明治から平成を駈けた女 第20章 

 イクは国を守る従軍看護婦として働きたかった。

 イクの家からほんの少し外れた所に、大きな工場があった。その工場の周りを囲むように水田が広がっている。今はすっかり田植えも終わり、水が張られ、湖のように遥か彼方の方まで広がっている。夕方になると、イクは子供2人を連れて散歩に出る。水田の近くに来ると、蛙の声が、時には煩いと思うと、突然、静かになったりする。その蛙の声をじっと聞いているうちに、イクの心は、飛翔するのであった。
 暫くすると、その田の苗が、か細く軽やかな緑色を帯びてくる。それから、その飛ばされそうだった稲の苗が、しっかりと土にしがみつき、緑がだんだんと濃くなってくると、イクは、又、心が落ち着かなくなる。

 東洋の小さな島国の日本が、日清戦争、日露戦争を経て第一次世界大戦後のパリ講和会議で国際連盟常任理事国になり、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアと肩を並べ世界の五大強国の1つとなっていた。五大強国を自負する日本は、不況にもかかわらず、軍備増強を図っていた。
 昭和12年7月7日の慮溝橋事件は日支事変に進展した。近衛内閣は、翌年の昭和13年3月には国家総動員法を公布し、準戦時体制を取るのである。日本は中国大陸で次第に戦線を拡大し、人的、物的資源は戦争遂行という目的のために総動員された。日本国内は騒々しくなっていった。
 明治6年に徴兵令が布告されて以来、男は兵役の義務が課せられ、納税、教育と並んで国民の三大義務とされた。男は、兵隊になるのが当然であった。五体満足な男は、数え年21歳になると徴兵検査を受け、それに甲種合格すると2ヵ年の現役入隊があり、祝入営の幟と万歳の声に送られて入営する。甲種合格は、一人前の立派な男としての証明であった。そして、満期除隊すると在郷軍人として有事に備え、国民兵として60歳までの義務があった。だから、外地への警備隊に配属になり、張り切っている同じ年齢の兵隊の様子を見ると、一人前の男であれば、それを羨ましい気持ちになり、いつか自分も彼らに負けない兵隊になる事を夢見ていた。
 当時、日本の教育では、日本は神国であり、日本のすることは正しいと教えられていた。

 矢助は休日になると、時折、子供達を連れて元町や三宮の繁華街に出かけた。町中では楽しげな流行歌が流れてはいるが、その一方で、再び戦争への不安と興奮が通り過ぎる人々の顔に表れているのにイクは気がついた。
 イクは、日本が日出づる国であり、神の国である事を疑っていなかった。だから、日本は何度かの戦争にも勝ったし、日本はアジアで最初に西欧文明をとり入れ、世界五大強国の仲間入りをしたのだ。イクは、いつも新聞の論調を読みながら、それを信じ、自信を強めていた。

 朝になると、近くの小学校から教育勅語と軍人勅諭を唱和する小学生の声が聞こえていた。その声がイクの耳に届くたびにイクは落ち着かなかった。新聞やラジオは、思想的に愛国心を高揚させていた。日本は国力の全てを戦争遂行に向けていた。そのため、イクの心はいつも落ち着かなかった。早くお国のために働きたいと心の奥で呟いていた。
 夜になると、イクは空に輝く星を眺めていた。多くの若い兵士達が、この戦争に傷つき死んでいっている。華と散った若者達を思いながら、私はその兵士達を守るために看護婦になったんだ。こんな所でのんびりと子供と夫の世話だけに満足していて良いのだろうか。自問自答していた。

 この時代の人々の心中にあったものは、祖国を愛し、そして家族を愛する心であった。両親を敬い、恋人をいとおしみ、家族を守り、日本という国を考える。その人々や国を守ると言う若者達の思いは、純粋であるが為、悲しいというより爽やかな優しさに満ちていた。後の小泉首相が言った言葉に『当時の人々は、無念の思いで命を落とした戦没者に敬意と哀悼の念を捧げる。当たり前の事だと思っている。』と靖国神社参拝を表明する理由にしているが、この時の若者達は決して無念の思いではなく喜んで心の底から愛する国や家族のために死ぬと言う崇高な思いを持ち、悲壮感はなかった。この様な思いは、当時、イクの心にもあった。しかし、イクの場合、女でありながら、家族よりも他の事に心がとらわれていた。

