と呼ばれている鈴木さんが中心になって、人を集める。冬山で人夫として働くのである。十二月も半ばを過ぎ、雪が積もり、作業ができるようになると山に入る。
浅茅野営林署に8時に集合する。布団とリュックサックに着替えと日用品を詰め、ボッコ靴を履いて馬そりで出かける。冬になると交通手段は、馬だけである。
山林の伐採を取り仕切るのは営林署である。

営林署までは雪道で6キロある。営林署には顔見知りの、村の人たちが集まってくる。
これから歩いて、30キロの山奥にある現場に向かうのだ。

トラクターについて歩く
道路はあるが、完全に雪の下である。通れるのは馬そりか、キャタビラのトラクターか、人の足で歩くしかない。布団と着替え身の回りの物は、トラクターが引く、大きなソリに積まれてある。その後をひたすら歩く。凹凸のあるキャタビラの跡は、すこぶる歩きにくい。凍り付いた馬そりの跡は、ツルツル滑るが、こちらの方が、疲れない。川に沿って、上流へと歩く。川の両側に沿って大きな木が残っている。たいていは、柳かアカダモだ。トラクターは、人の歩く速度に合わせてゆっくり走っているのだけれど、汗が流れる。林を抜けると開けた土地が広がっている。開拓に入って農家の家が、あちこちにある。すでに、森林は、伐採されて、クマザサが生い茂っている土地のようだ。平地は、川沿いにあるが、泥炭地か粘土質の土地だろう。大部分は、丘陵地で畑にするのは大変だろうと思われる。 昼近く、一軒の食堂にたどり着く。ラーメンやどんぶり物の品書きが下がっている。薪ストーブが、真っ赤に燃える板張りの食堂で弁当を使わせてもらう。ほっと一息入れることができた。寒い中、真っ赤に燃えるストーブは、ありがたい。 03.12.28

 峠越え
 トラクターが引く、大型のそりの跡を外さないように一心に歩く。そりの跡を外すと深い新雪の中に足を取られてしまう。汗が流れる。いつのまにか、人家がなくなり、川の流れに沿って歩いていく。やがて、道は上り坂になる。峠越えだ。
 峠を越えると突然大木が現れる。エゾ松、トド松、アカダモなどの林の中を進む。
原始林の中に宿舎が現れる。木造の細長い建物だ。朝から歩いて、歩いて 30キロは歩いただろう。川の源流近くになって、沢が狭くなっている。石炭別の奥といわれているあたりだ。川の中に石炭が流れているという。炭坑の層が露出しているといわれている。
もっと、下流の方だが、道路の足下が石炭だった場所がある。燃料に使えるだろう。
薪の心配がいらないのではないか、などと話が弾む。
 まずは、宿舎にはいる。一緒に走ってきたトラクターの大型ソリから布団と荷物を下ろし、自分の場所を確保する。
 宿舎は、真ん中に通路があり、大型の薪ストーブが、真っ赤に燃えている。
両側に板敷きの場所があり、全員が各自の布団を敷くようになっている。枕元と棚に荷物を置くようになっている。布団を二つ折りに片づけ、空いたところが、休憩し、食事をする場所になる。夕食を食べ、眠る。疲れた。明日は早い。04.1.24

