イデオロギー批判とその陥穽 ――イデオロギー暴露との決別――


0.はじめに

 「イデオロギー批判とその陥穽」なんて書くと格好がいいですが、単なる思いつきというか、所感のようなものなので、サラッとながして下さい。

 最近わたしが考えているのは、イデオロギー批判というのは単なる潔癖性からは決してなし得ないのではないかと云うことです。つまり、「イデオロギー=虚偽意識」というイデオロギー暴露の立場からだけでは、むしろイデオロギーの歴史的意味を見失うのではないかということですね。イデオロギーが歴史的形成物であるとしても、一方でイデオロギーもまた歴史を形成してきたのは事実だと思います。この点を見失うと、歴史叙述は奇妙な勧善懲悪になるのではないでしょうか。今回はイデオロギー批判の地平とはどんなものか、そして何のために批判するのか、これらを問うてみようかと思います。


1 イデオロギーとはなんなのだろうか

 イデオロギー Ideologie というのは、本来「Idea + logie」ということで、「観念の学」「観念論」という意味でした。これに、今日一般の概念である「虚偽意識」というとんでもない意味を与えたのは、偉大なマルクス先生の不朽の名著『ドイツイデオロギー』です。といっても、この本はマルクスが死んでから刊行されたわけで、いつも通り他の人が編集したものですから、版によって異同があったりします

 マルクスのイデオロギーについての定義は大きく云って次のようになります。

 広義については、上部構造・土台構造という図式がどの程度今日的意味を持つかは少し警戒しなければならないでしょうが、おおむね受け入れてもいいものでしょう。「人間は自らの経済状態に由来する欲望にあわせて世界(観)を形成する」って感じでしょうか。こう云うと、少しかっこいいですね。

 例えば、われわれは資本主義という土台に立っている訳で、この土台に適当した国家・思想・芸術を有していて、それが正統なものであり、且つ永遠普遍のものであると考えている、なんてのはこの広義の意味でのイデオロギーに相当します。あるいは、マルクスが他の所で、こう言うとります。

 つまり近代国家は
資本家の要請によって造り上げられた、歴史的存在な訳です。こういった本当は時代的制約の下にある文化的諸要素を普遍とみなして自分の思考様式を肯定する点を、マルクスは「虚偽」と云ったのです。

 ただ、こういったイデオロギー理解は「総ての思想はイデオロギーである」という話になり、パラダイム 転換乃至は科学批判においては有効でしょうが、今回は余り考えなくてよいでしょう。狭義は文化的と云うよりはむしろ、上部構造内部の或る特殊な領域(政治)を注視するものです。おそらく、わたしたちがイデオロギーと云うときは、この政治と結びついた形での虚偽意識だと思います。

 ところで、イデオロギーを定義し、批判したマルクスもそれが主義として形成されると、やはり一箇のイデオロギーとして現れてきます。それは、皮肉にも『ドイツイデオロギー』の歴史が雄弁に物語っているのです。スターリン時代に編集された旧MEGA (マルクスエンゲルス全集)に載っていた『ドイツイデオロギー』は、当時の状況に合わせて切り張りをしたものでした。その後、スターリニズムへの反対も含め、そういったことはいけないと廣松渉が原典を復活させるという偉業を達成し、新しいMEGA(全集)にそれが受け継がれています。このように、マルクス主義自体がその時々の歴史的・政治的状況に合わせ、世界観を変更させているのですから、何とも皮肉というか、自己批判が足りないと云うか、まぁそういった所です


2.イデオロギーはそれ自体で批判可能なのだろうか

 ここで対象としようとしているイデオロギーの内容は定まった訳ですが、果してその取り扱われ方はどうだったのでしょうか。特にイデオロギー批判という点において、イデオロギーは「保守」ないしは「反動」という形で考えられてきたように思えます。

 そもそも、イデオロギー批判の最大の眼目は、権力ないしは支配によってイデオロギーが利用されることを糾弾する所にあります。つまり、自らのレジームを維持させるために用いられる欺瞞性が問題となる訳です。従って、それは同時に保守批判であり、またそれ自体革新の主張でもあり得ました。

 しかし、ここで問題となるのは、イデオロギーは保守だけの専売であるのかということです。また、革新は「虚偽意識」を用いない清廉潔白なものなのかということです。「労働者に祖国はない。Die Arbeiter haben kein Vaterland.」が一箇のイデオロギー批判であったのと同時に、「万国の労働者世団結せよ! Proletarier aller Lander, vereinigt euch!」というのもイデオロギーではなかったのでしょうか。