 10月23日、中原中也が死んだ。30歳だった。軍医である父の転任に伴い広島、金沢、山口等をまわった中也は、多くの歌を発表していた。イクは、中也の不遜な歌が好きだった。

 そんなことが己の問題であるものかといひしことの苦くなる此頃
 一段と高きところより凡人の愛みてわらふ我が悪魔心

 このような歌には、イクの思いが凝縮しているようで心惹かれたのであった。特に次の歌がイクに多くの想像をかき立てられた。

 暗の中に銀色の目せる幻の少女あるごとし冬の夜目開けば

 ある朝早く、イクは形ばかりの小さな門に立っていた。
 家の前の通りを人々が、旗を持ち歓呼の声を上げて出陣する兵士を見送っていた。狭い道の両側には、見送りの家族や近所の人々が列を作って並んでいた。薄暗い闇の中で、同じような年齢で同じような体格をした軍服姿の若者達が、勇ましく行進する姿はイクの心をますます焦燥させた。
 指揮官からの命令もあり、一言も発せず、顔を真正面に向けて行進する兵隊達は、見送りの人達からの大きな声援を受けても、それに応える事なく粛々と歩を進めていた。無機質の足音だけが見送りの人々の声援に対する唯一の返答で、若者達は無言で通り過ぎて行くのであった。イクの心は、彼らの行進と共に音を立てて進んでいた。


