明治から平成を駈けた女 第8章 

 12月の太陽は、落ちるのが早かった。

 四街道の空は、雲ひとつ見当たらず抜けるようだった。その空にも紫の幕がかかって、どんどん空の色が変わる。そんな空の様子を美しいとイクは思って、新しい家の庭で眺めていた。
 この家にはイクにとって理想と思われる環境にあった。家主は近くに住んでいて、庭の手入れを良くしてくれたので、いつも小綺麗な庭が楽しめた。今は冬であるが、春になればきっと花で一杯になるであろう。桜や椿などの木は勿論、イクも知らないような木が何本かあった。家は平屋で、6畳2間、水道も台所も家の中にあった。勿論、床の間もあれば押入れもあった。その上、3尺の廊下まである。千葉での部屋に比べると、天と地ほどの差で心が嬉しかった。爽快であった。誰が来たってもう大丈夫、どんどん訪ねてきてくださいという気分であった。
 一軒家には開放感を味わうことができたが、女だけの住まいであることは、何となく心細かった。間借りしての家主さんとの同居の生活と違って、一軒の家の運営は大変であった。そこで女だけで生活するための注意を色々3人で話し合った。特に押し売り等の行商人がどんな態度に出るか分からないので、男物の履物を玄関に並べておくことにした。それが上手く功を奏したこともあった。高山カツが玄関に現れた行商人に上手に対応したのである。「主人はただいま留守ですが、勝手に物を買うことを禁じられています。どんな小さなことでも許可が要りますのでお引取り願います。」と言って、おとなしく帰ってもらった武勇伝もあった。

 イクは、いつものように緑の中にある我が家で寛いでいた。何の悩みもなく仕事も何とかやっている。少々心細さはあったが、3人の女性だけの生活は満ち足りていた。1人で手足を伸ばしてのんびり読書をしている時、若い男性の声が玄関からした。物売りかなと考えながら玄関に出てみると、どうも見たことのある顔であった。
「どちらさんでしょうか。」イクは、ただの物売りではないと思って少し構えながら言った。
「貴女と同じ村の長田英二ですよ。」いかにもよく知っている間柄のような口調で言った。部屋に上げてもらいたそうに、奥の方をちらりと目をやりながら、一方では、玄関にある男物の下駄をじっと見ながら言った。
「ああ、長田さんとこのおっじゃながけ。」イクは同じ村という言葉でふっと富山弁が出た。顔ぐらいは知っている男の存在を思い出しながら、それでも冷ややかに言った。しかし、イクは彼を部屋には金輪際入れてやらないと決心していた。何だか、嫌な予感がしたのである。
「実は、お願いがあってきたのです。」少し口篭もりながら、それでも富山弁を押し殺して他人行儀で言った。ほら来たぞとイクは、心の中で気を引き締めながら身構えた。
「私にできることは何もありませんよ。」イクは富山弁が出たことを少し恥じながら、急に言葉を他人行儀に変えて言った。初めから何があってもきちんと断る事と、甘い顔なんかするものか、という気概で強く言い切った。そんなイクの様子にも気がつかないのか、英二はお願いを話した。
「私は東京の帝国大学で法律の勉強をしているのです。満州の叔父に学費の世話を受けていたのですが、意見が対立して叔父からの送金が無くなったのです。それで非常に困っているので、できうればあなたの協力を願いたいと思って訪問したのです。」と言う。
「……」イクは驚いた。同じ村でも一度も言葉を交わしたことのない男であった。村の片隅や道端でちらりと会った事は微かに記憶にあっても、金銭問題で頼られるほどの関係を求められるなんて…。イクは、自分が甘く見られているような印象を受けて非常に不愉快になった。
「叔父さんからの送金がなくなって、お困りの様子はわかります。しかし、叔父さんとゆっくり何度も話し合いをなされば良いのではありませんか。私は、貴方様に金銭上の援助をしなければならないほどの理由はありません。その上、私には金銭の余裕などありません。」きっぱりと言った。
「田舎の家族や貴女の近所の人たちも僕と貴女がお似合いだと言っております。2人の将来のことも考えながら、この話を考えてもらえないでしょうか。」言葉は丁寧であったが、かなり強引な説得であった。
「他人の噂などなんとも感じません。私には全然そのような気持ちがありませんから。」ときっぱりと答えた。
「……」英二は、憮然とした顔でじっとイクの顔を見つめて、それから玄関にある男物の下駄を見て、黙って帰っていった。そして、2度と姿を見せなかった。
 イクは、本当にお金の余裕はなかった。父親の借金を少しでも減らすために僅かだけれども実家に送金していたので、とても貯金どころではなかった。しかし、何の感情もない男のために、いくら将来のためとはいえ、今、もしお金に余裕があっても他人のために学費の援助をする気持ちは全くなかったのであった。

