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奈良文芸協会
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奈良を中心とした文学同人誌の立ち上げを企画しています。小説、詩、戯曲、短歌、俳句、評論など、文学芸術に関する様々な文章を載せてゆきたいと思います。本部は奈良市に置くつもりで、そこを中心として関西を主なフィールドとして活動してゆきたいと思います。同人、投稿共に募集しています。事務所が決まり次第活動を開始する予定です。それまではこのページで情報発信してゆきたいと思います。どうぞ宜しく。

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2003年07月03日 22時24分50秒



参考までに、稲垣足穂「木魚庵始末書」のひらがなバージョンを載せておきます。

木魚庵始末書


一、私が□□先生を知ったのは、本年五月末のことでした。牛込区裏寺町の通りを、つんつるてんの着物に巻帯姿で、よちよち徘徊して居る人影が有り、其の尋常ならぬ雰囲気が私の注意を惹いたからで有り升。大きな図体に拘らず、鼠の様な印象を与へる該人物は、同町××番地飯塚酒場の奥に陣取って、何時も独りで、焼酎乃至泡盛と受取れる朝顔杯を前に置いて居ました。此処に山上一郎とは私の十年来の友人で有り升が、この山上に向って件の怪人物に就いて注意を促すと、「お前も余り酒を飲んで居ると今にあんなになってしまふよ」と申しました。又、「何だ、あんな者に注目するなんてお前の悪い癖だ」とも彼は附け加へました。此時、話題の人物を以て今後海坊主と呼ばうではないかと相談しました。此は私の提案で有り升。六月上旬、私は飯束縄暖簾に於て海坊主に向かって最初の発言を試みた結果、彼が□□氏で有る事、及び彼が以前教職に従いて居た事等を知ったので有り升。尚、元教員□□氏が今日の状況に立至ったのは、人の為に印鑑を押した事に由来する。此は後日、同氏を以て坊ちゃん呼んで居る所の飯束質舗(同名酒店経営)の店員から耳にした処で有り升。坊ちゃんの呼称は当って居ると愚考し升。何時見ても顔面には何の表情も認められず、然も距離を置いて眺めた時は、恰も十七、八歳の少年者の様に受取られて居たもので有り升。其日、間近に寄って能く見ると、赤ら顔に短い半白の口髭がある老人で彼であった事初めて判明したので有り升。「遊びに来て下さい」と私が云ひますと、先方も、どこに附着して居るのか判然としない眼を更に細めて、「此横丁に住んで居るから、どうか貴下も是非話に来て呉れ」との意を漏らしました。私が帰途、我が住む黄山荘とは三角形の一片を形成している小路へ這入ってみた所、此入口から二、三軒を置いて左側、井戸端の平屋に、木魚庵と青ペンキで記された扁額が懸かって居ました。長屋では無く、亜鉛葺きの粗末な別棟で、格子戸の右側、勝手口に当る硝子戸の中の一枚は壊れて居ました。

翌朝、未だ床の中に居た時、□□氏の来訪を受けました、「先刻二回お伺ひしましたがお寝みの様でしたから」と彼は申しました。電車賃だと前置して、金五十戦也の借金を申込まれました。丁度懐中に二円余りありましたので、其中から所望の額だけ渡しました。此折に話を交へ、□□氏が漢文に素養がある事、各方面の名士を知って居る事、同氏の日々の酒代はその其旧知の歴訪及び無心状に依って保持されて居る事等を知ったので有り升。私の枕辺に有る「老子古註」に就いて語った所、□□氏は原文並に註解を能く読む事が出来ませんでした。思ふに、同氏が主として四書五経の権威だった事に依るのでせう。然し、「舟車があっても此を用ひるな。鶏犬の声が相響き渡っても、民は隣国と一生涯往来しないのだ」と言ふ文句に対しては、彼は目を細めて賛同の意を表し、幾度も我意を得たとばかりに頷きました。そして「ああ文明とは複雑化のみ。人民各々政府から二百坪余の土地を与えられて、芋を作って暮らしたいものだ。一日中、鯉が泳いで居るのを見て送りたい。私も以前は少し許土地を持って居たのです。芋は今日でも好きですよ」と詠嘆し、「どうも、あの家鴨は脚が悪い様だからと云って、其頚を捻って家鴨のお汁を拵へて喰べたら嘸旨からうな」と附加へました。後日、鳥屋の店先にしゃがんで、籠中の家鴨に見入って居る□□氏を望見した事が有り升が、同日後刻、私は彼に向って、「犬は咬付くから嫌ひだが、鶏は好きだ。殊にあの鶏冠の紅が何とも云へない」と洩らしました。