 12月、イクは応召された。

 イクにとって嬉しい知らせが、届いた。
 12月10日、応召の通知を手にしたからだ。日赤救護班従軍看護婦の召集令状が来た事にイクは誇りに思った。赤十字の看護婦としてのイクの誇りは、召集されたら戦地に行くという覚悟があり、それを待ち望んでいた。だから、この応召は喜びであった。これで私もお国のために働ける。そして、次に考えたのが、留守中の家庭、2人の子供の事であった。子供の世話をどうしようかと考えた。イクか矢助のどちらかの両親に頼むしかなかった。
 長女の登美子は4歳10ヶ月、長男の太郎は2歳1ヶ月であった。鹿児島か、富山か。
 イクは富山の母親に手紙を書く事にした。
 富山の母親は、高血圧で治療中との事で快い返事はもらえなかった。イクは悩んでいた。鹿児島の両親に頼むのは何となく気が引ける。鹿児島に手紙を出す事を戸惑っている間に、富山の母から手紙が届いた。父親がこの時のために3人の娘を看護婦にしたのだ。だから、その娘が従軍看護婦になってお国のために働くと言うのに、子供の世話を断るのはもってのほかだという。そこで、渋々承諾したという内容の手紙であった。この便りを手にしてイクはホッとした。どんな事を母親から言われようが、とにかく子供への不安は解消した。
 イクの出発の日まで、佐藤夫人は毎日やって来た。
「子供が可愛そうや。」と彼女は言った。「子供のために何かの理由を作って、応召を拒否しはったらどうや。」
「両親に秘密で日赤の救護看護婦の志願した事は、今日の非常時のための目的です。」とイクは、硬い表情を崩さずに丁寧な言葉で言った。「だから、何と言われても私は応召を受けて従軍看護婦として出征したいのです。」
 イクは、現実を振り返って見る心の余裕がなかった。思うに、娘時代の3ヵ年間の日赤の精神教育の前には現実はなかった。矢助は机に向かって無言で佐藤夫人とイクの意見を聞き入って、黙して意見はなかった。
 出発の日が決まると、イクは、富山の母親に子供を連れて行って欲しいと電報を出した。約束通り、母親はイクの出発前夜にやって来た。
「あんたは本当に情のこわい女やね。」と、母親は、到着一番に言った。「こんないたいけな子供を2人置いて平気で戦場に行けるのやから。」 
「何言うがかいね。」イクはキッとなって言った。「この大日本帝国の事態を考えると、日赤の看護婦として子供だけに心を奪われているなんて女々しい事は出来ません。もっと日本と言う国に立って物を考えんとならんでしょ。」
 母親は、それ以上何も言わなかった。その意味でも母親は、日本の古き良き大和撫子であった。些細な口争いを好まなかった。小さな登美子と太郎は、母親の後ろに隠れながら、イクと祖母の様子をじっと見ていた。
「母ちゃん、何処かへ行くの。」登美子は、口が達者であった。だから、横から母親を見上げながら心細そうに聞いた。「登美ちゃん、置いて行かないで。」
「余計な事を言うと、子供達が不安になるから。余計な事を言わんといて。」イクは、厳しい口調で母親に言った。
「……」口をキッと結んだ母親は何も答えなかった。
「母たん、どこいくの。いかないで。」太郎が、たどたどしい言葉で、イクにしがみ付きながら言った。姉の言葉を聞きながらの鸚鵡返しの言葉だろうが、この言葉はイクに衝撃を与えた。突然の小さな太郎の反撃に、イクの心は一瞬乱れた。キチンと話さなければならない。いい加減に答えると、一生恨まれそうだ。だから、子供だと言う考えを捨てて私の気持ちをこの太郎に分かってもらおう。イクは心を決して、そして、ゆっくりと話した。矢助も耳を傾けているようだ。
「太郎ちゃん、良く聞いてね。太郎ちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんは、太郎の事を守ってくれるでしょ。でも、お母さんは、怪我をした兵隊さんを守らなくてはならないの。なぜなら、その兵隊さんは、おじいちゃん達やみんなのおうちを守ってくれるからね。だから、どうしても母ちゃんは、兵隊さんの所へ行かなくてはならんの。そして、兵隊さんを守るお仕事をするの。分からなくても、いつか太郎ちゃんは、母ちゃんのした事を褒めてくれると思うよ。」イクはゆっくり丁寧に太郎に分かるように、目を見ながら話した。きっとこの子は、今、この意味を良く分かっていないだろう。しかし、分からなくても話しておく必要があると思った。2人の子供達は、イクが何処か遠い所へ行ってしまうという事だけは分かったようだ。2人の子供達は、暫く大きな声で泣いていた。泣き疲れて眠ってしまうまで、泣いていた。イクはそんな子供を、しっかりと抱きしめながらも、自分の決心が揺るがない事を誇りに思っていた。
 子供達を寝かしつけた後、登美子と太郎の準備を済ますと、イクは自分の出征の準備も済ませた。イクには感傷がなかった。確かに子供の事は不憫だと思ったが、それ以上に自分を国が必要としていると言う事に喜びを感じていた。日本の国を救うなどと言う大それた事は考えていないが、傷ついた兵隊さんを1人でも看護できれば良いと考えていた。しかし、子供を持った女が、こんなにも子供を置いていくと言う事を非難されるとは思っても見なかった。理不尽だと思った。
 佐藤夫人に始り、母親、そして、無言ではあるが、矢助の非難に満ちた目はイクの心に針となって刺さっていた。女は損だ。イクの心が叫んだ。言葉にしない矢助の目がイクを悩ませた。言葉にしてくれると、キチンと反論できるのに。イクは、物言わないで非難する矢助に悩んでいたのであった。

 出発の朝、家の玄関前で見送ってくれる町内会及び婦人会の各種団体の人々の前で、イクが挨拶した時、長女の登美子は泣き顔で下を向いたままイクにしっかりと寄り添い離れなかった。長男の太郎は、この異常な雰囲気に何かを感じ取ってか、泣き続けてイクの側には寄り付かなかった。むづがる太郎を佐藤夫人があやしていた。泣き続けていた太郎が、気がついたら何処かへ行ったのか、出発の記念撮影の時には見えなかった。イクは、母親に2人の子供を預けたので、この時には、子供に心を残さなかった。母親の顔は仏頂面であったが、イクはそんな事に気をとめず、エキサイトしていた。
 福住通りから灘駅までイク出征の見送りの列は、長く続いた。イクは心晴れやかであった。子供への心配はない。これで充分お国のために働けると言う思いで一杯であった。道すがら、泣き濡れている2人の子供を眺めて可愛そうだと目頭を押えながら見送った女達もいた。イクは、子供の事を忘れたわけではなかったが、自分の目的を考えると、少なからず心は高揚していて、多少の犠牲はしようがないと思っていた。

