私の日記です

秋日独言〜ヒトリゴト〜


    もう9月も終りに近づいている。
   「あと三ヶ月余りで今年も終りだな」と気の早いことを思ったりしています。

    不意に「この世には絶対など存在しない」改めて感じている。
    この世界は相対で成り立っている。
   始まりがあるから終りがあるように、すべて相対しているんだ。
    だから、人も出会いがあれば別れがある。『会者定離』かなしい言葉だけれ
   ど、だからといって、別れの悲しさや苦しさを味わいたくないから、上辺だけ
   のだけの付き合いをしようとは思わない。
    別れが悲しくてツライほど、そのひとと出会い語り合って過ごしたことが、
   とても楽しくて嬉しくて幸せなことの代償だから、ちゃんとしっかり受け止め
   ることが相手への最高の感謝だと思うから。

    日常生活は同じことを繰り返しているような錯覚に陥ることがある。だけれ
   ども、細かなところまでよく観察して考慮せずとも、全く同じ一日など存在は
   しない。ただ、似たような一日はあるけれども。
    私はほんの数年前まで、不変なことが高尚で立派なことだと思い込んでいま
   した。ひとに対するキモチや思い、そして自分自身の考え方などの主観や生き
   方なども含めて、すべてのことにおいて変わらないことが真実なんだと変わる
   ことへの批判と変わることは悪いことだと思っていました。

    『諸行無常』
    この言葉に触れた時に、この世の中に不変なものなど何一つ存在しない。そ
   して、変わることは悪いことではないのだ。と理解し納得することができた。
   「ひとに対する思いやキモチも変わっていいんだ」と思うようになり、変わる
   と言うことは、好きから嫌いだけではなく好きからもっと好きに好意から愛情
   に変わることもあるのだと、遠回りをしてやっと気が付きました。

    以前、心について所在などをいろいろと考えたことがありました。
    そんな時にある本で『心の名前の由来は、ころころ変わるから』という記述
   を読んで「なるほどな」と感心したことがあります。

    心を水面に例えるひともいます。湖面ですね。
    その心は何事もないときは穏やかな水面ですが、ひとたび風や雨という予想
   にもしない出来事が起こると波立って荒れる。そこで、『心の器』の話をします。
    よく、「心が大きい」とか「心が広い」と言いますよね。それはどういうこ
   となのでしょう。
    水面ということは『水』ということですよね。その水に例えられる『心』が
   入っている『器』のことです。自分の心の器のサイズが200ccだとしまし
   ょう。そこにゴルフボールを投げ入れたとしたらどうなるでしょう。その器は
   割れてしまうかもしれません。割れてしまわないにしても水面は波立つどころ
   か溢れてごぼれてしまいます。
    しかし、その器のサイズが風呂桶だとしたらどうでしょう。少し水面が揺れ
   ますが、すぐに治まりゴルフボールを静かに受け入れるでしょう。私がそれが
   『心の器』ではないかと思います。

    それは生まれ持ったものではなくて、身体と同じように成長していくものだ
   と思います。日々の生活の中でいろいろな出来事を受け止めて、それを心の器
   が小さいと感じたときに少しずつ大きくしていくのだと思います。
    「そんなの関係ない、自分は自分のやりたいように生きていくんだ」と言う
   ひともいるでしょう。しかし、ひとは集団という社会生活で生きて暮らしてい
   るのです。『自分さえよければいい』という自分本位で利己的な考えを持って
   いては、この集団社会では暮らしていく資格はないと思います。ひとは自分ひ
   とりで生きているのではないのですから。

    私もまだまだ『心の器』はまだ小さいです。
    これから少しずつ大きくしていこうと思って、日々悪戦苦闘しています。


   (* ̄∇ ̄*)>えへへぇ〜ん♪



2002年09月27日 03時22分45秒

時の流れの早さに戸惑いながら・・・
気がついたら
もう2002年になって
1月も今日で終わりだ。
ホントに 早いぜ。 (* ̄∇ ̄*)>エヘヘ。。。
2002年01月31日 11時05分18秒

もう秋だよ。。。
                
          もう秋だよ
          オレは秋は淋しいんだよな
          なんかさ。。。
          秋の歌もさ、物悲しいものが多いじゃん。
          秋空もさ
          なんとなく淋し気だしさ。
          思わず、ため息も出るっていうもんだぜ。
          憂鬱だよな。
          こんな季節は淡麗でも呑んで
          酔っ払うしかねえよな。
          というわけで
          早速.....

