明治から平成を駈けた女 第19章 

 昭和10年11月11日、矢助の待望していた男子が出生した。

 家を引越すのは、必要に迫られての事であったが、引越し毎にその地域での生活は個性の強いイクに多くの事を考えさせた。近所の人との付き合い方や自然の中での過ごし方等の調和や融合によって、イク自身の視野も広くなり、人間的にも丸くなった。多くの人々との触れ合いは今までの看護婦生活で経験してきたが、それはあくまで患者と看護婦とか、医者と看護婦と言う上下関係であった。しかし、地域に溶け込んでの近所付き合いや新しく出来た地域運動も含め、イクにとって新しい経験であり、イクの成長の肥やしになった。何度かの引越しによって一般的な社会教育が多く身についたとイクは思っていた。
 麻耶山の風景や人々の心の温かさ等で、イクの心は、静かで落ち着いた毎日が過ぎていった。矢助は相変わらずこまごまと働き、家庭の事も家の周りの大工仕事なども楽しんでやっていた。このまま穏やかな日々がいつまでも続くように思われた。そして、イクは2度目の妊娠をした。最初の出産で苦しんだイクは、暫くは子供は欲しくないと考えていたが、宿った命は、やはり大切だった。2人目なので矢助ばかり当てにしてはならないとイクは、考えた。

「いつになったら生れるがやろか。」お産の手伝いとして富山の母親を呼んだ。しかし、いつまでも生れそうもない事に対して母親は、不機嫌そうに言った。「わしも忙しいがや。こんなとこでのんびりしとられんがや。」
「分かっとるが。そんなが言っても、産婆さんが言った事やからわしも知らん。」イクも感情を抑えながら答えた。母親が来神して1ヶ月経過したが、産気づくどころか、出産の兆候すらなかった。
「あんたが家でのんびりしとるさかい、赤ん坊ものんびりしとるんと違うやろね。」母親が、又、イライラして言った。「生れないのは、運動不足が原因と思うがや。だから、毎日、1日も欠かさず運動しられ。」
「今日は朝から雨だから、なーん行きたくないがやけど。」イクは遠慮深そうに母親に聞こえるように呟いた。出産のため母親を呼んだのが間違ったのかもしれないと感じていたが、核家族の悲しさで他に方法が考えられなかった。「明日から始めっちゃ。良いやろ。」
「駄目や。今から始められ。そんな気持ちやから、駄目ながや。」キッとした目でイクを睨みつけた母親は、言葉を強めながら繰り返した。「そんな怠け者やから子供も怠けて出てこんがや。」
「……」イクは、黙っていた。
「あ、そうや。ただの散歩だけやったら駄目やから、階段を登ったり降りたりした方が良いやろうね。」母親は、この家にない階段の話をしたので、イクは嫌な気分になった。「近くにある神社の階段が良いやろ。行って来られや。」
「こんな雨の中で、階段で滑って転んだらどうするがかいね。」イクは口を尖らせながら、不服そうに言った。「わし、行くが嫌やからね。」
「何言うとんが。このままやったら、いつまでも子供出て来んがやぜ。」母親は怒鳴った。「そしたら、あんたの腹、破れて子供もあんたも死んでしまうがや。それでも良いがかいね。」
「……」イクは返す言葉がなかった。母親の言うとおりかもしれないと思った。昔、自分が見た出産の悲惨さを思い出した。子供を産むのは、大変だと言うことは分かっていたはずだ。しかし、平和で静かな生活は、イクにその出産のシビアさを忘れさせていた。ここは、出産の先輩の母親の言うことを聞いて置こうと仕方なく納得した。
 イクは傘をさしながら、近くの神社の階段をゆっくり登る事を決意した。
「あんたは、怠け者だからちゃんとやらんかも知れんね。わしも一緒に行くからね。」母親は監視についていくと言った。しかし、本当は、もし階段から滑って転んだらどうしようと言う心配もあったからだろう。
 それから、毎日イクの階段の上り下りが続けられた。それでもイクは産気づかなかった。母親は、イクの出産が長引けば長引くほど富山の様子が気がかりなのか、毎日イクに愚痴をもらしていた。
 出産予定日を忘れるほど経過した頃、母親の実家から電報が届いた。母の実家は、富山の片田舎の長沢という場所であり、イクの実家からかなり離れていた。母親の父が脳溢血で倒れたと言う。母親は急いで実家に向かった。母親が帰るというので、イクと登美子の世話を近くの加藤夫人にお願いする事にした。矢助は、どうしても1人では心細いと考えていたので、ホッとしたような顔をしていた。