 幸いな事にイクの赴任先は、富山市にある陸軍病院であった。子供達と同じ県で、イクの実家から2時間余りの所にあった。

 イク達10人は、陸軍病院勤務となった。

 12月20日、イク達の救護班は、富山陸軍病院勤務となり、半班の編成で、10名であった。終戦後の富山大学の場所に富山歩兵三十五連隊があり、その連隊の前にある魚屋兼旅館である千屋がイクたちの宿舎であった。
 この10名の班員は様々であった。長野県上松町の町長夫人である大塚みつ、高岡郵便局長夫人の林澄、又、結婚を見送って看護婦一本で頑張っている小山文、岩佐富はじめイクを含む家庭の主婦が4人、日赤看護婦養成所を終えたばかりの社会生活の浅い朝田千津や看護婦になったばかりの若い娘が2人の10名であった。
 初日の夜、食後、何となく親睦を深めるようにおしゃべりが始まった。
「明日、どうなるか分からない戦地での看護の仕事を、辛いと思わないかと聞かれるけれど、それが当然の仕事ですからね。答えようもありませんよね。」一番年長の大塚みつは、皆、まだ打ち解けないので、丁寧な言葉で語る。皆、一様に頷いた。「小山さんは、何か言いたそうですね。」
「私は、二十代は、おしゃれなんて考えられない時代でした。三十代からは看護婦一筋。結婚?そんな時間はなかったんですよ。」看護婦一筋の小山文は、静かに笑った。様々な思いを抑えて屈託なさそうな文は、独身を通し看護婦と言う仕事に情熱を傾けた女性に多い誇りが表面に現われていた。「でも、結婚して子供が居たらどうだったのだろうか、と考える時があります。」
「子供が居たら大変ですよ。」イクは、遠慮深そうに言った。皆は、エ?というようにイクの顔を見つめた。「子供が居ると、近所の人達に色々言われるし、従軍看護婦になるのが何だか悪い事をするように思われて困りました。」
 皆は何となくイクの言葉に納得したようだった。少し暗くなりそうな雰囲気なのを若い朝田千津が少し声をあげながら自己紹介を兼ねて話し始めた。
「私は、尋常高等小学校の高等科を終えて、女学校に入りました。3年前、卒業前に日赤看護婦養成所の試験があったのでそれを受けて合格しました。この事は親に内緒でした。私の母は、小学校の先生より偉い人間はいないと考えていた人でした。母にとっては、先生が一番偉く見えるんです。それで私を先生にしたいと思っていました。私はそれほど頭が良くなかったので、日赤看護婦養成所に行こうと決心しました。親に相談すると駄目と言われる事は分かっていたので、相談もせず一人で決めたのです。」千津は自分の事を聞いてもらいたかった。他の人もそれを邪魔をしないで静かに耳を傾けていた。「卒業式の後、家に帰ると、師範の試験がある事を母は知っていて、受験しろと言うもんですから、ウソついて受けると言ってしまったんです。当然、申し込みはしてないし、そのまま友達の家で遊んで、翌日帰りました。」
「それで親は納得したの。」と小山文が聞いた。
「いいえ、その後も親は、師範を受験しなさい、先生になりなさいと言うのです。病院で働いているので、無理だと言って無視してました。」朝田千津は和んだ表情でにこやかに言った。「結局、養成所では看護婦の勉強をしながら、月に10円貰って、食費に5円、小遣いに5円という生活でした。親にウソをついて入った養成所でしたが、今年の春に卒業できました。」
「そうよね。私の働いていた病院は傷病兵で一杯でした。当時の日赤病院は、看護婦を中国の戦地にも派遣するし、足りなくなった看護婦は一般からも採用するなどして間に合わせていましたから。」文は、調子を合わせるように言った。「私は、時々、どこか行ってみたくなるのです。暫くしているうちに、外国へ行きたくなって、同僚の看護婦に聞いたら、軍の将校さん達に頼んだら、満州や中国にも行けるよ、というので、早速、頼みました。そして、中国に行きました。」
「私も朝鮮に行ってきました。」イクは、勢い込んで話した。同じような考えの人がいてとても嬉しかった。言葉は、まだ、打ち解けなかったが、少しづつ心は一つになるようでイクは、喜んでいた。
 こんな風なおしゃべりを楽しみながら、夜を過ごした。年齢の相違もあったが、皆が家庭から離れて、一人一人が娘のような気持ちであり、又、一つの家族のようでもあった。このように、特に夕食の話し合いは楽しいものであった。

