偉大なる母の足跡
〜2005沖縄旅行記〜




斎場御嶽より神の降り立った久高島を望む
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沖縄にいる。東京にしばらく住んでいたというマスターが経営している那覇の居酒屋でイイ感じ
で飲んで来たところだ。

沖縄には初めて訪れたが、第一印象は、「思ったより普通の日本だな」だった。
侮辱とかそういうことではなく、僕の中で沖縄のイメージは、固有の文化を色濃く残し、かつアメ
リカの影響を強く受けた、古びた町並みだったのだ。

もちろんそのイメージは那覇以南をドライブして得たイメージに過ぎないし、那覇の国際通りは
ちょっとエスニックな印象を受けたし、明日以降もっと強烈な印象を抱くのかも知れない。
今回は本島のみの旅だが、離島へ渡れば印象はまた違うのだろう。
ただ沖縄初上陸の僕は、勝手に妄想を膨らませていただけだ。
日本の中にいるにも関わらず異国情緒満載のような。
セブンイレブンがない代わりにホットスパーが点在し、ラーメン屋の代わりに沖縄そば屋がの
れんを構え、あちこちでシーサーが家を守っていたとしても、やはりここは日本なのだ。

こんな感想を聞いたら沖縄の人はもしかしたら気を悪くするのかも知れない。
居酒屋のマスターも、国際通りで話したアクセサリーショップの店員も、「沖縄はどう?」と聞い
て来た。
挨拶以上の感情を含んでいると僕には思えた。
沖縄の人達はもしかしたらヤマトンチュとの差異化を望んでいるのかもしれない。
ヤマトンチュとの文化の違いこそが彼らの誇りなのかも知れないと、そんな気がした。

初日の今日は南部を周って来た。
喜屋武岬ではその美しさと激しさに心を奪われた。
最初は六十年前に多くの人が犠牲になった場所だから、慰霊のつもりで訪れたが、圧倒的な
自然の姿にすっかり魅せられた。
白亜の岸壁、エメラルドの海、真っ白な波飛沫。
台風が去った直後だったから余計なのかも知れないが、岩に激突して砕け散る波飛沫の激し
さは、人類の悲劇を俯瞰してるかのように、ただ無言で数千年先の未来を彫刻していた。
岬に命を投げ出して行った人達を思い浮かべると、自然のスケールとの限り無いギャップに、
一層悲劇を感じずにはいられなかった。

喜屋武岬


沖縄には数多くの御嶽(ウタキ)と呼ばれる聖域があるが、南部のドライブのお陰で岩場に信
仰を抱いた古の沖縄の人々の気持ちが分かる気がした。
あまりに荘厳な岩をあちこちで見ることができるのだ。
今日行って来た斎場御嶽はもっとも有名らしいが、そこでなくても神を感じてしまいそうな岩は
たくさんあった。
また斎場御嶽から久高島を眺めたとき、ニライカナイの伝説も真実に思えて来る。
僕が大昔のここの住人であれば間違いなく信じるだろう。
でもそれはきっとヤマトでも同じことに違いない。
自然と背中合わせの生活をしていれば、自然の中に神の存在を認めないわけにはいかない
はずなのだ。
なぜなら自然の営みによって生まれたあらゆる作品は、人間のそれを遥かに凌駕している。


斎場御嶽


明日は北のやんばるを目指し、バン崎の褶曲岩を見てきたいと思っている。
泊まる場所は未定だが、なんとかなるだろう。
明日以降もとても楽しみだ。


Aへ続く


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