村上春樹について語る


●出会い
●ビールが飲みたくなる訳
●完璧な耳
●緑と直子
●私の帰る場所 ー世界の終わりー


出会い

れは、あの有名な赤と緑の綺麗な色の本、「ノルウェーの森」。
当時、中学生だった私は村上春樹という名前が気になっていた。よく、市の図書館で本を借りていた。だから、あの色に惹かれたのと、有名な村上春樹の本を一冊ぐらい読んでみようという気持ちで手にとった。読んだ人はお分かりだと思うけれど、あれはやっぱりある程度、大人向けの作品だと思う。当時の私には、なかなか刺激的な部分が多いし、まだ精神的に理解出来ない部分が多かった。どうして売れているんだろう?という感じだった。
ただ、どこか心の片隅にその独特の雰囲気が残っていたように思う。
そしてしばらくして、何故かどうしても気になって、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を買った。この作品との出会いが決定的で、私は村上春樹ファンになった。何が良かったか、正直、上手く説明する事が出来ない。ただ、その作り出される独特の世界が好きだ。ファンタジーとかSFも読むけれど、どうしてこういう発想が出来るんだろうと純粋に不思議に思う所もあった。その頃、まさに反抗期真っ直中だった私にとって、癒される部分も大きかった。大人になってからではなくて、あの頃に出会えた事が私にとっては良かった。今でも以前に読んだ物を読み返すと、ちょっと切ない気持ちになる。


ビールが飲みたくなる訳

の人の作品は、どうしてこんなに物がおいしそうなんだろう。
大抵、出てくる主人公は、何かあるとビールを飲む。何かするにもビールを飲む。 スパゲティーを茹でながら、とか、家に帰ってきたらまず飲む。そういうイメージを きっとみんなもっているんだろうな。だから、ビールのCM出演の依頼ばかりくるん だよね。(笑)
さすがに、村上春樹を読み出したとき(中学生)では、飲みたいとは思わなかったけ れど、それでもそういう大人になってみたいと思ったものだ。でも、成人式を終えて 数年経った今思うことは、そんなにビールばっかり飲んでる大人って、なかなかいな いよなということ。会社帰りに一杯というのはよく分かる。あれは、ホントにおいし い。でも、真っ昼間から、ジュースのように飲んでいる人って、実はあまりいい大人 じゃない場合が多いんだよね。だから、そう思われないようにはなりたいね。 あと、私はたまらなくサンドイッチとスパゲティーが食べたくなる。 ぱりぱりしたきゅうりが〜なんて書かれていると、もう頭の中はきゅうりがパリパリ いってるサンドイッチでいっぱいである。
単に、私が食い意地が張っているあけではないと思うんだけど。


完璧な耳

をめぐる冒険の中で、耳専門のモデルが登場する。100%な耳を持っている彼女。仕事の時以外は、閉鎖している。そんな耳がどんなものなのか、いろいろ考えてみる。美人だとか、足が綺麗とか、スタイルがいいとかそんな女の子はいっぱいいる。「綺麗な手だね」とか、「かわいい目だね」とか体の一部分を褒めることはよくある。でも、何故耳なのか? 通常、ショートカットとか、髪の毛を耳にかけていない限り、目にしないし、そんなに目につくような物ではない。でも、みんなピアスやイヤリングをする。という事は、みんな耳をアピールしたいのかもしれない。
耳を解放するということは、すごい気持ちよさそうだけど、年中解放する物ではないらしい。 きっと、そんなものを持っていたら、自分でどうしていいか分からなくなってしまうかもしれないが、私は100%の耳に憧れている。


緑と直子 −ノルウェーの森より−

「君はどっちのタイプ?」と聞かれたことがある。 私は迷うことなく直子と答えた。みどりはどちらかと言うと、自由奔放で、自分の考えなどを人にどんどんアピールするタイプ。直子は自分の中でいろいろな事を解決しようとするタイプなのではないかと思う。
最終的に、直子は死を選ぶ訳だけど、その気持ちがなんとなく分かる。 私にとって、死とはすごい大きいテーマ。
死ねたら楽だろうなと思ったことは、おそらくかなりの人がいると思う。そういう思いは、私にとってかなり甘い誘惑である。でも、積極的に死ぬという行為に出るほど今が不満な訳でもなくて、我慢出来ないほど辛いのかと考えると耐えられるんだろうと思う。ただ、そういう逃げ道があるから、生きていられると思う。いざとなったら、そういう逃げ道もあるんだからまだ大丈夫、という思いを抱えながら私は生きている。そして、それを実行に移すか移さないかは、ほんのちょっとの差だと思う。だから、死を選んだ直子と近いような気がする。
もっといろいろな事が私の中で、様々な形を成そうとしては消えてゆく。たぶん、一番自分と一番向き合わないといけないような気がする作品だからだと思う。いつか、また違うことも書いてみようと思う。


私の帰る場所 ー世界の終わりー

々としているのに、なぜか優しい気がする。私にとっては、癒される文体なのかもしれない。昔、私はひねくれていた。自分の存在価値を考え始めたとき、自分一人がいなくなっても、誰も困らないし、悲しむ人もほとんどいない。何も世界は変わらない。そのことに絶望感を感じたことがあった。そんな時期、彼の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」に出会った。一気に読んだ。まさに、自分の世界の終わり感が変わったというのだろうか。何というか、自分がじたばたしても、何もはじまらないし、何も変わらない。それでいいじゃないか。今の自分を許容してもいいということを感じた。それは、私にとって救いだった。誰かに助けて欲しかった。誰かに必要とされたかった。でも、それは間違っていた。自分の中に答えはあったんだ。そのことに気づかせてくれた。この作品の中で、彼は最後、自暴自棄になるでもなく、ジタバタしなかった。それが私にとっては大きかった。きっと、自分だったら悪あがきすると思ったから。そのまま、全てを受け入れる寛容さ、自分を少し離れた視点で眺めよう。そんな気持ちにさせてくれた。だから、私の原点はここにあるように思う。


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