明治から平成を駈けた女 第16章 

   

 イクは、出会って別れた数え切れないほどの多くの人々を思い出していた。

 昭和6年の新年が来たが、須磨の事があってから、その後、外勤部の仕事はやはり来なかった。しかし、イクは今は諦めていた。少し優しさを見せてくれるようになった矢助と心を寄せ合うようになり、今は細々と、だが、何とか生活を営むことが出来るようになっていた事もあった。といっても、イクは、仕事がしたかった。近所の奥さん達との井戸端会議にどうして参加する事が出来なかった事もあった。
 少し春めいた午後、イクは新聞を読みながら炬燵に入っていた。イクには、こんな時間が心地よい空間であった。炬燵の火加減も良かった。しかし、小さな家は外の声が遠慮なしに入ってくる。イクの住む家の玄関を出たところには5段の石の階段があった。その階段を下りた道からほんの少し離れた奥まった所に井戸があった。その井戸の周りで何人かの母親がおしゃべりに夢中であった。今日は晴れていた事もあって洗濯をしているらしい。その母親達の周りを子供たちが「ジンム、スイゼイ、アンネイ、イトク、コウショウ、コウアン、コウレイ……」と、母親に叱られながら暗記している。その様子を壁越しに感じながら、イクは、子供が居ない事を幸いとしていた。時々、子供を引っ叩く音や怒鳴り声を聞きながら、自分に子供が出来たらここから引っ越さなければならないと、何となく考えていた。自分より年の若い母親が大声で子供を叱る声には、品が無いとか、子どもを叱り付けてもあんな女たちの子供では無理だと密かに軽蔑していた。深い意味は無かったが、イクは、土地の言葉の壁とイクの年齢では子供が5〜6人居てもおかしくないと彼女達の1人に言われた事があったからだ。
 第一、とイクは呟いた。子供は叩いて利口になるのなら、親から一度も殴られた事の無い私は馬鹿であるはずだ。
 この時代、神武からの天皇の名を一つの間違いもなく暗唱することが、当時の小学生の必須課題であった。天皇を神格化するための、当時の教育に対してイクの抵抗というよりも、何だか馬鹿馬鹿しいと単純に考えていただけであった。しかし、イクはそれを誰にも話さなかった。それくらいの知恵は持っていた。又、ご真影と言われる天皇・皇后の写真を家に飾るのが風習であった。イクはその風習にも反抗したかった。日本は神の国という考えは心地よかったが、イクは朝鮮に住んでみて日本の国の中での物の考え方が何だかせせこましいとも考えていたので、何か違うような気がした。イクは生きていくのに不思議な事の多い社会に、解答の無い疑問を絶えず感じていた。
 外に比例して小さな家の中は、とても静かだった。小さな部屋の小さな窓から空を眺めた。イクは空を見るのが好きであった。少し開けた窓の隙間から春が近いことを知らせてくれるようであった。青い空も昨日よりも暖かさが増えていると感じた。すぐ隣の家の隙間から葉が枯れて落ちた何の木か分からないが、木の芽吹きが見えるようだ。その木を見ているうちに、故郷の小学校の校庭の木々を思い出していた。ここは緑が少ない。子供達の声が、小学校時代のイクを思い出させたのかもしれなかった。
 イクの行っていた小学校の校庭には、木が多かった。それも大きな銀杏の木だった。イクはその銀杏の木が好きだった。木は校庭からはみ出して、青い空に向かって突き出していた。そんな木を見ると元気になるようでイクはいつもその銀杏の木を教室から眺めていた。
 あれは絵を描いていた時だった。大きな銀杏の木を描こうと思って、イクは紙一杯に描き始めた。気がつくと銀杏の木は紙に収まらなかった。はみ出さないように描き直さなくては、と思いながらも気持ちはどんどんはみ出していた。木は紙の中で暴れまわって、イクの手におえなくなっていた。大きくなった銀杏の木を見失ったイクは泣き出しそうであった。銀杏の木は紙の中で暴れまわると、とうとう何も見えなくなっていた。
「イク、何を描いとるか。」先生の大きな声でイクは、ビクッとなってふり返った。
「銀杏の木です。」イクはべそをかきながら応えた。
「お前は、何をやっても下手やな。銀杏の木一つも描けないんだな。」軽蔑しきった先生の声にイクは益々小さくなった。イクは国語の時間に俳句を作らせられて、散々馬鹿にされたことを思い出していた。小学校の思い出には、忘れたい事が多いと、イクは思った。
 イクは、今日まで一生懸命頑張ってきた。と思う。人間の努力を100点満点で計るなら、イクは、100点の努力をしてきたと思っている。この家の周りに居る女どもとは、全く違う人種だとイクは、プライドを高くした。しかし、今まで努力した自分は、このままでは、努力する事は、もう必要ないのかも知れない。今もこれからも頑張る事は、必要ないのではないだろうか。又、一体これから何を努力したら良いのだろうか。目標は無くなった。自分がどんどん透明になっていくのではないか。寂しさに、イクの孤独が始まった。
 この壁も窓も新聞も炬燵も、まして、イクも存在感が消えていくようであった。イクは自分の姿を思い出せなくなっていた。もともとイクはコミュニケーションが下手だった。飾る言葉も上手くできなかった。その上、努力すれば報われ、又、怠れば差が開き、それによる差別から来る生存競争から勝者になれると考えていた。確かに今まで努力して上向きの成長を続けていた時も多かった。しかし、ここでは、努力や経歴が全く関係の無い生活であった。
 あんな女どもときたら…イクは、又、腹が立ってきた。私は、あんた達と違う人種なんですからね。でも、とイクは思った。今、自分は、なんて年を取ってしまったのだろう。このまま年老いてあんな女達のようになって死ぬのだろうか。不安がよぎっていた。だんだん家にじっとしている事が苦痛になってきた。時間は、どのくらい経ったのだろう。矢助が帰宅した事も気がつかない程であった。

