明治から平成を駈けた女 第14章 

   

 イクは、子供達に自分の歩いてきた道を伝えたいと考えていた。

 子供達も20歳も過ぎ一人前になり家を出ていなくなると、ただ我武者羅に走っていたイクの心は、時折、追憶の中に彷徨い込んだ。思い出に浸るだけでは物足りなくなり、拙い筆力を省みないでペンを持とうと思ったのもイクの人生への多くの強い思いがあったからであろう。他人に語り伝える等と言うおこがましい心をイクには持っていなかった。しかし、長い年月を走りつづけた来たイクの半世紀を誰にも知られずに終わる事は寂しい気持ちになっていた。誰かに自分の生き様や心ときめいた経験を認めて欲しかった。
 イクは世間体や習慣とか、虚飾にとらわれないようにといつも本音で生きてきたとの自負がある。これまでの体験は、イクの心の糧となり、貴重なイクのアイデンティティとなっていた。他人どころか、家族にすらイクの経験など、何の価値もないにちがいないと考えたが、自分の子供には、イクの物の見方、考え方、感じ方を伝えたいと思った。
 娘は金沢の短大に、息子は東京の予備校に行っている。現在は夫の矢助との2人暮らしである。このような時にふっと神戸の新婚時代を思い出した。

 神戸の新婚時代はイクの人生の中で最も惨めな時代とも言えた。神戸への超特急“燕”の旅は、イクの人生の中で最も輝かしい一瞬であったが、その後は想像以上に辛い毎日であった。お金に拘らないイクの性格でも、働かない主婦になると言う現実は、消費生活であり、イクをどれだけ困惑させた事か。神戸への想いが余りにも強い憧れの想いであった為、その後のイクの人生は、昭和初期の日本社会と共に辛い時代であった。今でも神戸での生活を思い出すと、イクの時間は暫く止まるのであった。  

