日共の自己認識


先日、いろいろありまして、日本共産党のサイトを覗いていました。そしたら、「私たちの党の姿、実績、歴史を自己紹介します」と題して、「証言集」がありました。宮沢俊義だの井上成美だのが方々で言っていることが載っているのですが、その中に『現代日本の思想』の一節があったんですね。

    久野収、鶴見俊輔(『現代日本の思想』岩波新書)
    「すべての陣営が、体制に順応して、右に左に移動してあるく中で、日本共産党だけは、創立以来、動かぬ一点を守りつづけてきた。それは北斗七星のように、それを見ることによって、自分がどのていど時勢に流されたか、自分がどれほど駄目な人間になってしまったかを計ることのできる尺度として、1926年(昭和元年)から1945年(昭和20年)まで、日本の知識人によって用いられていた。」

このはなしは54頁にあります。すばらしいですね、日本共産党ってのはグレートですね。ビバ・日本共産党。

いちおう、とりあえずこのくらい言っておけばいいでしょう。

じつは当方この一節を見た瞬間大笑いしてしまいました。と、いうのはこの文章のまとめには、次のような文章で始まる一文があるのです。

    要約と批判
    日本共産党が日本の知識人にたいして天皇にひとしい象徴的な位置をしめてきたことは、かえって知識人の側での無抵抗・無批判な追随を生み出し、結果として日本共産党を甘やかしてしまった。日本共産党が、日本の知識人とのあいだの八百長的なナレアイに満足する政党となってしまったことは、日本共産党にとってプラスであったとはいえない。(65頁)

これは笑いどころです。そもそも、「北斗七星」にたとえられた時点で怪しいと感じないといけません。北斗七星――北極星といえば天帝です、皇天です。つまり天皇です。「天皇にひとしい象徴的な位置」ってのはそういうことなんです。これは危険です。天皇の代わりにスターリンをすえたりしてちゃいけないってことです。

こういう大変イタイ批判をしているにもかかわらず、それを自己の宣伝に用いるって言うのは、その批判をすでに乗り越えたと考えているのか、それを批判と考えていないのか、よっぽど宣伝材料に乏しいのかわかりかねますが、まぁ、それはそれとして、日本共産党が戦前に位置した非転向の立場はいくら称賛しても足りないのは確かです。いざや称えよ、長き伝統あるわれらが革新政党を。


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