天皇論研究会第一回報告
「1997.01.02(晴れ)」

 ――その日、天皇論研究会は東京駅におりました。天皇学 Mikadologieの徒としては、一つ「皇居」というものを見なければないと考えられたからでした。(なお、Mikadologie(天子論・天皇論)と、ライプニッツGottfried Wilhelm Leibniz(1646-1716) の『La monadologie――単子論』とは関係はありません。)

 ホームの階段を下りてふと気がつくと、目の前の掲示板に模造紙一枚に朱墨で





 とありました。

「なんだ、えらい手回しがいいですねぇ。」

 と誰かが言います。

 てくてくと歩くと、原敬や浜口雄幸も撃たれたという東京駅の赤煉瓦の前に出てきました。横断歩道を渡ると、向こうの方からぞろぞろと、いやぞろぞろぞろ、いやいやぞろぞろぞろぞろ、とにかくやって来きます。手に手に白地に赤い旗を持ってやって来きます。

「もしかして今日は〈アレ〉だったんじゃないですか? 」

 との思いが、全員の脳裏をよぎります。

 東京駅から西へ、西へどんどん進むと、その思い付きは、確信に変わりました。おそらく1万人はいるであろうという人の流れが、切れることなく続いています。10分ほど歩いた頃には、最早戻れない所までやってきてしまっていたのです。

 検問です。

「手荷物は、こちらでお預けください。」

 警察官が、拡声器で呼び掛けています。

「ハンドバック、カメラ以外はこちらでお預けください。」

 警察官が、拡声器で呼び掛けています。

それだけは、勘弁して欲しいと誰もが思ったものです。が、もはや戻れないのです。後には、何千という人の流れがたちはだかっていたわけですから。特に、危険物が入っていないわけではないのです。一人が『共産党宣言』の英語版と日本語版を入れた鞄をもっていたので、こういうものを預けるのは望ましくない、と思われたので、検問で鞄を預けないですませたいと考えたのは当然の理と言えましょう。はやいはなしが、面倒だったのですね。名前を書かないといけないというのも、そう思わせる一つの要因であったでしょう。

 キョロキョロと、あたりを見回すと、目の前に大きなリュックを背負った子供連れの中年男性が、若い婦人警官と話しをしていいます。

(若い婦人警官)「リュックを預けていってください。」
(中年男性)「いや、さっき向こうで持っていってもいいですといわれたんで。」
(若い婦人警官)「ああ、そうですか。それでは結構です。」

 その時、はたと、思いました。

「嗚嗟、このオジサマの後をさも身内のフリしてついていけばいいかなぁ。」と。

 実際、それでよかったのです。(お試しアレ)

 石畳の歩道をヒョコヒョコと歩いていくうちにいつのまにか、人々の手には件の旗が握られていました。

例の旗

 旗をくれたのは詰襟学制服を着た紅顔の少年だったり、普段着の奥様だったり、ただのおぢさんだったりしました。ほかにも若い女性も含め十人ばかりが旗を配っていました。一つ思ったのは、この人たちは〈検問の内側〉にいるということですね。ただそれが、どういうことを意味するかはわからないのですが…。

 さて、戴いた旗をハタハタとなびかせつつ、「米飯獲得人民大会(いわゆる食料メーデーあるいは米よこせデモ)」のあった皇居前広場を、ロープで作られたルートに沿って横切ります。「國體ハ護持サレタ 朕ハタラフク食クツテルソ 爾臣民飢ヱテ死ネ ギョメイギョジ」という「詔書」を思い出しながら進む皇居前広場は、玉砂利が敷かれて足を取られそうになります。

「暴徒鎮圧には、いい設計なのかな。」

 誰かがそう指摘します。よくわからないことを話していると、二度目の検問がやってきました。

 今度は、鞄の中をみるというのです。

「まあ、ひとさまの御宅に入ろうってのだからそのくらい当然かなぁ。」と妙な理屈で鞄を差し出します。それでも、全開することはしないで、必要最小限度に。

 警察官が、一人の鞄の中に不審物を発見する。『共産党宣言』を入れていた彼れの鞄です。

(警察官)「これはなんですか。」

 その警察官は黒くてやや長めの物体を手に取ります。見るからに不審物です。周囲の目が集まります。

(彼)「(堂々と)ヨーカンです。電車の中で食す物です。」

 警察官はどうやら納得してくれたらしいです。しかし、なぜ羊羹が…。いや、それ以前に、「電車の中で食す物です」とはどういう意味なのでしょうか。(あとでホントに食べてました。)警察官の追及は続きます。

 そして、再び警察官が不審物を発見しました。

 彼れ自慢の平壌放送も北京放送も入る海外短波放送用のナイスなラヂヲに司直の手が伸びたのです。

(警察官)「これは、ラジオですか。カメラですか。」
(彼)「(誇らしげに)ラヂヲです。」
(警察官)「そうですか、御協力ありがとうございました。」
(彼)「(慇懃に)いえいえ、ご苦労様でした。」

 スイス・アーミーナイフも『共産党宣言』も見つかりませんでした。この幸運を神に感謝しようと祈るべき神様を捜しているとき、誰れかが言いました。

「さっき『ひとさまの御宅』といったが、ここは国民の物ではないんかね。ちゅうことは、それ以外の答えを用意しなければならないわけだ。そんじゃあ、さっきの行為は何だったのかね。」