 後日譚である。

 大学を卒業した英二は、川崎の会社に就職し、勤務中現金を持って銀行に行く途中、強盗に遭って死亡したという話を人づてに聞いた。人間の終局には、どんなことがあるかわからないものだ。そして、あの時きっぱりと断って良かったと思ったものである。イクは、まだ若いけれども何時どんなことで死ぬか分からない。少しでも人生を楽しまなくてはならない。今のままではきっと後悔するだろうと考え出した。


 四街道に転居してからこの一軒家での生活は、快適であった。朝寝坊しても汽車時間の心配はない。午前8時半から午後5時まで勤務である。5時の退社であるが、4時半になれば皆看護室に入って帰宅の準備にかかっている。5時には病院の門を出るという毎日であった。

 冬に入って間もない朝は、辛い起床の毎日でイクの悩みの種だった。この辛さから逃れられるのだったら、どんなことでもするのになあと毎朝呟きながらぐずぐずしていた。
 今日は、特に何となく仕事をしたくない気分であった。こんな寒い朝は、気持ちの良いお布団から出るなんて、とてもじゃないが幾らお金を積まれても嫌やだと考えていた。最近特にこのような気分なることが多いのには、寒さのためばかりではないことをイクは十分承知していた。
「あいつの顔を見るのも嫌だ。」思わず言葉が出てしまった。あいつとは、患者の1人であった。イク達がまだ若く学校を出たばかりであることを知っていて、患者の中には嫌がらせをして楽しんでいる悪い奴がいた。楽しんでいるうちはまだ許される。中には、全く無視して、素直に指導には応じてくれない患者もいた。軍医や衛生兵から、きちんと指導できないと言ってイクを名指しで患者達の前で叱られるのである。その悔しさは、言葉にはならないほどであった。言訳はできないのでじっと堪えるしかない。だから、イク達看護婦は、皆5歳ほど多くサバをよんで誤魔化し、兵隊さん達にお姉さんぶって見せて何とか言いつけを聞いてもらおうと考えた。患者の中には、納得のいかないような感じはあったのか、年齢を聞いて変な顔をするのもいた。しかし、イク達はすましたもので、「さあ、お姉さんの言うことを聞くのですよ。」と年上の兵隊さん達に命令口調で話しながら何となく得意げにお芝居をしていた。
 ここまでは良かった。あまり看護婦達がお芝居に乗りすぎたのか、患者の中には意地悪な奴が居てイク達を困らせようと考えて、帰宅時間になると玄関前にウロウロする患者が出てきた。患者のそんな姿を庶務主任の田山軍医少佐の知るところとなり、イク達の帰宅時間もばれてしまった。
「勤務時間の意味を諸君達は分かっているのかね。」訓示の始まりであった。
「……」イク達は黙って頭を垂れた。
「朝8時半出勤とは、どういうことかね。高山看護婦、言ってみよ。」語気鋭くカツに聞いた。
「は、はい。8時半勤務することです。」名指しされて、カツはビクンとしながら小さな声で答えた。
「声が小さい。もっと大きな声で答えよ。今度は、坂田看護婦に聞こう。8時半勤務するためには、何時に看護室に入っていなければならないのかね。」ジロリと大きな目を明けてイクの顔を見つめながら言った。
「8時半です。」イクは小さな声で答えた。
「何?8時半に看護室に入るだと…」見る見るうちに顔が真っ赤になった。
「……」3人は、次の雷をじっと耐えるために肩を寄せ合った。
「馬鹿もん。君達はここを何と心得ている。大日本帝国軍人のための病院であることを忘れているのか。そんな心得で、日本を守ろうとしている軍人の看護が勤まると考えている馬鹿もんか。そんなに甘い考えなら即刻病院を辞めて貰いたい。」治安維持法という非常に問題のある法律がこの年にでき、少しでも問題があるような人間を罰するという風潮が出るようになった時代であった。第一次世界大戦後に高揚した社会運動、日本共産党を中心とする革命運動の鎮圧を標榜して制定された法律でもあった。だから、当時の労務管理者にはイク達のような人間は困るのである。
「済みませんでした。今後気をつけます。」3人の中でも一番先輩のカツは小さい声だが、それでも相手に聞こえるような声で言った。
「朝8時半出勤とは、その時間に診察ができるように準備ができていなくてはならない。すなわち、看護室の掃除が済んでいること。必要な機械や機材の準備が完了していること。また、5時退庁ということは、5時に門を出ることではなく、5時まで病室で働いていて、5時が過ぎたら部屋に戻って帰宅の準備をすることである。分かったか。」と厳しく忠告されたのである。
「はい、よく分かりました。」3人は異口同音に答えた。
 3人のいい加減な?勤務時間は終わりを告げ、それからの勤務状態はしばらく緊張状態が保たれていた。
 こんな毎日で、イクは物憂く疲れていた。冬の夕闇の風が頬を撫でていった。妙に寂しい心の底を、暗く重たげな暗闇が広がっていった。短絡的な思考の持ち主であるイクながら、こうなるとどうしようもなく、やりきれない気持ちになった。
 病院の玄関の階段を降りて、我が家の門に到着して振りかえると、通りには歩く人影がなかった。子供たちの声も聞こえず、夕餉の香りすら漂っていなかった。家の灯火が微かに遠くに見えるだけで、なにか焦りのようなものがイクの心に広がり渡っていった。訳の分からないことで心が痛くなるなんて、イクには許せなかった。よし何かしなければ、何をしようか、あれもこれもと色々考え始めた。

