地の果て(シリエトク)より
〜2006年知床旅行記〜



知床五湖


一日目

知床は今日は雨だった。


仔馬を護りながら身体を休める馬の群れ

それでも僕の旅のスタンスは変わらない。歩く。歩きながら思索する。散策のない思索は必ず
どこかで行き詰まる。でも散策しながらの思索はどこかに必ず次のステージへの扉が隠されて
いるのだ。

ここ数年僕は自然の残る場所ばかりを訪れているが、それは神に出会うためのような気がし
ている。とはいえそれは信仰や宗教によるものではない。僕は原初の魂を感じたいのだ。

神とは原初の魂が見いだした抗いようのない絶対的な力だ。僕はそう思っている。宗教の教義
は人間が作り出したものだ。それは絶対ではない。でも自然が指し示す力は真実なのだ。絶
対なのだ。

原初の魂は絶対的な力を感じ取り、あらゆるものに神の存在を感じていた。ここ知床の地でも
滝や岬や奇妙な岩に神を感じたに違いない。

しかし僕が今日訪れた場所、オシンコシンの滝だったり、オロンコ岩だったりは、人が入るため
に道が作られ、杭が打たれ、コンクリートで固められていた。そこに神はいなかった。  


     オロンコ岩からの展望

観光地に神はいない。人が手を加えてしまった場所、容易に足を踏み入れられる場所に神は
存在しないのだ。富士山やエアーズロックにももはや神はいないと思う。神とは人の手を加えら
れない、踏み入るに畏れ多い原初の場所に存在すると思うからだ。

残念ながら知床は今日見た限り人の手が加えられ過ぎている気がした。人が守らなければ保
ちえなかった自然。それはなんとも弱々しい。

とはいえ知床五湖は木道が整備されてはいたものの、原生林が残され、湖は神秘的だった。
ここは人が多いと聞いていたが、時期がずれているのもあるだろうし、雨の中全コースを歩く物
好きも少なくて、僕は雨の音と杉の匂う静けさの中散策することができた。熊除けの鈴を最初
着けていたがうるさくてやめた。


ヒグマには遭遇したい気持ちもあった。目の前に突然現れたらそれはビックリするだろうが、遠
目でいいから出てきてくれないか、期待しながら歩き続けた。でも結局アイヌのカムイは僕の前
に現れてはくれなかった。神だもの、そうそう現れたらありがたみはないか。その代わりアイヌ
のユク(獲物)、エゾシカは至る所で見ることができた。それだけ姿を現していればそりゃ獲物
になるよと突っ込んでしまいたくなるほどだった。


叢に佇むエゾシカの牡

夜、小さな居酒屋で旬のサンマの刺身を食べながら、現地の人の会話を聞いていた。酔っ払
って自転車をどこに置いてきたか分からなくなり、意気消沈しているおじさんの会話だった。現
地の言葉が心地良く、エキストラの僕はただ気持ち良く酒を飲んだ。

今日の一句

雨の音と 木々の匂いと 僕の息

二日目

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