現代の国民国家

――「純粋さ」の希求――


 その昔、近代の国民国家についてお話ししまして「次回は現代の国民国家についてお話しします」と締めくくりましたが、これがまたエラク長いこと棚上げしておりまして、申し訳ございません。

 記録を調べますと前回は1999年ごろのお話でしたので3年ぶりということになりますでしょうか。っていうか、そんなに長いことこのHPもやっておるのですねぇ。ちょっと驚きです。おいでいただきありがとうございます。

 閑話休題

 えー、前回のおさらいになりますが、近代の国民国家というのは、基本的に、それまで「国民じゃなかったひとたち」を「国民」たらしめる運動をしていたのだ、と申しました。これはフランス革命が象徴的でありまして、そもそも、フランス王国内に、フランス語を話していた人なんてのはようやく60%にすぎなかったという事実は、フランス語を話せないフランス人民というのがかなりいたということを意味しております。

 ただし、現実の運動としては、人民 peaple を国民 nation たらしめることを目指しておったわけですが、イデオロギー的には、「フランスに住むものはすべてフランス国民であり、われわれはわれわれの共和国を防衛しなければならないのだ」ということが基本でありました。

 実際の所、このわれわれなんてのは「ブルジョアジー」(第三階級)以外のなにものでもないのですが、一階級の階級的利益をさも全人民的利益であるかのように振る舞うところが、ステキにうまいやり方で、それまで政治的に無力であった第四階級もなにか政治的権利を得たような気にさせるわけですが、実は義務だけが課されているという仕組みなわけです。

 この近代国民国家のイデオロギーについて評価できることといえば、このイデオロギーが実に自身に対して忠実だったという点にあるでしょう。つまり、「この国に済むものはすべてこの国の国民である」というテーゼを全的に押し進めたという点です。

 無論これは、国内の少数民族の言語・文化を圧殺し、差別を助長させたという事実はありますが、しかし、全人民性を国民化という方向で――すべての人民を自分の内に取り込むことによって――達成しようとしていたのだ、と申せます。

 現代の国民国家はこれに反して、自己に対する異物を排除する方向に進みました。前回も書きましたように、エスニック=クレンジング(民族浄化)なる身の毛もよだつような状況は(*)、国民国家におけるこの「国民」を先天的に定め、これにはずれるすべてのものを排除することで、その全体性を図ろうとしたわけです。

    (*)「民族浄化」ということばは、「浄化」した勢力が用いたものではなく、それに対立する勢力によって、批判用語として作り出されました。今日では、その「民族浄化」を批判している勢力もまた、同様に「民族浄化」を行っていたことがすでに指摘されています。ここでは、「民族浄化」の行為そのものに対してこの語を用いており、いずれかの勢力を支持・批判することを目的としているわけではありません。

 チトーは、民族ではなく、全く新しい国民国家の国民を作り出すことで、民族間対立を克服しようとしたわけですし、元を質せばソヴィエト社会主義連邦共和国なる「国民国家」は、労働者に祖国はない kein Vaterland がゆえに、全く新しいソヴィエト国民を作り出すことで、民族的矛盾はもとより、階級的矛盾すらをも揚棄しようとしたわけです。同様に、スカルノは、蘭印という領域を独立させるために、「インドネシア」さらには「インドネシア人」などという本来存在しない国家・民族を作り上げたのです。

 しかし、インドネシアは、まだ幸福な国でした。あるいは、まだ近代の国民国家のイデオロギーが機能していた時期に、自らを独立させたのだ、と言えます。これに対して、カンボジアにおける悲劇は、まさに近代ではなく現代の国民国家のイデオロギーが持つ特質の産物でもありました。すなわち、異物を排除する特質です。

 本来、国民国家とは近代でも現代でも、「一つの国家に一つの国民」というのを原則としております。しかし、近代の国民国家においては、決してその原則が守られていたわけではないということはすでにお話ししたとおりで、これらの国民国家は、近代百年をかけて少しづつ教育や行政を通じて「一つの国民」を作り上げていきました。

 しかし、現代の国民国家――アジア・アフリカなどの新興独立国――は、そんな悠長なことを言っていられるほどの時間はありませんでした。さきほどのインドネシアの例からもわかるように、その領域が独立する必然性は、その領域に対する旧宗主国の主権が放棄された以上の必然性はなかったのであります。

 これらの国は、いきなり「ああ、独立したんですか。じゃぁ、一つの国家には一つの国民ですから。そこんトコよろしく。」と、国際社会に言われたわけです。本当はそんなこと誰れも言っていないのですが、「それをやれなければ、それは国民国家としては失格です」と思いこんでしまったわけです。「だって、ヨーロッパの国は、『一つの国民』で自分の国を運営しているのだもの」と、彼らは思ったのです

 ここに無理のはじまりがありました。

 現代ヨーロッパ諸国といえども、じつは、その内部に様々な分裂を含んでいます。北アイルランドしかり、バスクしかり、チロルしかり。しかし、教科書には――つまり理念としては――「国家は一つの国民によって構成しましょう」を書いてあるのですから、これに従わないわけにはいきません。

 もし逆らったら、「オマエは国民国家としては失格」と難有くもない烙印を押されかねません。それはなんとしても避けたいところではあったのです。ポルポトもまた、この「教科書」に無意識のうちに忠実であろうとした人物でした。

 ポルポトは、彼自身の主観としては、ブルジョア=近代に対して強い反感を有していました。しかし、それにも関らず、「自らの国家が国家である以上、それは純粋な内容(=一つの国民)によって満たされていなければならない」と考えていました。それこそ、近代の思想に他ならないのにです。

 彼の悲劇――正確には彼によってもたらされた悲劇――は、近代国民国家における「一つの国家には一つの国民」というイデオロギーを、知らず知らずのうちに受け入れてしまっていた、あるいはそれを前提としてしまっていた点にありました。そのために、自らの想定する国民以外の存在はすべて存在が許されなくなります。こうして、あの恒常的な粛清の歯車が大きな音を立てて回り始めたのでした。

 あの、粛清の嵐の根元は必ずしもそれだけではないのですが(これについてもお話ししたいと思います)、少なくとも、乗り越えたと信じた近代のイデオロギーが実は乗り越えられるどころか、自らの思考様式それ自体を規定してしまっていたことに気づかなかった所に問題があったのだ、と言えるでしょう。

 国民国家というものを、否定することは、かなりな困難を伴います。と、言いますかそれは全く非現実ですらあります。しかし、この国民国家が近代以降の二百有余年にわたって、人民を国民にするために施してきた様々なことのすべてを、肯定することもまた難しいと言えます。

 大切なのは「一つの国家には一つの国民」という原則を、もう一度考え直すことではないのでしょうか。むろん、国民国家である以上一つの国民であることは不可避です。しかし、その国民の内容が純粋で単一的な存在である必要は、ないのではないでしょうか。

 法的な権利義務は一応除外するとして、「国民たるもの××でなければならない」ですとか、「○○人であれば、当然〜すべきだ」というその不寛容は、純粋を希求し、すでに存在する差異を黙殺する態度に他なりません。「××しない国民」の存在を認められなくなるとき、その国は再び全体主義の危険の内に陥るのかもしれません。

 純粋であること、他を交えない主体であることは、近代主義の枢要な部分でありましたが、その徹底がもたらした功罪をわたくしどもは、もう一度確認しておく必要があるように思います。


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