明治から平成を駈けた女 第2章 

 イクは看護婦としての第一歩をスタートした。

 大正10年4月の事であった。日本赤十字社富山支部救護看護婦養成所に入所して、看護婦になるための寄宿舎生活が始まったのである。生徒は、富山支部と石川支部を合わせて、二年生が8名と三年生が16名、新入生が16名の40人であった。舎監は清水舎監といって、温厚な中にも厳しさを感じさせる60歳前後の女性であった。三年間ここで生活をするのは、イクにとって好奇心に満ち溢れた明るい将来を感じさせた。
 三年間の学習過程は、看護学の学科と実習のほか、社会科学、語学、一般教養学科であった。一年生は学科を中心にカリキュラムが編成されていた。しかし、二年生と三年生では実習に重点が置かれて、ほぼ70%が看護実習であった。この中でも救護看護婦としての特殊な教育は、陸海軍規則や赤十字条約などがあった。特に担架演習は、戦争の中で救護班としての役割を意識しての練習であった。冬の厳しい寒さの中で震えながら、また、夏の炎天下の訓練で汗が目に入っても瞬きも許されないという厳しいものであった。
 しかし、この経験はその後のイクの人生に大きな自信をつけさせて、思うが侭の性格となった。

 入学して2ヵ月経った6月、クラスの友たちにも慣れた頃、一年生全員が高熱で倒れた。イクが最後の発熱であった。そのため、大部屋の病室が一杯だったのでイクの寝るベッドがなかった。しかし、運の良い事に特等病室しか空いてなかったので、一人その特等の病室に入った。ここには副室もあり、豪華な入院生活を味わう事ができた。人間は雰囲気によって性格も変わるものらしい。イクはこの部屋に入ったため、心まで大きい気持ちになってしまった。気にして様子を見に来た病院長や診察の医師にもイクは対等な気持ちで話ができた。
「君が最後の病人かね。もともと元気なのかもしれないけど、牛乳をうんと飲んで、早く病気を直さなければならないね。」
 病院長の優しい言葉にも、イクは恐れることなく、自分の思ったことをキチンと話すことができた。
「牛乳は臭いから、いやです。」と、きっぱり否定した。本当に嫌いだったからである。
 院長は、こんなにはっきり言う一年生にビックリしながら微笑みながら、それでも優しく諭した。
「牛乳は病気の身体にとても良いんだよ。そんなに臭くて飲めなかったら、薬だと思って飲んでごらん。」と言う。イクは、院長の優しい言葉に感動して思わずこっくりと頷いた。
 また、婦長が、
「熱が高くて、身体中熱いでしょう。」と言って、遠く離れたレントゲン室から扇風機を持ってきて、イクの為にかけつけた。
 入学して1ヶ月しか経たない一年生に、院長や婦長の暖かい思いやりのある言葉と優しい心遣いで、イクは感動した。

 イク達16人は、連名書に捺印した。

 大正11年3月の事であった。1年生は、第3学期の試験の真っ最中で、徹夜で勉強に熱中していた。その中で、ただ一人稲川さんだけが悠然としていた。この稲川さんには、25歳で小学校の教員経験があった。本当は18歳(当時は数え年で言う。現在では、まだ17歳)の一年生と同じではない事を、イク達一年生は理解できなかった。年齢は上であっても、同じ一年生ではないか。なぜこんなに悠然と出来るのか、不思議であった。考えてみると、小学校教員にもなっているので、一年生の教養科目は稲川さんにとって難しい問題ではなかったはずである。しかし、純真な乙女達はそれを理解できなかった。なぜ、稲川さんは勉強しないのだろう。苦しい勉強の合間にふっとそんな疑惑が頭を掠めたのはイクばかりではなかった。
 その理由がまことしやかに一年生の間でささやかれた。稲川さんは両手に答を細かく書き入れて、カンニングしている、という事であった。誰一人そんなものを見たわけではなかったが、その様な噂が飛び交うと、一年生達は動揺した。乙女に限らず女という生き物には、なぜか自分達と毛色が違う生き物には厳しいらしい。まして異色であったり、良い思いをしていると考えられる人間に対してとんでもなく残酷になるらしい。一旦こうと思いこんだ乙女達は、稲川さんに容赦はしなかった。
 イク達一年生は、稲川さんの立場を理解しようとせず、考えた事を実行しようと団結した。
 やり方は厳しかった。寄宿舎の舎監にその連名書を渡してはならない。勿論、教育主監にも事の事情を訴えてはならない。最も影響のある、又、決してもみ消す事のできない所を考えた。その結果、直接富山赤十字支部と石川赤十字支部あてに、この連名書を郵送したのである。
 その内容は、次の通りであった。
『1年生の稲川なるものの所業について、直接訴えたいと思います。私達寄宿舎生活をしている1年生たちは、目下試験で徹夜で勉強しています。しかし、同じ1年生の稲川さんは試験中であっても、机の前に座る事もせず、室長と雑談ばかりしています。これは他の者にとって大変迷惑であります。このような状態が、毎日行われているので、同室のもの達は、ほとんどノイローゼ状態に陥って困っています。又、教室で悪質なカンニングをしている稲川さんを見ていると、真面目に勉強する私達の勉強意欲を無くさせるものでもあります。このような稲川さんをこのまま許して置くのは、我々1年生の総意に反しています。このような稲川さんを是非処分していただきたいと考えています。もし、稲川さんを退学させなければ、我々1年生全員退学します』