一、此日、□□氏は、ハトロン紙封筒に入れた原稿の束を私の許に置いて帰りました。其表紙には達筆で、「嗚呼我一生の仕事は為せり。此必定後世に残る物也。今出版せられざる事を恨む」と記されえて有りました。又、該封筒に郵便書留の跡が認められ、件の草稿が過日大出版社から返送されたものである事が私に判りました。「なーに、野呂が居れば出版して呉れるのです。彼は私の後輩ですから。野呂は今小田原に保養に行って居るのです。小僧共には何も判らん。昨日も不二房へ歩いて出掛けましたが、どうも身形が悪いものだから、乞食と見違えて、エレベーターへは乗せてくれん」―後刻、私は件の原稿を読みました。之に就いて前記山上一郎など、□□氏を前に相当酷烈な批評を加えた様ですが、私に於いては、遂に何とも発言が憚られたもので有りました。只、「彼夢に蝶と成りしを見てしより蝶が己か判らず成りたり」と云ふのが有りましたが、この「蝶」を「酒」と訂正し、又、「ダビデ王幼子あまた屠り尽しぬ」「跣にて羅馬の街を練歩き若人捉え道を説きけり」この前者を以って「ヘロデ王」に後者は多分「アテネ」だらうと考へて、都合四ヶ所に添削を施したので有り升。

一、其の次の折だと記憶し升。□□氏は右腕を撒くって見せ、其処に点々と梅花状に著いた紫斑を示し乍ら云ひました。「御覧なさい。大屋さんに叱られて此の通りに抓られました」「貴方は一体、幾分家賃を滞納して居られるのですか」と訊ねると、「四ヶ月だ」との返事でした。此の次第を山上一郎の前に持出すと、彼は喜びました。ですから、後刻、我々二人が縄暖簾の奥で飲んで居る所へ□□氏がふらふらとやって来た時、山上は別に厭な顔はせずに、先方と漢文の話を始め、又、□□氏は、私と山上とが議論するのを面白さうに聴いて居ました。此の日、私と山上は□□氏から、夫々三杯宛のブランデイを奢られました。帰途、例の小路で山上は、亜鉛塀の上に、墓地の卒塔婆が覗いて居るのに視線を向けながら、申しました。「お前の様な凶悪無慙な奴と違って、海坊主は何も悪い事はしなかった人だ。極く普通な善良な市民だよ。云はば白達磨かな。歪んだマシマロウ。直線ぢゃ無い、曲線、其れも簡単な曲線だな。何時も揺れて居る人物だな、ロッキングチェヤー?否、其んなハイカラな存在では無い。あれで始終憂鬱なんだから面白い。あの入道雲が、ちょいと、お姐さんと猫撫声で泡盛の代りを催促するのだから、叶はないよ」

一、「どうも姐さん等は若い人許に、にこにこして、私なんかは相手にして呉れない」と□□氏は零して居ました。「先生はくどいからですよ。忙しい所を一々目の前に呼付けなくとも此方から口で伝えたらよろしいではないですか」と云ってみても、むにゃむにゃと口元を動かして「どうも若い人許に…」を繰返しました。「一体女と云ふ者はね、道が真直に歩けませんよ」と□□氏は、其れこそ女の様に身体を前後に揺り乍ら、押し出す様にして先を続けました。「人にぶつかり相になって居るのに、脇見許りしますよ。だから私は、何処の奥さんにでも構はずに怒鳴り付けてやるのです。もっと確りして道をお歩きなさい!って。―其れに女に道を訊ねると、屹度右と左を取違へますよ、自分から見ると成程右かも知れんが、訊ねた側には左だと云ふ事がどうしても女には判らない」さう云って、縄暖簾名物の一枚板の大食卓上に指先で以て字を書いて、「何んな偉い女でも、伊藤白蓮さんでもさうですよ。女の書いた字は何処かに間が抜けて居る。詰まりこんな所に注意が行亘って居ない、劃の繋ぎ目に隙が出来てヰるから、直に女だと判別する事が出来る。あのそれからね」と同じ指先で別な字を書き乍ら、附加されました。「天に代りて不義を討つでは有りません。不義を責むと云ふのが本当です」と□□氏は忿って居るかの様に、昂然と、力を篭めて申しました。

