1.チケットゲット!

 それはまさに青天の霹靂と言ってもいいくらいの衝撃だった。もちろんこの場合は良い意味
でだ。

 6月5日、水曜日のことだった。仕事を終えて会社のエレベーターの中、携帯を手にしてみる
と5件も着信通知があった。どれもこれも友人Kのものだった。よっぽど急ぎの用でもあったの
かな?そう思いつつ一件入っていたメッセージを聞いてみる。急ぎで折り返し電話が欲しいとだ
け残してあった。14時過ぎに入れたメッセージ。4時間近く前のものだ。何だろう?もう遅いか
もしれないけど、とりあえず電話してみよう。会社を出てから発信する。留守電だ。ちょっと気に
なるけど仕方がない。あれ、ちょっと待てよ。メールが来てる。それを見てみた。
「9日の日本対ロスア戦みにいきませんか?Kより」
えっ!!!!????どゆこと????!!!!僕は慌てて再度Kに電話をかける。やっぱ
り留守電だった。僕はメッセージを入れる。
「行きます行きます行きます!!よろしくお願いします!!!」

 諦めかけていたチケットだった。2002 FIFA WORLD CUP KOREA/JAPAN。その
開催国である日本の試合。どうしても見たかった。でも一次募集も二次募集も駄目だった。TS
Tチケットでロシアを申し込んでも駄目だった。いろんな懸賞も申し込んだ。マスターカードもオ
リコカードも使いまくった。パソコンも「DynaBook」を買った。カップヌードルも食べた。FUJI 
XEROXやOCNの懸賞も申し込んだ…。でもことごとく外れてしまった。残念だがどうしようもな
かった。もしかしたら当選の通知が届くかもしれないと、直前まで祈り続けていたが、さすがに
試合が四日後に迫ったこの日にはほとんど諦めていて、スウェーデンのTSTチケットを購入し
た会社の後輩から、7日神戸で行われるナイジェリア×スウェーデン戦と、15日新潟か16日
大分で行われるA組2位とF組1位の決勝トーナメント1回戦を買って、少しでもワールドカップ
を楽しもうと心を切り替えていた矢先だった。
 チケットの出所はKの奥さんN(彼女も僕の大学時代の友達だ)の高校時代の友達という、僕
とは何の縁もゆかりも無い人からだった。しかもその人は最初他の友達と行く予定だったの
が、急にいけなくなって、高校時代の友人たちに声をかけてみて、Nからだけ参加意思が届い
て、後1枚残っているからどうしようかということになって、試合を見たがっていた僕はどうだろう
ということになって、でも連絡が取れないから他の友人にかけてみて、彼も繋がらなかったとこ
ろで僕がメッセージを入れたのだった。メッセージを入れてしばらくしてKから連絡があった。ま
さしく奇跡と言っても過言ではないだろう。会社の人たちにも言われたが、ありえないところから
幸運は舞い込んできた。心から願えばそれは適うのだと身に染みて感じた。思えばこれほどま
でに願ったことってどれだけあったか分からない。とにかく僕は念願の日本×ロシア戦のチケ
ットを手に入れることができた。それから当日まで、僕はずっと昂揚しっぱなしだった。


2.会場まで

 6月9日日曜日。僕は元々入っていた予定を無理言って切り上げてとりあえず渋谷に向かっ
た。ユニフォームを買うためだ。木曜日にKから「ユニフォームとか買うんか?」という電話がか
かって来た時はそのつもりは無かったから「ううん」と答えた。青いTシャツを着ていけばいいか
な、と思っていた。別にユニフォームで応援するわけじゃないし、などと、その辺は冷めてる。し
かしそれもここに来て変化していた。金曜日に神戸で熱狂的なスウェーデンサポーターの姿を
見て、そして土曜日に大阪でスポーツショップを練り歩き、ユニフォームや応援Tシャツを物色
するにつれて、やっぱユニフォームを着て応援したい!って気持ちになっていた。

