明治から平成を駈けた女 第18章 

 

 イクは、倉石軍医から多くのものを学び、イクの心の糧となっていった。

 4月に勤務してから8ヶ月が過ぎた。12月になって、外には寒い風が吹いていたが、イクの心は温かく毎日が楽しかった。庶務主任から来年の4月から陸軍病院の主任看護婦として本格的に外地へ行って勤務しないかとの話があり、イクは喜んだ。とにかく少しでも倉石軍医の所に居たいと考えていたが、倉石から教わった知識がどこまで通用するか、又、若い頃と違って、本格的に真剣に看護婦としてのプロ意識に燃えていたので、庶務主任の話にイクは心の底から嬉しいと感じた。矢助には何が何でも陸軍看護婦になる事を説得しなければ、と強い決心で庶務室から出てきた。笑顔一杯で看護室に戻ってきたイクを他の若い看護婦が何があったのかと聞いたので、イクは誇らしげににっこりと微笑みながら皆に宣言した。
「私は、来年、陸軍看護婦として外地に行きます。」得意の絶頂であった。以前のように自分からの希望ではなく、上部からの陸軍病院の主任看護婦推薦と言う事は、自分の価値を認められた。この思いは、イクにとってエリート意識になった。他の看護婦は、凄いと言ってイクを褒めてくれた。
 その時、40歳の未婚であった看護婦長から、イクの体の変調について質問された。
「最近変わった事がありませんか。」じっとイクの顔を見ながら言った。「例えば、吐き気がするとか……。」
「そう言えば、最近、大好きな天麩羅が食べられなくて、思っただけでも吐き気がきます。」イクは考えながら、言った。「食欲は旺盛ですが、食の好みが変わったのか、今までのものとは違うものが食べたいと思うくらいで特に問題はありません。」
「月経は、キチンときてますか。」重ねて、婦長は言った。
「月経の遅れは、初めてですから気にしていません。」イクはケロリとして言った。「自覚もしていませんでした。」
「看護婦のくせに、それも結婚していて、妊娠の可能性も考えないなんて考えられませんね。」呑気なイクを見て、婦長は驚いた様子で言った。「早く、診察を受けなさい。」
 他の若い看護婦達も驚いてイクの顔を見た。そう言えばといった様子であった。考えても居なかった妊娠に驚きながらイクは戸惑っていた。
 帰宅後、自宅の近くの産婆の診察を受けた。妊娠5ヶ月であった。帰ってきた矢助に話した。
「大事にして欲しいし、仕事も今すぐ辞めて欲しい。」イクの妊娠を知った矢助は、イクのお腹をいとおしそうに撫でて言った。元々気の優しい矢助はイクの身体を気遣った。「酒も止めるから。」
 仕事は辞めたくないけれども、子供が出来た喜びは、やはり嬉しかった。今、こんなに子供が出来て喜んでいる矢助に転勤の話を暫くしない事にしようと決めた。その夜、イクは喜びと不安が入り乱れて、なかなか寝付けなかった。