 病院は、大騒ぎとなった。
 1年生の団結が強く、誰一人この問題を病院側に知らせなかったからである。病院外の富山と石川両支部からこの問題について、病院側へ問い合わせがあり、初めて知ったからであった。
 試験は中止になった。
 寄宿舎の20畳の部屋に、1年生全員が集められた。部屋の中央には大きな火鉢が1つあり、舎監が看視者として入り口に座っていた。声を出す事は一切禁じられていた。その中央の火鉢に1年生は集まって暖を取っていた。思っていた以上の反応があり、イクは特にどきどきしていた。他の1年生は目を下に向けてじっと畏まっていたが、イクは一人俯きながら周りの雰囲気を観察していた。時々、顔を入り口の方へ向けながら舎監の動きに注意を払っていた。あまりの興奮からか、イクは便所へ行きたくなった。顔を真っ赤にしながら、入り口の舎監に大きな声で思わず言った。
「便所へ行きたいのです。」恥ずかしさと興奮が思わず大声を出させたが、声がかすれて変な声になった。苦虫を噛んだ見張りの舎監の顔が一瞬綻んだが、又、元の難しい顔になり、他の舎監と相談して便所の許可を与えた。しかし、舎監が一人便所までついていった。これには流石のイクも堪えた。いくら女性らしさのないイクにしても、この仕打ちには我慢できなかった。イクの後、便所へ行った1年生の中には、帰ってきてから恥ずかしさのため泣き出す乙女も居た。
 軟禁状態の中で、毎日一人一人呼び出されて、この連名書の発案者は誰かとの厳しい詮議が行われた。取調べは想像以上に厳しかった。しかし、1年生の結束は固かった。誰一人、裏切る者は居なかった。この連名書を出す時に誓った全員の誓いはキチンと守られた。そして、全員その誓いの通り、黙秘を守り通した。そして、稲川さんは退学となった。
 可愛い顔の下には、女としての情念が隠されていたのである。決して不正は許さないという仮面の下には、厳しい女の感情、すなわち自分達とは年齢的にも態度的にも違っている事が許せなかったのである。そればかりではない。女の連帯感には、異色な者や自分たちよりも良い思いをしている者にはとんでもなく残酷になるものらしい。
(もし、あのようなゆとりある態度をしないで、稲川さんが自分達と同じように勉強を徹夜でして居たら許していただろう。室長とおしゃべりをしなかったら、こんな事をしなかったはずだ。皆、稲川さんが悪いのだ。)と、イク達は正義が勝ったのだと快哉を叫んだ。病院の裏門から去っていく稲川さんを陰から見ながら、自分達のやった事に満足していた。