一、通称「瓦斯屋」と云ふ、界隈に二十年住んで居ると云ふ年配の男が、毎日の様に木魚庵に出入して居る形跡が有りました。「二十円ばかし瓦斯屋に貸して有るが、其の少しも返して呉れない」と□□氏は零して居ました。瓦斯屋は月給日になると同氏を遊びに誘ひ、応じないと泡盛二、三杯丈を奢って、自分は朝帰りに木魚庵に立寄り、「もう一銭も無い。十銭だけ御菜代に貸してくれ」などと云って取って行く極りなのだ相です。「瓦斯屋は何時も赤城小学校前にとぐろを巻い居る。先日あの店で植木屋の主人が鮨を取って呉れたでせう。瓦斯屋一人がむしゃむしゃ食べて了った。貴下撮みましたか。私はたったひと切れ当ったに過ぎぬ」と□□氏は云ひました。「あの店はね、十時過ぎになると悪者が集りますよ。私はだから、夕方からは絶対に寄り付かぬ事にして居る」瓦斯屋は又、ぎょろりと光った目玉を彼方此方に配り乍ら、私に申しました。「返して呉れ、返してくれって、顔を合はす度毎に全く外聞が悪うがす。手前の方こそ、何時も二円、五円とわっしから持って行って居るのでござんす、へい」さう云ってから、もし貴下が瓦斯焜炉を御使ひになる折には、メートルの針が成るべく動かぬ様な栓の捻り方なども教えて差上げる、と彼は附足すのでした。「いいや、構はんです。呉れてやったと思えば何でも無い」と□□氏は、私の前で繰返しました。「貴下は私など女遊びをしないからよいが、瓦斯屋はあの齢で女遊びをするから堪ったもので無い」一体、□□氏が女に好感を懐いて居ない事は、例へば彼が小路の入口に張出して居る貸間の札に、「但し男子に限る」と改めて一行の附言がある一事でも察しられます。或時不意に彼の口から、「ああ私は五年間も云々」の嘆声が洩れた事に思ひ当ると、同氏の婦人軽蔑には余程仔細がある、と私は考えずに居られませんでした。十七と十八になる年子の娘が有る事は洩らされましたが、其時彼は、「私にやって来られると困るからと云ふので、娘らは逃げてしまって居所を教へて呉れない」と附足す事を忘れませんでした。尚娘さん等に就いて何か語った折には、喩ひ「我に経綸有り」と云って腕を叩いた所で、結局直後、黄山荘の私の部屋なり木魚庵の畳の上なりへ、私より一歩先に転げ込んで、わーっと手離しで泣出されるのが常でした。「辛いですよ、貴下。何故こんなに苦労せねばならんのか。ああお竹とお文とに済まん!」「先生、もっとお泣きなさい」などと傍から云ふと、其に合はして、「わーっ」「わーっ」と一頻り慟哭されるのでした。