 イクの神戸での夢の生活は、雲散霧消した。

 新婚生活は、想像以上に厳しかった。隣の家は、麻雀荘で深夜まで営業するため、夜遅くまでジャラジャラという音が響く。反対の家はパン屋であった。朝早くからパンを作る音に悩まされていた。そればかりでない、パン屋の温度や食べ物の為からか、南京虫がイク達の部屋まで襲ってきて睡眠を妨げた。眠れない毎日で、くたくたになったイクは、自分の持ってきたお金で引っ越す事に決めた。イクが持ってきた300円のお金は、所帯道具を購入すると残り少なくなっていた。
 矢助は、親孝行息子で、毎月鹿児島に居る親に送金していた。イクが来ても、それを続けていた。イクは、自分達の経済問題に関わる事だとして、心を痛めていた。子供には子供の生活がある。自分が持ってきたお金も、残り少なくなってきているので、親への送金は、止めて欲しいと思っていた。人間は親ばかりでなくどのような人に対しても情愛のみで生きる事はできない、生きるための人間の生活があると思っていた。親への送金は絶対に無理であると考えた。イクは自分の遣り繰りの下手さよりも、親への送金が自分達の生活を圧迫していると思い込んでいた。それが大きな問題だと考えた。どのような親でも歳を重ねた後も子供には依存しない心掛けが大切ではないか。イクは思い切って晩酌をしている矢助のちゃぶ台の前に座りながら言った。
「あんたは好きな酒を飲んでいて良いかもしれないけれど私達の生活のことを考えると、親の面倒まで見るのは無理と思わないですか。」イクは、自分でも冷静に話していると言う実感があった。しかし、矢助はイクの顔をじろりと見ながら一言も言わなっかった。それが矢助の癇癪の始まりとは、イクは思いもしなかったのである。
「……」何も言わない矢助にイクは、少しイライラしながら返事を待った。
「人それぞれとは言うけれども、他人は他人、親は親、子供は子供、このような厳しい時代にやっとの生活を送っているのに、親や他の人の生活まで面倒は見れないと思いますよ。」暫く待っても返事がない。イクは矢助の様子を見ながら、少し癇癪気に声を荒げた。
「……」それでも矢助は、何も言わずイクの顔を見ないように酒の入った杯を凝視していた。
「あんたの給料では、食べるのが精一杯、酒を飲む事なんか出来るはずがないのですからね。」とイクは矢助に詰った。自分の持ってきたお金もすっかり底をついたので心細くなっていた事もあってイクは矢助にかなりきつく責めたてた。
「煩い。自分が稼いできた金で酒を飲もうが、親に金を送ろうが、お前なんかに文句は言わせないぞ。」矢助は、酒で赤くなった顔をイクに向けて怒鳴った。
「へえ、そう。あんたのお陰で私が持ってきた300円も今ではすっかりなくなってしまったんですよ。そんなことを言うのなら300円全部返して下さいよ。その酒も親に送った金も私の300円の持参金を使ったのですからね。」イクは矢助の様子を見ずに言った。矢助は、普段は静かで大人しくイクを叱る等と言う事はなかった。イクも矢助の怒鳴り声を今まで聞いた事がなかった。初めてであった。しかし、イクはこの300円の持参金の話を持ち出すべきではなかった。矢助の最も痛い所をイクが突いたのである。
「何だと。俺の人生を駄目にした女のくせに…。文句を言う権利はないはずだ。」酔いですっかり理性をなくした矢助は、イクの頬を思いっきり殴った。酔っていた勢いもあってイクに手を上げたが、その力は充分ではなかった。しかし、親にも殴られたことのないイクには充分痛かった。
「殴るんですね。さあ、もっと殴りなさいよ。あんたはそんな男なんですから、力の弱い女を殴るしか能がないんですよ。甲斐性のある男だったら女に文句の言われないように稼いで来ますよ。」イクの毒舌は鋭かった。イクは言葉こそ丁寧な言葉を使っていたが、矢助にとってイクの言葉はきつかった。
「いつまでもグズグズと何を思っているのか知らないけれども、あんたの人生は初めから駄目だったんですよ。女に逃げられたのは、私の所為と言いたいんでしょうけれど、あんな女は若いだけの女で何の役にも立たないもんですよ。それも分らない様では、女を見る目がないというもんですよ。」イクの目は、意地悪く光っていた。
「俺にとって、お前は一生の不作だ。」それでも矢助はイクに向かって言った。その後、一生の不作と言う言葉は、矢助の酒が入ると相手が居ようが居まいが呟いていた言葉になった。そして、矢助は酔えば何かにつけて文句をいうイクに手を上げた。
「酒は仕方ないけど、親への送金は止めてくださいよ。」矢助に殴られようが、イクは矢助に親への送金を禁止した。

 しかし、何故か矢助は親への送金をガンとして止めなかった。イクの言葉によってかえって意固地になったようだった。給金が安い上、毎晩深酒する矢助にきつく言えば言うほど矢助の酒量は増えていった。結局、イクの持参金が消えるまでにはそう月日はかからなかった。終にゼロからの出発になってしまい、イクは資格を生かして働かなくてはならないと考え出していた。
 当時は、女は結婚すると、家を守るため外で働く事は許されなかった。しかし、その様な時代に相応しいイクではない。暫くすると、イクの心は、家の中でじっとしている事ができなくなってきた。少しでも、生活が楽になればと思った。いつも見ている新聞広告の1つにイクの目が止まった。矢助に相談せず勤める事を決心した。