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

          プッシュ!
          ゴクゴク.....
          「うめえなぁ〜、たまんねえぜ!」
          これから告別式に行くってのにな、不謹慎だよなオレも。
          (*^-^*)> ぽりぽり。
          いまWinの機種を使って書いてんだけどさ、なかなかいいな。
          オレのマシンはiMacなんだけどよ。
          たまにはこっちもいいな(* ̄∇ ̄*)エヘヘ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2001年09月09日 12時55分25秒

真夏の熱帯夜
  暑い.....
  (~ヘ~;)ウーン...暑すぎる。。。
  異常気象だな。

  たまにはいいかもね(笑)。
  地球をイジメてる人間への酬いだから。
2001年07月18日 21時43分03秒

疲れた日記
ひさしぶりの更新です。

今のオレを形成していく過程で少なからず影響を受けた本がある。

まずは中学生のときに読んだ、太宰治の『人間失格』
当時、精神的に不安定で自閉気味だったオレは陶酔した。
今振り返れば笑っちゃうけど、深刻に「オレは、もう...」
なんて、この世から消滅したいと思っていた。

そして高校に入学して、現代国語の授業で
中原中也の詩に出会った。
『春の日の夕暮』という詩だ。
〜トタンがセンベイ食べて
 春の日の夕暮は穏やかです〜
という出だしで始まる詩は、オレの心に静かな
インパクトを与えた。
たしかに中原中也の詩は寂しい詩だよ。
だけど、オレは中原中也の詩を読むことで
キモチが前向きになった。

そして、坂口安吾の『堕落論』。
この本にはシビレた。
今までの自分の価値観や考え方を改めさせられたと言っても
過言でもない。

高校を卒業するころ漠然と自分の将来のことを考えていた。
そんな時に、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』
という本に出会った。
もっと柔軟で自由な感受性・価値観・判断基準が
あってもいいじゃん、って思わせてくれた。

いまでも、これらの本はたまに目を通したりする。
そのときどきで感想が違うのは、面白い。

気になったら、読んでみても損はないと思うよ。
たぶん(笑)。
2001年06月26日 19時32分00秒

久しぶりの更新
世の中が物騒になってきたとTVで騒いでる。 確かにそうだ。 ホントにそうだ。。。 先入観や自分の都合だけで、決めつけてないか? いろんなことをさ。 自分だけは大丈夫・特別だって思い込んでないか? 自分や自分に近くて触れ合ってるひとたちには 大切で必要なひとかも知れない。 だけど、電車の中や道ばたで見知らぬひとに 襲われた時に、自分の都合のいい考えや思い込みは 通用しないんだぜ。 もちろん、会社の中の肩書きもな。 自分を守るのは自分。 それは自然なことだぜ。 人間以外の生き物はちゃんとやってる。 甘えてるんだよ。 人間だけがさ。 もちろんオレもね。 短絡的じゃなくて、もっと広く深く考えても いいじゃん。 (~ヘ~;)ウーン...(笑)。
2001年06月20日 22時07分19秒

(*^-'*)> ぽりぽり。
  もうそろそろさ、この日記も終わろうかな?
  なんだか、飽きてきた(*^ー`) フ〜。

  ネタ切れかな(笑)。
  もっと打ち込みたいけど、出かける。

  かわいいおネエちゃんに会いにいくのだ(*^-'*)> ぽりぽり。
2001年05月06日 20時17分10秒

H(^0^)E(^-^)L(^○^)L(^-^)O(^○^)ー♪
 最近ちゃんと自分もひとも見て(理解して)ますか?