山開き
朝全員が神社に集まる。白い雪の山に、太い松の鳥居がたっている。御神酒をあげ、山の神に作業の安全を祈願する。山ご、馬追、土場巻き、人夫がそろって柏手を打ち、頭を垂れる。いままで神など信じたことはなかった。中学生の頃、神社に行って、「こんなところのどこに神様がいるんだ。」小便でもかけたら、神罰があるあるのだろうか。福沢諭吉だかはご神体を持ち出したら、ただの石ころだった。というようなことが書いてあった。
神社で小便をしても神罰も下らなかった。
 しかし、山で働くということは、危険と隣り合わせだということが、まもなく、近くで起こった。3人兄弟で働いていた山ごの若い弟が怪我をした。飯場の向かい側に寝泊まりしている兄弟だ。腕のいい山ごで、稼ぎ頭。
 材木を切り出そうとして、斧で幹をたたき、枝に積もっている雪を落としていたら、枯れた枝が雪と一緒に落ちてきて、腕に当たり、怪我をする。夕方帰ったら、腕に包帯を巻いている。幸い骨折はしなかった。しばらく仕事にならないので山を下りていった。体だけが資本なのだ。
 材木が転がって怪我をしたり、自分の斧で足を切ったりとよほど注意しないと危険な作業なのだ。
 山の神に作業の安全を祈り、無事切り上げが迎えられるように願っているのだ。
 (04.2.1)

4-2 雪踏み作業
 朝五時半、「起床、起床。」と飯場長が一斗缶をガンガン叩きながら回ってくる。
顔を洗い、身支度を整えていると、炊きたての飯と熱いみそ汁が運ばれてくる。
朝飯を食べ、仕事に出かける。 朝の六時半、空気はしんと冷え切っている。雪道を谷の奥に向かって歩く。暗い空に星が瞬いている。空が晴れている朝は、気温が低い。飯場の前に大きな温度計が下がっている。零下二十五度以下になっていることも珍しくない。
 ギシギシと足の下で雪がなる。ボッコグツの中は、靴下と毛糸の靴下をはいている。
靴に雪が入らないように、膝下に毛糸の雪よけをつける。毛糸の股引とセーターを着込み、その上に防寒服を着る。頭には、毛のついた防寒帽をかぶる。手には、作業用の軍手の上に綿の入った防寒帽をかぶる。これくらいの装備にしなければ凍傷にかかってしまう。
 作業が進み、太陽が顔を出すようになると体も温まり、上から脱いで、木の枝にぶら下げておく。
 小頭の鈴木さんが、作業の手順を決める。白い雪の下には、川が流れている。上流なので深くはないが、川は川である。谷の様子と川の流れ、丸太を積み上げてある土場の位置を確認して、馬が歩きやすいように、高い土場から、丸太を落としたとき、馬そりに積みやすいように、ルートを決める。
 われわれ作業員は、ルートに沿って、道をつける。四角いスコップを地面に届くまで突き刺して、雪を柔らかくし、足で踏みつける。これの繰り返しだ。スコップを突き刺し、体重をかけて、踏みつける。やがて、体が温まり、汗が出てくる。
 踏みながら、高い場所の雪は削り、低い場所には積み上げる。そして、平らな道にしていくのだ。木や小枝があると鉈やノコギリで切る。道になる場所は、馬がぬかって、足を怪我しないようになるべく深く、ノコギリで切る。作業をする人たちは、農家で自分の家でも馬を飼っているし、馬そりで薪を運んだり、堆肥を畑に撒いたりしているから、どんな風に道を造ればよいか、心得たものだ。
 場所によっては、どうしても川を横切らなければならないときがある。そんなときは、雑木を切り、枝を川がある雪の上に並べて、雪を積み、踏み固める。バケツで川から水をくみ上げ、踏み固めた、雪にかける。一晩で丈夫な氷橋ができあがる。数トンの丸太を積んだ馬そりが通っても大丈夫だ。  04.2.8