 新聞広告に出ていた看護婦募集の尼崎大衆診療所を訪れて、働きたい旨を言い、履歴書を提出した。イクには、自分の経歴に大きな自信があった。よもや断られるという事を考えても居なかった。東京での就職に対しての苦い経験は忘れてはいなかったが、新聞広告にもきちんと看護婦を募集している事を記載されている。どんなに多くの看護婦が集まってこようとも、今度は間違いなく看護婦として採用されるという確信を感じていた。指定された日時に駆けつけた何人かの競争相手が居たが、イクの自信は揺るがなかった。日赤の看護教育に、外地や内地での陸軍病院での勤務は他のどんな看護婦にも引けは取らないという自負心は強かった。ここでは私を必要としているはずである。
「ハイ、次の方。高井イクさん。」何人目だろうか、暫くの間待った後、呼び出しの看護婦が無愛想にイクの名を読んだ。
「有難う。私が高井イクです。」余裕を持って少し微笑みながらイクは応えた。院長室は、灯りはついていたが、薄暗い部屋であった。思ったよりも小さな部屋であった。50歳をかなり通り越した院長が、威厳を持ってイクの履歴書を読んでいた。イクは、その前にある椅子の側で直立不動の姿勢で院長の言葉を待った。院長の指が座れと指示したので、イクは椅子に腰を下ろしながら、院長の様子を窺がった。
「履歴書を見ると、貴女は、立派にお仕事をしてきたのですね。」院長は、短い髭を撫でながら呟くようにイクに言った。
「ハイ、私は看護婦としての多くの経験を積んできています。ですから、看護の仕事には自信があります。」イクは、勢い込んで話し始めた。
「殆どの診療に携わってきましたので、看護婦としての大体の事は、出来るつもりで居ます。」
「しかし、のう・・・・・・」なにやら院長は、イクの履歴を見ながら不満げであった。
「大丈夫です。どのような事でも充分やれるだけの実力を養ってきていますので、是非、働かせてください。」イクは、どうしてもここで雇ってもらいたかった。そうでないと、次の看護婦としての仕事があるか、どうかは分からない不安を感じていたのであった。
「いや、私のところの看護婦募集は、あなたのような立派な看護婦を必要としていないんじゃ。」と言う院長の言葉が、イクには一瞬理解できなかった。
「は、しかし、看護婦募集と新聞広告に出ていましたので・・・」と、イクの訝しげな言葉を手を振り遮った後、院長は困ったように、又、髭を撫ぜながら、机の上に両肘をついてイクの顔をじっと見た。
「貴女の履歴書は管理職としての看護婦であって、当病院では普通の看護婦でよいのです。」と、きっぱりと言った。
「管理職でなく、一般職で結構でございます。」イクはお願いした。
「しかし、このような履歴書では、余りにも立派過ぎてのう・・・」院長は、履歴書とイクの顔を見比べながら、やはり採用しようという言葉は院長の口から出そうもなかった。
「立派過ぎるとおっしゃいますが、立派ではいけないのでしょうか。」イクの最後のお願いを半分込め、半分嫌味を込めて聞いた。
「はっきり言って、その通りである。貴女のような2人前以上の仕事をする立派な看護婦には、それなりの給金が必要ではないかと考えるんじゃ。今は、下働きをするような給金の安い看護婦で、もっと若い看護婦が良いと考えているのじゃ。」イクの最後の頼りを断ち切るように無表情に院長は言った。特に若いという所に力を入れて言ったようにイクには感じられた。
 イクは、かなり自尊心を傷つけられた思いで、それ以上言葉が出なかった。心の中は納得の出来ない感じではあったが、病院の規約もあろう。イクの採用不可は、どのような理由にしろ、院長がノーと言えばノーなのである。どう足掻いてもイクの採用は無理である事だけは確かであると感じてイクは、すごすごと院長室を退出した。自分でその理由を自分なりに分析するしかなかった。少しづつ理解できた事は、自分に教育が足りないのではない。知識がありすぎて、又、日赤の看護婦というブランドの高さも普通の診療所では、雇いづらいのかもしれない。と、何とかこの不採用の理屈をつけた。自分なりの理屈での慰めは、慰めにはならなかった。張り切って出かけた元気は、何処へ行ったのか。イクは勤めが駄目になった悲しさで胸が一杯になり、病院の待合室から外には出る事ができずに、座り込んでしまった。東京の時のような大金を持っての職探しと違って、この不採用はイクの心に大きなショックを与えた。
 病院の中で過ごした時間は、考えていたよりも長かったようだ。いつのまにか暗闇が辺りに忍び寄っていた。冬の太陽は落ちるのが早い。ぼんやりと不採用の理由をあれこれと屁理屈を付けて考えているうちに、さらに暗闇が濃くなった。病院から外に出ると、道行く人の顔色が判然としない。この暗闇は、イクの負けん気の矜持を呼び起こすために必要であった。青ざめた失望の顔色も眉間の険しい皺もこの暗闇の中なら、他人の視線から何とか隠してくれ、少しずつ平静心を呼び起こす事ができそうだった。イクは、草臥れた自分の顔がいつもの自信に満ちた自分の顔になるだろうと感じた時、家に向かって足を進めた。
 イクの体当たり就職活動は、このショックで次の就職を考える元気を完全に消してしまった。家事労働だけに専念しようとしたが、小さな家と少ない人間の家事仕事は、すぐに終わってしまう。時間の浪費が勿体無く思っていた。毎日の所在のなさをどのように埋めたらよいのか、イクの心は鬱々としていた。他の主婦のように、外で長いことお喋りに興ずるのにも、イクの誇りが許さなかった。私は、あんな下劣なおしゃべりなんかに興味はない、もっと立派な内容の話なら喋って上げても良い・・・と思っていたのであった。それ以上にイクの心を悩ましていたのが、お金のなさであった。今まで自由に好き勝手に使っていたお金は消えてしまって、矢助が稼いでくる給金も警察官の45円より少なかった。そんな少ない給金から矢助の親への送金が、イクの遣り繰りを益々ひどくさせていたので、毎日の食事を考えるのも嫌であった。家から送ってもらったイクの着物を質屋に入れて何とかその日暮しをしている状態であった。

