現代経済の思想(上)―蜜月の終焉―


 こゝのところ、日本マルキシズムにかゝるお話ばかりしてゐてやゝ食傷気味ですが、もう一寸昭和前期(1920-40)の思想的状況についての話におつきあひ下さい。

 前回は、ソヴィエト=ロシアにおけるマルクス=レーニン=スタァリン主義と云ふものが結局は国家社会主義であり、その具体的な経済政策及び権威主義的性格と云つた点で、ファシズム国家における帝国主義的全体主義といふものに酷似してをりまして、それ故に右翼と左翼とは遂に協同しえた、それが転向の大きな要因であつたゞらう、と云ふお話を致しました。

 それでは、果して本当に当時のファシズム国家はソヴィエト=ロシア型の国家社会主義に酷似してゐたのかといふ点について見ていきたいと思ひますが、その前に、帝国主義的全体主義に日本帝国が如何に展開していつたかを経済思想史の面から見て参りませう。

 ロシア革命によつて成立したソヴィエト連邦に対して、日本帝国が非常の危機感を抱いたと云ふことは、反革命干渉戦争(シベリア出兵)を積極的に推進したことからも知ることが出来ます。この干渉戦争の過程で、陸軍水戸第二連隊が現地邦人と共にニコラエフスク港(尼港)において虐殺されたといふ痛ましい事件も起こりました。

 干渉戦争の内容に関してはともかくも、日本帝国がソヴィエト連邦を脅威としたことは疑ひありません。折からの労働闘争・小作争議の激化に妥協した結果である普通選挙法と一緒に成立した治安維持法には、次のやうに記されてゐます。

第一条 国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
    前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

 「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコト」を、こゝでは「犯罪」として居る訳です。国体といふのは、今日でも近代思想史上の問題ではありますが、この場合、日本帝国のレヂィム(支配体制)と考へていたゞければ参考になるでせう。即ち、この時期の、日本帝国は、自分たちのレヂィムと資本制(私有財産制度)とを同価値であると見做してゐたと云えるでせう。なるほど立派なブルジョア国家です。

 しかし、かういつた資本制と日本帝国のレヂィムとの幸せな一致は、資本主義者からの離反によつて、崩されました。世界恐慌(1927)、及び昭和金融恐慌(1930)の発生です。

 金融恐慌は、蔵相の片岡直温による失言によつて起きたなど色々面白い話はありますが、そこは省きまして、この恐慌に於て資本主義者はどのやうな動きを見せたかとまうしますと、自己防衛=資本の回収・集積に走つた訳です。

 資本の運動と致しましては、資本それ自体が自己に有利になるやうに動くといふのは全く、全然、まるで問題がないのですが、それは資本を持つた資本家の主張であつて、無産階級である一般大衆にとつては、賃金カットされるは、失業するは、不景気で仕事が回つてこないはといつた困窮にあへいでしまふのです。しかしこれが、近代資本主義の原理です。近代の掟に基づいた自由放任資本主義(レッセ=フェール laissez faire)とは、ある意味と云ふかそのものズバリに「儲かればすべてよし」ヤラヅブッタクリだつた訳で、労働者の生活がどうならうと、不況になればなるほど労働予備軍が増えますから、どんどん賃金を安くしていかうとする訳です。それが近代の掟だつた訳です。

 しかし、この程度であれば、まだ資本制に見切りをつけるまでには至らなかつたでせう。規模こそは違へ、今までも恐慌といふものがなかつた訳ではありませんでしたから。しかし、挙国一致で反資本主義運動が展開される日がやつて参りました。資本家は、自らが踏み台にしたものによつて叛逆を受けるやうになるのです。