 昼飯
 雪にスコップを突き立て、地面まで押し下げ、踏みつける。汗も流れるし、腹も減る。休憩時間は、午前と午後15分ずつある。
雪の上に立ったり、座ったりして休む。マイナス20度の世界では、たばこの火も暖かくもないだろうに。寒さでゆっくりも休んではいられないのだ。
体を動かしている方が、暖かい。
 昼近くなるとたき火の上手な人が、火の用意を始める。
手頃な枯れた松の木を探す。
枯れた松の木は、油分があり、火の付きがよく、よく燃える。
だから、枯れた松の木が最高だ。
松の木を切り倒し、斧で適当に割って、薪を作る。
雪を踏み固め、薪をキャンプファイヤーの時のように井形に組み立てる。
下に太い薪を上に行くほど燃えやすい薪を積み上げる。冬のたき火は、夏とは違う。上の方から、火をつける。
火が勢いをよく燃えても崩れず、雪の上で燃え続けるのが、上手な薪の組み方である。
 火の勢いがつくと「おーい、昼だぞー。」と声がかかる。みんなたき火の周りに集まる。はじめは、よい場所だと思っていても、風の向きが変わったりして、煙に追い立てられることもある。
 十人ほどの男達が火を囲み弁当を広げる。
 弁当は、飯場で用意してくれる。夜のうちに飯ごうを出しておくと、
朝届けてくれる。
飯ごうのない者には、握り飯を作ってくれる。
大きな握り飯だ。熱々の飯を布巾でくるんで握る。赤ん坊の頭ほどの大きさだ。とても食べ切れないと思う大きさだが、腹が減っているとぺろりと平らげてしまう。誰も残す者などいない。飯ごうにも中ぶたまで、いっぱい飯が詰まっている。
 飯場から出るのは、飯だけである。おかずは自分持ちになる。毎日、たくあん漬けがおかずだ。初めの頃は、握り飯を作ってもらっていた。
しかし、食べられなかった。握り飯は、カチンカチンに凍り付いているのだ。たき火の周りに並べて、解凍を待つ。やがて、
焼きめしの香ばしいにおいが、漂ってくる。
 お湯を入れ、厚くくるんだ水筒は水になっている。
弁当を食べ、濡れた手袋を乾かす。
たき火は本当にありがたい。どんなに寒くても体を温めてくれる。
しかし、気をつけないとはねた火で衣服に火がつく。
臭いといった人が、一番危ないといって、みんな笑う。
04.7.21

 7 宿舎
 宿舎は、飯場と呼ばれている。飯場は、飯を食べるところ、食事ができるところが最高と言うことだ。
食べなければ、働けないし、食べなければ凍え死んでしまう。
 山の中に飯場は立っている。プレハブ作りだ。
真ん中に土間の通路がある。
大きなストーブが、真っ赤に燃えて、部屋の中は暖かい。
 両側に板敷きの場所がある。座ると足が届くくらいの高さだ。
 そこに布団を敷く。フトンの巾が個人の住居であり、生活の場所になる。
 朝から、暗くなるまで、働くのだから、寝に帰るだけである。
  個室はない。建物一つが、一つの部屋である。
 この部屋には、人夫と山御が入っている。
 隣にも同じような建物があり、馬追が入っている。
 間に炊事場がある。 04.7.22

8 食事
 一日中働いて、一番の楽しみは食事だ。
 食事は、炊事場で炊かれ、グループごとにお櫃に入れられて運ばれてくる。
ご飯は、麦飯だ。あと切り干し大根の入ったみそ汁が運ばれてくる。お代わりは自由だ。
 おかずは、個人持ちである。
 漬け物、みそ、しょう油、魚のぬか漬けなどを自宅から、持ってくる。
漬け物など一斗樽で運んでくる。
 ぬか漬けにした魚は、各自ストーブの上で焼いて食べる。
イカの塩辛は、手軽である。そのまま、おかずになる。どんぶりに入れて、お湯を注げば、吸い物になる。
 事務所に行けば、おかずでも、菓子でも、酒でも焼酎でも売っている。
 山御や馬追は、稼ぎが多いので、菓子を食べたり、焼酎を飲んだりしているが、人夫は、無駄遣いはしない。じっと我慢して、一円でも多く持ち帰って、生活費に充てようと頑張っている。家には、母ちゃんも子どもも待っているのだ。
04.8.2