一、話が前後し升が、私が木魚庵を訪れたのは、飯束酒場での対話後、約三週間目でした。私は恰も三日に一回食物を口に入れると云ふ窮状に追ひ遣られて居ました。尤も総ては我身に出た錆だから致し方がなかったとしても、どうも煙草無しではやり切れません、其位の勝手は許されてよいと考えられた儘、思ひ切って□□氏を尋ねたのです。一方、先方も私への来訪は既に数回重なって居ました。而も何時も泡盛の匂ひを発散させ、「日に六杯は飲まなければ街角を曲るにも蹌踉めく」との話でしたが、何しろ未だ五十を過ぎた許だと云ふ事で、其の身体付は恰も旅順要塞戦にサーベル振り回して居る露西亜伯爵伯爵の如くに堂々として居ましたから、私は、「死んでもよいと思えば酒を止める位は何でも無い」と稍々声調荒く口に出したものです。「さうですか。死んでも構はないと思へばよいのですな。善い事を聴きました。成程、死んでもよい!ふーむ」かう云って頻りに彼は感心して居ましたが、成程と思い当ったかの様に、「然し、貴下は偉いから其れが出来る。私には難しい。私は弱いから。貴下なんかお若いから、身体に差障りがないから、そんなに辛抱して居られるのであらうが、私には迚も出来ません。本当に無いのですか、十銭もありませんか」何時しか来訪の本旨に戻るのですから、私は、件のニッケル一箇を提供せねばならぬのでした。若し、畳の上にパン屑でも散らかって居ると、「貴下、一つ、ハムを挟んだパンを食べたいものですな。うん、私は鶏の他は一切西洋式のものは口に入れぬが、あれなら欲しい。私は朝から何も食べて居ません。」と□□氏は云ひ出すのでした。さうかと思ふと、話は何時か、切干を入れた味噌汁を如何に旨いかに就いての上に移行して居ました。「此の御正月には学生達と一緒に朝はやくから作ったものです」と彼は楽し相に告げました。此は、木魚庵に以前の学生乃至生徒が若干集って居た事を指すのでせう。例の張札の下に別な板切が打付けてあり、受験準備文章添削等に関した広告文が、同氏筆跡の青ペンキで記されて居たからです。

一、□□氏は更に姓名判断もやって居たのだと受取れる節が有りました。私が燐寸の軸を算木にして、易経を披いて居た折、「此は罪ですよ、人を迷はしますと。何にもなりません。」と彼は傍から顫へる指先で頁を指し乍ら云ひ掛けました。「但し貴下が小遣を儲ける心算ならば賛成しますがね。私も以前やりました。朝鮮の人などが観て呉れと云ってやって来ましてね、五十銭は置いて行きます。貴下あれを知って居升かね」と目を繁叩かせ乍ら、壁越しに何処か遠方を指して、「神楽坂の白木屋の前に易者が居ますね。仲々親切ですよ。何時も私を見ると五十銭呉れるのです。これから出向いてみませう。算木やめどぎが欲っしないなら世話してくれ升と。あ、昨日でした。私に此の羽織を呉れた人が有りました。新宿から歩いて帰って来る途中、煙草屋の主人です。」「良い羽織では有りませんか。知っていらっしゃるのですか」「いいえ」と彼は、女性的な含羞を見せて嬉し相に首を横に振りました。「背後から私を呼止めて、其れは余りに見苦しいからと云って、奥から取って来てくれたのです」 一、□□氏は、一切熱いものは嫌ひな様でした。尤も此件に就いては、其は脳溢血を痛く心配して居るからだとの説が一部に有りました。彼も又、お湯には滅多に行かないが、行っても決して湯船に這入らない事ににして居る、と私に告げ、「食物でも熱い内に召上れなど云はれると腹が立ちますよ」と附加へました。用心深さは又、彼がお化けを一方ならず怖がって居る点にも窺はれました。今の木魚庵の奥の間で、以前に永く床に付いて居た大屋の細君が亡くなったと云う事を耳にした時、彼は遂に従来の処で寝るより仕様がなくなる迄、金一円也を奮発して近所の安宿で夜を過して居たのだ相です。入口脇の井戸に就いては、其処へ飛び込んで死んだ狂女があったと聞かされた途端、彼は両手の指先を家守の様に拡げて吃驚しました。「さあ、大変な事になった」と云ふのでした。私と泡盛屋の主人とが、「然し其は十年前の話であるし、其の事があって井戸は埋めて今日の喞筒に取換へたのだから」と幾ら諭しても、□□氏は「ああ、私はあの水を飲んで居た」と繰り返しました。

