日本における共産主義の展開(上) ―脱亜の悲しみ―


 前回、ユーロ・コミュニズムの話を致しまして、マルキシズムから社会民主主義への移行が現在の趨勢である、と申し上げました。それでは非西欧圏においてはどうなのか、と云ふことで、非西欧諸国、特に日本における共産主義の展開について見ていきたいと思ひます。

 そもそもアヂア・アフリカにおける共産主義運動は、そのほとんどが民族解放闘争と分ち難く結びついてをりました。つまり、帝国主義による植民地支配への抵抗といふものは、資本主義そのものへの抵抗であり、反帝=親共といふ図式ができあがる背景はすでにあつたのだと云えます。(無論この構図の成立には、いろいろの紆余曲折があるのですが、今回は割愛します。)

 かういつたアヂア一般の共産主義運動の形態とは異なつた形態を持つ国がありました。日本帝国です。この国はどういふ経緯(いきさつ)か、まぁ上手いことやつて、帝国主義の餌食にならないで済みました。それはそれでステキなことなのですが、植民地になるかはりに、自分が帝国主義国家になつてしまひました。まるで、「ゾンビに襲はれるのは怖いから自分もゾンビになつてしまへば怖くないわ」とか云ふアメリカのB級ホラー映画のヒロインみたいな話ですね。

 何にせよ日本は、レーニンの『帝国主義』にも「若々しい、異常な速度で進歩しつゝある資本主義」と褒められたやうな、新進気鋭の帝国主義国家でありました。従つて、日本における共産主義運動は民族解放運動といふものとは結びつかず、国内資本主義に対する闘争と云ふことになります。

 植民地における反帝国主義運動に比べて、国内資本主義に対する闘争運動が全体的にたいへんまとまりにくいと云ふのは、どこの国の運動家も抱へる問題であると思ひます。なぜなら、民族解放闘争がその闘争の対象が明確であるのに対し、国内資本主義に対する闘争はそこら辺がボケてしまひます。どのやうな闘争を行ふかと云ふことは、各々の現状分析にかゝつてゐるわけでありまして、実際日本における反資本主義運動といふものも、当初は必ずしもマルキシズム一本槍といふわけではなく、老荘的原始共産主義者人道的キリスト教社会主義者アナキスト、そして真性のマルキストまで多種多様な内容を含んでをりました。日露戦争における反戦運動の実態が、このことをよく示してゐると云えませう。当時の反戦運動の中心的役割を果たした『平民新聞』の宣言文は次のやうに云ひます。

 近代ブルジョア的な部分もあります、共産主義的な部分もあります、空想的社会主義な部分もあります。この時期、日露戦闘に対する反対といふ形で、これらの人々は取り敢へずまとまつてゐましたが、戦争が終はつて、「なにをなすべきか」といふときにあたり現実の行動方針において分裂してしまひました。大別すれば、キリスト教人道主義からする立場と、左翼政治主義からする立場とに分裂したのです。後者の立場に立つものとして有名なのが幸徳秋水でせうか。

 この人は、『廿世紀之怪物帝国主義』のなかで、当時の日本の政治・経済を「いはゆる愛国心を経とし、いはゆる軍国主義を緯とする」ものとして分析・批判したなかなか硬派な社会主義者でした。日露戦争後のアメリカ旅行で、カリフォルニア大地震に遭遇し、その際の無政府状態にどう感銘を受けたのかは分かりませんが、つひに無政府主義に傾倒してしまひまして、直接行動論を主張するやうになりました。結局は、大逆事件で首謀者として検挙され、刑死してしまひました。ひどい話です。何にせよ、この結果日本社会主義運動は「冬の時代」とよばれる衰退期に入りました。冬の時代に入つたところで、今回は終ります。


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