 イクは、妊娠が分かった翌日、見るものすべてが違って見えるようであった。町の風景はすべてが新鮮で、何を見ても心優しい気持ちになった。世界が大きく変わり、自分が誇らしい気持ちで溢れてきた。病院への道すがら、イクは自分の妊娠を告げて歩きたかった。しかし、そのような事を口にするなど、当時としては非常に非道徳的であり、常識のない女として社会的にも問題であった。
 イクは、空腹を覚えるが、吐き気も絶え間なくした。しかし、食べるとその吐き気もおさまる。悪阻を経験したイクは、これで本当に1人前の女になったと思い、自然と微笑みがこぼれた。子供と2人分の食欲も旺盛で、もりもりと食べながら幸せな気持ちであった。妊娠すると酸っぱいものが食べたくなると聞いていたが、本当だった。酢の物が美味しいし、夏みかんがなんともいえず美味しい。イクは、昔から性格も体質も母親似だと言われているが、その母が悪阻がひどかったかどうかは聞いたことがない。2番目の母も悪阻がどうだったかもイクの眼中にない事だったので、初めての経験の悪阻にも幸せすら感じるのだった。
 暫くイクは悩んだ。仕事が面白くてならない。もっと倉石軍医から学びたい事があった。この機会を逃したら、医学の、いや、看護婦としての経験が終わってしまいそうで心配だった。イクは倉石軍医に相談する事にした。
「出産は人間としても非常に重要な経験だと思うよ。」例の如く飄々として爽やかな口調で倉石は言った。「出産は、男にとって絶対経験のできない素晴らしい仕事だと思っている。かく言う私も一度は経験したいと思っているのだがね。とにかく羨ましい限りだよ。」
「しかし、今、外科の臨床の経験が、折角のチャンスが、勿体無いと思われるのです。」イクは、出産も重要に思ったが、何とか少しでも倉石軍医の側で働きたくて言った。「今の私はやはり倉石軍医の下で、もっと外科の経験を積みたいのです。」
「外科の仕事はきついよ。出産も仕事もなんて両方は無理だね。」倉石は冷たい声で言った。「両方は無理だ。どちらかに決めなさい。子供をおろすか。仕事を辞めるか。私にとっても妊婦の看護婦は重荷だからね。」
「……」イクは言葉がなかった。子供をおろすなんて考えられなかったので息を呑んだ。
「私の仕事は、戦争と同じで、命のやりとりをする戦いだ。その中でぎりぎりのせめぎ合いをする時、人間は自己中心になる。美しい看護という概念を越えて、その人の人格や感情や倫理観の中で命を奪い合う戦争と同じ戦いなんだ。その様な厳しい中で、子供に気を取られた看護婦は、邪魔な存在の何ものでもないんだ。」倉石の眼は、イクの心を突き通すかのような冷たい光が走った。「患者の命を扱う瞬間には、殺すかも知れないと言う冷徹な現実の中で、医者や看護婦はそれぞれ個人の資質の中で、多くの事を決断することになる。」
 倉石の眼の中にある思いをイクには知らなかった。ただ倉石の冷たい口調に心が冷えていった。戦争は集団の殺戮であるが、医者はある意味、戦争と同じ人を殺すかもしれない瞬間がある。医者個人の中で患者を殺すこともあり、時には殺人者になることを自ら受け入れなければならない。そして、それは、同じその場に居た看護婦も同罪者として、戦友と言った関係でなければならないのだと倉石はイクに話した。
 倉石のような信念でばかり生きている人とは付き合う事はつらいとイクは思った。もっと軽い気持ちで仕事も楽しむ事ができる人の方が付き合いやすい。難しいことを言わず、明るく楽しむ時があっても良いかもしれないと、イクは考えた。世の中を明るくする人のほうが大切で、良いことだとの考えは倉石にはないのかもしれない。
 イクは、倉石の言葉を吟味していた。倉石はただの意地悪で言ったのではない事は分かっていたが、イクの心は少なからず傷ついていた。人生には、何か新しい事が始まると、何かしら問題が出てくる事は承知もし、予想もしていた。だが、それは努力すれば解決できると確信していた。自分自身以外に子供と言う命が絡む事については、イクはどう考えてよいか分からず、イクの予想外であった。見当もつかなかった。仕事を続けていくよりここでは辞めた方が良いのかもしれない。それ以外の解決方法はないという事が見えた時、イクは悲しいとか辛いなどと言う気持ちを認めたくなかった。やっと看護の面白さやコツも掴み、後は多くの知識の吸収をする事だと思っていた矢先に、悔しかった。しかし、時間が必要な事でもあり、今がその時なのだろうとイクは納得した。矢助も仕事を辞めろと言う。今が辞めどきなんだとイクは決心する事にした。
 思いついたらグズグズするのが嫌いなイクである。その足で庶務主任の所に行って、陸軍看護婦の仕事を断るとともに、この病院も辞めることを申し出た。

