正しい国家主義

――How to do Nationalism?――


 近代的な国家観というのが成立したのは、しばしば云われているように、ウェストファリア条約(1648年)によって、30年戦争を戦った諸王国が相互に各々の領域と主権とを確認しあい、基本的に不干渉であることを取り決めたことから始まるとされます。ここにおいていわゆる「国家の三要素」「領土・人民・主権」)というものが成立いたしました。

 ところで、この「領土・人民・主権」という国家要素は、面白いことにはるか2000年近く前の中国の思想家孟子が似たようなことを言っています。

 面白いですね。この孟子という人がいたのは、中国のいわゆる戦国時代で、周のレジームが完全に崩壊してしまい、諸侯が覇を唱えて勝手に戦争したりすると云うそういう時代でした。17世紀のヨーロッパと状況的には極めてよく似ています。近代以前の中国史において「領域」という観念がここまで先鋭化したことは、後にも先にもなかったと思います。

 話をヨーロッパに戻しましょう。この国家の三要素「領土・人民・主権」の内の前二者は、すべて主権(Sovereignty)と云うものに淵源しています。つまり、大地を国土と定め、人民を国民として規定するという国家意志は、まさしくこの主権によって担われています。その意味で、主権というのは、一国が一国であるための不可侵の排他的権力と云えるかと思います。

 近代ヨーロッパの諸国は隙あらば他国と戦争をして賠償金や領土をせしめようと虎視眈々していたわけで、その意味では全く戦国時代と云えます。しかし、そこには相互の主権を認め合うという相互承認の前提がありました。この相互承認の原則こそが現代まで生きているいわゆる「西欧近代国家モデル」と云うものなのです。この原則は他国の保全と同時に自国の保全を保障するものでありました。この原則は、西欧だけに適応されるものであったと、しばしばいわれます。しかし、必ずしもそうとは言い切れないところがこのモデルの面白いところです。

 近代国家というものは、中世の神が真空を嫌ったように、権力の真空状態(辺境)の存在を嫌いました。辺境というのはいわばボーダレスの領域です。中世にはどこの領主権力下にあるか不明な地域が沢山ありました。ドイツ帝国(第二帝政)の前身であるプロイセン王国は、もともとブランデンブルク辺境伯という領主が成り上がって出来たものでした。名前からしてすでに辺境なのだからちょっとビックリです。

 近代国家の運動は権力の真空地帯をなくすことを目指しました。それは、自らの権力の排他的有効性の確立と共に、その領域の拡大を意味しました。しかし、ここで先ほどの原則――主権の相互承認――と云うものが出てきます。つまりこの領域の拡大は、原則として他の主権国家自体(主権国家そのものの否定)に及ぶことがなかったのです。もし、こう云った原則がなければ、文字通り弱肉強食になるところですが、現実問題としてヨーロッパ全土をカバーするだけの強大な軍事力というのはムリでしたから、ここにバランス・オブ・パワーズの考えが有効になります。つまり、強い複数の国家とそれらの間にある小さな国家が互いに牽制しあい全体として「欧州の平和」が維持されると云うものです。

 それでは、この近代国家の運動のエネルギーはどこに行ったのでしょうか。言うまでもなく、植民地獲得という方向に至りました。植民地支配が如何に非道なものであったかというのは、皆さんご存じの通りだと思いますが、一方で注意すべきことは、この植民地獲得の運動に際しても同様に、主権の相互承認という原則は機能していたと云うことです。アフリカ大陸を燎原の火の如く犯しきった西欧列強でさえも、すでに国家としての形態を調えているエチオピアなどに侵入するには非常な困難を伴いました。(実際エチオピアが独立を失うのは第二次大戦のドサクサでイタリアに占領された結果でした。)

 翻って、極東の日本を見てみますと、ペリーも含め、取り敢えず相互の主権を保障しあいながら日本の開国は進められました。もし、日本に統一的権力と云うものが存在してなければ、植民地になっていたことでしょう。

 このように或る地域を植民地化するには、そこに主権が存在していないことが必須要件でした。無論このことは、そこに人間が住んでいるかどうかというのは全く関係がありません。南北アメリカやオーストラリアの先住民が、西欧列強によって駆逐されていったことは、よく知られています。

 主権の相互承認の原則には、「いやしくも主権を有する存在であれば、対等に処遇されなければならない。」という平等主義の精神がありました。しかしその裏には「如何なる存在であれ、主権を有さない限りにおいて、これを所有することは許される」という非情の論理が控えていたとも云えます。これはまた、特に19世紀の文明主義(進歩史観)と結びつき、植民地主義を正当化する根拠ともなりました。つまり、主権を有すると云うことは近代国家であり、すでに文明の域に達しているのであって、これに対して敬意を払うことはやぶさかではないが、主権を有していないのであれば近代的ではなく、従って文明でもないので侵略してもかまわないということです。図式的に云えば、こうなります。

 アヘン戦争を思い出して下さい。あの時戦争をやるかやらないかでイギリス議会は大いにもめました。推進派はこういったものです。「これは野蛮に対する文明の戦争である」と。当時の中国は清朝でしたが、無論イギリス側もこれに統一的主権がないとは考えてはいなかったのですが、しかし、清朝はさすがに中華の国ですので「主権の相互承認」なんてことは絶対に認めません。しかし、これを認めないと云うことは近代国家ではなく、従って「野蛮・未開」と云うことになってしまいます。これが、イギリスの大義名分でした。

 ある意味では、清朝は自ら戦争の種を捲いてしまったともいえますが、それにしてもアヘンを売りつけたいからと云う理由のためだけに戦争を起す国家というのも最低ですね。よくも恥ずかしげもなく、香港返還の時に「わたしはあなた方を忘れない。We shall not forget you.」(英皇太子返還式演説)などと言えたもんです。まぁ、悪口はそれくらいにします。

 今日、国益ということを主張し、「世界はパワーバランスの上に成り立っている/純粋まっすぐな誠実病は通用しない」なんてことを真顔で云う人が増えています。しかし、いやしくも主権国家たろうとするのであれば、何はともあれ国際社会においてはその主権の相互承認が第一に前提されているという常識は持って欲しいものです。彼れらの云う国益も、この原則の上に立って始めて許されるものに他ならないのであって、もし自らこの原則を「誠実病」などと云って顧みないとするのであれば、結局は自己矛盾に至り自滅するのがオチでしょう。自分の国だけで生きて行こうとしている国が、どのような結果に陥るかと云うことを、我々はすぐ近くの国家ですでに見知っているかと思います。

 かつて福沢諭吉は「道理のためにはアフリカの黒人奴隷に対しても敬意を払わなければならない」といいました。我々は、権謀術数渦巻く国際社会の現象のみを見ることなく、その背後にある本質を把握し、我々の行動原理とすべきなのかもしれません。


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