 職場での楽しみは全くなかったが、それからのイクの生活は多彩を極めた。

 イクは、しばらくは大人しく静かに過ごしていた。初めての社会生活で色々と体当たりな事が多く、今までの学生時代の関東大震災の援助活動や金沢でのこと等は、ささやかな問題だと感じるまでになっていた。厳しく叱責を受けてから本当の看護の仕事というものに対して真剣に考えるようになった。
 ナイチンゲールが言った言葉に、看護の仕事は、快活で幸福な希望にみちた精神の仕事だ。犠牲を払っているなどとは決して考えず、熱心で明るい快活な女性こそ本当の看護婦といえると言う事をイクは思い出した。
 自分を犠牲にして奉仕の精神で看護にあたるというイメージが看護婦につきものである。特に日本人にはそういうイメージが強い。これは日本政府の策略でもあったという話もあるが、ただ単に従順な看護婦を養成するという管理側の考えであったようだ。イクは看護の価値がお金で評価されるものでないことも分っていた。
 イクは、仕事について一応落ち着き、少しは慣れてきたので、仕事以外の自分の時間を大切にしようと考えた。3人で考えた結果、それぞれに好きなものでお稽古をしようということになった。高山カツはお琴を、イクは洋楽が好きだったのでマンドリンを習うことにした。もう1人はお花であった。
 千葉市に出かけて行って音楽の店を色々物色した。いくつかの中で、イクは小林楽器店が気に入った。その店内に羽衣音楽会の看板が出ていたのですぐ入会の申込をして練習に入った。楽しかった。週2回の練習であったが、毎日夢中になってマンドリンの練習をした。
 何度か通ううちにイクは、その店の創業者が、明治の初め、若くして渡米した話を聞いた。当時の日本人移民は、言葉の壁のためになかなかアメリカ人となじめず、その様子を見て心を痛めていた。如何ともし難く彼は、別れを告げ帰国する途上の外国客船の中で、あれほど閉鎖的だった日本人たちが、外国の人々と一緒に音楽を楽しみ、音楽を通じて心を通わせているのを見た。そこで「音楽こそ人と人の心を結びつける共通語なのだ。」と店主はその感動を胸に、帰国後に西洋楽器店を創業したという。そのような話にイクは興奮した。自分の弾くマンドリンで外国人の心を捉えて放さないような演奏をしたいものだと考えて熱心に練習に励んだ。
 マンドリンの先生は東京から出張してくる個人教授であった。イクは音が出るということだけで舞い上がるほど嬉しかった。次の楽しさは、曲目が弾けるようになることであった。しかし、教則本による根本的指導から始まり、その強化が中心であった。今度こそ曲目を弾かせてもらえるだろうと、夢見ながらの練習通いであった。しかし、曲のキョの字もなく、基礎練習であるオデルの技巧練習ばかりである。
 イクは段々と情熱が薄れていくようで、怖かった。戸惑い、挫折感を持つまでにはそんなに時間はかかなかった。
「乗りかかった船ですよ。今やめたら折角の努力が水の泡です。基本をしっかりやっておかなくては後の曲が上手に弾けなくなるのです。」先生にはイクの心が見えるようで、厳しい言葉ではあったが、励ましてくれた。イクは何度も先生からの言葉に力を得て、反省しながらも基礎練習に悩まされていた。何とかしなくてはと考えているのだが、やはり力が入らない。自分は才能がない、私は駄目な人間だ。やめたいと考える事はなかったのだが、先生が細やかに優しく教える姿に感謝しながら、自分の力のなさにあきれると共に自己嫌悪にどっぷりと陥るのであった。怒りの感情を決して露出することのない人間に対して時には引け目を感じると共に負担も感じているイクであった。
 当時、職場には揃ってどこかに出かけるという風習はなかった。だから、イクのマンドリンの才能が目覚める事がなかったとしても、イクはこの音楽教室を止めることはしなかったのは、他にも理由があった。音楽教室には習っている人が20人程いた。この人たちと先生で新緑や紅葉の山や海など、その季節々々に楽しい行楽が待っていたからである。
 初めて登山に行った。足が一番弱いのはイクであった。現在では東京都八王子市に属する高尾山は、関東山地の東南、都心の西方約50キロメートルに位置し、首都圏からの交通の便に恵まれていて、山歩きが楽しめる山地公園であった。7合目ですっかりのびてしまったイクを皆が支えあってどうにか頂上にひきあげ到着した思い出がある。その時の服装は、袴と下駄履きであった。イクは、登山の服装が登山に適していなかったのだと考えていた。
 その後、イクは懲りもせず、又、秋には茨城県の筑波山に登った。この時は低下駄に紐を結んでの登山であった。
 筑波山の麓に来て、驚いた。非常に険しい山であった。鉄鎖で頂上を目指さなければならなかった。イクは登れなかった。鎖は重く、自分の体重も重い。登れない。置いてけぼりにされるという不安で、すっかり心細くなった。一緒に行った人々が皆登り切った時、イクの目から涙がこぼれた。
 何とかして登ろうと考えている時、先生や他の人たちが気がついて急いで2〜3人が降りて来た。先生がイクの身体を支えながら、他の人たちが引っ張るという具合で何とか頂上まで到着した。イクはやはり自分の服装が良くなかったことに気づき、自分の甚だしい無知さぶりにひどく落ち込んでいた。しかし、頂上の眺めは素晴らしかった。イクは落ち込んでいた気持ちがすっかりどこかに吹っ飛んでいた。また、登山しよう。

