Melody 〜そこに在る音 前編

 ぼくは、黒いノラ猫。名前なんて、もちろんない。
 その日、ぼくは道を歩いていた。
 お腹が空いたから、食べ物を捜さなくちゃいけない。
 ゴミ捨て場へ行って、残飯をあさった。今日の収穫は魚のホネと肉の切れ端。お腹はあまりふくれないけれど、我慢するしかない。

 とりあえず、ぼくは毎日生きている。お腹が減ったら食べ物を捜す。眠くなったら寝る。あとは……何もしない。
 生まれた時からずっと独りぼっちのぼくは、そういう生き方しか知らないんだ。

 ぼくの住むこの町には、いつもせわしなく動き回り、自分以外のものには関心を示してないような人ばかりだ。ゆとりとか、安らぎとか、そういうものを知らない人ばかり。夕方である今、みなは家路をひたすら急いでいて、ぼくが足もとにいることなんて、これっぽっちも気付いていないだろう。夕焼けが綺麗なことにも、風が秋のにおいを運んでいることにも、これっぽっちも気付いていないんだろう。
 色に例えるなら、『灰色』がぴったり。活気のない人々。活気のない町並み。いつまでも変わらない風景。それでも、ここがぼくの生きる場所だった。

 ふいに、何かが聞こえてきた。
 歌、だった。
 この町で歌が聞こえるだなんて、ものすごい珍しい。聞いていたらなんだか胸がきゅうっとなって、ぼくは思わず歌の聞こえる方へと向かった。

 ------道ばたで1人、歌っている男の人がいた。

『嬉しい時は 歌を歌おう
 悲しい時は 歌を歌おう
 ポケットに入った夢 すくいだしてさ
 見えるだろう? 明るい明日

 大声出して 歌を歌おう
 誰でもない 自分のためさ
 この世界は 僕のため
 この歌は 僕のため』


 彼は歌い終わってから、目の前のぼくににっこり笑いかけた。
「やあ。初めまして、小さな猫さん。君はこの町での最初のお客さんだよ」
 ぼくの毛皮と同じくらい真っ黒なくしゃくしゃの髪。ぼろぼろの外套。ひょろりとした身体。顔はちょっとやつれているけれど、好奇心の強そうな輝いた瞳が、彼をかろうじて年相応に見せていた。たぶん、彼はまだ若い。20代前半くらいだ。
 荷物は小さなリュックと、大切そうにかかえられたギター、のみ。
「俺はテッド。御覧の通り、歌を歌う旅人さ。この町の人は、残念ながら歌には興味ないみたいだね。誰も聞いてくれないんだ。
 でも、いいや。歌を歌っているのは、何よりも自分のためだから。それに、君が聞きに来てくれたしね」
 もう1度、にっこり。あたたかい笑顔。
 ぼくは彼と、彼の歌を気に入った。それで、それから毎日、テッドのもとに通うようになった。

 お腹が減ったら食べ物を捜す。眠くなったら寝る。そして、テッドの音楽を聞きに行き、彼の話を聞く。死ぬまで変わらないと思っていたぼくのつまらない生活に、楽しいことができた。

「よっ。今日も来たか。何もあげらんなくてごめんな。俺も今、自分が食べるだけでいっぱいいっぱいなんだ。代わりに面白い話をしてあげるよ。そうだな、今日は……」
 彼は色々なことを話してくれた。今まで訪れた町のこと、故郷のこと、家族のこと、昔の恋人のこと、将来の夢のこと……。猫であるぼくを相手に真剣にしゃべってくれる。ぼくは時々、「にゃあ」と相づちをうつ。
 空気や水と同じように、テッドにとって歌はなくてはならないものらしい。1日でも歌わない日があると、ダメなんだそうだ。彼は毎日道ばたの隅っこで、ぼくを相手におしゃべりをした後、ギターを弾いて歌を歌った。誰も立ち止まってはくれなかったけれど、とりあえず観客は1匹いる。