9 別荘暮らし
 人が増えて、飯場が狭くなってきた。
 夏山で使っていた、プレハブを運んできて組み立てる。
 誰が入るかで、浜猿が入るか、浅茅野台地が入るかなど、なかなか決まらなかったが、
人数の関係で、浅茅野台地が入ることになる。
 熊谷さん、西口さん、須藤さん親子、熊沢さん、伊藤さん、鈴木典男さん、鈴木哲夫さん、粥川さん、狩野さん、など十数人が移る。
 別荘は、気心の知れた人達ばかりなので、のんびりできる。
 04.9.3

10 馬そりで原木を運ぶ
 山ごによって、切り出された木材を土場まで運び出すのは馬の仕事である。小さな谷に沿って、切り出された木材が小さく積まれている。木材は、十二尺(約三・六メートル)に切りそろえられている。馬そりに山のように材木を積んで引き出してくる。本道に出るまでが大変だ。道をつけてあるとは言っても荒道だ。橇は沈むし、滑らない。場所によっては、ワイヤーを張って、滑車を利用して、引き出すこともある。
 本道に出ると氷の道ができていて、そりが滑る。馬もらくだ。
 峠道が一カ所ある。ここは、難所だ。止まると大変なので、一気に超えようと馬も馬追も必死になって上る。橇と氷が押し合って、ギーギーと音を立てる。
 峠にはカケスが飛んでくる。「チョ、チョ、チョ、ギーギー。」と馬追が舌を鳴らして馬を追う音と氷がきしむ音を真似て鳴いている。馬がいないときもチョ、チョギーギーとやっている。
 峠を下ると大土場がある。全ての材木が、ここに運び込まれる。馬追は、ここで営林署の検量を受ける。太さと長さで石数を決める。材木は一本一本刻印を打たれる。
 馬追は、伝票をもらう。運んだ材木の量に応じて、代金を受け取る。請負作業である。 木材を運んだ二つの馬そりは、一つに組まれ、その上に馬追が乗って、帰路につく。
04.9.16

11 馬小屋
 飯場の近くに馬小屋がある。丸太を建て、屋根と周りは、松の葉で囲ってある。
馬が仕事から帰ってくると小屋から、白い霧が立ち上る。汗が湯気になっているのだ。
馬追は、馬の体調にいつも気を配っている。元気はよいか、食欲はあるか、蹄鉄はゆるんでないかと気を配る。
 仕事から帰ると馬具を外し、ブラシをかけ、川から水を汲んできて飲ませる。
飼料は、乾燥した牧草である。その他、体力をつけるためにエン麦などカロリーの高い飼料を与える。馬は、色つやがよく、健康そのものだ。マイナス三十度の気温の中で夜も立ったまま過ごす。馬の体を覆う馬衣をかけておく。
04.9.29

12 冬山の仕事
  山御
 材木を切り出す仕事は、作業ごとに分かれている。
原木を切り出すのは山ごの仕事だ。立っているエゾ松、とど松、楢や白樺などの雑木を見て、どこへ倒すか考える。山の斜面、木の傾き方、、枝の張りを見る。運び出しやすい方向を見定めてノコギリを入れる。
 まず、倒す方角にノコを入れる。受け口を斧で割っていく。松ヤニの新鮮な香りが雪原に漂う。受け口より少し上の反対側から切り始める。木くずがノコギリの窓からこぼれ落ちる。山では、普通に歯がついたノコギリではなく、窓ノコが使われる。窓ノコとは、ところどころに丸い切り込みの入ったノコギリである。この方が切り取った木くずが、能率良く掻き出されるのである。
切り進むうちに、ノコギリが木に押しつぶされて、動かなくなる。ノコギリの巾を超えるとくさびを入れる。くさびは、堅い木を削った物と先に鉄製のくさびをつけた袋くさびが使われる。くさびを入れ、木を起こしながら、ノコギリを進める。
やがて、大木は傾き、ぎりぎり、バリバリと音を響かせながら、ドドーと谷に倒れていく。周りの枝や小さな若木などを巻き込みながら、倒れていく。
雪煙が立ち、真っ白い世界になる。
切り倒された、切り株の年輪を数えてみた。百二十年の輪が続いていた。
04.12.20