 3月に入って間もない穏やかな昼下がりであった。やる事も無くイクはぼんやりしていた。イクは、今日まで数え切れないほどの多くの、出会っては別れた人々を思い出していた。思い出しながら、何と言うことなし家に居るのも落ち着かず、家を出た。春になったとは言え、まだ風は寒かった。街の中は、とても静かだった。時々、子供たちの遊んでいる声が聞こえるくらいであった。イクの思い出している人々の声は無かった。懐かしい声は無かった。何人かの人とすれ違った。誰だろうか。千葉で会ったあの人は…。そして、朝鮮でお世話になったあの大好きな人は…。誰だった。かすかに懐かしい匂いがした。あ、この声は、誰だっけ…。あ、ここには来た事がある。そこで誰かに会った気がする。それは誰なんだろう…。ああ、もう少しで思い出せるのに…。名前、何と言う名前だ…。イクの思いの密度が限界まできていた。
 イクは苛立ちの心であわ立ちはじめた。
  目を閉じて立ち止まった。記憶を辿って居るうちに、イクは心が高揚して弾んできた。風は冷たいが、心地よい陽の当り具合にあわ立っていた心は少しずつ収まりそうだった。又、少し歩き始めた。あれは、何だっけ。又、イクは疑問の流れに引き戻されそうであった。イクは、今までの世界の中で、自分と社会の境界線で何を見てきたのだろうか。そもそも自分とは何だろうか。今まで多くの処理しきれないほどの多くの情報がイクの周りを渦巻いていた。整理のつかない思い出は膨張したり、凝縮したりしてイクを悩ませた。
 とにかく社会に戻ろう。こんな小さな家の中で、小さな場所で所在なげにぼんやりとしている事が駄目なんだ。どんな方法があるか分からなかったが、行動を起こす事にした。何をどのように等考えず、とにかく家を出て動こうと思った。

 何日間か、どこへ行っても何を見ても、イクの心は晴れなかった。解答を見つけるために、又、自分がどうあるか、考えるために神戸の港や街の中、駅にも歩き回った。解答は無かったが、家にじっとしているよりも心は少し落ち着いてきた。
 おむすびを食べながら、海を見ていると、心がほぐれてくる。
 駅の雑踏で、足早に歩いている人を見ると、仕事があるのを羨ましく思った。 
 公園で小さな芽吹きに感動を受け、イクは励まされた。
 元町の商店街を歩きながら、日本はそんなに不況ではないのかもしれないと心が明るくなった。
 足が草臥れた分、心は少しづつ元気になってきた事にイクは気がつかなかった。
 