 不思議なもので母親が居なくなった翌日、陣痛がきた。
 暫く雨続きだったが、その日は、久しぶりに雨があがった。11月初めの神戸の空は、重くどんよりしていた。イクは、空を見ながら気分のすぐれない事が気になった。しかし、陣痛の始まりは、イクにとって再び心をときめかす経験の始まりであった。加藤夫人は、矢助の出勤時間に合わせてイクの家に到着していた。イクは、出産ができるとホッとしていた。2度目だったので、心配はなかった。気がかりで出勤したがらない矢助に、イクは大丈夫だから出勤するようにと平気な風を装って、会社へ送り出した。矢助は、今日は早く帰ると言って、心を残して出勤した。
 2度目の出産という事で、イクは落ち着いていた。産婆も来ているし、準備も万端整えた。後は生れるだけだ。何の心配はないはずだった。最初のように、なかなか出てこなかったらどうしようという程の心配位であった。
 陣痛が始まってから暫くすると赤ん坊が生れた。赤ん坊が出た時、弱々しい泣き声が聞こえた。大丈夫だろうかとイクが思っていると、「オギャッ」と赤ん坊の大きな声が聞こえた。良かった。大丈夫だ。イクがホッとしていると、
「おめでとうさん。立派な男の子や。」と産婆が言った。
 それから、産婆が赤ん坊をきれいにして、イクに見せた。チラッと見ただけだったが、髪の毛の薄い不細工な男の子だと思った。それでも、イクは、生まれたての赤ん坊をしっかりと脳裏に刻み込んた。本当に真っ赤だと思った。赤ちゃんとはよく言ったもんだと心で呟いた。
 イクの側で一生懸命呼吸している赤ん坊は、小さな手や足がピクピクして可愛かったが、イクは登美子と違って美しくないのが気にいらなかった。
 出産後、暫く安静しているのに身体を上向きから横にするだけでも、頭がくらくら気持ち悪かった。じっとしていれば収まりそうだが、イクの体調は悪かった。早く体力を回復させなければならない。起きて赤ん坊を抱きたいと思ったが、起きるのが怖かった。気分も良くなり、もっと力がついてから、元気で健康になったら抱いてやろう。イクは、身体の調子が悪いためか、心がナイーブになっていた。矢助や佐藤夫人、産婆などの人たちに協力してもらい頑張って生れてきた子を思いながら、涙が出ていた。イクは、この人々に感謝しながら、2人目の子供を持てた事に幸せを感じていた。私の人生は、この2人の子供達にささげよう。そして、矢助の良い妻になるのだと決意した。
 会社から早く帰ってきた矢助は、男子出産に大喜びであった。矢助は、そっと赤ん坊を触るとイクを労った。男子の誕生はよほど嬉しかったのか、始終ニコニコしていた。
「頭をなでたら、しゃべりたそうに声を出したぞ。」矢助は、本当にそう思ったようであった。
「他人から産まれてすぐの赤ちゃんはみんなサルみたいだというが、この子は、特別だよ。他人の子はそうかも知れないが、この子はとんでもない。特別かわいいもんや。」と言って微笑んでいた。よほど嬉しかったと見える。イクは、他の子供よりも多少可愛くみえるが、矢助のように特別だとは思わなかった。しかし、否定もしなかった。
 長女の出産で何日もかかるかと産婆もイクも心配したが、とても軽い出産であったので、産婆はホッとしたように手際よくすべての事を終えるとすぐに帰っていった。