13.山御2
 山ごの仕事は、体力勝負だ。一日中大鋸をひいて木を切り倒し、マサカリを振るって、枝を打ち払う。切り出した木材を集める。一人ではできない仕事だ。数人のグループで請け負っている場合が多い。賃金は、歩合制である。多くの石数を切り出せば、高い収入になる。場所によって、よい木が有る沢もあれば、まばらなところもある。
 山ごは、危険な仕事でもある。切り倒そうとした木が、自分の方へ倒れてきて、危なく下敷きになるところだったという話は、よく聞く。道踏みをしていて、近くに木が倒れてきて、あわてて、逃げ出したこともある。大木が倒れるとき松の枝で風が起き、真っ白な雪煙が立ち上る。雪粒が顔に当たる。しばらくは何も見えない。やあ、すまないと山ごが、謝っている。誰もケガをせずに良かった。
 同じ飯場の向こう側で寝泊まりしている三人兄弟の弟が、肩に怪我をして帰ってきた。
木の枝の雪を落とそうと松の幹を斧で叩いたら、雪と一緒に枯れた太い枝が落ちてきて、肩に当たる。幸い重いケガでなくて良かった。頭にでも当たっていたら、大変なことになった。山ごの弟は、治療のために山を下りていった。
05.1.18


14.土場巻
土場というのは、原木を積み上げた場所のことである。山の奥の切り出した原木を運び出しやすいように集めた場所もあれば、トラックが入る場所まで、運び積み上げた大きな土場もある。原木は、長さ二間小口の太さ八寸以上に決められていた。それ以下の部分は運び出さずに山に放置される。しかし、後になると細い部分まで運び出されるようになる。
 土場巻きは、トンビとガンタでどんな太い丸太も動かし、崩れないように積み上げていく技術を持っている。見上げるような高い土場ができあがっていく。
朝から、暗くなるまで、丸太を動かすのだから、体力のある者でないと勤まらない。
 とにかく大変な仕事だ。機械などは何もない。人の力と馬の力だけで、どんな作業もこなしていく。
 土場には、検量係がいる。たいていは営林署の職員が当たっているが、一般の出稼ぎの人も混じっている。馬で運んできた原木の数量を量り、伝票を渡す。これが馬追の稼ぎになる。 05.2.27

15.ストライキ
 賃金、これを出面賃という。顔を出していれば賃金がもらえる、という意味でもあり、働かなければ賃金がもらえないということである。日雇いである。
 人夫は賃金が決まっている。年齢や経験年数によって差はあるがたいしたものではない。山ごや馬追は、請負である。切り出した石数、運んだ石数によって収入が違ってくる。
代表者が出て、営林署と交渉をする。お互いに納得ができない。そこで、ストライキになる。一日仕事を休んで交渉をする。ここで、いくらかの上乗せをして、解決する。
馬追は、馬もいるし、餌代もかかるし、と不満も多いがあきらめて、納得する。
 年中行事みたいなものだと人夫達は話している。俺たちには、そんなこと言っている余裕はない。一日でも多く稼がなければとストライキを横目でみながら、雪の降る中を現場に向かう。
05.3.2