 イクは、物事の考え方の切り替えは早かった。納得すると、すぐに次の出産と言う新しい関心事に心がいった。
 知らない土地で出産する不安はないと言うと嘘になる。実家も遠く、友達もいない場所での出産だ。しかし、イクは普通の女のやる事なんだから難しいとは思わない事にした。看護婦と言う仕事よりも易しいだろうと思う事で心を楽にした。以前、仕事の上で経験した出産の怖さは、全くないとは言えなかったが、イクは健康であった。矢助の優しさが、出産と言う仕事をやりこなせるに違いないという思いもあった。未知の経験は、イクの心を時折悩まし、心細い思いにもさせた。しかし、イクは、丈夫な子供を生むために努力をする事にした。当時の出産としては、高齢出産である。現在は満で28歳では高齢出産とは言わないが、当時は十代で結婚・出産は普通であった。だから、イクの出産は高齢と考えられていたため、充分注意しなければならなかった。高齢出産という理由で、慎重になりすぎて、神経質になってはならないと自戒していた。出産は病気ではないということぐらいイクは充分分かっていたが、時折、憂鬱になった。

   矢助は、子供が好きだったので、楽しそうに子供の世話をした。

 昭和8年2月18日、長女を出産した。
 当時は自宅分娩であり、自宅療養であった。予定日より遅れていたが、出産当日になった。大きな胎児だと産婆は言った。何もかも初めてで、イクも矢助も戸惑いながら夢中であった。手慣れた産婆は、二人を叱りながらも赤ん坊の誕生に一生懸命であった。出産とはこんなに辛いものだとは知らなかった。しかし、イクは他の女達も我慢できたのだから自分だって出来るはずと言い聞かせて我慢した。イクは自分でも痛みに強い人間であると自負していたが、陣痛に苦しんだ。出てきてくれない子供のため、二晩寝れなかった。産婆の言葉に励まされながら、体力を消耗していった。痛みに耐えながらも疲労が蓄積して、時々、睡魔に襲われた。まどろむイクを産婆は顔を何度も叩いて、また、出産への努力を強要した。産婆に叩かれた痛みに目が覚めながら、また、まどろみながらの辛い出産たった。
 子供が出てきてくれた時、イクは辛さと嬉しさで、涙が出た。大きな声で泣いた。産婆も良く頑張ったとイクを褒め、泣きたい時は泣きなさい、嬉し泣きはとても心にも良いからとイクを優しく労った。イクの泣き声に負けないように、赤ん坊は元気に泣いた。4キロを超える子供であった。出てこない赤ん坊のために、産婆に腹を押された痛みと苦しさで、暫くイクはこの時の辛さを忘れる事ができなかった。
 育児について相談する人は居なかったので、毎日、イクは矢助と話をしながら子供に係りつけだった。イクは仕事には充分自信もあったが、小さくて泣く事で表現する子供1人相手に悪戦苦闘した。矢助もおろおろしながら、それでも一生懸命であった。
 イクは2日間陣痛で苦しんだため、矢助はイクを労わり、産後肥立ちの間、家事も子供の世話もすべてやってくれた。そのお陰で、イクは充分休養が取れた。矢助の細やかな世話はいつも楽しそうであった。赤ちゃんの月々の身長や体重測定、胸囲等も丁寧に測定し、育児日誌の記録なども面倒がるイクに代わって手際よく細かく書き込んだ。普通の家では家族が多いので女の手もあったが、イクの家庭は核家族であったため、夫の協力なしでは充分な産後の肥立ちはなかった。だから、イクは矢助の協力で非常に助かったと後々になっても感謝している。現在では余り聞かれないこの産後の肥立ちは、妊娠や分娩で消耗し痩せ細った母体が産後徐々に回復し、身体に肉がついて肥えていくことを言っていたのだが、イクのこの時代の食事情や家庭環境によって一時的な情動障害や身体的な症状が出たり、重症では精神的にも異常になる事もあると言う。特に夫の協力、援助が大切であるが、当時の男性は自分の妻に優しくする事は、日本男子としてみっともないとの考えが横行していた。しかし、矢助にはそんな日本男子の体面がないのか、優しい言葉がかけられない分思いやりは充分あった。
 矢助は、他人に何を言われようが、宝物でも抱えるように人々に見せびらかしたかったようだ。時々、近くを散歩に連れていった。産婆に教えてもらってタライの中で上手に沐浴させてくれた。
 当時の家には、内湯がなかった。だから、タライの中の赤ん坊のお風呂が終わると、毎日、赤ん坊を抱いて銭湯に行かなければならなかった。イクは、赤ん坊を湯船に入れていると、お年寄りから子供達まで近寄って眺めて褒めてくれた。イクはそれが嬉しくて、その様子を矢助に話した。
「赤ちゃんの髪の毛が真っ黒ですね。カルシュームでも飲んでいたのですか。」と若い母親が赤ん坊の髪を撫でながら羨ましそうに聞いてきた。
「色が白くて本当にお人形さんのようだ。」と赤ん坊の頬を指で軽くつつきながら、小学生の女の子が大きな声で言った。
「立派な赤ちゃんですね。でかした。でかした。」とお年寄りが目を細めて褒めてくれる。
 これらの誉め言葉を貰うと、イクは嬉しくて勇んで帰宅した。このような話を矢助に言うと矢助は大きな目を細めて嬉しそうに聞いていた。
 赤ん坊は、2月の寒い気候にも風邪一つ引かず、全くの医者知らずの健康児であった。赤ん坊は、登美子と名づけられた。イクは与謝野晶子の晶子とつけたかったが、矢助がもっと女らしい名前が良いというので、山川登美子の名前から登美子を貰ってこの名前にした。
 登美子はすくすくと育ち、7ヶ月を迎えた時、神戸市灘区健康地協会主催の優良乳幼児審査会に出場して佳良児の賞を貰った。矢助は、家庭における子供の教育には非常に熱心であったため、この賞は矢助のために貰ったものだとイクは思った。
 イクは、保健衛生の面では自信があったが、教育的な面では自信はなく、矢助が頼りであった。イクと矢助の二人は良く話し合った。
「家庭教育一般については、自分が責任を持つ。」矢助は、イクに言った。「だから、子供の情操教育は、君に任すよ。」
「……」イクは、矢助に言われて、矢助の顔をしみじみと眺めながら、自分の知識の弱さを意識した。そして、矢助のようにきっぱりと教育は自分が責任を取ると言えるのが羨ましかった。