 彼れはそこで、言葉を濁しました。

「一ついえるのはおいらは任意で鞄を見せた、ということだな。故にオレ自身の人権は取敢ず侵害されていない。取敢ずは。」

 取敢ずという言葉を繰り返しながら首を振りながら、昭和天皇が白馬で臣民に応えたという二重橋を渡ります。そして、いわゆる「新宮殿」前へ進みます。

 新聞などでよく見るあのテラスが見えます。気になることに、警備の装甲車輛に懸けられている垂れ幕は、どういうわけか「紅白」ではなく「青白」でした。そして、テラスは東向きでした。天子は南面す。東向いていていいのでしょうか。

「いや、きっと新春であり青春なんである。従って東方で宜しい。」

 妙な似非道教で誰れかがこの謎を解決しました。

 そんな非学問性を大いに発揮しているうちに、宮内庁の女性アナウンスが入ります。

「まもなく、天皇皇后両陛下、皇太子皇太子妃殿下、秋篠宮………。」

(「**様」とかいわないよな、さすがに…。)

 と思っていると、一斉に、辺りがざわつき始めます。はるか右手の方から――つまりかなり早い時間から来ている人たちのあたり――、「天皇陛下万歳」と叫んでいる声が聞こえる。ほとんどの人は、その声に呼応しませんでしたが、徐々に旗を降り始めました。かたわらでは、幼い女の子が「見えないのー」とピョンピョン跳ねていて可愛い。

 旗をバタバタ。旗をパタパタ。カメラをバシャバシャ。カメラをパシャパシャ。カメラをパシャパシャ。

 一分ほどして、拡声器から声がします。

「みなさんとともに 新しい年を迎えて たいへん うれしく おもいます……」

 このあと、「今年も よい年であることを 心から希望します」とかいったのでしょうが、とにかく、あっというまでしたし、実にさらっとした、印象に残りにくい内容であったことは確かですね。なんといいますか、確かにそこに存在していたのに、蒸発したかのようにどこかにいってしまったような、そういった「お言葉」でした。

 「綸言汗の如し」という言葉がありますが、本来とは違った意味でその通りだと思われました。「綸言」(「お言葉」)は、汗のようにどこかにいってしまったのです。

 その後、二分ほど主権の存する日本国民(一部例外含む)の振る旗に応え、そしてしずしずと退がっていったのでした。

旗の波の中で実感したことがあります。それは、

 天皇は王だということです。

 あたりまえと思うかも知れませんが、天皇が王であるとは、憲法にもどこにも書いてはいません。

 テラスに誰もいなくなったころ、ぞろぞろと帰り始めます。ふと見やると、向こうの方に、持参の旗(とてもとても大きい)を持っていた男性が、二人の警察官に挟まれて連れて行かれています。「持って来ちゃいけないよ」というのにこういう人がいる。どうやって持ち込んだのか、ずいぶん長い物干し竿でです。多分、色々創意工夫して持ち込んだんだろうと思われました。

 さて、どういった人間がやってきたのかというと、大体次のような感じだったんじゃないでしょうか。

・4割――家族(子供連れ)
・2割――老夫婦
・2割――独身(男:女=4:1)
・1割――カップル
・5分――右翼
・5分――外国人

 天皇は王です。が、旗を振っているほとんどは、王を〈王さま〉としてしかみていません。リアリティに欠けた、ロープレの〈王さま〉です。〈王さま〉としての天皇はそれ以上でもなく、それ以下でもない。つまり、そういうことなのです。

 帰りしな、英語を話す外国人が「三〇分も待たせて、あんなに短いというのはあんまりだ」とかいっていました。無論その外国人も、どこかの国家主席のように、五時間もかけて演説をするとでも思っていたわけではないだろうとちょっと笑いました。

 「国民統合の象徴」としての天皇とは、まさに「お言葉」の短さに現れていると言えます。「綸言汗の如し」(天皇のことばは一度発したら二度と戻らない汗のようだ、ということ)である以上、失言はあってはいけません。そこにあるのは、汗のように速やかに引いていく択ばれた言葉だけなのです。しかしそれこそ、いやそれゆえに「国民統合の象徴」たりえるのでしょう。

一体、天皇とはなんなんでしょうか。それは王である。王があるべきかあらざるべきかは別として、一体どのような王なのか。少なくとも、戦前とは全く異なった、在り方であることは疑いありません。
ヘーゲルは、こう言ってます。

「君主は恣意的に行動してもよいというのではない。それどころか君主は審議の具体的内容に縛りつけられているのであって、憲法がしっかりしていれば、君主にはしばしば署名するほかになすべきことはない。しかしこの〈名前〉が重要なのであって、それは越えることのできない頂点なのである。」(『法の哲学』)

 頂点――そうかも知れません。頂点は点であり、それ自体存在しない。それをそのようにあらしめているのは、主権を保持している国民なのであって、それ以外のなにものもそのようなことはなしえない。署名するのは天皇であるにせよ、その署名に価値を与えるのは国民以外のなにものでもないということは確実でしょう。

 そんなことを話しながら、宮城を後にします。「坂下門外の変」の坂下門は本当に坂の下にあり、ここから外に出ます。

 しばらく歩いて、さいごに宮城を眺めようと振り向くと、警察の電光掲示板がありました。四畳半はあろうかというその巨大な電光掲示板に、今日の一般参賀の予定時刻が映しだされていました。ふっと画面が切り替わり、英語のインフォメーションになります。

 そこには、赤い電飾でこう書かれていました。

 ODEMASHI TIME

 ――かくして全員が強いめまいを覚えたのでした。

(おわり)

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