一、木魚庵の格子戸を開けると、手枕した主人が泡盛臭い鼾を掻いて居升。声を掛けると吃嘆した様に起直って、「此は失礼しました」と云ひました。寔に唐突だが金蝙蝠を一箇都合して貰えまいかと申込みますと、彼は頷いて帯の間を探りましたが、其処からは何物も現れません。「はーて」と呟き乍ら神棚へ片手を伸ばしましたが、「其んなもの無いよ」と男は突慳貪に返事しました。「さあ、何うしたものかな」と□□氏はうろうろして、「十銭なんとかならないものかな」と再び若い衆に声を掛けましたので、私は、「いーえ、構わないのです。何とかしますから」と云って其儘引返したのでした。翌朝、私が流石に木魚庵に這入りかねて、裏寺町の通りを歩いて居ると、縄暖簾の奥から□□氏は慌てた様に立現はれて、「申訳がない。貴下には大恩がある。昨日は穴でもあったら這入りたかったです」と云って、金二十銭也を私に握らせました。「家へ御寄り下さい」と誘はれる儘、私は木魚庵へ上り込みました。八畳の向かって左側窓下に机があり反対の壁際に火鉢や茶碗類が押付けてありました。机の上には、よく洗った硯、新しい一本の毛筆、蝋燭の切れ端が載って、壁面には昔貰ったものと受取れる手紙を表装した扁額が懸かって居ました「素人に限って筆が五本も六本も硯に供えるが、筆は一本だけでよい」と主人は申しました。「あの、それからね、お湯で売って居る剃は鉛筆削りになりますよ」扁額の右側に、「貸料金は致さず候、席亭敬白」と記した半紙がピンで留められ、仕事に就いては、曾て碁席を設けて居たからだとの説明が為されました。「電燈代も上がらないものだから、碁盤も五つあったが古道具屋に預けたのです」「此はどうするのですか」と私は、机上に載って居る南瓜に気が付いて質問しました。「只眺めて居るのが好きなんです。此の様な面白い形のものはちょっと有りませんよ。二箇あったが、瓦斯屋が一つ持って帰って了った。これはね、年越をしますよ」さも南瓜が可愛くて堪らないかの様に、□□氏は目を細めて申しました。それから、机の抽斗から書状を取出して、「此は視学から来たのです。困って居るなら直ぐ来いと云って、私に洋服まで送って呉れたが、人に呉れてやりました。第一靴が無い」「昨日此処で見掛けた若い人は何ですか」「あれは同居人です。奥の四畳半を貸して有り升。私と同様に布団も持っって居ないが、いい人ですよ。私は御金を何処に置くか判らないし、何処に置いたか忘れて了ふが、其が未だ一度も紛失した事は無い」