 イクは、死の境を彷徨っていた。

 母子共に健康に無事に出産を迎えるというのがいかにむずかしいことか、後でイクは、つくづく感じた。
 矢助は、男子誕生後、早速、親戚に長男出産の報告に出かけていった。そのままなかなか帰ってこなかった。矢助の出かけた後、加藤夫人は、ちょっと家に行ってくると言って、この人もなかなか帰ってこなかった。
 出産と言う一仕事終えたイクは、ひたすら眠りたいと思った。出産後は後産という痛みがあることは知ってはいたが、そんなものに気づく余裕すらなかった。痛みはあってもそれは生理痛程度だと思った。後産というのは、肥大しきっていた子宮が元の大きさに戻ろうと収縮していく時の痛みのことである。初産の場合はその収縮は緩やかというか、鈍いらしく、経産婦に比べて痛みはさほど大きくない。経産婦の方が厳しいと言われる痛みをイクは余り注意していなかった。イクの収縮はかなり悪かったらしい。この時はさすがに呑気なイクも、自分ではよく分からない痛みに苦しんだ。落ち着かない鈍い痛みが暫く続いた。しかし、この痛みはそのうち治まると楽観していた。
 突然、イクのお腹がキシキシと軋み出した。「あ、痛たたた。」イクは思わず声を上げた。腹が痛くて我慢できなくなってきた。矢助は居ない。こんな時に限って、どうしよう。イクは下腹部の痛みは時間が経ってもなかなか納まらなかった。我慢が出来なくなって隣の家に人を呼びに這っていった。しかし、隣の家の裏木戸の扉に手をかけたまま、イクは気を失った。
 イクが助けられるのに暫くかかった。発見されたのは、加藤夫人が帰ってきてからであった。役割を終えた胎盤が子宮内膜からはがれおちるのに時間が経ち、産婆が帰った後も続いていた。後産が充分に済んでいなかったのを産婆が気付いていなかった事が原因であった。
「大変や。後出血や。」イクの血まみれの様子を見て、叫んだ。すぐに産婆を呼びに行った。産婆も大急ぎでやってきて手当てをした。手当てに1時間以上もかかった。しかし、少しも良くならなかった。産婆は、自分の力の限界を感じたようであった。産婦人科の女医を呼ぶ事にし、往診してくれる事になった。出血は、なかなか止まらなかった。イクの意識も何度か朦朧となり、生死の境を彷徨った。その都度、女医を慌てさせた。止血に3時間以上もかかった。
「元にもどるには、かなりかかりそうやわ。1ヶ月以上かかりはるやろ。いや、それ以上、ぎょうさんかかるやろ。今までの人は、どんなにかかっても1ヶ月もかからへんやったけど、年齢の関係もあるやろから、もっとかかりはるやろねぇ。今、じっとしはる事が大事やからね。明日になったら、もう少し良くなるやろ。今は、とにかく休んで寝る事や。」女医は事務的に言った。「後で、お薬取りに来てくれはるよう、よろしゅうに。」
 女医は、親戚で祝い酒を飲んで帰ってきた矢助に薬を取りに来るようにと言って帰っていった。
 矢助は、イクの事を自分の責任と感じ、甲斐甲斐しく看護した。イクが元気になるまで仕事も休む事にした。イクが呆れるほど上手に介護した。加藤夫人も責任を感じていたが、矢助はイクや登美子の世話を加藤夫人に一切させなかった。

 1ヶ月位、安静にしてなければいけないと言われていたが、1週間もせずイクは元気になった。元気になると性格的に黙って寝ているのが苦手なイクは、動き回った。イクは出血量が多かったのをものともせず元気一杯であった。矢助はイクに精がつくような食事を頑張って作ったお陰だろう。元々、楽天家の所もあるイクであった。イクの様子を見て、矢助もホッとして会社へ出勤した。
「絶対水は触るな。俺が全部やるから。」と矢助は言って、仕事から帰ってからも台所に立ち、良く家の事をしたので、元々家事の嫌いなイクは本当に助かった。
 イクが母乳を飲ませると、喉が渇くし、お腹も空いた。水を飲んでも、栄養のある食事を食べても、すべてが赤ん坊にいってしまうと思うほどイクは飢餓状態であった。しかし、母乳を飲んでいる赤ちゃんが、ふっくらと太ってくる様子は何とも言えず可愛くて、イクにとって幸せな気分にさせてくれた。
「今日は大あばれだな。初めは静かにしてたけど、ワシに気がついたのか、大声で泣いて呼んだぞ。」矢助が言った。矢助は、上手に抱き上げてあやすと赤ん坊は静かに寝入り始める。すやすや気持ちよさそうな赤ん坊を矢助はいつもじっと見ている。笑うような顔をする太郎を、いつまでも眺めている矢助を側で見ているだけでイクは幸せになった。
 子宮内の傷も2ヶ月ほどかかってなおり、変化していた母体の生理機能も回復していった。
 しかし、イクの身体が、元のように元気になるのは、1年もかかった。そして、3人目の子供を産むのをイクは諦めたのである。
「少数の子供を立派に手を掛けて育てるのが理想だ。」と言うイクの考えが、この頃から確立していった。そして、後年、家族計画という分野で農村地帯を啓蒙する運動に力を注ぎ、ライフワークとして活躍する事になった。

 難産であった割には、この赤ん坊の発育状況は、すべてが順調であった。イクは、異常出産であったため、赤ん坊に対して神経質になっていた。しかし、案ずるより生むが安しの如く赤ん坊は、標準以上の発育であった。
 男の子の名前を太郎と名づけた。太郎は、泣き声で自分の要求を主張した。特に、空腹とオムツの濡れた事を両親にキチンと伝えたので、手がかからなかった。
 姉の登美子も太郎も健康児であり、2人の子供は、よく飲み食べ、よく寝て、大きくなった。太郎は、両親の愛情を受けて健やかに大きくなっていた。