 16.馬頭祭
 山には、馬の神様を祝う馬頭祭がある。馬追は全員休みである。休みなしで働いているのだから、馬にも休養は必要なのだ。山には、大吹雪で仕事ができない日をのぞいて休みの日などない。馬追は休みでも人夫は仕事に出る。それでも、半日の休みがあった。
 午後から、馬の尻引きがある。二頭の馬を引き合わせて、どちらの馬が強いかを競うのである。体格もよく、手入れもされているので、みんな、立派な馬だ。我が家の農耕馬とはまるで違う。鼻息が荒く、筋肉が盛り上がっている。
 トーナメント表をつくって、競っている。
 飯場では、昼食に汁粉が出た。めったにないことだ。どんぶり一杯では、物足りないと自分たちで、夕食の飯をつぶし、デンプンの粉を入れて団子を作り、事務室から、汁粉の粉と砂糖を買ってきて、汁粉を作り、腹一杯食べる。お金は割り勘で出し合い、大きな鍋は、飯場から借りてきた。
 営林署から、焼酎と菓子が出る。飲める者は、大いに飲んで楽しい馬頭祭だ。
05.3.7

17.馬が死ぬ 
 夕方、作業から帰るとみんなが騒がしい。馬がケガをしたという。粥川さんが見に行ってきた。獣医も下から呼ばれてやってきた。腹から汁が出ているという。助からないと獣医が言う。山から原木を運び出すときに、何かが腹にぶつかって、穴を開けたらしい。それでも、馬は土場まで峠を越えてソリを引いていって帰ってきた。ケツ引きで、山一番になった白と黒の混じった力のある馬だ。その夜馬は死んだ。
 次の日、馬肉が配られた。馬肉はみそ煮がいいと須藤さんが先になって、飯ごうを薪ストーブの上にのせ馬肉を煮た。あまり旨いものではない。働いているので、肉が固くなっているせいかもしれない。
 見舞金を出すことにする。稼ぎに応じて、百円から、二百円くらいだろうということになる。一日の出面賃の二割程度だ。保険制度がないので、みんなで助け合って、少しでも次の馬を買う助けになればとみんなでお金を出し合う。
 ここで働いている人達は、ほとんどが農家だ、農家でも牛や馬が死ぬとお互いに見舞金を出し合う。そうやって助け合ってきた。山の馬も同じなのだ。
05.3.16

18.山の動物 峠のカケス 熊 えぞリス 
 マイナス三十度に下がる真っ白く雪の積もった山の中に生き物の気配はない。しんと凍った枝の上から、降り積もった雪がばさっと落ちてくるくらいだ。
三月に入り、陽の光も強さを増し、木の芽がなんとなくふくらんでくるように感じられる。枝の上で何かが動いた。エゾリスだ。リスだと仕事の手を休めて眺める。夏山で働いていた人は、熊を見たことがあるという。今頃は、まだ、穴の中で眠っていることだろう。
モケウニ沼の近くに住んでいる近藤さんの家に熊が出た。馬が騒ぐので行ってみると、馬小屋の板をガリガリひっかいている。石油缶をガンガン叩いて追い払った。
 冬になって、熊も穴が見つかる。棒でつついて、出てきたところを撃ちとられた。
 秋になって、エン麦畑で実ったエン麦を食べていくこともある。
 一番被害にあっているのがヒツジだ。大きさも手軽なのだろう。殺されて持って行かれる。熊は、恐ろしい動物だ。素手ではとてもかなわない。
 山で野ウサギの足跡をみたことがない。野ウサギは、人の住んでいる平地に住んでいるのだ。峠道にカケスがやってくる。派手な色をしたカケスは、いろいろな鳴き真似をする。ソリがきしんでギーギーという音を真似たり、馬追が舌を鳴らして、馬を追う音を真似たりする。おもしろい鳥だ。