 つまり、この狭義のイデオロギーも更に二つに分けられるのではないでしょうか。つまり、保守と革新のイデオロギーとしてです。革新の叫びは、単なる叫び(観念)であっては何の力もありません。革新の観念(思想)は運動になり、組織化され、政治化されることで現実化されます。その際の観念は、保守のイデオロギーとは異なり、現状維持的・退行的ではありません。

 ちょっと話が抽象的になってしまったので、具体的な例を挙げますと、フランス革命において掲げられた「第三身分、それはすべてである」というアベ・シェイエスのことばは、数多くのフランス人民を動員する結果になりました。自らの解放を信じて。しかし、その「すべて」であったはずの第三階級は実は「すべて」ではなかったことが徐々に判明してきます。そこの所は既に書いたので省きますが、たとえそうであったとしても、フランス革命の持つ革新性自体は疑いようもない事実です。イデオロギーというのは、確かに権力によって保守の論理として用いられることもありますが、革新の論理ともなるわけです。イデオロギーの歴史創造能力とはこういうことを云います。

 彼れらが「それはすべてである」といったとき、たしかに、歴史的・社会的に第三身分(市民)は「すべて」でありえました。彼れらが、社会を形成する主体としてある限りにおいて彼れらは「すべて」であったのです。市民社会さらにはフランス国民国家の建設というこのイデオロギーの目的がその運動の主体(市民)の目的一致している限りで、そのイデオロギーは退行的ではなく革新的でありえました。この意味で、そのイデオロギーは欺瞞性=「虚偽意識」性の指弾を免れうるのではないでしょうか。

 しかし、イデオロギーを用いて運動する主体が、自らの目的を達成するようになると、イデオロギーは徐々に変質してきます。つまり、自己のレジーム(市民社会の既得権益)を維持・防衛しようとするために用いられるようになるのです。シェイエスが「それはすべてである」といったときの第三身分とは、実際は第四身分をも代表する身分としての存在でありました。しかし、第三身分としての市民が、自らのレジームを確立させてしまうと、本来の意味から離れ、「第三身分こそがすべてである」というように無意識のうちに読み替えてしまいます。ここに、革新的イデオロギーの目的その運動の主体者の目的とが分裂し、革新イデオロギーは無惨にも保守イデオロギーに堕すことになります。

 結局イデオロギーそれ自体が問題なのではありません。(もちろん、どう考えたって保守のイデオロギー以外のなにものではないようなものもありますが、そういうのは問題にしません。)イデオロギーには、運動の組織化、更には政治化の可能性があります。このように考える立場からは、フランス革命の不完全な「すべて」も免罪を受けることになるでしょう。むしろ、この不完全な「すべて」性を糾弾し、その革新性に目をつぶること自体、或るイデオロギー性を帯びていると云わざる得ません。イデオロギー暴露はそれ自体イデオロギーでもあるのです。

 結局、「すべて」が本当に「すべて」(全人民性)でなかったように、イデオロギーの表現するところ(全人民性)とその本来の目的(市民社会)とが一致しないことは、それ自体で強く批判されるべきものではないと云えます。しかし、彼れらが自らの革新的な目的(市民社会)を達成し、自らのレジームを維持しようとするようになると、彼れらの目的が本来の目的から乖離していきます。つまり、彼れらはイデオロギーによって操作しようとしている対象(人民)をだますだけではなく、自分自身もそのイデオロギーに対してだましている自己欺瞞している―訳です。イデオロギーが批判されうるとすれば、この点においてだと思います。つまり、自らのイデオロギーに対しても「虚偽」である点、その保守性・隠蔽性が批判されなければならないのです。


3.イデオロギー批判の地平

 たとえば、昭和期の国体論を思い出して下さい。本来近代天皇制は、伊藤博文が言ったように、日本に国民国家を建設するための「機軸」として打ち立てられた極めて新しい、近代の神話(イデオロギー)です。所謂「尊皇」ということは、天皇を敬うことですが、この場合、天皇を敬うことが目的なのではなく、天皇を敬うということを通して天皇を「機軸」にしようするのが目的な訳です。これは、国民をだましています。だましているのですが、新しい国家を建設しようとする段階において、必然的に起きてくるやむを得ない近代の過程であったと云うべきで、このこと自体は、そう簡単に批判することが出来ません。