 登山は素晴らしかった。勿論、千葉の海も素晴らしかった。

 白い波のきらめきを散りばめた海を眺めるだけでもイクの心は、晴れやかになった。夏の午前の太陽の光は眩しすぎるほどであった。海の風は、肩に下ろした黒髪を揺らしながら、イクの心をくすぐっていた。沖に浮かんでいるいくつかの漁船は、じっと眺めていると少しも動いていないような気がする。遠くまで沖の向こうを見つめていると、その先に何があるのかと考えていた。何時もの癖で、イクは考え始めると小説の世界に入り込むのであった。
 どれだけの時間が経ったのか、分からなかった。イクの意識は現実に戻るため時間がかなり必要とした。しかし、自分の周りの人々の様子に気がつくと、海の中に入っていないのは、イク一人であった。
 もともと音楽教室の人々は、千葉の人が多かったため水泳が上手であった。海から遠いところに住んでいたイクは、水泳はできないのでただ見るだけであった。
「どうして泳がないの。」ただ眺めているだけのイクの姿を見つけて、千葉医科大学の洪さんが声をかけた。彼は朝鮮の人であったが、愁いを帯びた瞳と引き締まった小麦色の身体を持ち、顔立ちも悪くなかった。彼の日本語はかなり上手であった。
「海なんて珍しくて、綺麗で、ただ見惚れていたのです。」心の中をのぞかれないように、イクは澄まして言った。
「一緒に泳ぎましょ。」洪さんはちょっと舌足らずな調子で海に誘った。
「でも……」イクは持ち前の好奇心で一杯になった気持ちを押さえつけながら躊躇した。
「大丈夫、僕が泳ぎを教えてあげます。」すっかりイクの気持ちを知った洪さんは優しい声で言った。
「本当?教えてくれるのですか。」気持ちが全開になったイクは、それまでの羞恥心が消えていったことにも気がついていなかった。
 海の中は冷たくて身体がぶるっと震えたが、気持ちが良かった。
「まず、呼吸を楽にして…そう、その調子で…」ゆらゆらする身体を支えるように洪さんは手をしっかり握ってくれた。イクは何だかこの冒険がすっかり気に入った。
「足で地面をけって…それから、ゆっくりと体全体の力を抜いて…海の上で水を抱えるようにして…手足を伸ばして…そうそう、その通り…上手ですね。」優しくのんびりとした声で言う。
 イクは何度も練習をした。最初はなかなか思う通りにはならなかった。教わった通り大きく手足を伸ばして海の上に身体を広げた。何度も練習しているうちに身体が浮いた。
「浮いた。浮いた。」洪さんは嬉しそうに手を叩いた。イクの身体は、波に揺れながら少しずつ流れていった。
 波のまにまに流れていく姿を見て、他の人たちも拍手を惜しまなかった。イクは得意になって何度か流れに身を任せて揺れていた。たったこれだけであったが、はや水泳について自信が出た。少し沖の方まで泳いでいけそうだった。しかし、この沖への冒険は、やめることにした。
 それから、スイカをのせた舟を出して、危険区域のしるしのある赤旗まで行き、区域信号の示した立札に船を繋いだ。舟の舳先でスイカを割り、大小粉々になったスイカを口一杯にほおばって食べた。この小さな冒険は、嬉しかった。豪胆な冒険だったと、幾つになっても思い出す。そして、若いが故の精一杯の冒険だったと、イクはニヤリとするのであった。