 金融恐慌に対して帝国政府がまるで無策であつたといふ訳ではありません。しかし、日本資本主義が伝統的な19世紀以来の運動を続けてゐたやうに、帝国政府も伝統的な対応をとつてをりました。浜口雄幸内閣の蔵相であつた井上準之助は、日本経済の基礎体力を高めるために、緊縮財政を執り行ひました。経済が冷え込んでゐるところで、更に引き締めを行つた訳です。

 むろんそれには訳がありまして、後日の金本位制への復帰=金解禁(金輸出解禁)のための外貨をプールしておくためでありました。井上さんは、この金解禁に命を懸けてゐたと云つても過言ではなく、緊縮財政のために日本全国を遊説して回り、更にはレコオドまで出してしまふと云ふ熱の入れやう。こゝら辺の機動力は、どこかの国の蔵相にも見習つて戴きたいところではあります。座して、舌先三寸で市場介入とかやつてゐるやうでは、誠意が感じ得られない訳ですね。

 つひに金解禁といふことになりましたが、兌換レートをどうするかで揉めたものゝ、結局実勢よりも高い旧レートで設定することになりました。つまり、1円を金(あるいはドル)に代へやうとすると実勢よりも多く代へられることになつてしまつた訳です。こゝでも、資本の運動が働きます。

 現在の言葉でいへば、円高ドル安といふ状況でして、財閥・資本家はこぞつて利食ひの円売ドル買に走りました。ドルを買ふには、金を使つた訳ですから、結局は日本国内にプールされた正貨が海外に流失してしまふ結果となつたのです。具体的な数字で云ひますと、金解禁後二ヶ月で1億5千万円が流失し、1930年を通しては2億8800万円といふ莫大な金額が流失してしまひました。

 さうかうしてゐるうちに、世界経済はいよいよ左前になつてきまして、1931年には、あの金融資本主義国家イギリスが金本位制から離脱いたします。これが、日本に於ける金の再禁輸への警鐘となり、一層の円売りが進みました。かういつた一連の円売りは、むろん日本の実体経済に即した部分もありましたが、その一方で財閥・資本家と云つた機関投資家による利食ひの売買の占める部分もかなり多くありました。今で云ふ、ヘッジ=ファンドのやうな感じでせうか。なほ、1930年7月31日から1931年12月12日までの正金ドル売内訳は次の通りでした。

正金ドル売内訳(単位・万円)
ナショナル・シティ銀行
27300
住友銀行
6400
三井銀行
5600
三菱銀行
5300
香港上海銀行
4000
三井物産会社
4000
朝鮮銀行
3400
三井信託銀行
1300
その他
18700
総計
76000

 かういつた急激な金の流失は、金融を引き締め、物価の低落、恐慌を一層深刻なものにしました。むろん、金を媒介としたドル取引は決して違法ではありませんし、いはゆる純然たる経済行為と云ふヤツでありますから、財閥・資本家が取つた行為は商行為としては全く「合法」だつた訳です。

 しかし、だからといつて、一般国民を塗炭の苦しみに陥れて宜しいものかどうか、と問ひかけられるのは当然でありました。金の流失とは政府の損失であり、とりもなほさず納税者としての国民の損失です。そして、国民の非難は円売ドル買をする財閥に向けられました。また一方で、右翼も活発に活動し始めました。元日本共産党員(第一次)から転向して、国家社会主義者となつた赤松克麿が社民青年団20余名と三井銀行の営業部に乱入し、宣伝ビラをまくと云つた事件が起きたのもこのころでした。今、ヘッジ=ファンドに乱入したといふ話を聞きませんが、これは右翼が頑張らないせいなのか、あるいはヘッジ=ファンドなる存在自体が実態を把握できない存在であるせいなのか一寸分りません。まぁ、どつちでもいゝでせう。

 蔵相を辞めた後の井上が当時を振り返つて「利益本意の思惑者流がその暴利の目的を遂行しやうとすれば、あらゆるものを犠牲に供して惜しまないものである。極端にいへば国家と雖も省みない場合がある」と述べてをりますが、こゝにブルジョア国家としての日本帝国は、内部分裂を来したと云つてよいかと思ひます。これまでは、まがりなりにも政治と経済が手に手を取つて仲良くやつてゐたものが、政治に対する経済の優越といふ状況が明瞭な形で現れてきたのです。