一、「嗚呼、世の中は親切なものだ。行って来ました。もう大丈夫!」かう云って、数日間姿を見せなかった□□氏が、袴を穿いて意気揚々と私の枕辺へやって来ました。「暮迄は大丈夫です。家賃もすっかり払ひました。浜松では私に大変御馳走して呉れましてね、料理屋などへ連れて行って。然し私は泡盛でないとどうも…」と胡麻塩髭を捻り乍ら云ひ掛けて、私に必要なだけ金を出さう、と申し込むのでした。黙って居ると、「兎も角五円でも置いて行きませうか」と促すので、「そんなに要らない」と返事すると、「貴下には大恩が有るのだから、遠慮なく云って下さい」さう繰返されたので、此時私は、金五十銭也を借受ける事にしました。「可笑しなものだ。金が有ると近所でもぺこぺこしますね。大屋でもぺこぺこです。金があると人が集る。金が無くとも家に来られたのは貴下だけだ。一つ出掛けませんか」と誘はれる儘、私は一緒に出ました。此晩私は、木魚庵へ机だの柱時計だの衣類だのが運び込まれるのを眼に止めましたが、□□氏の傍には例の瓦斯屋が附纏って、「万年筆と眼鏡の方も出して呉れんと困るではないか」などと仔細あり気な顔で督促して居ました。「瓦斯屋は自分の品物を皆んな私に質受けさせて、剰へ昨日と今日と合わせて十円借りて行きましたよ。貴下も御入用でしたら何時でも…」かう□□氏は云って、袱紗に巻いた財布を扁額の背後へ差入れました。「そんな所へ蔵って大丈夫なんですか」「家には鍵を掛けない事にして居るが、誰も這入って来ないです。同居人には二ヶ月間代を貰って居ないが、いい人ですよ。先日も十円札が落ちて居たのを知らせて呉れました」―今回の金は一体何れ位あったか知りません。兎も角年末迄は大丈夫だと□□氏は云ったのです。其れが僅か半月の間に失くなって了ひ、今度こそ本当に、下駄一足と、例の年越をする筈の南瓜一個だけになって了ったのでした。此の頃は流石に夜具無しに、単衣の儘では寝られない夜が有りました。そんな折、□□氏はぢっと夜もすがら真っ暗な家の畳の上に坐って居るのでした。「漸く明方が来て、窓際に置いてある南瓜の輪郭が薄り見えてくると嬉しい」と彼は語りました。でも、何も私が煽て上げて金を費はせて了った訳では決して有りません、第一、私は泡盛乃至ブランを二、三杯飲んで話を交換する以外、成べく彼に干渉しない様に努めて居ました。貸借関係を述べますと、私は前後数回に亘って彼に煙草代をせびったので、最初同氏に貸した五十銭中、四十五銭也を借りた訳になります。其れ以外は、学校前の泡盛屋の催促が□□氏に対して手厳しかったので、秋山と称する若者と共に先方へ掛合ひ、請求額九円の中、金五円也を入れて先方を納得させました。此の晩、別に慰労会と云訳で有りませんが、件の秋山と相談の上、飲代として□□氏から一円だけ借りる事にしました。尚、同氏が私に萩の五十瓦入を持参した事があり、折に触れて十銭、二十銭と遣り取りした件は互いに帳消しにすれば、以上通計二円余を私は□□氏に負債して居る訳に成り升。遂に返済の機会を失したのは、甚だ遺憾とする所で有りまして何れ秋山を通して□□氏遺族に御渡しする意向を懐いて居る者で有り升。次に、彼にどれ位奢だれたかと申しますと、此は、山上一郎に於ける分と合せて三円を出ています。ブラン数十杯と蕎麦二丁に尽きるのですから。「海坊主はお前の事を怖いと云ふ居る」こんな山上の言辞の無根拠な事を此処に御了察願ひたいと存じます。「にこにこさんは何うして居ますか」と、□□氏はよく山上の事を口に上しました。「何時もにこにこですね。あれは貴公子だ。あの人と議論して居るのを聞いて居るのが一番面白い。ああ吾々二人だけで飲むのは悪いな。にこにこさんを呼びませう」など云ふからして、山上一郎が、自分の居ない所で海坊主と私とが何んな派手な事をして居るのだらうかと気を廻すのです。山上は日に五、六回は何処かへ電話をかけるが、何処からも、誰も、何者も、来ない様な日常を送って居る男で、Gypsy scholarと云ふ、御当人も得意らしい渾名を持って居升。元々出所不明の茸の様な人間で、双曲線函数などと背文字が付いたA5判の本を懐中から覗かせ、やれ絶対円だの、やれ作用量子だの、蟹の泡みたいな事を云って時間を潰して居る次第ですから、何事であれ人の事が気に懸るのです。当の山上一郎こそ、「海坊主なんかと附合ふな」よ私に告げる口の下から、「此を抵当に□□君から一円だけ借りて呉れないか」と云って、壊れた置時計を私に差出したでは有りませんか。一、George Akiyamaと私は、□□氏に就いては、「例ひ人が何と云はうと吾々は先生と呼ぶ事にしようではないか」と相談しました。吾々は、蹌踉めく□□氏と共に敢て白昼の道路を歩き、彼の前には二の足を踏む酒場へも話をつけてあげましたし、又、彼を喜ばせる為に、秋山が帽子眼鏡に到るまで入質して居る事実を私は知って居升。其れのみか、秋山は学校前の酒場で□□氏の事を漫罵して居た瓦斯屋と喧嘩した一事も有りました。而して吾々両人間に交された同氏に関する批評はと云へば、「どうも年齢を、鯖読みして居る形跡がある」「脳溢血に就いて非常な恐怖心を懐いて居る」それから、「若し鯖を読んで居ないとすれば、今日の様な彼の変貌には余程仔細がある筈だ。人の為にか何うかは知らず、相当に苛められたのであらう。何故なら、写真帳にある五年前の先生は青年の如く撮られ、仲々好男子であるからだ」以上、三種しか思い出せないのです。是に反し先生は何時か私に向って、「秋山さんは狐ですよ。あの人は道を歩き乍ら首をうしろに振り向ける。あんな事は狐でなければ出来ない筈だ」と洩らしましたし、又彼が秋山のペンキ一缶を、金二十銭也で入質した現場を私は知って居升。該物品は、木魚庵勝手口を借りて泡盛屋開業を立案した秋山が、壁紙、糊、刷毛等と取揃へ預けてヰたもので有り升。