 イクは、毎日、赤ん坊の紅葉のような小さな可愛い手の可愛さに、握りしめたり頬ずりしていた。赤ん坊は、手のひらに何か触れるとそれを握ろうと本能が働くのか、イクの指をしっかりと握る。赤ん坊は、時々、目を開け、ゆっくり黒い瞳を動かしてイクを見る。それが、又、可愛い。
 生まれたての赤ん坊は首がグラグラしていて安定していないが、矢助は、母親のイクよりも上手に器用に赤ん坊を抱えてイクを感心させた。赤ん坊に限らず生き物は、時期がくると誰から教わるでもなく自然に成長するのか、気がつくと色んな事をひとつひとつマスターして、イクを感心させた。
 イクが感心したひとつに、寝返りを繰り返す事であった。イクは、仕事を辞めてから赤ん坊と一緒に居る時間が多いため、いつも赤ん坊を眺めていた。赤ん坊は、何度か繰り返しているうちにいつの間にか、簡単に寝返りができるようになってきた。その上、少しずつではあるが首を持ち上げる事もできるようになっていた。繰り返すという行為によって、子供が成長していくのだと当たり前の発見が、イクを感動させた。
 寝返りを覚えると、その延長にゆっくりとだが、いつの間にか、部屋の隅に移動できるようになっていた。そのうち、イクは衛生上でも日光浴が赤ん坊に大切である事に気がついた。この家には、日光浴させるための縁側がない。日当たりも良くない。日光浴には最適の場所がない。これは大きな問題だと、矢助と二人で相談した。

