明治から平成を駈けた女 第6章 

 病院の窓から、堂々とした檜の大きな影が見えた。

 早春のある日の夕方、窓辺に寄りかかって外を眺めていた。多くの鳥が、檜の中にもぐりこんでいった。その鳥の様子をぼんやりと見ているうちに、いつのまにか、夜の帳が下りてくた。一瞬心が和んできて、故郷の立山連邦を思い出していた。あんなに嫌いだった故郷への慕情がつのっていて、心を狂わすような気持ちになった。イクの物思いの原因は、言葉にあった。いつまで経っても富山弁が消えなかったのである。
 衛生兵の人達は、ほとんどが関東出身の人達であった。
「お前の言うことはちっとも分からん。」
「すいません。」自分の国の言葉が出てなぜ悪いのかと言う心の反発はあったが、この土地で生活するにはその土地の言葉を使うのは当然だと言う説得も理解できた。
「ちゃんと日本語で話せ。」等と声高に怒鳴られると、イクの心はかなりむかついた。
「堪忍してたはれ。」一応は、謝るが本当に悪いと考えていないため相手にその気持ちが届いてしまう。
「ほら、又。誰にでも分かる標準語を話して欲しいと言っているだ。」相手もすかさず切り込んでくる。
「そんなこといわれても、こまんがやちゃ。」反抗しながらも、なるべくキチンと標準語を話そうとしたが、そうすればするほど益々話せなくなっていた。
「あんたの国の方言を使用することで周囲の人たちは迷惑しているのだ。話している内容が理解されないと、治療に大きな問題が起きるんだということがまだ分からないのか。」と言う。
「仕事が多忙な場合、時間的にも問題になる。」とも言う。衛生兵達の注意も尤もであると思っていたが、若いイクの心は素直に受け止められず、多くの患者の前での大声の注意は罵倒されたようで悲しさとともに悔しさがつのった。
 その後のイクの発言は慎重になった。何度も注意されたこともあって、声を出す時は、(えーと、この言い方は標準語だろうか?)と練習を心の中でしてから、発言した。何度も繰り返してから神経を使いながらの発言であった。標準語の使用にイクの努力は涙ぐましいほどであった。苦しいけれども回りの人たちの失笑にも気にしないで標準語が話せるように努力した。もともと細かな神経のないイクであっても、もう人前での罵倒は許せなかったからである。
 3ヶ月経った。
 富山県出身の見習い士官が患者として入院してきた。イクはシメタと思った。(私の標準語がどれだけ通用し、また富山弁がどれだけ消えたかをテストできる)と考えた。
「私も富山県なんです。」イクの心は期待とともにどのような返事があるか、少し怖かった。
「そうですか。千葉に来てどれだけになりますか?」と訊ねられた。
「約3ヶ月です。」正直に答えた。
「すっかり富山弁がありませんね。全然富山の方言のアクセント等、影も無いですね。」と言う。イクの心は快哉を叫んだ。
「本当はもっと経っているんでしょう。3ヶ月なんて、信じられません。」吃驚したような言葉に益々イクの心は得意になった。
「本当に3ヶ月なんです。」もっと聞いて欲しかった。イクはすっかり得意になっていた。
 富山の人間すら私の言葉に訛がないなどと言う。その見習い士官が退院するまで、イクはおしゃべりをしに行った。退院するその日の最後まで信じてもらえなかったが、心の隅では寂しい気持ちがあるものの、やはり嬉しさは大きかった。泣くような思いで標準語を憶えようとして苦しんだ3ヶ月が懐かしくなった。しかし、標準語にやっと辿りついたという気持ちの方が嬉しくて、1人で部屋中を跳ね回っていた。
 しかし、90歳になって、その時憶えた標準語はすっかり消えてお国言葉になっていることには気が付かないイクであった。