 昭和11年の年も明けた。

 新しい年の空は、爽やかで清々しかった。
 空を良く見るようになった時は、イクが物思いに沈んだり、考え事をする時であった。子供も2人、夫も優しい。小姑や舅姑もいない。自由勝手な思いのままの核家族で幸せのはずである。しかし、イクの心は、物足りなさを感じ始めていた。幸せだと思い込むほど、この平和で静かな生活に心の奥で喜べない何かが蠢き始めた。矢助には不満はないので言えなかった。今はとにかく子供と夫のために力を注ぐべきだと言う事もイクは良く分かっていた。

 時は、2月26日であった。
 冷たい雪が朝から降り始めていた。イクは、富山で見ていた雪とは違う神戸の雪に見惚れていた。富山の雪には、匂いも味もない。そして、重く無機質で、どこか人を近づけない厳しさがある。だが、神戸の雪は、匂いがある。甘く優しい匂いがあると思った。だから、神戸の雪は、暖かく心にしっとりと染み入ってきて、情緒があると感じていた。いつまでも眺めていたかった。その日に大きな事件があったことも知らず、イクは神戸の雪に酔いしれていた。
 翌日の夕方、家の近くの森の上の空が薄赤く焼け、やがて色を失いながら昏れていくのをイクは見ていた。それとともに、その空と共鳴するかように少し積もった雪も微妙に変化した。薄金色に染まった雲や雪が少しずつ逢魔ヶ刻に飲み込まれていく様子をイクは息を呑んで見ていた。時間が経つにつれて暗闇が濃くなり、すべてが暗黒の中に消えていくのを、イクの心は堪らない焦燥感で揺れていた。暗の中で自分の体から心が浮遊し、風に乗って天空に飛び立った。私はこんな事で良いのだろうか。こんなにのんびりとしていて、幸せのぬるま湯の中でじっとしている人生を、私は求めてきたのだろうか。漆黒の風の中をたゆたいながらイクはいつまでも自問していた。

 雪を背景にした事件に、赤穂浪士の討ち入り、江戸城桜田門外で井伊大老の暗殺等、そして、2.26事件のクーデターがある。青年将校が昭和維新を旗印に決起し、政治権力者達の数人を殺害し、首都の中枢部を4日間にわたって占拠した。日本の近代史上、初のクーデターが勃発したのである。陸軍内部の派閥対立の中、天皇は彼らの行動を反乱軍と主張し、鎮圧を求めた。青年将校らの思いはもみ消され、東条英機らが陸軍の主流となり、日本は戦争への道をひた走る事になった。
 白い雪は、人間の赤い血の色が映える。侍も軍人も赤い血の色で日本を変革しようとして失敗し、そして、失意の中で死んでいった。後に、この事件を知ったイクは、2.26事件の青年将校達の正義感と悲壮感やその強い思いを考えると、彼らに同情を禁じえなかった。又、そんな純粋な若者の心を踏みにじり、利用した陸軍大臣を初めとする軍の長老達の老獪さが許せなかった。だが、イクの思いとは関係なく、日本は泥沼戦争へと突き進むことになっていくのである。
 日本と言う国の呼び方には多くの言い方があった。日本、日本国、日本帝国といった国号が色々使われていたが、正式な国号として大日本帝国に統一されたのは、昭和11年であった。しかし、この国の呼び方も第二次世界大戦終戦の翌年である昭和21年に、敗戦後の新しい国家体制を作るようにとして、国号を日本国に改められた。

 日本は、次第に軍国主義の足音を高く響かせながら、強い帝国主義を目指し戦争への道を進んで行った。

 太郎が6ヶ月になると、神戸市乳幼児審査会が開催された。約1300人の応募があり、その1人として参加し、20名選出された赤ん坊の1人になった。その20名の中から男女各1名が選ばれ、最優良児となる。
 裸になった子供達は、椅子に掛けさせられ、両親はその子供の後ろに立った。椅子は、輪になっていて、その中で数人の小児科専門医が、採点する。両親達は、我が子を良く見せようと、心を配ったり、先生の表情を見ながら心を踊らせたりしていた。
 イクは、初め太郎が20名の中に入るとは思わなかったが、20名の中に入った時、これなら太郎が最優良児になるかもしれないと心の中で確信した。太郎は、他の子供より大きな身体と賢そうな目をしていた。医師達も太郎に時間をかけて審査していた。イクが確信した通り、太郎が最優良児に選らばれた。イクは得意満面であった。矢助も珍しくいつもと違って、表情を豊かにして喜びを表していた。
 最優良児の女児は、神戸市村田区に住む会社員の娘であった。2人の最優良児は、裸体で四つ切の写真を撮られた。
 表彰式は、神戸市海員会館で行う事になった。