 麻耶山は、四季それぞれに姿をかえ、イク達の目を楽しませてくれた。

 昭和10年6月、イクは4度目の転宅をした。
 今度の住宅の条件は、学校の近くで、緑も多く静かな住宅地である事だった。子供の将来も考えて、小学校に程近い所に借家を見つけた。このあたりは、明治7年、初めての鉄道が敷かれ、明治38年に阪神電鉄が開通し、大正9年には阪急電鉄が開通し、人口が爆発的に増加した場所であった。その上、土地区画整理が施行され、住宅地帯となっていた。麻耶山を背景にし、朝の散歩など最適に思われた。山が近いので、朝早く起きて山登りなども出来れば、健康管理として申し分がないのではないだろうかと、イク達は山を眺めながらここに決めた。
 矢助は、引っ越してきた翌日から、早速早起きして、麻耶山の1合目まで登って、体操をして輪投げ等といった遊びをして汗をかいた。毎日、矢助の日課になった裏山登山の後、朝食を済ませると会社に出かけた。この裏山登山は、明治時代の終り頃、居留地の外国人が自費で行なった登山道整備から始まったと言われる。鉄道の普及やバスの普及によって六甲山等の登山者は爆発的に増え、神戸の人々には親しみ深いものとなっていた。矢助も当時の流行した、この裏山登山をこよなく愛した。朝の出勤前に裏山の麻耶山の麓を散策し、週末にはその山頂まで歩き楽しんだ。矢助は、こまめな男であった。山への途中の荒地に小さな畑を開墾してトマトなどの野菜を栽培した。毎日、山からの帰りに色々な新鮮な野菜を持ってきてくれた。朝露を含んだ胡瓜などは、朝の食卓を飾った。イクは矢助の器用な趣味を喜んで、新鮮な食物に食費が浮く事等も感謝した。