 偶然な事が色々重なり、イクの未来に明るさが見えた。

 歩けば歩くほど、人間は元気になり、幸運もやってくるものだろう。イクは、神戸駅の待合室でぼんやりと人の流れを見ていると、偶然、千葉の病院から姫路の病院に転勤となった山田婦長が通りかかった。その再会がイクの今の生活から救う事になった。
「あら、坂田さんではないのですか。」山田婦長の声は、懐かしさと共にイクには、神の声に聞こえた。
「ああ、山田婦長…」イクは、絶句した。まさか、こんな偶然があるとは、流石のイクもすぐには信じられなかった。「本当に、山田婦長なんですね。」
「あら、お化けだとでも言うの。」イクの驚きように山田婦長は、かえってビックリした。「こんな所での立ち話もなんだから、近くのカフェでも行きましょう。」山田婦長は、昔のイクには見られない生活の苦労を見て取った。
「いえ、カフェなんて…。私、そんな余裕はありませんので…」イクは、お財布の中身を思い出しながら断った。
「私が貴女にご馳走したいのですよ。」優しい山田婦長の言葉は、イクの心を少し傷つけた。しかし、イクはこのチャンスを逃したくなかった。少しの誇りを、今は捨てよう。山田婦長の後ろについていった。
「本当に懐かしいわねぇ。」山田婦長は、椅子に座り、お茶の注文をすると、今どうしているの?と聞きたい気持ちを抑えながら、まずイクの心を解きほぐすように言った。小さな声であったが、イクにはとても嬉しく抱きしめられたようなほのぼのとした気持ちになった。
「山田婦長さんは、どうして神戸においでになられたのですか。」イクは自分の境遇を話したくなくて、自分の話をそらすため歩きながら用意していた質問をした。
「貴女も良く知っている千葉の病院の、ほら、隊付きであった鈴木軍医が居たでしょう。その軍医が、徴兵検査員のお仕事のため、神戸に出張してくる連絡を受けたんですよ。」
 鈴木軍医は、病院も兼務だったので、イク始め皆の世話などを良くしてくれた。心安い軍医であった。親しさが深かったので、イクはその鈴木軍医に会いたいと思った。
「神戸に出張していらっしゃるのなら、私も会いたいです。」イクは身を乗り出して言った。
「そうでしょう。これから鈴木軍医の宿舎を訪問するんですよ。一緒に行きますか。」イクは細い糸のような光が見えた。すぐに返事をして、山田婦長と共に鈴木軍医の宿舎に向かった。
 縁は異なもので、その宿舎に、これまた、偶然な事に北朝鮮の羅南病院でいっしょに働いた薬剤師の西垣少佐が居た。鈴木軍医と西垣少佐は友人であった。イクも含めて4人は、偶然の再会にお互いが驚き、千葉と羅南の思い出話に花が咲いた。いつのまにか、イクも結婚した事、仕事をしたいが、今、無職で困っている事までも暖かい雰囲気の中で話していた。
「高井君、西垣さんは、阪神沿線の大きな製薬会社にお勤めだ。就職をお願いしなさい。」と鈴木軍医が言う。イクは、羅南では余り用事がなく、親しく言葉も交わす機会などもなかった西垣少佐だったので、鈴木軍医の言葉に対しても、黙って頷いていただけであった。