 渋谷のワールドスポーツプラザに行ってみる。行ってみてびっくり。店の外には何十人という
大行列が出来ていた。なんだなんだ?みんなグッズを買うのに並んでいるのか?いやいやまさ
かそんなことはないだろう。僕は行列を無視して店内に入ろうとする。しかし警備員らしき人に
立ちはだかれてしまった。さすがにユニフォームを買うのに並んでいたら待ち合わせの17時に
間に合わなくなりそうなので、この店で買うのは諦めた。(後で分かったことだが、その行列は
ワールドスポーツカフェで日本戦を見るための行列で、プラザとはやはり違かったようだ。)
 そこから近くの「CAMPIONE」でユニフォームは買うことが出来た。そこも大混雑でたくさん
の人が日本のユニフォームを物色していて、待ち合わせ時間に間に合わなくなるんじゃないか
と気をもんだが、とりあえず買うことは出来た。僕は番号の入っていないユニフォームを買っ
た。中村俊輔が代表に選ばれていたら10番を買っていたかもしれないけど、特定の誰かを応
援する気持ちはなかったからだ。もともとユニフォームに誰かの名前を入れるのがあまり好き
ではないというのもあったし。

 東急のトイレでユニフォームに着替える。それを鏡で眺めてみる。ドキドキしてきた。いよいよ
始まる。叫びたくなるような昂揚を胸に、僕は電車に乗り込んだ。僕以外にもユニフォームを着
た人たちが何人も乗っていた。みんなこれから横浜国際競技場に向かうんだ。初めて会った
わけだし、声をかけた訳でもないが、なんだかみんな仲間のように思えてくる。
 17時ジャストに小机駅に到着する。改札付近はたくさんの人だかりだ。Kたちは見当たらな
いが、とりあえず帰りの切符を買うために列に並ぶことにする。そうしたらKとNを発見した。切
符を買って彼らと合流する。まもなくNの友人Tさんも到着した。僕は彼と初顔合わせだったの
で、簡単にあいさつし、それから深々と感謝を述べた。そして僕らは競技場へと向かった。

 開門は17時半で、すでに長蛇の列が出来上
がっていた。ただ僕らの後にもどんどん人は並
んできて、それは青い巨大な蛇のようにうねうね
と連なっていった。まさしく青一色だった。ほとん
どの人がユニフォームか青い応援Tシャツを着
ていた。若いカップルもおじさんおばさんもおじ
いさんも小さな子どもも、みんな日本サポーター
だった。僕もその一人だった。ロシアサポーター
は全く見当たらなかった。これぞホームなんだと
思った。
 開門してからしばらくは動けずにいたが、
やがてゆっくりと動き出し、ボディチェックの
ゲートでもそれほど待たされずに済んだ。T
さんからもらったチケットは当然僕の名前で
はなかったが、チケットの名義を確認するこ
とはないことは神戸ですでに知っていたの
で、ほとんど心配していなかった。ゲートを抜
けてしばらく進んでもう一つのゲートへ。
そこを抜け、いよいよスタジアムに入場した。


3.試合開始前

 席はカテゴリー2の2階席の一番後ろから2番目の席で、グラウンドからはかなり離れてい
た。Tさんは「遠い席でゴメンね」なんて言っていたが、ここまで来れたのも奇跡なのだから文句
など言うはずがなかった。それに遠ければ遠いでスタジアム全体を見渡せる楽しみもあるか
ら。僕は席にどっかり座り、まだまばらな観客席をぐるりと見渡した。胸の高鳴りが少しずつ、
少しずつ大きくなっていくように感じた。
 困ったことが一つあって、それは早く来過ぎてし
まったことだ。神戸で見たときは試合開始30分
前に行ったので気付かなかったのだが、ビール
が試合開始90分前、つまり19時にならないと販
売しないのだ。1時間以上も待たなくてはならな
かった。僕らはK夫妻が用意してくれたお弁当を
頬張りながら、とりあえずはビールが買えるよう
になる時間を待つことにした。
 試合開始の前に横浜市長が音頭をとりながら神輿やら踊りやらのセレモニーがあったが、真
剣に演じている彼らには悪いが、やっぱり僕らにとっては時間つぶしの余興でしかなく、早く選
手紹介が始まらないか、早く選手が入場しないか、当然のことながらそればかりを心待ちにし
ていた。19時半を過ぎた頃にはだいぶ席も埋まってきて、たびたびウェーブなんかも起こった
りした。でも横浜国際競技場は1階と2階に分かれている所為か、いまいち盛り上がりに欠け
た。神戸でウェーブが起きたときはかなり盛り上がったのだ。ウェーブが3周りもした。もしかし
たらそれはウェーブ好きなスウェーデンサポーターのお陰だったのかも知れないが。
 そしてとうとう選手紹介が始まった。日本選手には当然のことながら大歓声が沸き起こる。か
たやロシア選手、特にスメルチンやカルピンといった有名どころの選手にはブーイングの嵐
だ。僕はあまりブーイングという行為が好きではないのでそれには加わらなかったが。少し残
念だったのは、森岡がベルギー戦の怪我でスタメンから外れたことだ。僕(この時点では結構
な人が同様な思いを抱いていたと思うが)はフラット3の真ん中は森岡でなければ駄目だと思っ
ていた。宮本じゃ不安だ、点が取られてしまうかも…。僕の心に不安が過ぎる。
 そして遂に選手入場!いよいよこの時が来
た。自分がプレーするわけでもないのに緊張
する。国歌斉唱ではスタジアム全体で「君が
代」がこだまする。僕は歌いながらそれを見
渡しながら、この場にいられることに幸せを
感じていた。でもまだまだ幸せを感じたい。
日本が勝利する瞬間に立ち会いたい。僕は
心の底からそう願った。