 激しい雨音が屋根の上でしていた。イクはその雨の音さえも優しく響いて聞こえた。小さな庭の側の道を足早に人が駆けていった。懐かしい雨の匂いがした。小学校の頃の夏休み、イクは雨の中を走り回る事が好きだった。少し生ぬるくぬるりとした雨の感触が好きだった。夏の暑さで火照った身体を夕立は静かになだめてくれた。雨の中を走りながら大きく口をあけて激しく降り注ぐ雨を味わうのも好きだった。ほろ甘かった雨の味を思い出し、雨でゆるんだ土が素足に絡みつき、足指の間をにゅるにゅると這い上がってくる感触もよみがえった。頭の中に子供の頃の懐かしい故郷の風景が見えた。立山連邦はいつも遠くに見えていた。夕立はイクを優しい気持ちにさせた。そんな優しい雨がイクの心を濡らした。ひと時、この雨でイクの心は、遠く故郷の富山に飛んでいた。思い出すには、良い思い出は少ないのにとイクは呟いた。
 明るい神戸の空が戻ってきた時、イクの心は現実に戻っていた。日差しがまた空を覆い、小さな庭に降り注いでいた。のんびりと大きく手を上げ背伸びをして、イクは行水の準備でもしようかと汗ばんだ自分の首に手をやって思った。ふと気がつくと空に虹が見えた。金魚売りの声がどこか遠い所から漂うように聞こえてきた。大きなタライの中に水を入れた。
 昼過ぎにはぬるくなった水で赤ん坊を行水をさせよう。暗くなったら、大きなよしずで覆った影の中で自分も行水しようと考えていた。
 簡単な昼食を済ますと、タライの中の水の様子を見た。日向水は手に緩やかな暖かさを与えてくれた。赤ん坊は、お座りが出来るようになったので、座らせながら汗や体の汚れを洗ってやった。さっぱりしたのか、機嫌の良い顔で眠そうなあくびをした。昼寝をするのだと考えたイクは、縁側の赤ん坊用の蒲団の上で横にさせながら、自分も横になりながら赤ん坊に見入っていた。イクは、いつの間にか、縁側でのんびりうとうとしたようだ。雨上がりの後のまだ少し残っている土の湿りや夏の風は、涼しく気持ちが良かった。赤ん坊の登美子も、機嫌よく眠ってしまったのだろう。6ヶ月に近くなっていてハイハイもし始めていたので、イクは目を離さないようにしていたが、昼下がりの陽気がイクの心を油断させた。
 ギャアという大きな声が聞こえた。イクは、まどろみから目醒めた。目の前の縁側から赤ん坊が消えていた。裸足で縁側に下りると、赤ん坊が落ちていた。赤ん坊をすぐ抱えた。赤ん坊は、顔をまっ赤にして前より大きな声で激しく泣いていた。血は出ていないだろうか、骨は折れてないだろうかとイクは調べてた。健康や怪我についてはイクの責任なのでイクは真っ青になった。赤ん坊は、外見で見る限り異常はないようだ。自分をちゃんと見ていないと責めるかのように益々激しく泣いた。落ちた所が柔らかい地面の上であったからか、又、縁側の高さが低かったためか、特に問題はなさそうだった。イクはほっとした。この事は、矢助には話さない方が無難だと考えていた。矢助は、子供の事になるとイクがイライラする程執拗にイクに注文するからであった。
 日本の夏は、気温や湿度も高いため、空気がべたべたしている。矢助は、赤ん坊のために夏をしのぎやすいように工夫をするのが日課になっていた。家中の窓を開け放っても良いように、外の強い日差しと熱気が家に入らないように、簾をかけたり、朝顔を家の周りに植えたりした。夏になると蒸し暑くなり、汗をかくので失われた体内の水分を補うために、水気の多いものが必要だと言って赤ん坊のためにスイカを作った。矢助の子供好きはイクの心に負担を感じていたが、酒も止め、赤ん坊の将来のためと言って貯金をするとして、親への送金も止めていた。矢助は、料理の下手なイクに代わってそうめんや冷麦などにキュウリやトマトを浮かべ、薬味をきかせて登美子を抱えながら上手に食べさせていた。
 矢助は少しの時間があると、赤ん坊の登美子を散歩に良く連れ出した。近くの木々の緑が辺りに満ちている中を矢助は散歩の人々に見せながら歩くのが好きだった。池の水辺には小さな魚が泳いでいるのを見せながら登美子に語りかけ、池の水に触れさせては笑いかけていた。矢助は、自然のすべてが元気に大地を満たし、花火のような輝きに満たされる夏という季節が気に入っていた。矢助に大きな生気を与えてくれるようだからだ。緑と生命の光が大地に充満している中を登美子は矢助の腕の中で良く動き回って矢助を喜ばしていた。
 イクも暑い夏は思いきり暑いのが気持ち良いと思った。夏の木々の緑や川の水の音は元気にさせてくれるとイクも思った。家の中に夏が欲しいと考え、イクは、矢助に頼んで金魚を飼って貰う事にした。登美子の情操教育のためだと言った。明るい部屋の隅に丸い金魚鉢を置いただけで、涼しげでイクは心が豊かになった。この金魚の世話も矢助がこまめにしてくれたので、イクはただ眺めているだけでよかった。
 矢助は、縁側で団扇を使いながら蚊取り線香に火をつけていた。風鈴がチロチロとなるほどの少ない風であったが、イクの気持ちもゆったりと落ち着いていた。そのうち、麻耶山から吹く風が止まり、草や木の葉もそよとも動かなくなった。真夏の暑さから、蒲団を敷き蚊帳を吊り下げたが、まだ眠るための雨戸を閉める気にもならなかった。

 最近、イクは登美子に気をつけていた。特に登美子の口元に指を近づけないようにしていた。可愛さについ手を近づけると可愛い手でイクの指を握りしめ口に持っていきガリリと噛む。涎も良く出る。ハイハイしながら家中を走り回るようになった。どんな小さなもの、例えばゴミのようなものでも見つけると小さな指で掴んで口に入れる。うっかり目を話した途端、縁側から転げ落ちる。だから、イクはますます登美子から目を離すことが出来なかった。登美子のおかげでイクは家の床にはゴミひとつ落して置けなかった。矢助も掃除をしてくれたが、イクはいつもゴミが落ちてないように気をつけていた。毎日、知恵がついて行くのが分かる。イクは登美子が人間らしく感情や知恵をつけていっていることに喜びを感じていた。

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