19.吹雪の日
 夜中から、山が森がざわついている。森の上の方でゴーゴーと風がうなっている。
しかし、飯場のある場所は、原始林に覆われている。風もない。静かに雪が降っている。これが本当の自然の姿だ。太古の人達も嵐の日は、穏やかな森の中で暮らしていたのだろうと想像する。森林を切ってしまえば、この静けさもなくなってしまうのだろう。
 営林署の話によれば、今は間伐方式といって、大きな木だけを切って、若い木は残していく。数十年後になると若木が生長して、木材として利用できるようになると説明している。休憩の時にエゾ松の切り株の年輪を数えてみた。直径一メートル、年輪は百二十あった。風のない、恵まれた環境で百二十年かかって育ってきたのだ。この山がよみがえるのは、百年後か二百年後か。
峠は猛吹雪だという。木材を運び出す道は、雪に埋まっている。馬は出られない。やまごも危なくて仕事にならない。とても、木を切れる状態ではない。人夫も休みだ。山全体が休日になる。将棋をしたり、花札をしたりしている。賭け事はしない。体をもてあまして、そのうち、座り相撲を始める。次の日になって、仕事をするより疲れた。足が痛いと言い出すものまでいる。
 吹雪がやむと道掘りが大変だ。馬そりの跡に水を撒き、スケート場のようにカチカチに凍らせてある。その上に雪が積もり、松の葉や枝が埋まっている。スコップで掘り出す作業が続く。道の整備ができないことには木材運びが始まらないのだ。
05.4.10

20.雪がゆるむ
三月に入ると寒さもゆるみ、春が近づいているのが分かる。マイナス二十度以下だった気温もマイナス十から五度程度にあがって暖かく感じる。スコップを突き刺すと地面に近い雪がザラメのようになっている。雪の上を歩いていても、ギュウギュウと音がしなくなる。小川の下は雪が溶けて空洞になっている。どこからやってきたのか、暖かい日などシジュウカラが枝先を飛び回っている。
帰ったら、堆肥運びをしなければならない。どこの農家も馬と数頭の乳牛を飼っている。家畜の出した堆肥を畑に雪があるうちに馬そりに積んで、畑に運ばなければならない。
堆肥を畑に入れて、土作りをしなければ作物の収穫は望めない。みんか家が家族が恋しくなる頃だ。
05.4.22
21.切り上げ 山を下りる
 気温が上がり、雪が地面から溶け出すと氷の道がゆるんでくる。馬が踏ん張れなくなり、ソリも重くなる。丸太を運び出すのが困難になってくる。こうなると山仕事は終わりだ。
「明日切り上げだ。」という声がかかる。事務所から、焼酎と菓子が各持ち場に配られる。夕食をすませ。大人は焼酎を飲む。酒を飲まない人もけっこういる。
身の回りの荷物を片づける。背負えるものだけをリュックサックに入れる。布団と重いものは、事務所で山から降ろしてくれる。日当は580円。40日間働いたとしても2万円くらいのものだ。食費と日用品を買ったものを引かれるから、手取りは、一万二、三千円と言うところだろう。
 30キロの雪道を歩いて帰る。三月ともなると暖かい。上着を脱ぎたくなる。みんなの足取りも軽い。浅茅野の営林署事務所で明細をもらう。
必要な現金だけをもらって、残りは後日受け取ることになる。
 初めての冬山はこうして終わった。
 エン麦60キロ800円、でんぷん用のジャガイモ60キロ240円、卵一個10円。


二回目の冬山
 数年後、冬山の作業は、すっかり変わっていた。
以前は、山の自然を大事にし、間伐方式を採っていた。間伐方式というのは、山林で大きく太い木だけを切って、若木は残して、山林の再生を待つ。そう説明されて、みんな、納得して木を切っていた。
今度は、皆伐方式だという。なぜ、営林署の方針が変わったのか。みんな切ってしまったら、山は後、どうなるのか。営林署の話では、木を全部切って、その後に植林をするのだという。広大な山地に植林をするとなると膨大な予算がかかるだう。
 だいいち、木がなくなった土地は、寒気と風で幼木は、なかなか成長できない。
 本当にそんなことができるのか。営林賞の経営方針に不審を持っても、こちらは出稼ぎの身、いかんともしがたい。
 木材の需要が、建築材料から、パルプに変わったのだ。パルプならば、少しくらい曲がっていようと細くなっていようと木で有れば利用できるのだ。こうして原始林は、丸裸になっていった。
05.6.24