 忙しい中でじっくり向き合うってことはムズカシイけれど、大事なことだと想う。
 レッテルを貼って、「あの人はこういう人だ」「自分はこうだ」と決めつけて見て
 しまうと大切なモノを見逃してしまうし、自分本位の思い込みを増長する。
 ギクシャクしてる人間関係は、ちゃんと見ていない証拠なんだろうな。
 ちゃんと見てないってことは、その相手を軽く見てるだろう。
 確かに、関係する全てのひとと重要で深い中になるのは無理だし、その必要もない
 それに相手によって関係の重要度をランク付けするのは普通だけど、それと人を軽
 く見るのは違う。人を軽く見るってことは、その人を軽蔑して蔑視するってこと。
 そんなこと神様でもできないのに、平気でやっちゃう。「そんなつもりじゃない」
 と当人は反論するが、それは意識していないだけで無意識・心の底にしっかりと根 
 ずいているんだ。だから軽く見ても平気でいられる。そこで、少しでも『自分をひ
 とをちゃんと見よう』というキモチがあれば、そんなことはしない。
 人を軽蔑して蔑視するってことは、人の心を深くキズつけるということだよ。

 平気でキズつけて、平気でいる。
 そういう人をどう想います?
 オイラが想うに、そういう人はキズつけられても文句は言えないよ。

 それでもいいと言うなら、そんな人は集団社会で生活していく資格がないから、人
 里離れた所で暮らしてください。
 なんて、少し言い過ぎましたm(._.)m ゴメン。

 まあ、そういうことで
 自分もひともちゃんと見るように心掛けましよう。

 (o・・o)/~マタネェ

 
2001年01月11日 19時32分58秒

☆楽しくやろうよ((((ノ^◇^)ノ ウヒョヒョヒョ☆
 いらしゃいませー ☆m( _ _ )m☆

 毎日を自分をごまかさずに生きていますか?
 心のままに行動してますか?
 社会的なマナーの範囲内ってこを前提にだよ(笑)

 でも最近いろんなことを履き違えてる把握しているひとが多くないですか?
 例えば「自己主張」。自分の意見や立場を主体的にも客観的にも理解し判断した上 
 で主張することなのに、ワガママを吐いて自己主張だ、と言う。なんだか悲しい。

 というわけで、いよいよこのHPの本題「平成の世を駆ける人々の心のオアシスを
 目指して!」に入ります(←おいおい、今頃かよ(笑))

 それはおいといて、世の中には『癒されたいひと』が多くなってきました。オイラ
 もその中の一人なんだけどさ、『癒されたい』と感じてしまうのは、かなり自分に  
 無理をかけてるんじゃないのかな?と想う。ストレスを全く感じない方法はないけ
 ど、受けるストレスを少しでも軽くすることはできる。大変なことを無理して大し  
 たことじゃないとか、私はこんなことストレスとは想わないって無理に感じ方を変  
 えないこと。そのままを受け入れた方が軽くなるんじゃないかな?これはオイラが  
 想っているだけで、医学的な根拠も何もないからね。そこんとこ、よろしく!(懐 
 しい横浜銀蝿風)

 とにかく、いろいろと大変な世の中だけど、自分を見失わずになんとか乗り切りっ
 ていきましょう。自分をごまかさず、自分を偽らずに等身大の自分で自分の能力の
 範囲で、できることをやっていきましょう(これを言い訳にしちゃダメよ)。
 自分だけが大変じゃないんだ。子供もお年寄りも若者も熟年も青年も、み〜んな大
 変なんだよ。そう想うだけで、少し心が軽くなってくる気がする。新世紀が始まる
 今年を良い年にするかどーかは、自分の気持ちの持ち方次第だよp(^-^)q ガンバ!