 むろん、政治に対する経済の優越といふものは、すでにマルクスが、「近代の国家権力 Staatsgewalt は、全ブルジョア階級の共同事務を処理する委員会 Ausschuss に過ぎない。」と云ふ形で主張してゐるところですが、こゝでは、資本主義の高度な段階としての帝国主義において、ブルジョアヂーとその委員会とが分裂したと云ふ新しい事態に着目すべきでせう。

 この分裂はある意味必然とも云えました。本来、資本に国境はない訳でありまして、それが国家と幸福な一致を見ることが出来たのはあくまで、資本がその自己運動を為す領域をパァトナァとしての近代国民国家(民族国家)に求めた限りでありました。従つて、資本それ自体が膨脹していき、その運動を世界市場に求めるやうになつた時点で、その資本に対する国家の求心力は失はれ、資本は多国籍化してしまふのです。

 先日、某石油メーカ2社が企業合併したときに、某公共放送のニュウスが国内石油メーカの資本比率とか云ふことをグラフにしてゐましたが、未だに「民族資本」「外国資本」の区別をやつてゐるのですね。まぁ、石油なら市場が明らかに日本国内だからよいのでせうが、「民族資本はよくて、外国資本は駄目」なんてぇのはどこかの教条主義的な政党の口真似のやうにも思へます。民族資本は、確かに国内にあつては民族的であるかもしれませんが、それが東南アヂアとかに行つたら明らかに外国資本ですからね。民族資本が外国資本に転化するなんてのは、弁証法を使はなくてもわかりさうなものだと思ひます。

 もはや「民族」「外国」なんてカテゴリはあまり意味がないのかもしれませんが、わたくし自身は「東京ディ○ニィランド」なんかで、まつくろなネズ公とたはむれて外国資本に金を落とすくらゐなら、「サン○オ・ピュウ○ランド」、最近流行(はやり)のでかいリボンをつけた猫目つきの悪いペンギンなんかと遊んだ方が、断然いゝと思ひます。

 それはさておき、かつてマルクスが「各々利害、法律・政府、そして税制を異にした、独立し、ほとんどたゞ連合するだけの諸州が、一つの国民、一つの政府、一つの法律、一つの全国的な階級利害、一つの関税線に集約された。」と云つて、近代国民国家の成立それ自体が、ブルジョアヂー(資本)の要請であつたことを指摘してをりますが、結局それは19世紀といふ幸せな近代の話であつて、帝国主義の時代、即ち国家それ自体が植民地を軸に資本主義的運動を始める時代になると、そのやうな蜜月は終はりを迎へるやうになります。結局、マルクスでさへも、19世紀の近代的自由主義の思考様式を引きずつてゐたと云えます。

 先にも申しましたが、資本は、世界市場の成立と共に、国家といふ領域を飛び越して多国籍化するやうになります。かうなりますと、資本はどんどん膨脹して行きますが、国家には何の見返りもない。むしろ、自分の国の体力が外国に流れて行つてしまふといふことにもなります。先に見た財閥による円売ドル買は、さういつた状況の下も典型的な例であると申せます。資本の側からすれば、「自分がどうやつて金を儲けやうと勝手だらう」と云ふことになる訳ですが、国家の側からすれば、「キサマ何様のつもり」・「非国民」と云ふことになります。かうして、ファシスト、ないしは所謂革新官僚たちは、経済によつて政治が支配されて来た19世紀以来の資本主義の原理に対して反攻を始め、1930年代には「政治による経済の支配」の時代がやつて参ります。

 では、以下その具体的政策についてみていきたいと思ひますが、今日はこゝまで。


戻る