 イクは、少々躊躇いながら、それでも自分の家に山田婦長を伴って帰った。イクの小さな家を見た山田婦長は、イクの生活等を改めて知った。夫の矢助にも会い、イクの生活の窮屈さを知り、心を痛めた。かってのイクの姿が、ここにないと思った。
 山田婦長は、一晩考えた末、翌朝、イクに一つの提案をした。夫の矢助にも許可を貰うためにも提案という形を取ったのである。
「イクさんは、優秀な看護婦でした。こんな人を遊ばせて置くのは、勿体無いと思いますよ。多分、近い内に看護婦として要請があるかもしれません。その前に姫路の私の病院の現状を見学なさった方がよろしいかと思いますが…」山田婦長の言葉は丁寧であった。しかし、矢助には、否と言わせないほどの力があった。矢助は、イク以上にコミュニケーションが苦手であった。だから、この婦長と言う力と金を持った中年の女性に対してどのような言葉で対応してよいか分からなかった。だから、只、黙って頭を下げただけであった。それをイクも婦長も矢助の了承と取り、早速の小さな旅行となった。久しぶりにイクは生き生きとしていた。
 イクは、山田婦長の言われるままに一緒に汽車にのり、姫路の山田婦長の住宅に行った。閑静な高級住宅地の中にある山田婦長の家は、一人暮らしには勿体ないような大きくて立派な家であった。
 幾つもある部屋の2つに、ほとんどお茶とお花の道具が揃っていた。結婚も諦めて女独りで生きてきて、老後の生活を若い娘達の花嫁修業の道に生甲斐を見つけたのであった。
「素敵なお家ですねぇ。」イク溜息混じりに言った。本当に心から思った。こんな家なら子供を産んでも自由に大切に育てられる。ふっと故郷の家を思い出していた。
「私は、貴女に家の自慢をするために、この家に連れてきたのではないのですよ。」山田婦長の目は、静かに優しい光に溢れていた。千葉時代の厳しい眼光は消えていた。
「貴女は、千葉でも色々と問題を持っていた看護婦でした。確かにあの頃の貴女は、看護婦としての資質に欠けている事もありました。しかし、羅南での貴女の働きを聞いていて、看護婦としての力も付いたように思います。今後の日本は、多くの看護婦を必要とする時代が来ます。今の日本ばかりでなく世界中は、戦争に向かって進んでいるように思います。戦争が無ければ良いけれど、いつ始まるか分かりません。」
「戦争が始まるのでしょうか。」イクは新聞を読んでいたけれども余り深く読んでいなかった事もあり、婦長の言葉にドキリとした。同じ質問を繰り返した。「本当に戦争が始まるのでしょうか。」
「残念ですが、始まることは間違いないと思います。」静かに、しかし、はっきりと言った。「だから、看護婦が必要とされるのですよ。貴女も新聞で読んで知っているかもしれないけれども、ソ連は中国共産党を支援して反日闘争を展開しています。東満州は共産パルチザンによる暴動の巷となり、今年まで100件以上も事件が起こっています。その中でも特に大きな事件は、昨年の間島省で日本人40名以上が殺害された暴動事件があるでしょう。次は中国共産党の正規軍による反日暴動が起こるのではないかという危機感が高まっているのです。そのため、日本の軍隊も、今、色々動き始めているのですよ。」流石、陸軍病院に居るだけあって、山田婦長の言葉は説得力があった。
「……」イクは言葉を失っていた。
「病気で入院しているの軍人さんとの話を聞いているから、色んな情報が入ってくるのですよ。」イクが黙しているので、婦長は哀しい目をしながら言った。「戦争が無ければ本当に嬉しいのですが…」
「私は、朝鮮の羅南病院で多くの軍人さんとの話を聞いて勉強をしました。軍人さん一人一人、本当に素敵で優しい人が多かったという思い出があります。そんな人が戦争によって傷つき死んでいくのは、とても哀しいです。」イクは戦争が身近になっている事に慄然としながら呟いた。「貧しくても、戦争が無い方が良い…」
「本当ですね。」イクの声に婦長は、同感の声を上げた。「人はそれぞれの立場と、その人なりの考えの生き方があるのでしょうが…。」婦長の言葉は、イクの心に染み込んできた。私は、婦長のようにきちんと自分の考え方に責任を持って行動してきたのだろうか。又、今後、社会はどのようになっていくのだろうか、不安になってきた。