 それじゃ、また
 ( ^ 0 ^ )/~~~~see you!
2001年01月10日 17時47分41秒

☆ニューセンチュリー☆
 あけましておめでとうございました。
 いやはや21世紀ですね(*^-'*)> ぽりぽり

 毎年のことですが、新年の抱負を考える  
 けど、設定が高すぎて挫折してしまう。
 だから今年は少し低めに設定しました。 
 1.中性脂肪を正常値まで落とす!
 2.成せば成る何ごとも!
 とりあえず、今年の抱負はこのふたつです。

 というわけで、オイラの2001年は幕開けしました。
 今年は必ず良い年にするぜ( ̄‥ ̄)フンッ!(←いばってどーする(笑))


 ちなみに元旦から8夜連続も呑み続けていたんで、心身共にボロボロです。
 とりあえずはしばらく飲酒は控えます。
 このままではカラダとお金がもたないから...(ノ_・、) グスングスン

 ところで、世の中だんだんおかしくなってきてませんか?

 テレビのニュース番組を観ていて、首を傾げることばかりです。
 躊躇することなく殺人を犯す少年や大人たち、成人式会場でバカ騒ぎする若者。
 倫理や道徳、TPOのマナーはどこに行ってしまったんでしょうか?
 親子関係、友人関係、恋愛関係、職場係関係、、すべてのの人間関係が希薄になっ  
 てきてるからではないのか?と想う。確かに心のふれあいってのがなくなっている 
 気はします。
 人間関係が希薄ってことは、お互いに相手を大切にしていないことだよね。
 ということは自分のことも大切にしてないってことになる。
 自分を大切にしていないってことは、自分を理解していない。理解してないから自 
 分を正しく認識してない。ということは、世の中も正しく認識していない。
 そんなヤツらが多くなったから、世の中がおかしくなってきたと想う。
 でも、そんなヤツらに共通しているのは、すぐ他人を非難することだ。
 「男は、こうあるべきだ!」
 「あいつは自己中心的だ!」
 「利己主義者だ!」
 「オレはあいつと違う」
 「この職場では、オレの真価は発揮できない」
 「この会社の上役は人を見る目がない」
 ちょっと待ってくださ〜い。
 あなたの言ってることが自己中心的じゃなくって??
 自分に注目してくれ、関心をもってくれ、賞賛してくれよ!って聴こえるわよ。
 それって、幼児が甘えてるようにしか見えないわよ。って奥さんもそう想わない?
 結局、あ・ま・え・て・る・だ・け・!
 常に自分以外の誰かに誉めてもらわないと不安になって不満が溜まるから、ホント 
 の自分にある自己中心的で利己的な本心を隠くことにいっぱい×2だから、他のこ
 とは何にも見えないのねぇ〜・・・。ある意味カワイソウだ。

 ひとはひとりひとり違う。
 価値観も嗜好も考え方も違う。
 自分の価値観を信じるのはいい。
 それは主体性のある自信に繋がるから。
 信じることは認めること。
 自分も自分以外の人やあらゆる物を認めれば、思いやりの心が生じてくる。
 そうすれば自然に自分もひともいろんなことを大切にできる。

 人間としての優劣を決めようとする心がひとの心を卑しくしてく。
 社会的地位がなければ、生きている価値がないの?
 美形じゃなければ愛される価値はないの?
 頭が良くなけりゃ、存在価値はないの?

 少し落ち着いて考えてみれば、わかることじゃん。

 人間は誰でも、いいところも悪いところもたくさんある。そのすべてを受け入れて
 ることが自分をひとを認め信じられるんだ。長所だけを見てその人を好きになるっ 
 てことはその人自身が好きなんじゃなくてその長所だけが好きなんだ。

 そのまま、ありのままの自分をさらけ出して生きていこうよ。それが普通のこと、
 当たり前のこと。誰も誰かに負い目を感じることはない。自分は自分でいいんだ。

 ひとりひとりが、ありのままで素直に生きていたら、きっと悲惨な事件なんて起こ 
 らないだろうね。

  自分だけが幸せになりたい。
  自分だけが不幸だ。
  自分だけが認めてもらいたい。
  自分だけが認められていない。
  自分だけが愛されたい。
  自分だけが愛されない。

 そんな「自分だけが..」教の狂信者(自己中心的人間)がひとりでも思い直せば、
 世の中、よくなると想う。

 しかし、恐怖の自己中大魔王のオイラがこんなこと語るなんて、変?
 (*^-^*)> テレルネ(笑)

 人間関係は難しくないよ。
 単純だって。
 難しくしてるのは自分自身。
 楽しくやろーぜ!!