 イク達の主張は通ったが、この事件はこれですっかり幕を下ろしたわけではなかった。確かに事件は解決した。イク達の結束は固く、最後に彼女達の主張した通り稲川さんは退学となった。1年生達はこの事件は解決したと考えたが、この事件の後遺症と言うべく精神的な締め付けが大きかった。
 2年生になって、各科の外来の実習に入った。外来の婦長クラスや看護婦達から2年生に向けられる目は厳しいものであった。何かと風当たりは強く、辛い思いは数多く経験する事になった。
 人情として追い出された人には同情が集まるものである。それと共に、その人間を追い出した2年生には厳しい批判が来るのは当然の事である。何かにつけて彼女達の行動は批判され、話題となった。正しい事をし、我々は正義のためこの試練に耐えるのだと言う思いが強かった。お互い励まし合い、挫けることなく努力し合った。
 外来の実習勤務が、精神的に辛い状態であったので心の安らぎが欲しかった。イク達はいくらお互いの励まし合いをしても、それには限度があったのである。現代のように心を癒すメディアはない時代であった。何とかして、心の癒しが欲しかったのであった。
「ねえ、なんか良い方法、ないがかいねぇ。わし、もう嫌やになったがいね。このまんまだったら、止めた方が良いがかもしれんねぇ。」内科外来勤務で失敗した時、婦長がかなりひどくイクを叱責した。連名書事件を取り上げて、いつまでもしつこく説教をしたので、イクはすっかり看護婦になるのが嫌やになっていた。珍しく弱気になっているイクを同室の同期生であるキヨが優しく話した。
「あんたは今疲れとんがや。精神的な安らぎがあったら、こんな事で気落とさんがいね。今、わしキリスト教の教会へ行っとんがや。一緒に行かんまいけ。」この言葉に、イクには気乗りしなかったが、とにかく行ってみようと考えた。
 キヨは毎週日曜日にキチンと教会へ通っていた。最初声をかけてもらってから、イクも毎週キヨに頼んで同伴するようになった。教会での聖書の話しを聞いたり、教わった賛美歌を歌ったりしているうちにイクは元気になった。婦長のお説教もそんなに辛くなくなってきた。それまでいつお小言が来るかと、おどおどしていた勤務状態だったが、今ではすっかり慣れててきぱきできるようになった。婦長は仕事がきちんとできる人間をいつまでも厳しい態度で叱ることはしないので、イクはいつのまにか看護婦の仕事が楽しくなっていた。
 毎週日曜日になると、イクはキヨと並んで賛美歌を歌った。歌はキヨに限らず若い人にとって魅力である。多くの人と一緒に歌う時、楽しくてこの時間がいつまでも続けばよいと思うくらいであった。歌ばかりでない。聖書の話も聞きながら、異国の殉教者に思いを馳せるのも、それなりの心が和む時間であった。そんな素晴らしい時間を過ごしたイクであったが、いつまでもこのような状態が続くわけではなかった。
 好奇心の塊と共に、イクには飽きっぽい性格もあった。しかし、この教会参りは2年間続いた。ある日曜日、教会へ行く予定の足が名作の洋画に魅せられて映画見物になってしまった。夕方、映画の余韻から醒めやらず、高揚した気分で宿舎に帰ってきた。
 寄宿舎の部屋では、キヨが大きな眼でイクを睨みながら待っていた。
「イクさん、あなた、今日、教会へなんで来んかったがや。わし、ずーと、待っとたがに、どうしとったん?」
「あ、映画を見に行ったがや。前から映画を一遍見たかったもん。今日、面白い映画をやっとったから、見に行ったがやけど……。あれ、キヨさん、何、怒っとんが?」
「イクさん。教会は、毎週日曜日には、必ず行く事になっとんが、あなた、知っとるはずやけど。」
「うん。それは知っとがやけど、たまには良いがないがけ。一遍ぐらい休んだからって……」
「教会という所をそんな風にいいかげんな気持ちで考えとんがは、わし、どうしても許せんわ。もっと真剣な気持ちで教会へ行ってもらわんと、わし、紹介したから責任感じて困っちゃ。もっと真剣な気持ちになれんがけ」
「なんでそんながに、怒るがけ。良く考えてみたら、そんな強制的な宗教だったら、もう行けんがになるねか。」
「楽しい事ばっかり考えんと、きちんとした生活をしたり、毎日お祈りをして行いを糺し、正しい生活をするのがクリスチャンとしての生活ながに。なんでイクさんは映画なんか見に行ったがいね。それも教会をサボって。」
「何で教会を休んだら悪いがぁ。映画見たら何で悪いがぁ。ちっとも分からんわ。」
「ねえ、イクさん、クリスチャンとしての生活をキチンとしてほしい、と言っとるがや。どうしても映画を見たらいかんと言うとらん。ただ教会へは毎週日曜日には、ちゃんと行かんと駄目だと言うとんがやぜ。わかった?」
「ちっとも分からん。教会を休む事がそんなに駄目ながけ。」
「そんなが、休んだら駄目ながや。」
「そんなに教会に行く事を強制するがやったら、わし、これから教会ずーと行かん。」
「どしてそんな事、言うがぁ?」
「良く考えてみたら、結局、宗教に対して二人の考え方が違っとるがやね。そんな強制的な宗教だったら、わし、今日で教会止めてやる。」
「何でそんな恐ろしい事、言うがや。そんな事言わんと、来週二人で行かんまいけ。わし、キチンと牧師さんに謝ってあげるから。」
「結構、もう来週から、教会へは行きません。では、お休み。」
 もうキヨが何を言っても、イクは話を受けつける事はなかった。良く考えてみると、結局、宗教に対するお互いの考えの相異にほかならなかった。イクはこれを機会に教会へ行く事を止めた。神様に助けていただくほど、心がつらいという事がなくなったからでもある。また、教会で多くの人との接触によって社会的な勉強をしたが、今はもう何も教会から吸収する事がないと考えたからでもある。