一、次に山上一郎が、「君は□□君に対して死んで了へと云った相だね」と云った事を思ひ出しました。此件に就いて釈明して置き升。□□氏は大抵朝か晩方に黄山荘の私の部屋に顔を出しました、例へば、今日は短冊を預けた店へ廻りなさいとか、何某氏に逢ふならば音羽の自宅の方が良いとか、さう云ふ口添を私は自然とさせられて居ましたので、何か意見を傾聴したい為、又其日の結果に就いて報告が主なる用事だったと愚考されます。其の都度に、「どうもこんなよれよれの浴衣では歩けない」とか、「可笑しなものだ、誰も金を出さん」とか「家鴨のお汁が吸ひたい」とか、「縄暖簾では毎晩私より余計に二,三円も飲んで居る男がある」とか、「一円で買った軸物なのに質屋は五十銭にも取って呉れない」とか、彼は並べ立てるのです、そんな或時、「子孫なんかはどうでもよい。私は八十歳位まで長生きしたい。其れだけで結構だ」と申しました。私は、「其は無茶だ。それならば、初めから世間など相手に何物も求める必要はないでないか。だから、試しに何でも勉強して御覧なさい。酒は止められぬとしても、其の傍、孔子でも孟子でも勉強なさい。研究する振りだけでもよい。さうしたら、世間は決して先生を見捨てやしませんよ」「私は漢文は何でも知って居る。我既に仕事は為したり!」そこで私は、「それならば何処へでも勝手に居なくなって了ふがよい」と口に出したのです。此の次第が山上の耳に這入ったのに相違有りません。何故なら其朝、□□氏は顔を出して、「にこにこさんは、麵麭一切れでも食はして呉れるかな」と云ひました。此は何時か私が「山上の許へ出向いても無駄ですよ。彼は今ん日まで自分の手に依って一銭の金も儲けた事のない男です。お酒や御馳走が有るから遊びに来てくれと彼が云っても、其は嘘です。まあ、パン一きれでも当ったら大成功です」と云った事があったからでせう。後刻、□□氏は、「もう、にこにこさんとは絶交した。あの人は出来る事をして呉れない。どうも人情が無い」と云ひ乍らやって来ました。山上の話では、此の日□□氏が下宿の玄関口で小便をしたと云ふのです。「あなたは山上の住まひの入口で小便をされたのですか」と訊ねますと、□□氏は、「やる場所がなかったから、仕方が無い。どうも酔って居るものだからみんな着物にかかって了ふ」と云ひました。秋山の家の庭先で、彼の母親が見て居る前でも、□□氏は小便した事があった相です。

一、「三軒廻ってみたが、瓦斯屋は何処にも居らん。私に印鑑届の手数料まで出させて置き乍ら、私を出抜いて了った。同居人は逃げてしまった。ああ誰も相手にして呉れない。手紙の返事が何処からも来ない。一大事だと云ふ葉書を出したのに、誰も来てくれない」と云ひ乍ら、□□氏は其朝、私の許へよろめき込んで来ました。「おや、未だお寝みですか。よく眠りますね。若い人は水の上にも寝ると云ひ升から―ああ、恐ろしい事になったものだ!南船北馬、ああ此でどう成るやら」「でも、飲んでいらっしゃるでは有りませんか」「昨日の朝から家の玄関へ牛乳を置いて行く者が有るのです。其の前の駄菓子屋のかみさんに5銭で売って、三銭足して、都合八銭分だけ飲んだのです。貴下飲みましたか」「飲みません」「これから行きませう」「駄目でせう」「貴下なら貸すと思ふがな」「金も無いのに其んな事をしたって詰らないでは有りませんか」「然し、飲む人が余り飲まないで辛抱して居ると、毒ですよ」「僕は構ひません」「起てなくなりますよ」私は其れ以上は相手になりませんでした。私は、数日間に亘る断食の結果、心身頓に爽快を覚えて、或る連続函数の極限値に就いて思考を巡らせて居たからでした。「では、行ってまヰります。此ではどうにも仕方が無い」□□氏はよろよろと立上って、音もなく出て行きました。