4.ゲーム

 試合は始まった。スタンドは終始ニッポンコ
ールの大合唱だ。周りもみんなそうだった。し
かし、僕はそれに加わることができなかった。
ロシアチームが日本陣内に侵入してくる度に
息が詰まる思いだった。僕は固唾を呑んで、
両手をギュッと組み合わせて、前のめりになり
ながら、わき目も振らずボールや選手たちの
動きを見つめていた。とにかく前半は0点に抑
えてくれ!そうすれば後半はロシアもバテて、
きっと勝つチャンスは見えてくるから。とにかく
日本ディフェンスライン、耐えてくれ!そういう
願いでいっぱいだった。ときどきボールがライ
ンを割ったときなんかにニッポンコールに加わ
ることもあったが、ゲームが再会してしまえば
また固唾を呑んで、両手をギュッと組み合わせて、前のめりになってしまっていた。見ているほ
うがこんなに余裕がないのも困ったものなんだけど。
 危ないシーンもあるにはあったが、思った以上に宮本を中心としたディフェンスラインがしっ
かりしていて、前半を0対0で乗り切った。僕の喉は声もそれほど出していないにも関わらずカ
ラカラだった。そこでビールを買いに行く。
 ビールをグイッと飲んで、ほっと一息ついて後半が始まった。まだ会場全体がなんとなく試合
に集中し切れていないような雰囲気の後半6分、遂にそれは起きた。
 確か日本がフリーキックのチャンスを得た
のがその始まりだったと思う。中田ヒデがロシ
ア陣内のペナルティエリアから少し離れた場
所にボールをセットした。僕は不意に思い立
ってデジカメを用意した。今まで忘れてたけ
ど、日本のチャンスを少しくらい収めておこ
う。しかしデジカメを構えたその直後、ヒデは
ゴールのほうではなく、右のほうにボールを
叩いた。ありゃ。シャッターチャンスはすぐさま
消えた。しかし、待てよ。なんだかとてもいい
感じだ。中田浩二がボールを中央に入れる。
そこには柳沢がいる。僕はボールを目で追い
ながらもカメラは構えたままだった。ボールが
稲本に渡った!シャッターを押した。あっ!入
った!入った!!ゴール?オフサイドじゃないよね!?ゴール、ゴール、ゴールだ!!!日本
先取点だ!!!!スタンド中が沸いた。僕もKたちも周りみんな立ち上がってガッツポーズをし
た。心が打ち震えた。稲本がやってくれた、遂にやった!!
 それから僕はなんだか重荷を下ろしたかの
ように心がスッと軽くなった。まだ40分近くあ
るが、勝てるという確信が持てたのだ。それか
らは心の息苦しさもなく、純粋に試合を楽しめ
た。ニッポンコールも声を張り上げて叫びに叫
んだ。中山の登場でスタンドは一層盛り上が
り、僕もTさんたちと「たいちょー!!」なんて叫
びながら楽しんでいた。何度か危ないシーンも
迎えたが、大丈夫、絶対勝てると思った。
 そして歓喜の瞬間は訪れた。タイムアップ。
スタジアム中で喜びが爆発した。選手も、サポ
ーターも。選手たちは抱き合い、サポーターた
ちは跳ね上がって声を限りにニッポンコールを
連呼する。しばらくして選手たちがスタンドにあ
いさつなく去ってしまったのは心なし物足りなく
思ったが、でもそれはまだグループリーグが終
わってなく、決勝トーナメント進出が決まってい
ないからかもしれなかった。
それはそうとして、とにかく日本のこのワール
ドカップという舞台での勝利に、僕の体内は
熱い想いが駆け巡っていた。ジーンと、瞳の
奥が熱かった。ニッポンコールは選手たちが
いなくなってもいつまでも鳴り止まず、僕らも
立ち去ろうという気は毛頭起こらず、スタジア
ム全体一体となって喜びを共有していた。