 山田婦長の姫路の病院を見学してから帰った2〜3日後、西垣少佐からハガキを受け取った。貴女の仕事の事を考えているので、会いたいと書いてあった。イクは、すぐにも仕事が出来ると喜んで書いてあった日時に決められた場所に行った。西垣の話は、すぐ就職出来るというものでは無かった。色んな話をしてくれたが、特に仕事の話は無かった。
 別れ際に、大阪駅に向かう途中「ちょっと散歩しましょう。」といい、射的場や玉突き場等を回った。喫茶店でコーヒーに1時間付き合った。
 別れる時、駅で挨拶すると、又、いつかと言われた。固い役人の感じは除かれていない。我慢して、2度、3度と会って就職をお願いする事が、鈴木軍医の心づくしの好意や山田婦長の言葉に応える事になったかもしれないが、イクの社会性の未熟さと言うか、駅でのお別れで2度と会わないと決め、連絡が来ても誘いに乗らず、終わりにする事にした。
 しかし、別れ際に羅南病院にいた松岡婦長の話を聞いたのがイクの大きな収穫であった。2日後、病院船に乗って大坂港に着くと言う話であった。
 イクは、今はとにかく色んな人に会いたいと思っていた。思い出の中の人にも、勧められれば、どこにでも行く積りで居た。だから、昔の羅南の病院の人に会うことは、ある意味では辛い今の境遇も忘れられると思って、朝早くから大坂港に行くことにした。病院船が着くまでの時間は長かったが、イクはその待つ時間が苦痛ではなかった。北朝鮮での多くの経験を思い出していた。少しずつ色んな人や病院での出来事が彷彿と浮かび、そして、消えていった。
 大阪港の海の色は濃い青色でイクの心の奥の色の様であった。空には雲がかかっていて、風は少し冷たかった。しかし、イクの心は、その雲がだんだんと薄れていくように昔のイクのように瞳は晴れていた。きっと松岡婦長に会う時は、昔のイクのように元気で少し不遜な若い女に戻れると確信してきた。
 イクは、桟橋で病院船が着くのを待っていた。多くの人々が船から降りてきた時、イクはいち早く松岡婦長を見つけ、大きく手を振った。
「松岡婦長、松岡婦長。」イクは、何となしに涙ぐんでいた。婦長がイクの近くに来ても、松岡婦長は分からなかった様である。そこで、イクは、又、叫んだ。「松岡婦長、私、坂田イクです。」
「あ、坂田看護婦。」名乗ったイクの声で松岡婦長はやっと気がついたのであろう。そして、イクに聞いた。「どうしたの。こんな所で、誰を待っているの。」
 イクは、言葉に詰まって、松岡婦長に抱きついて感極まっていた。私の事を覚えてくれていた…その事が嬉しかった。イクは涙が止まらず、婦長はおろおろしていた。
 その後、イクと松岡婦長は大坂の旅館でゆっくり話し合った。その時、松岡婦長の後輩である大坂の衛戍病院の田中婦長が、その席に居た。イクの持ってきた果物を洗わないで口に入れるのを見て、驚いた。イクは慌てて果物を洗いに行った。
「船の中では、砂だらけのものでも食していましたよ。そんなことは面倒ですよ。」田中婦長は、平然と笑っている。イクは、生活の習慣とは、怖いと思った。
「田中婦長は、40歳になっていてとうに恩給がついたのではないですか、そろそろ将来のことを考えて、結婚をしたら良いでしょう。」と松岡婦長が言う。40歳になって将来の経済が安定したから家庭生活を考えなさいと言う話を聞いて、イクはそれも人生、そんな生き方もあるのだと学んだのである。私の結婚は、全く行き当たりばったりで、計画性がない。もっと人生を考えなければならないと思った。

 このような人々との再会のあった後、イクは、田中婦長の推薦で4月になって大坂の病院に勤務することになった。
 イクは、毎日、神戸の灘駅から阪急電車で通勤していた。この病院は広島の陸軍病院から還送された患者を受け入れていて、その患者も手術を必要としていた。それを担当するのが、庶務主任兼外科医長の倉石一軍医であった。この先生の1日は、手術で始まり手術で終わると言う毎日であった。鬼のような厳しい力強いメスさばきに、芸術的とも言えるような仕上がりの手術は、イクの心と脳裏にくっきりと残るほどである。その仕事振りと多忙さに軍医は決して疲労の色を見せず、明るく朗らかであった。手術が完了してから手術準備室にある浴槽からの先生は、大声で謡曲を歌っていた。厳しさの中にも温かみのある先生で、イクはこの先生の指導や看護婦としての仕事をするのが好きであった。素晴らしい人柄であり、心が惹かれる先生であった。そして、イクは看護婦としての厳しい修行を積んでいった。
 倉石先生はいつも京都から通勤していた。帰宅の時、電車の中で窓に靴のままの両足をかけて眠っていたので車掌から大注意された。という話も明るく悪びれずに話している。皆はそれを聴いて驚いているのだが、イクはそれほど疲れきっている先生を益々好感を持ってみていた。軍人と言う堅苦しさ等を感じなかった。
 イクは、この倉石軍医の元で多くの医療の勉強をした。