 この、ぼくだ。

『楽しい時は 歌を歌おう
 寂しい時は 歌を歌おう
 忘れちゃった優しさ 思い出してさ
 つかめるだろう? 小さな勇気

 声がかれるまで 歌を歌おう
 誰でもない 自分のためさ
 この世界は 僕のため
 この歌は 僕のため』


 ある日、いつものようにテッドが歌っていると、1人の女の子が近付いてきた。
 年は14、5才。カールした金髪の髪。フリルのついたブラウスに、赤いスカート。灰色の風景に1人、鮮やかな色を放っているように見えたのは、その子の表情がいきいきしていたからかもしれない。
 彼女はおぼつかない足取りで、右手で杖を持ち、足下を確かめながらゆっくりこちらへやってくる。途中、一度石ころにつまづいて転びそうになってた。危なっかしい。
 それもそのはず、彼女の両目はかたく閉ざされていた。彼女、きっと、目が見えないんだ。
テッドは女の子がこちらに来るのを見ると、立ち上がって彼女に近付き、その左手をそっととった。 「こんにちは、お嬢さん」
「あ……あなたでしょう?いつもここで、歌を歌っている人」
「うん、そうだよ」
「あなたの歌、いいなぁって思って。いつもね、遠くから聞いていたの。私ほら、目が見えないから。だから、そのぶん、色々な音が聞こえるんだ。それでね、あなたの歌はとてもよく聞こえたの。いい歌だなって、思って……」
 女の子はいくぶん興奮した感じで一気にまくしたてる。テッドは黙って聞いている。彼女は息がきれたのか、1度大きな深呼吸をして、言った。
「私、エリカっていうの。あなたは?」
「俺はテッド。歌を歌う旅人だよ」
「わぁ、素敵。でも……この町の人はあまり歌をきかないでしょう?」
「うん、全然ね。きみはこの町で2番目のお客さんだよ」
「2番目なの?1番目は誰?」
「小さな猫だよ。今もそこにいるんだ」
「猫……猫がいるんだ。……ねえ、その猫、何色?」
「------え?」
「古い言い伝えがあるの。白い猫は幸せを運んで来てくれるんだって。だからその猫が白いと嬉しいなぁって思ったんだけど」
「あ、ああ……」
 テッドは返事につまった。そりゃそうだ。ぼくは白いどころか真っ黒だ。手入れもろくにしてないから毛並みだってぼさぼさで、彼女が期待しているであろうキレイな白い猫とは似ても似つかない。
「白いよ」
 それなのに、テッドはそう言った。
「白い猫だよ」
 嘘を、ついた。
「本当!?わぁ、嬉しい。抱いてみたいなぁ。どこらへんにいる?」
「いや、今怯えちゃってるらしくって。人見知りなんじゃないかな。また今度おいでよ」
「そうね。私ももう行かなくちゃいけないし……。また来るわ。今度も歌、聞かせてね」
「うん。気をつけて。1人でも平気かい?」
「ええ。どうもありがとう」
 にこり、と笑ってエリカは去っていった。後ろ姿で、彼女の金色の髪が日の光を反射してキラキラ揺れていた。
 その姿を見送ったあと、ぼくの視線に気付いたのかテッドは。
「こういう嘘なら、許されるよな?」
 そう言って、苦笑する。
 テッドは嘘をついた。優しい、嘘をついた。

 次の日、いつものようにテッドに会いに行くと、彼がいなかった。僕は拍子抜けして、その場に立ちすくす。もしかして、この町を出て行ってしまったんだろうか?彼は旅人だ。いつかは別の場所へ行ってしまうことなんてわかっている。でも、でも。一言も言わずに去ってしまうなんてヒドイじゃないか。
 やるせない気持ちでいたら、後ろから声をかけられた。
「よっ。元気かい?」
 聞き覚えのある、低い声。テッドだ。
 なんだ。どこかにちょっと行っていただけだったんだ。僕は自分でも不思議なくらい嬉しくて、彼に走りよって抱き着こうとした。しかし、それを両手でとめられてしまう。
「こら、待てって。俺は今風呂に入ってきたばっかなんだから。おまえも綺麗な体になってから抱き着いてくれよ」
 お風呂?そういえばテッドの身なりが随分綺麗になっていた。ぼさぼさだった髪の毛もちゃんと整えられている。外套だけは変わらずぼろぼろだったけれど、洗濯をしたあとがあった。
「町の公衆浴場、結構高かったんだからおまえにすぐ汚されちゃたまんないよ。ほら、こっちこっち」
 テッドがぼくを抱き上げで向かった先は、井戸だった。
「おとなしくしてろよ」
言うなり、彼は井戸の水をばしゃ、とぼくに引っ掛けた。不意打ちに驚き、ぼくは咄嗟に逃げようとしたけれど、テッドに首ねっこをむんずと掴まれる。
「こら、おとなしくしてろって言っただろ?お前、そんなカッコじゃエリカに抱いてもらえないぞ」
 ぼくはやっと彼の行動の目的を悟った。僕を「抱いてみたい」と言ったエリカの願いを叶えてあげようとしているのだ、彼は。そういうわけなら僕だって協力しなくっちゃ。
一生懸命洗ったって、ぼくはやっぱり黒いままの黒猫だったけれど、だいぶ毛並みはマシになったし、石鹸のにおいもするようになった。初めてかぐいいにおいが、ちょっとくすぐったい。