 イクの隣のベットの岩佐富とは、夜11時、12時まで時間を忘れて語り合い、時には、子供の話で涙ぐんだり、お互いの意見が対立して強い論争となったり、笑ったり、泣いたり、喧嘩したりした。
 ある夜、イクと富との話し合いで論争がひどくなった時、イクは興奮状態になっていた。お互い腹を立てながら、眠った。イクは、なかなか寝付かれなかった。一方、富はすぐに寝入ったようで軽い寝息が聞こえていた。それが小憎らしいとイクは思った。そのためか、腹が立った争いの事を思い出した。どんどん腹が立ってきた。富が許せないと思って、寝ている富を叩き起こそうかとすら考えていた。気持ちが高揚してきたためか、胸部の圧迫感があり、呼吸が苦しくなってきた。息苦しさが強くなり、隣の富を呼ぼうにも声が出ない。ベットの上で転々としていても誰も気がつかない。意識が朦朧としてきた。もう駄目だ。イクはぼんやりと思った。
 イクの異常に気がついて隣の富が目を覚ました。不整脈で心臓も変だと言う声がかすかに聞こえた。大きな声で他の人を呼んでいる富の声や他の人々の叫んている声も聞こえた。「氷枕だ。氷嚢だ。」と入り乱れた足音が聞こえた。イクの心臓部に氷嚢を置き、強心剤の注射とみんなの応急処置でイクは回復した。
 かって、応召前の健康診断を受けた時に、神戸の心臓専門病院で、心臓肥大と心筋炎の病名を言われていた事をイクはすっかり忘れていたのであった。仕事についても過度の疲労を避けるようにという事と神経を興奮させないように注意されていたのを思い出した。しかし、イクは何事にも夢中になる性格もあり、このような状況に陥ったのであった。富も気をつけようということで長い話をしない事にした。

 宿舎に入って、10日後。元旦の早朝、病院から早く出勤するようにとの連絡があった。朝食も取らずに、イクは、飛び出した。
 手術室に入った時、兵隊が1人横たわっていた。
 実弾射撃中に腹部に実弾が命中し昏倒、意識不明と言う。イクは、昔、倉石軍医の手術を思い出していた。あの時、実習した事がここで生かせる。イクは張り切った。脈を取ろうとした所、脈拍が触れなかった。なんだ、この患者は死んでいるではないか。
 しかし、イクは、暫くの間、家庭婦人であった。そのため、医療の進歩に気がついていなかった。このまま死の宣告で終りかと思ったが、看護婦は医者の言う通り行動するしかない。そのため、この患者を手術をすると医師が決めたら看護婦は何も口を挟んではならない。
 時間がなく急を要するという事で、それから大変であった。
 赤十字病院の外科医長の米村医師と京都府立大学から応召された伊藤見習士官の2人で手術が行われた。イクの担当は、強心剤注射の係で絶えず医師の指示通りに注射する事になっていた。この注射を持続的に注射していてもなかなか患者の反応が出てこなかった。
 手術は、医師の声が飛ぶだけの静かな中、どんどん進められていった。久しぶりの手術室の空気は、イクに大きな緊張感を与えた。
 果たしてこの患者は生き返るのだろうか、脈はなかったのに。5時間に及ぶ手術が終わった。2人の医師の顔は、明るかった。それを見たイクは、この患者は、生き返るだろうと確信した。その後、イクは3ヶ月の夜勤勤務であった。この間、この兵隊の様子を観察しながら、多くの看護知識を学んだ。
 3ヵ月後、この兵隊は、10年以上の生命を保証されて、退院した。兵役免除退院であった。イクは、医学の進歩に驚くと共に、イクはもっと医療について勉強しなければならないと肝に銘じたのであった。