 イクは、毎日が楽しかった。楽しいというと語弊があるかもしれない。楽しいという中には、厳しい中でも夢中になって仕事に打ち込んでいける楽しさといったものであろう。元々イクには、看護と言う仕事が向いていたと思う。イクはつくづく自分の仕事に誇りが持てる幸せを感じていた。倉石軍医の下で、看護婦として褒めてもらう事の喜びを毎日考えていたのである。だから、倉石軍医の命令の前に何が欲しいのか、どんな風な要求なのか、絶えず考えていた。他の看護婦は、厳しく叱咤する倉石軍医を嫌がっていたので、これ幸いとイクは自ら進んで買って出た。イクの看護技術は、益々磨きがかかってきた。それが、又、イクには嬉しかったのである。
 どんなに経験豊かな手術医師である倉石軍医の手術でも、手術経験の浅い看護婦であるイクを直接介助に当てる事は、問題であった。しかし、倉石軍医は、いくら技術が上であってもキチンと命令どおりに動かない看護婦よりも経験は浅いが一生懸命に働くイクを気に入っていた。そのため、イクの技術は短期間のうちに他の看護婦よりも向上したので、倉石軍医はイクを益々重宝した。
 手術場の看護婦は、手術治療という特殊性から患者の安全性と衛生観念が保証され無ければならなかったので、責任は重かった。この認識で手術場の環境のすべてを整える事を、イクは自分の天命と考えるようになり、室内の清掃、常備器具などの清拭は命がけでやった。時には次の手術を控えている倉石軍医から、「そんなに丁寧に掃除しなくても良いよ。」と言われた事もある。しかし、イクは手抜きする事なく念入りに行い清潔保持に努めた。手術場看護婦である事に拘り続けたイクは、手術室で使われる物品が全て患者の生命に直結しており、それらをより良い状態に保つ必要性を絶えず業務を通して実感していた。手術場の徹底した清掃についても、安全な手術環境を作り出すためには不可欠な事だという信念を持って、妥協と言うものをしなかった。誰が何と言ってもこの仕事は譲れないと、心の中で決めていた。

 初夏の明るい日差しの降り注ぐ昼の事、手術が済んで何日か経った患者が、物思いに沈んでいた。手には手紙を握り締めていた。暗い眼をしていた。その患者は、数日前に両足の切断をして歩けなくなってしまった負傷兵であった。手術後、目が覚めた時、イクに両足を亡くしたので、今後の生活をどうすれば良いか、ポツリと呟いたのを思い出した。その時、イクは、大きな声で朗らかに「足が無くても生きていなくちゃ、損ですよ。せっかく神様がまだ死んではいけないとおっしゃったんだから…」等と適当に笑って誤魔化した事を思い出した。
「昼食前の体温の検査ですよ。」イクは、その負傷兵の暗い目を見ないように、事務的に体温計を渡し、脈を取った。便箋と共に封筒ががパサリと床に落ちた。イクは、それを拾って、渡そうとした。
「捨てて置いてください。」吐き捨てるように呟いた。「私には用の無い手紙ですから…」
「手紙は、いつでも捨てれますので、今は大事にして置いた方が良いのではないですか。」イクは、負傷兵の名前とは違う手紙の差出人の姓名を見て言った。そして、言ってはならない言葉を思わず口にした。「恋人からなんでしょう。」
「何も分からん人間が、私の気持ちも分からん人間が、いい加減な事を言わんといて下さい。」目は真っ赤になっていた。さっきまで泣いていたためか、又、怒りで燃え上がったためか、イクは分からなかった。「どんな気持ちか、あんたには、分からんでしょう。看護婦のくせに…」
「……」イクは、言葉を失った。余りの激しい言葉と態度に何と言ってよいかわからなかった。怒りと失望に震えている若い負傷兵をどんな言葉を言って良いか分からなかった。イクは手紙をそっとベッドの枕元に置くと負傷兵から離れた。
 イクは、その後の手術を手伝いながら、もたついているのを倉石軍医に叱責された。理由を聞かれて、イクは倉石軍医に話した。
「高井看護婦、心配は要らないよ。彼は立ち直るからね。大丈夫だよ。」朗らかな軍医の言葉は、少しイクの心を和らげた。
 イクは、責任を感じてか、病室の廊下を通る時にそっと様子を伺った。じっと考えているのか、手紙を握りしめたまま天井を睨んでいた。イクはなるべく近づかないようにしようと考えていたが、仕事の関係でそうもいかなかった。又、検温の時間がやって来た。検温はイクの仕事であった。イクは、素知らぬ振りで事務的に素気なく仕事をこなそうと、無言で体温計を渡し、脈を計った。
「お願いがあります。」イクが無言でベットから離れようとした時、両足を失った負傷兵は、小さい声で言った。うっかりするとその声を聞き落としそうな程、小さかった。
「……」ベッドから離れようとしたイクは足を止めて、訝しげに振り返り、無言でその若い男の顔を見た。
 

