捨て猫に関する追憶。

 今回は初めて相互リンクさせて頂きました、a_hardaway_suns様のサイト「はー」(違うと思いますが・爆)のコンテンツ内「DESERTED KITTEN'S FATE」を読ませていただいて、ちょっと思い出したことを語らせていただこうと思います。

 今は昔(以下略)私が中学生で、まだ田舎に住んでいる時でした。学校の帰り道で、泣きながら私に向かって歩いてくる2人連れの子供がいました。全然知らない子達だったんですが(笑)気になったので話かけたんですね。そしたら、「捨て猫を拾ったんだけど、飼うのを親に許してもらえなくて、今から捨てられた場所に戻しに行く」みたいなことを言われました。2人とも相当ゴネたんでしょう、シャツはどろどろだし、顔は涙でぐちゃぐちゃになってるわ、目は真っ赤に腫らしてるわ、でこりゃえらいもんに顔突っ込んでしまった、と内心思いました。そしてオヤクソクのように「おねーちゃん、猫いらない?」と言って弟くんの方が、もう縋るような目でこっちを見てきます。もちろんこの子の目も真っ赤だし、抱きしめている子猫は絶対に人間の助けがいるくらいに弱ってるのが、猫を飼ったことのない私でもわかるんですね。
 そしてこの時咄嗟に、自分の過去を思い出したのを覚えています。(ややこしいな、ヲイ)
 捨て猫を見るたびに拾って帰っては怒られて、「もといたところに置いてきなさい」と言われていたあの頃。子供ながらにその言葉には納得できなくて、「この子のいた場所なんてない!」と言い返しては親を困らせていました。私の家には動物を飼えない理由があって(実弟がぜんそく持ちなんです)、親はそれで猫を飼うことを許してくれなかったんですが、そんな理屈、「弟は体が弱い」程度にしか理解していないクソガキの頃の私にはわからなかった。結局は動物好きの友人に頼んで面倒を見て貰い、そこから里親に出ていったんでしょう、拾ってきた猫をまた見ることはありませんでした。
 そしてそれからある程度は成長して、あのときよりは大人に近づいた私の目の前に、捨てられた猫と、それを抱きしめながら泣いている、昔の自分みたいな子供達に会いました。そして尋ねられた、あの時自分が、誰彼構わず尋ね回ったみたいに、「この猫を助けてあげて」と。本当なら「ごめんね、うちで猫は飼えない」と言って知らないふりをすればよかったのに、しなければいけなかったのに、子猫を抱き上げてしまいました。そして子供達に、「私の家か、知ってる人で猫好きなのがいるから、その人のところで面倒みてもらうよ。」と言ってしまいました。現実を見たときに、一番言ってはいけない言葉を言ってしまったんです。
 でも、子供達はその時にやっと安心したんでしょう。「見放さなければならない」という罪悪から解放されたからかもしれません。しゃくり上げていた声で「ありがとう」と私に言って、猫に「元気でね」と言いました。あたりはもう暗く、子供は家に帰っているべきです。私は「早く家にお帰り」としか言えなくなり、子供達は何度もこちらを振り返りながら来た道を戻っていきました。さて、どうしよう。子猫は私の心の内を見透かしたようにしがみついています。直感で、この猫はこうやって何度も人の手を分かってきたのではないかと思いました。人に怯える様子はないけれど、弱っているし寒いのか、震えが止まりません。
 私は上記の理由で動物を飼ったこともないし、せいぜいが小学校で飼育係やっていた程度で、どうすればいいのか全く分かりません。せいぜい、何かの本で読んで得た頼りない知識で、急いで家に帰り、カイロの上にワタやボロ切れを敷いた小箱の上に子猫を寝かせてやるが精一杯でした。レンジで温めたミルクをスポイトに取って、猫に含ませて飲ませようとします。よかった、まだ飲む気力はある。それから猫好きな友人に連絡を取り、どうすればいいのか尋ねました。友人は家まで来てくれることになり、その間に私ができることをできるだけやりました。勿論、家で飼えないか、ダメもとで訊いてみたんですが遠回しにダメだと言われ、内緒で飼うにはどうすればいいかと馬鹿なりに真剣に考えだしたとき、その友人が自ら引き取り手になることを申し出てくれました。
 その猫は今も生きているようです。あれから父親の都合で引っ越すことになり、その子猫を見たのは数年後、もう成猫になってから一度きりでしたが、今も連絡を聞く限りでは元気そうで安心しています。

 これが、今から7年くらい前の話です。ドイナカの、まだ「人の良い人」が周りに住んでいた時の話。今はどうなんだろう、と思う。酷いいたずらで致命傷を負った、捨てられた生き物たちのニュースをよく聞くような時代になってしまいました。どうしてそんなことするのか?誰でも思うと思います。
 そしてこれは、あくまで私の推測なのですが。こういう悪戯してるのは、結構育った人間なんじゃないのかと。小学生ではなく、中学生以上で、言葉の通りの「虫を殺したこともないような」人間がやっているのではないかと思う事があります。今の子供達って、コオロギやバッタ等の小さな虫の足をもいだり、有刺鉄線に刺してみたり、そういうことやったことあるんでしょうか。使用直後のアイロン触って火傷したりしないんでしょうか。
 私はやりました。コオロギを有刺鉄線に刺して、何か変な液体がコオロギから出ていき、もがいていたコオロギがやがて動かなくなるのを見て、初めて「自分がこんなことされたらどうなるのか」考えました。そしてその時、残酷ということ、恐怖ということ、そして死ということ、初めて学習したような気がします。親が止めるのもきかないで、火の中に直接手を入れたとき、その時初めて痛みというもの、そして「親がどうして止めたのか」ということを理解しました。
 なんて酷い人間だ、馬鹿な人間だ、と私のことを思われるかもしれません。でも今、私は誰も殺したことはないし、食べるため以外の殺生をしないし、しようとも思いません。それもこれも、子供のころに、虫を殺したり、犬を追いかけたり追いかけられたり(笑)、火の中に手を突っ込んだり、車の排気ガスを吸い込んでクラクラしたり、秘密基地を作ったり、庭に生えている物を雑草から花壇から片っ端から引っこ抜いたり、馬鹿なことで一所懸命になれる時期に思い切り遊んだおかげなのかもしれません。まあ、食べるため以外の殺生をしないとか言いながら、害虫とかは駆除してしまうのですが。それだって、対象が目の前にでも現れない限りは進んでやらないんですけどね(笑)

 話が変わってしまいましたが、捨てられてしまう愛玩動物について最後にちょろっと。今から言う言葉に不快感を示される方がいらっしゃるかもしれませんが、敢えて言います。育てられないペットは保健所に連れて行ってください。罪悪感?誰かに拾って貰えるかもしれない可能性?それがどうした。自分で育てられないくせに罪悪感は感じるんですか。自分が放棄したことを、見もしない他人に押しつけるんですか。連れて行く事もできないなら、ちゃんとペットを去勢するなり避妊するなり手段はあるでしょう。それすらできないなら、はじめからペットなんて飼うな。


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