 では、またヾ(^o^)ばいばいきぃ〜〜〜ん♪

 ( _ _ ).。o○おやしゅみ.....
2001年01月10日 02時39分01秒

中性脂肪!!
やりました(;>ω<)/ひぃ〜
オイラの中性脂肪(血清トリグリセライ値)は847ミリグラム/デシリットルを記録してしまいました。
ちなみに基準値は70〜150だそうです(笑)
たまらんねぇ〜ε=(´ロ`)げぷっ
「中性脂肪が増えると、心筋梗塞・狭心症になりやすい」ってさ。
それってヤバくなぁ〜い?
(-。-)y-゜゜プハ〜
非常にヤバいです。大変です。酒を控えて、有酸素運動を行い中性脂肪を減らさなければいけません(πーπ)...
このまんまじゃ、中年オヤジへまっしぐら!なんとかガンバってみやす(*^∇^*)」

皆さんもカラダには十分気を付けて、楽しい人生を送りましょう〜( ̄▽ ̄〜)(〜 ̄▽ ̄)〜

では、今日はこのへんで失礼しやすm(_ _)m
2000年10月24日 09時50分03秒

【疲れた日記】
 カゼをひいちまったらしくて、2・3日ダルダルだった。
 ビールをたくさん呑んだお陰で、なんとか復活したみたい^∇^)

 そんなこんなで、相変わらず人生を不真面目に生きているオイラです^Q^)
 なんだか退屈すぎて、何もやる気が起こらない。
 詩でも書いてみようかと思うけど、何も書けないだな、これが・・・

 何年か前までは物書きになろうと、日夜本を読んだり、いろんなことをノートに殴り書きして詩になる言葉を探していたら、こんな詩に出会った。

     無意味

   言葉は要らざるものゝ第一である
   我等言葉をなくして生きたいと思ふ
   初めの言葉に継ぎ足すべき言葉はどこにも発見することが出来ない
   言葉を知らざるもの言葉に意味を持たせて言葉をつゞる
                         (後略)


     不要

   何も書くことは要らない
   書けばそれだけ書くだけ心を乱すことだ

   何を言うても間が抜けている
   何と書いてあっても読むに堪えんのだ

 これは大正から昭和にかけて活躍したダダイズムの詩人・高橋新吉の詩である。
 参ってしまった。この詩人に言わせれば、「詩人はつねに未生以前の天地開闢以前の、一切が名付けられない時空の混沌に帰りつづけ、また現実に戻りつづける。重力の原則、遠近法の常識もここでは役に立たない。この傾向が進めば、ことばさえまどろこしいものとなる。そこに禅に言う『不立文字』ということがかかわる。悟道は文字・言説によっては伝えられず、心から心へ伝えられる」
 ってさ。マジで参ってたら、今度は戦後の詩人・田村隆一の「帰途」っていう詩が、これまた何というか、オイラが如何に軽く詩を書いていたのかを痛感させられっちまった。

   帰途

  言葉なんかおぼえるんじゃなかった
  言葉のない世界
  意味が意味にならない世界に生きていたら
  どんなによかったか

  あなたが美しい言葉に復讐されても
  そいつは ぼくとは無関係だ
  きみが静かな意味に血を流したところで
  そいつも無関係だ

  あなたのやさしい眼のなかにある涙
  きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
  ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
  ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう

  あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
  きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
  ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

  言葉なんかおぼえるんじゃなかった
  日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
  ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
  ぼくはきみの血のなかに
  たったひとりで帰ってくる


 いやはや、降参だね。参りましたm(__)m
 ムズカシイやね。オイラにゃ〜わからん^0^)
 しかし、こんなんも