5.余韻

 喜びの共有はスタンドを後にして一層感じられた。ゲートに向かう道すがら、誰も彼もがニッ
ポンコールを連呼する。僕も「ニッポン、ニッポン」笑いながら叫んだ。そして向かい側から来る
人たちとハイタッチを繰り返す。ボランティアの人たちも一様にうれしそうで、手を広げて僕たち
を迎えてくれた。彼らみんなと僕らは手を合わせた。誰もがこの日初めて会う赤の他人だった
が、しかしこの空間ではもはや赤の他人ではなく、共通の喜びを分かち合う仲間だった。長い
間辛苦を共にした戦友だった。この感動の共有はワールドカップのホスト国で、そのホスト国
の試合で、ホスト国が勝たなければ味わえない、とても貴重なものだった。それを僕は存分に
味わった。笑顔が絶えない。こんなに心の奥底から笑みがこぼれたのは、この前は一体いつ
だったか、思い出せないほど喜びは次から次へと湧き上がってきたのだ。
 スタジアムを出て、辺りの明かりが弱まって、ようやく僕も周りも落ち着いてきた。しかし喜び
の灯は当然消え行くはずもなく、僕らを陶酔させ続けた。駅の近くで30分以上立ち往生を食ら
っても、文句をいう人は誰もいなかった。警察の案内にも素直に受け答えしていた。もし日本が
負けていたら暴動でも置き兼ねない混雑と待機時間だったが、大多数の日本人にとって最高
の夜だったから、誰も怒りなんて感じるはずもなかった。
 家までの終電には間に合ったけど、おとなしくこのまま家に帰る気もあまりなかった。いい具
合にKにこれから彼の家で飲まないかという誘いがあったので、翌日は朝から仕事だったにも
関わらず二つ返事でOKした。
帰りの車内は結構おとなしいものだった。ニュースでは日本の試合が終わるたびに若者たち
の大暴れ振りが映像に映し出されていたが、僕らの周りは静かに余韻を味わっている感じだっ
た。それだけ大人だったとことかもしれない。
 結局この日はKの家でビデオに録画した日本×ロシア戦を見ておさらいしながら夜中の3時く
らいまで飲んでいた。翌朝5時に起きて、一旦自宅に戻って、シャワー浴びて、会社に行った。
当然のことながら眠かったが、周りもみんな眠そうで、全体的に仕事をまじめにしようという雰
囲気はなくて、やっぱりうきうきした感じは持続し続けていた。


6.そして

 その後、決勝トーナメント進出を決めた日本をまた見ようと、絶対ベスト8まで勝ち登ると確信
した僕は、大阪の準々決勝戦のチケットを後輩から購入した。結局その確信ははずれ、トルコ
×セネガル戦を見る羽目になってしまったが、トルコは思った以上に強いチームで、日本が敗
れてしまったのも仕方がないと思った。
 マスコミも周りもベスト16まで行ったんだから日本はよくやったという声が結構聞かれるけれ
ども、やっぱり僕は悔しくてならない。トルコの試合を見てトルコは強いと思ったし、結局今の日
本の実力はここまでなのかもしれないと思っても、やっぱり悔しくてならない。もう一度日本の試
合を見たかった悔しさというのもあるけれども、日本×トルコ戦は明らかにチームが機能してい
なかったように思えるし、失点がミスから起こったものだということも悔しさとしてある。そして日
本には韓国のように先制されても絶対取り返すんだというハングリーさが欠けていたと思う。4
年後、それらをバネにしてきっとまた決勝トーナメントの舞台に立って欲しいと思う。そして今度
こそベスト8へ!!
 ワールドカップを通してたくさんの感動をもらった。日本の勝利もそうだったし、ロビー・キーン
がドイツ戦で終了間際に得点したのもそうだったし、決勝戦に敗れたカーンがゴールポストにも
たれるシーンにも感動した。感動の6月は終わった。ワールドカップが終わってなんとなく毎日
に物足りなさを感じるのは僕だけではないだろう。でも、これからは自分で感動を作り出さない
とな、せっかく彼らに感動を教えてもらったんだから。なんて、思ったりしている。



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