「人生とは、バラの花をまかれた道ではないですよ。」大島上等看護長の言葉であった。

 イクの生活は、いつも楽しいことばかりではなかった。いくつもの厳しい事もあった。
 昼の食事の運搬をするために、独歩患者である兵隊さんの2名を連れて炊事場に行き、出来上がったばかりの食事の入った運搬器を持ってもらった。勿論、イクは熱い大きな薬缶を1人で運んでいた。あまりにも大きな薬缶であったため、時々休みながら病室に着いた。
 イクや2人の患者が食事を運んでいるところを新米の有田衛生伍長がじっと見ていたのにイクは気が付いていなかった。この衛生伍長は、元病室付衛生上等兵であったが、東京で6ヶ月の看護長教育を受けて衛生伍長になって帰院したばかりであった。
「こらっ!貴様は何たることか。患者に重い運搬器を持たせるとはっ!」大病室の前で大声でイクを叱責した。
「……」イクは衛生伍長の声の大きさと話の内容が分からなかったので、とっさに返事が出来なかった。
「貴様は看護者であるのに、なぜ患者を大切にしないのだ。自分ばかり軽い薬缶を持って…」と、又、病院中に響き渡るような大声で怒鳴った。
「……」やはりイクは返事が出来なかった。心の中では、言いたいことがあったが、上官には口ごたえをしてはならないと教育されてきたからである。じっと下を向いたまま、歯を食いしばっていた。
「ひとつ、話していいですか。」と食事運搬の患者の1人が、姿勢を正しながら伍長に話し掛けた。
「よし、特別許可する。話せ。」威張って伍長が言った。
「この運び方は、3人で話し合ったのであります。この看護婦は、背が低いのであります。我々2人は背が高いので、身長の違いがありすぎであります。それゆえ、我々2人が運搬器を持つことになったのであります。3人全員の意見が一致したためのこの方法であります。」と、話してくれた。
「どんな理由にしろ、患者を大切にするべきである。また、運び方にも工夫するなり、何度でも運ぶなりするべきであろう。もう2度とこのようなことがない様に注意しろ。」最後まで大きな声で叫んで、イクの心を傷つけて立ち去った。
 確かにイクの不注意だったかもしれなかった。しかし、突然の叱責は合点がいかないばかりか、患者を指導する立場にある衛生部員としてのイクの立場としての体面が傷つけられた。患者の前での叱責にイクの心の底には、有田伍長への恨みが住み着いた。
 有田伍長は、大学出身のインテリ下士官であった。下士官は軍隊において将校の下に位置する下級幹部であった。軍では陸軍の曹長・軍曹・伍長、海軍の一等兵曹(昭和17年11月以降上等兵曹に改称)・二等兵曹・三等兵曹がこれである。下士官は兵の直接掌握者として将校と兵との仲介の役割を果たし、特に歩兵戦闘においては、下士官の量と質が勝敗を大きく左右した。それ故に、下士官になると、そのプライドは高かった。
 イクは、その後、何かと有田伍長と距離を置き、なるべく近づかないように心していた。というよりも、顔を見るのも嫌であった。
 ある日、看護婦詰め所の中で何人かと雑談をしていた。イクは後ろに有田伍長が居ることに気が付かなかった。話に夢中になっていたからであった。くすくす笑っている時、
「面白そうな話だね。私にも聞かせて欲しい。」等と言いながら、イクの肩に手を置いた。声を聞いた時、イクは飛びあげるように吃驚し、肩に手を置かれた途端、身体をすかした。そして、有田伍長が手を置いた肩の部位を反対の手で不潔なものでも付いたように伍長の目の前で払い落とした。それを見た伍長の反応は大変なものであった。イクの取った行動をきつく詰った。
「僕のどこが不潔で、そのようにごみでも払うような態度を取ったのか。きちんと答えるべきだ。」と言う。伍長の言葉は強くて、イクは驚きのため呆然となった。意識が全くなかったとはいえないにしても、ここまで酷く厳しい語調で詰問されるとは思わなかった。
「意識して取った行動ではないので赦して下さい。」イクは、意識がなかったことにして、それを強調し、懸命に謝罪した。心が痛かった。辛かった。なぜこんなにも人間の言葉が、態度が人の心を切り裂くのであろうか。その後、時に触れ、折に触れ、度重なる有田伍長との軋みでイクの心は次第に滅入っていった。人と人との触れ合いの難しさ、イクの社会性の未熟さ、独りよがりがイクを追い詰めていった。毎日が、ひどく辛く息をするのも憚れるように息を潜めながら数日何とか過ごした。
 ある朝、イクは冬眠する動物のようにじっと布団の中に居た。いつまでも、いつまでも……そこに居たかった。布団の中は、満たされない心を埋めてくれなくても母親の、多分子宮の中に似た安堵感があった。睡眠時間が充分足りていたが、ぎゅっと目をつぶっているといつかは眠れそうな感じがあった。もう、病院には行かない…と、決めていた。
 随分、時間が経った。身体中が熱かった。熱がないのに熱かった。力が抜けて重い想いが少しずつ溶けていくようだった。眠れそうだと思いながらも、眠ることは適わなかった。きっと病院は辞めさせられるに違いないと思ったが、動けなかった。ここまで考えてくると、イクは砂漠の中に居るような気持ちになっていった。抜け殻のような感じになると、却って頭の中の落ち着いた部分が少しずつ広がって、今からでも良いから病院へ行こうか等と迷い出し始めた。
「大島さんと言う人が病院から見えましたよ。」と言う下宿のおばさんの言葉を聞いた時、心の中では呪文が解けたような気持ちになり、ほっと安堵した。
 庶務課の大島上等看護長であった。色々と世間話をした後、「君が有田伍長のことで病院を辞めるのは詰まらないことだと思いますよ。病院長のようなもっと上の人とのことで辞めるのなら君らしくて解るのですがね……。どうでしょう、今日は風邪と言う事にして明日から出てこれないですか。」と言う。
 イクは大島看護長の言葉が、非常によく理解でき、心に染み入った。「解りました。明日からキチンと出ます。」と約束した。その言葉を聞いてから大島看護長は、「人生とは、バラの花を撒かれた道ばかりではないですよ。これからも、もっと厳しいことが出てきますよ。」と言った。イクの心は、この言葉で少し人生が理解できたようであった。
 イクは若くて元気で、自分の思うように好きな場所で働けるし、それが又出来ると考えていた。看護長の心に残る言葉で考えを新たにして、今までの勤務を続けることに決心したのであった。1人前の看護婦としての第1歩が、スタートしたといえる事件となった。
 イクはまもなく20歳になろうとしていた。


私のホームページへ