 明治の元勲は、自らこれがイデオロギーであり、またそれが何のためにあるのかということを理解していました。このセルフ・コントロール(自己制御)の可能性という点で、彼れらはまだ健全でありました。しかし、明治国家というものがそれなりの国民国家を形成するようになって安定してくると、その本来の目的を忘れ、単に自らのレジームを維持・防衛するための保守イデオロギーに転化してしまうようになります。明治国家の第二世代、第三世代となってくうちに、「天皇制がないと、もはや自分たちのレジームは成り立ち得ない。」とか、「天皇親政こそが日本のあるべき姿だ」と云ったことになり、ついには明治国家の公式見解であった「天皇機関説」を自ら否定するようになる訳です。「祭政一致」を叫んだ林銑十郎内閣(1937)は、イデオロギーへの重度の癒着のすえに、遂にはこれに対する自律性すらも失ってしまった権力者の、一つの末路であったと申せます。もはや、かつて自ら造り、操作していたイデオロギーによって、逆に操作されてしまうと云う逆立ちした状況だと云えます。

 その、明治国家イデオロギーの断末魔の叫びとも云えるのが、敗戦直前に書かれた「近衛上奏文」でしょう。もはやそこには、国家を運営し、指導する states-men としての最後の誇りも捨てて、「国体さえ護持できれば日本国家はいらない」とさえ云いかねない顛倒が起きています。イデオロギーは、それを用いる権力において、その「虚偽」性を増大させていく過程で、自らをも蝕んでいくと申せましょう。


4.イデオロギーに対する戦略

 イデオロギーをどう批判するかということをお話ししました。そろそろまとめに入りましょう。

 今日問題となるであろうイデオロギーは国民国家のイデオロギーであろうと思います。このイデオロギーは、国民を主体者とすること、「すべてである」ことを掲げます。例えば国民主義・国民主権などなど。しかし、その本来の目的は別の所―国民の組織化や、階級闘争の沈静化など―にあることはしばしば指摘されております。

 このように、既に国民国家が形成されている国家におけるイデオロギーは、往々にして権力が自らのレジームを維持・防衛するために用いられています。しかし、これをベネディクト・アンダーソン(『想像の共同体』)のように、「公的ナショナリズム」=支配イデオロギーと単純に規定することは避けるべきでしょう。

 権力はそのイデオロギーが如何に虚偽であっても、その掲げられた内容を全く無視することは出来ません。権力はたとえ見せかけであってもそのイデオロギーとして掲げた公約を守らなければなりません。魅力に欠けた明らかな不渡り手形は、イデオロギーとしては機能し得ないのです。

 このように考えたとき、国民国家における「すべてである」というイデオロギーは、第四身分(庶民)に対して虚偽であったわけですが、それを単に虚偽であると云うことで終らせるのではなく、むしろこのイデオロギーを逆手にとり「すべて」を現実化させることでそのイデオロギーの本来有していた革新性を復活させ、更にはわれわれに対する虚偽性をぬぐい去ることが出来るのではないでしょうか。

 若き日の徳富蘇峰の平民主義は、「維新のやり直し」を説くものでありました。彼れの説いた、国民生活の向上、進歩と自由拡大のための、下からの平等的・平民的・平和的欧化主義というものは、まさに明治国家の伊藤博文を初めとしたイデオローグたちの掲げた、四民平等・万機公論・文明開化といった約束手形を非権力の立場から現実化しようとするものでありました。

 その後、蘇峰自身も国家主義のイデオローグに堕してしまいましたが、彼れのイデオロギーに対する戦略までも否定することはないでしょう。わたくしたちは近代国家がわたくしたちに示した革新的理念を現実化させる権利を有しています近代に対する債権は回収されなければなりません


5.おわりに

 「国民には物語が必要だ」と、右翼イデオロ−グは主張します。しかし、それは何のための、誰のための物語(イデオロギー)なのかは問われることがありません。彼れらにとっては、本来手段であるべきはずのイデオロギーが既に目的となっている訳で、その意味で彼れらはイデオロギーの奴隷ともいえます。単なる潔癖性がイデオロギーから逃避するだけでしかないのと同様に、彼れらの「物語」もまたイデオロギーとの対峙から目を背けているのです。イデオロギーを忌避することなく、それが何を目的とし、わたくしたちに何を求めているのかを判断する冷めた目を、わたくしたちは持たなければならないのではないでしょうか。


戻る