 イクの仕事は、外科診断室勤務と恩給診断事務が主であった。このような事務的な仕事についてイクは、嫌がるでもなくキチンと仕事をこなしていた。患者は、招集された人たちであった。職場や家庭を余儀なく離れてきているので、心は、ここになかった。彼らは、イクが家庭と子供2人を残してきていると言うことを聞いてか、妻の事や子供の事を良く語った。
 彼らの話を聞きながら生きる原動力って何だろうとイクは考えた。彼らは、職場や家業を放り出してきて、ここで話すことは、仕事よりも妻や子供の事である。仕事は、話の中には出てこない。ほとんど妻や子供という家庭の話であった。早く退院して、家庭に戻りたいという思いが強く、多くの患者が言った。人間、生きるために最も重要な位置にあるものは、家族であり、仕事はその次なのだろうか。しかし、イクは違っていた。生きる原動力は、イクにとって夢であり、それは仕事であった。
「この間、久しぶりに休暇を貰って家に帰った所、子供に泣かれてね。」ある患者が言った。「よほど嬉しかったんでしょう。久しぶりにお父さんに会えて。」イクは、微笑みながら言った。
「いやいや、そうじゃないんですよ、それが。白い患者服のまま帰ったでしょう。そしたら、今度、家に来る時は、その白い服を着て帰ったら嫌やだよって、泣いて見送ってくれたんですよ。早く退院したいもんですね。」と、涙を浮かべての話であった。そして、苦しげに訴えた。「やはり、早く帰らなければ……。家庭の経済が案じられるのです。」
 このような切実な人々の願いのほか、ちゃっかり自分の将来を見据えて恩給診断書の記入をして貰う時、疾病の度合いを重くして欲しいと願い出る人もいた。これをずるいと思う人もいるだろう。しかし、こうしなければ生きていく事も難しい時代であった。人間は一生懸命生きていかなければならないのである。
 人間は淋しい生き物だとイクは思った。貧しさが人間の品性を卑しくする。イクはそんなずるい人間になりたくなかった。しかし、そうとでもしなければ、家族が食べていく事ができない人もいる。この疾病軍人も、怪我や病気によって普通の人のように働けない。ならば、少しでも、病気を重く書いてもらって少しでも多く恩給を貰う事ができればと考える事は罪なのだろうか。イクは、そんな人を見ながら、人間を切ないと感じた。
 人は寂しい旅人である。だから、誇り高く生きていきたいとイクは考えた。しかし、いつまでも元気で働く事は出来ない。いつか年を取り、病に冒され、人の手を煩わせながらも生きていかなければならない。死ぬ事ができない限り、家族の重荷になって、意地汚く生きなければならない。死にたいと願おうが、死にたくないと思おうが、死がその人に訪れるまで、生きなければならない。今まで人の死を幾度となく見てきたイクは、死について考えるようになった。そして、イクは心の片隅に寂しさの塊を持ちはじめた。