 イクの生活は、緊迫していた。

 イクの生活は、苦しくなるばかりであった。イクの人生は、今、冬の真っ只中であった。この生活がまだ続くようであったらイクは矢助の元を逃げ、故郷の親の所へ行きたいと考えたことあった。しかし、イクは、どんな事があってもこれ以上、親や妹達に弱みを見せたくないとは思っていた。只、父親に渡した500円は、イクの心を大きく誘惑していた。あの金を返してもらおうか。と、イクはこの問題にいつも逡巡していた。
 イクは、この年齢まで金のことをいつまでも意識し、自分の甲斐性でどうにもならないということに大きな苛立ちを感じていた。生活の苦しさは、益々ひどく、家賃を支払うにも事欠く有様であった。いくら質屋通いをしても、焼け石に水であった。矢助は矢助でイクが何を言っても、全く無視し食事も取らず酒に浸っていた。その食事も事欠く有様であった。工場から支給される賃金は矢助は自分の酒代と親への送金を引いてイクに渡すものだからどうしようもなかった。
 イクは、自分が不運だとは思っていなかった。ただ時代が悪いのだと思っていた。矢助は矢助でイクの所為で、自分に不運が回ってきて若い恋人にも世間にも捨てられた気持ちになっていた。見るもの聞くものがすべて不愉快であった。その日暮らしの矢助はイクの事なんか考えるゆとりもなかった。何一つ元の暮らしには戻れない。花は消えた。馬鹿な自分に愛想が尽いた。たった1枚のハガキが自分の人生を変えてしまった。
 矢助は毎日飲んだ。矢助の酒は、家で飲もうが、よそで飲もうが手酌を好んだ。自分のペースで飲めるからだ。肴は特に必要としなかった。酒に関しては、イクは矢助に心を遣わなかった。それは矢助にとって良い事でもあった。自分の好みの燗で飲む酒はどんな疲れをも流してくれた。自分の目の前に杯と徳利がある。それだけで心が和んでいた。杯に酒をゆっくり注ぐ。芳醇な香りが矢助の頭の中に沁みこんでいく。何ともいえぬ豊かな瞬間は、自分の不幸を忘れさせてくれた。暖かい酔いがゆっくりと体の中を巡っていくのが解る。その酔いは、矢助に幸せだった時間を取り戻してくれ、矢助を孤独から解放してくれるものであった。
 イクと過ごす日が増えると、自分が悪いわけでもない、そうかといってイクが悪いと言い切ってしまう事もできないのではないか、と矢助は思うようになった。この女が好きだとか、あの女が嫌いだとかと言う単純な問題ではないのかもしれない。好きな女と一緒になれたから幸せか、嫌いな女と一緒に住むから不幸か、等といった問題は、実際問題としてどれだけの価値のある問題なのだろうか。矢助は解らなくなっていた。ただ分かっていた事は、ひとつであった。自分は一人では生きられないのだということだった。
 確かにイクのお金には魅力はあった。自分が稼いでくる金の10倍の金を持つ女は、少なくとも大きな魅力になっていたと思う。だから、女2人の喧嘩の後、イクを追い出せなかったのもイクが見せた300円に対する矢助の驚きと共にイクへの憧憬がなかったとはいえない。人間は哀しいと矢助は思った。イクの逞しさを認めたいと思いながら、一方では、疎ましかった。金は大きな魅力である。それなしでは誰も生きていけない。また、それから逃げられない。人間と言うものは、何と哀しいもんだろうと矢助は酒を飲みながら想うのであった。