 イクは、緊張の余り譜本がぼんやりとなって見えなくなった。

 東京の両国の会館で羽衣演奏会が開かれた時である。演奏の曲目はいくつかあったが、その中でも歌劇“セビリアの理髪師”で小西先生の総指揮でタクトを持ち、ピアノ、バイオリン、マンドリン、ギター、セロなどの合奏の途中であった。イクはすっかり緊張してしまった。曲がほとんどできない状態であったが、先生の計らいで何とか少しだけは弾かせてもらえるように特訓し、ほんの少しだけ皆と合奏することができた。一緒に弾いてるようにしながら音を出さないのも辛いものである。だから知り合いの人には演奏会の話はできなかった。他の人たちは皆きちんと弾いていたが、イクはただほとんど座って弾いている様子をするだけであった。緊張をした。音を出さないようにピックだけを動かし、さりとて手を休めることもできない。イクはこの舞台の上で座っているだけでも幸せだった。心は大音楽家であった。だから、実情を誰にも語れない一駒であった。
 演奏会が終わり、意気揚揚とイク達は両国駅から汽車に乗って千葉駅までの終列車にどうにか乗り込むことができた。しかし、四街道までの汽車はなかった。そこで、イクは千葉市内の近藤さんの家に泊めてもらうことになった。
 お金持ちの近藤さんちの夜具は、イクが聞いたこともないお香なのか、また香水なのか分からない良い香りに満ちていた。大音楽家になったイクは、今度は大金持ちになって高級な香水をふんだんに散布された蒲団に蹲ってぐっすり眠った。このような高級な香水の香りで身体が沈み込むほどふかふかなお蒲団で眠ったことは、今までも又その後の人生でもなく、これが最初で最後の大幸せな夜であった。
 その上、近藤さんはお金持ちなだけあって、乗馬クラブの会員でもあった。イクは、そのクラブの会員になるよう何度か勧められた。乗馬クラブの練習場は、イクの家の近くの下志津が原にあった。運動神経の鈍いイクは、落馬する事を考え悩んだ。その上、経済的に余裕のないイクには、正直言ってどれほどの経費がかかるのかわからない。それが恐ろしかったのもあった。イクは、高級生活の表現としての乗馬クラブには心惹かれたが、乗馬そのものについては無理にやる気はなかった。しかし、イクは高級な上流社会に心惹かれていた。何とかそのような人たちの中で少しで触れる事ができればと考えていた。
 病院の近くに池坊生花指導の看板が目に入った。イクは、お花を習う自分の姿を想像しながら、これなら少しは高級生活の一部にでもなるかもしれないと考えたことや、マンドリンのような難しさから少しは開放されるかもしれないと考えたのである。しかし、マンドリンもやめるのは癪であった。何とか下手は下手なりにでも続けていきたかった。生花の稽古は、マンドリンと同じ週2回のお稽古であった。お花に接しているときはどんな嫌なことがあった時でもすべてを忘れることができた。

 イクの青春真っ只中の日々であった。


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