 子供が、病気になった。

 母親に預けた太郎が、1ヶ月余りで病気になった。子供を預ける時、「2人の子供をよろしく頼む。」と母親に言ったのに、1ヶ月で早くも病気にさせるなんてひどい、と思った。そして、子供の面倒をキチンとしないで、放っておいたのではないかと恨んだ。
 富山の特有の急激な寒さは、神戸と違ってよほど太郎の身体にこたえたのだろう。優良児として表彰されたのにもかかわらず、急性感冒からカタル性肺炎を併発して、3ヶ月の病床生活を送る事になった。子供がかわいそうと言うより、母親の子供への健康管理の不行き届きに憤りを感じた。
 イクは母親からの知らせを受けて、日曜日の休みになるや否や実家に駆けつけた。
「先生、太郎の病症をお聞かせください。」イクは主治医が車に乗る時、不安げに質問した。主治医が余りにも難しい顔をしていたからであった。「子供の病気はどうなんでしょうか。治るのでしょうか。」
「ただ体力があるかどうかにかかっています。」これだけの返事だけで、イクが取りすがる余地も与えなかった。富山独特の重くて暗い大きな牡丹雪が、しんしんと空から地面に向かって襲っていた。雪の重みに耐え兼ねて、イクの心は打ちひしがれていた。
「先生、何とか治して下さい。」深々と頭を下げて、イクは最後のお願いをした。主治医は、振り返る事もせず、真っ直ぐに車に乗って帰っていった。
 医者の帰った後、イクは太郎の顔を見た。太郎の目はうつろであった。かすかに何か言ったようだった。イクは、耳を小さな太郎の口元に近づけた。「かあちゃん、そばにいて……」と言っているようにイクは聞こえた。良く見ると、口は動いていなかったが、確かに、太郎がイクに言ったように感じた。幼い太郎の手が空を掴むように弱々しげにゆっくりと手を上げた。イクは、太郎の熱い手を取り、じっと太郎を見つめていた。涙がイクの頬を伝わった。時間の許す限り、太郎の枕元に居てやろうと思った。それから、イクの知る限りの看護の知識を発揮し、出来る限りの事をした。
 熱に魘されて呻吟している子供を残して、自分は宿舎に帰らなければならない。イクの心は、乱れ、胸が締め付けられた。しかし、一方、イクが内地勤務であればこそ、このように子供が病気だという事で見舞う事もできると感謝した。外地だったら、病気の子供の様子も見ることができない。私は、まだマシだと思った。
 イクは、神戸の家を勇んで出発する時、佐藤夫人の忠告の言葉を思い出した。その時、このような事は全く予想しなかった自分の浅はかさを思った。そして、悲しみを強く味わわされて、涙が止まらなかった。子供に申し訳ないという気持ちでいっぱいになった。子供が熱で苦しんでいても、その子供の側から離れなければならない。イク達の家庭は、3つに別れての生活である。これを決めたのは、矢助ではない。自分が決めた事だ。自分の夢のために子供を犠牲にするとは、イクは誰にも文句も言えず、自分をいつまでも責めながら、2時間余りかけて、富山市の五福にある宿舎へ戻った。子供に悪い。夫に悪い。涙がいつまでも止まらなかった。雪は前よりもひどく降り続き、明日の朝までにはイクの背丈を越えそうだった。

 イクには、いつも現実から離れた理想とか、信念があった。その夢のようなイクの思いは、ただ生きるだけに精一杯の当時の人々とは違って、時には家族を犠牲にする事があるとは思いつかなかった。
 イクのこれまで付き合ってきた友人達は、良くイクの考えを夢のような話だと言っていた事を思い出していた。今日もその言葉が彷彿と思い出されてきた。イクの言葉の中にあるもの、そして、考え方には、現実からかけ離れた事が多かった事を言っているのだと気がついた。だが、イクはいつの時でも生きることに夢がなければ、生きる意味がないと強く感じていた。
 夜遅くなって、雪の中に、薄ぼんやりとした宿舎の灯が見えてきた時、イクは子供の事を考えても仕方がない。これは運命に任せるしかないと心を鬼にした。私は、鬼になるしかないのだろう。子供の側に居てやれないのは、確かに母親として失格かもしれない。しかし、私はこの仕事が、戦争のために第一線で活躍している兵隊さんに協力するのが私の勤めであると、心で大きく叫んだ。
 誰が何と言おうが、私は、私の仕事を全うするのだ。


 イクは、結婚生活では物足りなさを感じながら幸せであった。しかし、救護班の一員となりに充実した生活ではあったが、辛い事が多かった。永い年月を経過するうちイクの記憶は少しずつ変化して、想い出はすべて美化された。辛かった想いはだんだん遠い彼方に霞んで、どんな悲しかった事もすべて懐かしく、今は、素晴らしい思い出として残っている。

 

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