 自分は運の悪い人間であると矢助は思い込んでいた。何をやっても上手くいかない。甲斐性もないから、いつも味噌っかすである。生きていくことは、矢助にとって生易しいものではないということぐらいこの歳までに散々解っていた。だから、若い女の純粋性に憧れていた。しかし、今はイクの逞しさや強引さは、矢助にない物だけに自分のこれからの人生に必要なのではないだろうかと考え始めたのである。
 人には、生れた境遇によって性格が形成されるのかも知れないと矢助は思った。だが、当時、矢助やイクのような境遇は、他の人とは大きな違いがあるとは思えないし、どこにでもあるようなありふれた境遇であると思いながら、矢助はどうしてイクのように自信有り気で強気になれるのだろうか、分からなかった。また、教育はその人間の運命を変える事が可能なのであろうかと矢助は、又、考えた。当時の女性としての高い教育だとされる看護婦教育は、イクにどのような運命を与えたのだろうか。イクという強い個性をもった人間の運命は教育のよって変えたというより、当時の女性の生き方に反抗したイクの性格と行動がもたらしたと言えそうだと矢助は思った。矢助は、イクのように自分の力で自分を改善しようなどという度胸はなかっただけに、そんなイクが羨ましかった。
 矢助は、イクに初めは大きな憎悪に似た感情を持っていた。しかし、人間、どんな形にしろ、一緒に住むということになるとその憎悪をいつまでも抱えていることは出来ないものらしい。イクを心の奥で憎みながらも少しずつイクの強さは自分にとって必要なのだと認めざるを得なかった。生きていく事の辛さは、男である自分にとって生易しいものでない。イクの心を矢助は少しだけでも理解してやるべきではないだろうかと、最近考えるようになった。しかし、その気持ちをどのように表せばよいか見当もつかなかった。

 矢助は、九州男子であった。その中でも特に男尊女卑の風習が強い薩摩隼人であった。8人兄弟の3男坊として生れた。しかし、長男は生れて1歳を超えないで死亡した。だから、次男の時盛は、長男として高井の家を継いだ。3男坊の矢助は、死んだ長男の名前をそのまま受け継いだ。
 鹿児島の町から離れた海岸にある家は、小さな家であった。土地も少なかった。そこで、親は矢助に高等学校教育をし、家に戻らないようにと言い聞かせたのであった。小さい時から長男を大切にするため、次男以下は非常に寂しい生活を強いいられた。薩摩隼人と聞くと昔から強い男を連想させた。薩摩の持つイメージとして、西郷隆盛に代表されるような質実剛健、武骨であり、朴訥さやおおらかさもある。いずれにしろ真っすぐで、困難な問題にも恐れず、ひるまずに立ち向かう勇壮な気質を感じる。しかし、矢助には、そんな性格は見当たらなかった。優しい男であった。そして、優柔不断であった。矢助の母親は、矢助のそんな所が見えなかったのも、矢助に続いて子供を次々と産んで育児と家事に気を取られていたためだった。心細そうに家を離れる矢助に優しい言葉を掛ける事もなかった。とにかく、当時の親たちは忙しかったのである。
  

 

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