一、四季の中に於て夏は天空が一際高く見え、且つ其は無限性を帯びて居ると云ふ文章を、私は曾て読んだ事が有り升。丸天井を距離として識別させる所の雲は、この季節に於て一層高く群がり詰まれるが、此んな日々、吾人は却って存在とは正反対の無や寂寞の観念に導かれ勝なものである、と件の英国作家は述べて居ました。丁度さう云ふ盛んな生命の浪費が私共を圧迫する様な暑い日になりました。午後二時過ぎ、折から顔を見せた秋山と共に、私は木魚庵を訪れたので有りました。「先生を暫く見ないがどうして居るだらう」と秋山が云ったからですが、一面には、倖ひ小遣いがあるから一杯飲まさうではないか、と云う肚もあったのです。「人間と云ふ者は三日に一度は入浴の必要がある」と私は云ひました。此は一つに、秋山が何時も小ざっぱりした装をして居る事から気付いたのですが、同時に、自分自身の戦慄すべき経験に拠る結論の一部でした。目は血走って、顔面はどす黒く、恰も変死者の相貌の様になり、足には苔が生えて、字など読めもせず、書ける道理も無く、舌は縺れて人に対して返事するのも大儀だった一頃の事が思ひ浮かべられたからでした。秋山は同感し、序に先生を風呂へも連れて行かうと云ふ事になりました。□□氏の更生の為には、最早如何なる意見も忠告も役に立たない。其は只身辺些細なる所に始まるもの、実践及び行に期待する以外は無いのでした。秋山の提案、其は私が貯水池ビール飲んで横たはって居た三日間を通して考え詰めて居た、将に其の主題でも有りました。―□□氏は手枕をして大きな鼾を上げて居る慣ひなのに、此日に限って胡座をかき、首を垂れ、短い白髪を捻り乍ら何か考え事が有るかの様に腕組みして居ました。坊ちゃんの様な、又、海象の様な顔は何とも知れぬ赤黒い色になって、辺りは強烈な泡盛の匂いが充ち充ちて居ました。「先生どうしました」と声を掛けましたが、返事は無く、目を瞑ってむにゃむにゃと呟いて居る許です。風船玉が、―それもどの方角にも星々がぎっしり詰って居る虚空の真中で破裂しそうな、一種奇妙なる不安を私は覚えました。「大屋はね、只私が脳溢血にでもなって此家で死にはせぬかと、其事だけを心配して居るのです」と□□氏が何時か洩らした言葉が思い合はされたからです。が、それよりも何よりも、私は此処へやって来る途中頻りに尿意を催して当方こそ今にも爆り相になって居ました。身顫ひし乍ら私は、合の四畳半を突走って便所に飛込みました。其の間二、三分はあったでせうか。否、秋山が一足遅れて這入って来た筈ですから、其は数秒の間です、この間に、□□氏は居なくなって了ったのです。決して決して!何処へ行った訳でも有りません。彼のちびくれ下駄は玄関に有りました。では、何うなったのか?私共には判りません。何人にも判りますまい。が、かう云ふ事は起こり得ない次第ではない、と私共は信じて居升。何故なら、其様な兆候は確かに前々から見えて居たし、而も密かに打案じて居た通りに、現に其が発生したのですから。木魚庵主人の坐って居た場所、其処に、赤茶けた畳の上に、私共は、よれよれの浴衣と鼠色に変色した猿股と、名状すべからざる色合いの兵児帯とを見た丈で有りました。

右の通り相違無之候

右………

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