憲法十七条は憲法か?


 今年、日本国憲法は施行60周年を迎えることになりました。還暦おめでとうございます

 今日用いられているこの「憲法」ということばは、「かたちづくられたもの」という意味をもつ英語の constitution やドイツ語の Verfassung といったことばを明治時代になって翻訳して成立した訳語です。この点で、「憲法」とは、原義的には、国家の構成を規定したものであり、また国家により恣意的にその権力が行使されることを抑止する機能をもつものでもあります。

 この訳語が登場した明治の「憲法」と申しますと、1889年の大日本帝国憲法が想起されますが、明治維新直後の1868年に布告されました「政体書」は、政治体制を規定したまさに constitution でありました。この事実は、当時はまだ「憲法」ということばが一般的ではなかったことを示しています。それでは、聖徳太子が作ったとされる憲法十七条(604)の「憲法」はどうなんだ、という疑問が当然に湧いてくるかと思います。

 憲法学的に申しますと(おお、エラそうだ)、聖徳太子を「日本初の憲法を作った人物」というのは、上に述べたような憲法の定義から見て不適当です。また、歴史学的に申しましても、憲法十七条自体が『日本書紀』撰者の偽作ではないかという指摘(津田左右吉など)もあり、まことにもって悩ましいところであります。

 いずれにしましても、憲法十七条は第一条に「和を以て貴と為す」といったような表現を見ることができるように、いわば倫理規定であって、近代的な意味での「憲法」ではありませんでした。

 しかしながら条目を備え、人として守るべき規定を文章化した憲法十七条は、(その真偽のほどはともあれ)その後もながく日本初の成文法として認識され、日本歴史の上に少なからぬ影響を与えました。たとえば、南北朝期に作られた武家法である建武式目(1336)は全17条で構成されていますが、この条数には憲法十七条の影響が指摘されています(水戸部正男など)。なお、これにさかのぼる鎌倉時代につくられた御成敗式目全51条(1232)も、17×3 = 51という計算式から導き出されたとも言われていましたが、今日では疑問符がつけられています(大体にして、×3ってどこから来たんだよ)。

 その真実のほどは、今なお明らかではありませんが、武家法が策定される際に憲法十七条が当然のように想起されるものであったということは興味深い事実です。すなわちこれは、憲法十七条が出来てから600年以上を経てもなお、見習うべき規範として意識されていたことの現れであるといってよいでしょう。

 新憲法が、はたして憲法十七条に匹敵するような影響力を持つものであるか、還暦を迎えたこの年にもう一度考えてみるのも良いかも知れません。

 おめでたう、新憲法。ありがとう、新憲法。そしてさやうなら? その身を包むのは、赤いチャンチャンコか、それとも鮮血の赤い衣か赤い旗ではないのは確実なんだが。多分おそらく。



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