 大正12年、秋深い日であった。

 富山の秋は、いつも駆け足で通りすぎていく。気がついてみると、冬の風が富山の町を駈け抜けていた。町の中にある病院の寄宿舎の窓から遠くの立山連峰を見ると、真っ白になって聳え立っている。立山連峰の美しさもその極みになると、一層の凄さを表して、思わず身体が震え出すほどである。しかし、イクはこのような富山の寒さを嫌っていた。富山県という場所から出た事は一度もなかったが、この場所以外なら何処でも良いから行きたかった。きっと自分が考えている以上に素晴らしい所が何処かにあると信じていた。それが何処なのか、分からなかった。まだ18歳の少女は世間知らず、怖いもの知らずの年頃であった。

 お金の事に無頓着であったイクが、お金に絡む最初の大きな問題を抱えたのが、この18歳の冬の事であった。一つが父親の事業の失敗であり、もう一つは患者の家族からの心づけであった。
 父親が事業に失敗して、大きな借金を抱えた。何とかお金を工面せねばならない事態になって、母親がイクの寄宿舎へやってきた。楽しい日曜日を親の借金で頭を下げに走る事は、イクにはどうしても出来なかった。しかし、父親のおかげでこのように看護婦としての道を進める事を考えると、その父の為に何とかせねばならないと考えた。仕方なく母親と一緒に遠縁の叔母さんの家に行って借金を母親と頼み込んだ。
 これから看護婦になったら借金の一部を給料から返す事を約束させられて、尊大な叔母さんの家を出た。帰り道、むしょうに腹が立ったのを憶えている。借金を自分の給料で返す事よりも、自分の大切な日曜日が消えた事がどうしても許せなかったのである。それだけでなかった。金を持っている人間が、金のない人間を馬鹿にしている姿を嫌やというほど見せ付けられた。この事が、イクの心を一生傷つけたのであった。
 いつもはそんなにお金や物について特に強い関心がなかったイクであったが、お金の恐ろしさと力を見せ付けられた。
 病院での実務中に、「明日は手術ですから、どうぞよろしくお願いします。」という患者の家族から紙包みを差し出されると、一瞬戸惑う事も多かった。わらにもすがるような気持ちは分かるのだが、受け取るわけにはいかなかった。「患者さんから看護者に対しての直接の心づけは、この病院ではかたく禁止されております。」と言いきる時の後味の悪い気持ちはどうしようもなかった。このような事のあった患者のいる病室のドアを開ける事にためらいも出てきて、精神的にも負担を感じ、自然と遠ざかる状態になってしまうのも辛い気持ちであった。

 赤十字病院では、夜間における救急患者に備えて、3つの救護班が編成されていた。寄宿舎生活の生徒全員もその救護班の一員に組み入れられて、寝入ってから叩き起こされる事は良くあった。その時のイクは、眠くて起きるのに非常に苦しんだ。もともと我侭な性格であったが、この寄宿生活で性格が矯正されたとはいえ、時々起きるのが嫌やで布団にもぐりこむのを室長が引きずり出す事も時々あった。一人でも多くの手がいるという緊急な時に我侭は許されない事は分かっていたが、イクはどうしても睡魔の誘惑に打ち勝てない事が多かった。
 夜間の緊急手術の時、大失敗をしたのもこの睡魔の魅力に陥った時であった。その患者は鉄道員で列車の連結器に足を挟まれて、右下肢の大腿部からの切断という大手術で、イクはその編み上げ靴の右足動かないように持っている事を命じられた。手術は長い時間がかかった。イクは初めきちんと大きな目を開けて手術の様子を見ていたが、そのうち睡魔がやってきた。しかし、根性だけは看護婦としての役目を果たし、足を離す事もなくしっかりと持っていた。かなり時間がたってから足の切断が完了した時、イクはその編み上げの足と共にひっくり返ってしまったのである。