「こんにちは」
 お昼過ぎに、エリカは来た。
「こんにちは、エリカ。猫、いるよ。抱いてみる?」
 ぱっと嬉しそうに彼女は顔を輝かせた。差し出される手に、テッドはぼくを持ち上げ、エリカに手渡した。
「ふわふわ〜」
 エリカがうっとりと言ってぼくをぎゅっと抱く。抱き締められるのなんて生まれて初めてだ。心臓がドキドキしたけれど、悪い感じはしない。エリカの温かい体温が伝わってきて、心までぽかぽかあったかくなる。
「ねえ、歌って。素敵な歌、歌って?」
 エリカはぼくをうでに抱いたまま、テッドに言った。
「おやすい御用さ」
 テッドはギターを取り、リズムを取る。
「ワン、ツー、スリー」

 歌っている時のテッドの顔は、本当に輝いていた。その声は、低く、優しく、そして力強く空気を震わせる。そんな素敵な歌なのに、やっぱり誰も立ち止まってはくれなかったけど、とりあえず観客は1匹と1人いる。

 それはもちろんぼくと、エリカ。

『楽しい時は 歌を歌おう
 寂しい時は 歌を歌おう
 確かな一歩 踏み出してさ
 誇れるだろう? 歩いた軌跡

 全身使って 歌を歌おう
 誰でもない 君のためさ
 この世界は 君のため
 この歌は 君のため』


 いつの間にか、テッドがいつもちょっとずつ歌詞を変えて歌う歌の「僕」という部分が「君」に変わっていた。
「「君」っていうのは、おまえと、エリカと、あと……みんなだよ。そこにいるしかめっつらをしたおばさんとか、生気のない顔したおじさんとか、生意気そうな子供とか、とにかくみんな。なんか俺、自分のために歌ってるはずなんだけど、今は誰かのために歌いたいって思ってるんだ。たまにあるんだよ、そういう時」
 ある日、テッドはぼくにそう言った。少し照れくさそうに。ぼくは無性に嬉しくなって、しっぽをぱたぱた振った。

 毎日、お昼過ぎ、エリカはぼくらをたずねに来た。おしゃべりをしたり、テッドの音楽を聞いたり。たまに彼女は美味しそうなお菓子を持ってきてくれて、それはちゃんとぼくのぶんもあって、のんびりした時を過ごしたりした。
 エリカの目は常に閉じたままだったけれど、彼女の表情はくるくる変わって見飽きない。おしゃべりな澄んだ声は耳に心地よい。彼女が来るとぼくらのまわりの空気は明るくなり、笑い声が絶えなかった。
 そうして、ぼくらが出会って1週間くらいたったある日、彼女は言った。
「ね、私も一緒に歌ってもいいかしら」
 テッドはきょとん、として、それからじわじわ嬉しそうな笑顔が顔中に広がった。こんな嬉しそうなテッドを見るのは初めてかもしれない。
「もちろん!」
 そしてテッドとエリカは、2人で歌いはじめる。

『楽しい時は 歌を歌おう
 寂しい時は 歌を歌おう
 胸に秘めた想い 大切にしてさ
 感じるだろう? 命の鼓動

 リズムにのって 歌を歌おう
 誰でもない 君のためさ
 この世界は 君のため
 この歌は 君のため』


 テッドの低い声とエリカの高い声が心地よいハーモニーとなって響いた。音のひとつひとつが心のなかにじぃんとしみてくる。いい歌だ。本当、いい歌だ。
 子供が、建物のかげからこちらをちらりと見た。そしてにっこり笑った。やった!3人目のお客さんだ。
「エリカ、歌上手だな」
 歌い終わってからテッドが言った。エリカは頬をピンクに染めてかわいい照れ笑いをする。
「えへへ、ありがとう。すごく気持ち良かったよ」
 それからエリカは、来た時に必ずテッドと2人で歌うようになった。ぼくは彼等の傍らでひなたぼっこをしながら素敵な歌を聞くという、この上ない贅沢を手に入れた。

 お腹が減ったら食べ物を捜す。眠くなったら寝る。そして、テッドとエリカの音楽を聞きに行き、彼と彼女の話を聞く。ぼくの生活は、毎日楽しい。

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