 太郎の表彰式当日、矢助とイクは登美子を連れて玄関に出た。そこへ徴兵保険の勧誘員が訪ねてきた。
「これから出かけるから、後にしてくれ。」矢助は時間が迫っているため、不機嫌に言った。
「すみませんね。これからどうしても行かなければならないところがあって急いでいるんですよ。」イクは、心はここになかったので、この保険の勧誘員を早く返したかった。
「お忙しい所、申し訳ありませんね。すぐ帰りますので…」如才なげに勧誘員は、イクと同じように標準語で言った。「しかし、こちらへ伺いました事を上司に言わなくてはなりませんので、ほんの少しの時間を下さい。すぐに帰ります。」
「本当にちょっとの時間ですよ。」イクは、そのほんの少しの時間を約束したが、勧誘員もなかなかの人間であった。
「素敵なお召し物ですね。どちらへお出かけですか。」愛想を言う勧誘員の言葉にイクは言ってはならない言葉を言ってしまった。
「ええ、これから息子の表彰式がありましてね。この子が神戸市の最優良児に選ばれたのですよ。」イクの顔は得意満面であった。矢助も口を開きたそうだった。イクよりももっと得意気に自慢したそうであった。
「それはおめでとうございます。素晴らしいお子様をお持ちでございます。国の宝ですね。さすが立派なご両親様の丹精の賜物なんでございましょうね。素晴らしい事でございます。」大げさなほどの褒め言葉にイクも矢助もすっかり気分が良くなっていた。「こんな素晴らしいお子様は、大日本帝国にとってもどんなにか嬉しい事でしょう。将来、立派な軍人さんになるためにも、是非徴兵保険にお入りになられる事をお勧めします。」
「徴兵保険とは、何かね。」矢助は聞いた。
「この保険には、一年志願兵制度があります。子供の時から加入して、掛け金を払っていると、もし徴兵検査に合格したら、一年志願兵になるためのお金がもらえるのですよ。一年志願兵になるだけのお金を出すのは何も金持ばかりではありません。お金さえあれば、兵卒になる事はありませんからねぇ。かわいい我が子が兵卒で鬼軍曹にいじめられるのは、堪りませんものね。保険の掛け金を払って、一年志願兵になるだけのお金の準備をしておくのは、親としての人情なのではないでしょうか。多くの親は、息子が生まれたら加入する人が多いのです。徴兵検査に合格して入営するのは、同年齢の若者5人に1人ですから、これだけ立派なお子様でしたら、まず徴兵検査に合格する事は間違いないでしょう。」
「そうだね。将来の帝国軍人になる太郎のため、保険に入っていた方が良いだろう。」と、矢助はその気になった。イクも勧誘員のこの太郎への褒め言葉にすっかり気分が良くなってしまい、その場で加入する事に決めた。矢助の給料が45円であったので、遣り繰りが辛くなる事が分かっていても、太郎のためには何とかしようと思った。
 書類に、『国民壮丁が兵役に服することを奨励し、精勤忠勇の実を挙げさせ、その家族の生活の安全を保護することを目的』、『徴兵適齢の満二十歳に達し、召集されて入営したときに保険金を支払う』や『六年払・半年掛』、『保険金・壱千圓』、一回の掛け金が『廿七圓十銭』と書いてある文字を拾い読みした。支払うお金の事を考える余裕などなかった。簡単に書類を見たり、書類に記入したり忙しい思いをして、イク達は慌しく会場へ急いだ。
 矢助は、イクと違って時間には煩く、行事が始まる前には十分の余裕があったのだが、この突然の出来事で、表彰式の始まる直前のぎりぎりの時間に会場に到着した。だから、イクはこの事を忘れる事ができなかった。イクはこの時の太郎の写真を見るたびに出発しようとした時、訪ねてきた保険員の記憶を新たにして、後々も悔やんでいた。
 そして、もう一つ、悔やんだ理由もその掛け金が大きかったのに、戦後、太郎が20歳になった時貰ったお金が、少なかった事にある。昭和30年、矢助は8000円の給料取りになっていた。物価も、白米で昭和10年には2円であったものが、昭和30年には765円までに上昇していたのである。


私のホームページへ