国学ロマン


 お久しぶりでございます。いや本当に。

 みなさま、「国学者」と申しますと、どのような人間を想起されますでしょうか。当方の職業的関心から参りますと、加茂真淵―本居宣長―平田篤胤―大国隆正とかいったラインを想起してしまうのですが、一口に「国学者」と申しましてもこれだけではないわけでありまして、渡辺浩さんが「道と雅」というすげぇ論文でも明かにしたように、平田系のいわば「天皇万歳」な方々とは別な「歌学派」と呼ばれる人々も存在いたしました。

 まぁ、その路線対立なりにつきましては渡辺先生の論文をご覧いただくとして――『国家学会雑誌』(すごい名前だ)にあります――歌学派というのは、和歌を自らの学の中心にすえる人たちなわけで、どちらかというと、あまり後々の世に名が残らなかったと申せます。まぁ、歌学派・平田派といってもそんなに対立しあっていたわけではないので、それ相応に交流もあったりしたようです。そもそも、単純に考えて、よほどの名家でもない限り、地方の小都市で「国学の先生」で食えるとすれば、その地方地方の歌詠みに「実技指導」であるとか「通信教育」であるとかやって生きていたわけでありますから、歌学派だろうが平田派だろうがやっていることはそうそう変わらなかったと申せます。

 で、この歌学派という方々は、ただ和歌の指導だけをやっていたわけではなく、いろいろな有職故実なんかを集めておりました。先日、ある論文を書くのに、西田直養(なおかい)という国学者を調べたわけですが、この直養先生も『筱舎漫筆(ささのやまんぴつ)』というかなり大部な本でもって有職故実というか日本歴史の考証なんかをしております。そもそもこの先生、九州小倉藩の藩士なわけですが、京都や大坂の藩邸留守居を歴任したりなんかしてますから結構なご大身のお方でありまして、果たしてどうしてこんな著述するだけのヒマがあったのかなぁと、ぢっと手を見るのであります。

 小倉というのは、ご存じの方はよくよくご存じだと思いますが、平家物語の壇ノ浦がある下関の対面(トイメン)にありまして、戦時中に関門トンネルができたあのあたりであります。直養先生はさすが国学に志あるお方だけに、壇ノ浦で世を儚うされたまひし安徳天皇についていろいろ書いております。

 この安徳天皇という幼帝は入水したということになっておりますが、そもそも源氏の兵がこの子を追いつめたわけであり、結果的には臣下が主上を弑し奉るという大逆行為となりますので、「万葉一統」「革命無き国」たるスメラミクニの修復できぬ瑕瑾ということになります。したがいまして、直養先生は何を言い出すかと言いますと、

「ああ、アレね。うん、じつは入水してないんだわ。ひそかに生き残っていたんだよね。まさか皇国の民が天皇を弑逆するわけないじゃないですか。全く、もう、なんてことを言うんですか。」

と、まぁ、どうしてそういう話を作るかなぁということを、しれっと言うのですね。

 ここで、賢明なる読者諸君(いるのか?>読者)は、

「っていうか、それ以前に崇峻天皇が馬子に弑逆されてるじゃん」

と、思われたことでありましょう。直養先生によりますと、それは誤った理解なのだそうです。つまり、

「いや、崇峻天皇を暗殺したのは、東漢駒(やまとのあやのこま)であってね、東漢氏ってのは朝鮮からの帰化人だから、日本人じゃないし、臣民じゃありませんよ。ですから、馬子が弑し奉ったわけじゃないのです。皇国の民がそんなコトするわけないじゃないですか。嗚嗟、よかったよかった。」

ということなのだそうです。たしかに東漢氏は後漢霊帝の子孫を称していたわけで、その意味では生粋の日本人(いるのか?)じゃぁないのですが、そもそも帰化というのは、「君王の徳化に帰服すること」であるわけですから、にもかかわらず暗殺されるってコトは徳がないんじゃないのか、不徳なんじゃないのか、ということが頭をよぎります。

 まぁ、そこら辺も、直養先生はうま〜くこじつけてくれるわけですが、なんにしてもそういった安徳天皇生存説に垣間見られるメンタリティというのは、日本の歴史を改竄して、「日本人」を天皇に忠誠を誓うステキな「皇国の民」にすることで自己存在を再生するところにあったと申せます。単純に言えば、日本歴史を「乱臣賊子の歴史」ではなく、「忠臣孝子の歴史」に作り替えたわけで、そこでねつ造された「古の雅」に耽っていたと申せます。まぁ、今のことばで申しますと「古代ロマン」ってヤツでありましょうか。あるいは、「国民の歴史」ですかね。いずれにせよ、あんまり精神的に健康であるとは申せません。

 まぁ、「国民の創造」であるとかそこまで難しいことは置いておくと致しまして、こういった国学者が有職故実であるとか故事考証であるとかをことごとしく論じるのは、「むかしはこうだっのだ」ということを語ることで、それから離れてしまっている現状を批判し、また同時にそういうことを実践することでみずからを倫理化するわけです。

 倫理化と申しましても、カントの定言命法のごとく、「なんじの行為が普遍的であるように常に行為せよ」といったことを考えていたわけではなく、

「ほかのヤツらは、本当の正しさを知らない。オレだけがそれを実践しているのだ。オレってステキだ。」

という感じであって、いわばきわめてナルシスティックな倫理化だったわけであります。これは、先般来問題になっております「正しいことば遣いを主張して、自分の正しさを誇る保守知識人」にきわめて近似していると言えます。ただですね、あの人たちは、直養先生の純粋なナルシシズムというかロマンチシズムからはずいぶん離れてしまって、すばらしく政治的であり意図的であるその「臭み」がどうにも気に入らないのであります。

 じゃぁ、現代日本には国学的ロマンチシズムは無くなってしまったのかと申しますと、そうでもございませんで、西田直養を調べていたら、丸谷才一のエッセイを発見しまして、『軽いつづら』という本に入っているのですが、じつは今回初めて丸谷君の本を読みまして

「嗚嗟、これは現代の国学者だなぁ。」

と思った次第であります。とくに、ジャケットのボタンの話なんかはずいぶんそう思わせるお話でありました。

 なんでも、背広やジャケットのボタンは全部かけるのではなく、一番上のものをかけるようにできているそうで、全部かけるのは「野暮ったい」のだそうです。で、丸谷先生が言うには、日本人のように、一つもかけないというのは、そもそもお話にならないのだそうです。そういわれてしまうと、多少の無理とは思いながら、ちょっときつめの上着のボタンを留めたくなるというのが人情といいますか、「スノッブかつペダンティック」を掲げる当方としては、思わず自分のボタンの状態を確認してしまったりするのですね。

 自らの生活になんらかの規律を導入することが、倫理化ということなのでありますが、丸谷君はみごとにそれをやらかしてくれているわけであり、しかもそれが純粋に自己満足の世界に留まっているところが、近世国学ロマンを持った現代の国学者と呼ぶにふさわしいと言えましょう。


戻る