 2時間たったら迎えに来ると言って、イクは道頓堀に出かけた。

 倉石軍医の手配してくれた車でイクはその負傷兵を目的の場所へ送ると、時間を潰すために道頓堀へ行った。
 道頓堀一帯には、江戸時代初期から芝居小屋が並び、人々が群がっていたと言うが、今もその賑わいは衰える事はなかった。イクは、道頓堀にかかる戎橋を渡りながら、物珍しそうに周りを見渡した。大阪駅周辺をキタと呼ぶのに対して難波から道頓堀界隈をミナミと言う。イクはただぼんやりと街の賑わいを眺めていた。道頓と言う名は、200年程前、私財を投じて運河として完成した道頓堀川は、安井道頓の名に由来している。又、江戸時代の中頃、徳兵衛とお初の心中事件を近松門左衛門が浄瑠璃「曾根崎心中」として書きあげ、道頓堀の竹本座で上演した文楽が大当たりした事は、昔、イクは本で読んだ事があり、この恋物語に心をときめかした事もあった。また、以前、行進曲ブームで道頓堀行進曲が有名になり、イクも「赤い灯 青い灯 道頓堀の」は知っていた。色んな意味で有名な大坂の中心地がここにあり、自分が居るんだと思った。
 道頓堀界隈は、拡声器からのジャズの音や路地裏の三味線の音等、日本と西洋の混じり合った不思議な街であった。イクは明るい光の中で道頓堀から千日前、新世界にかけてゆっくり歩いた。芝居、活動写真、落語、家庭劇などの劇場からはひっきりなしに音楽が流れていたが、イクはこの空間に戸惑いを感じていた。
 イクが、今、存在する空間でイクと同じようにこの時間を消費する人々を見ながら、商店街や盛り場を闊歩している人々を見ながら、心がこの街に入れなかった。遊歩する人々は、街の盛り場や商店街という場所感覚を楽しみながら、イクの空間と大きくずれていたのであった。人々の足取りは軽やかで、享楽の空間との関わりを十分堪能しながら、新しい文化を享受していた。人々は、資本主義的な社会の繁華街に存在する事で、それもモダンな雰囲気の中で日本古来の街を確認しながら、息づいていた。イクはそんな人々を見ながら街中をゆらゆらと歩いていただけであった。心はここになかった。

 この年は、官吏の給料が1割カットされた。そして、7月15日、内務省社会局発表によると5月の失業者数は40万人を超えた。失業者の増え方の大きかった県は、神奈川、長崎、岡山、広島の4県で、いずれも海軍の軍縮に伴う解雇が原因であった。

 昭和4年の暗黒の木曜日と呼ばれるウォール街の株価大暴落に始まった世界恐慌と金輸出解禁の影響が重なり合い、最悪の状況となった世相を背景に軍部は独走して満州事変を引き起こしたのが、昭和6年だった。そして、政党内閣の終焉、軍拡財政のインフレ政策などにより日本経済は世界恐慌を尻目に軍需景気に湧き始めた。機械金属工業も素早く息を吹き返し、特に工作機械に対する需要が急増するにつれて、機械金属工業界もやっと活気を取り戻してきた。満州事変を契機に日本の産業構造は大きく変革され、軍需工業を媒介として準戦時体制への再編が進められていた。
 尋常小学校の修身の教科書も「ヨクマナビ ヨクアソベ、ジコクヲマモレ、オヤノオン、チュウギ、ヨイコドモ」等で、忠孝の道徳と国家観念に重点をおいた国定本で明治以降の一貫した教育内容となっていた。
 この年の9月満州事変勃発後の日本は満州国樹立を踏み石に、戦争に向けて大きく傾いていった。

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