『新しい歴史教科書』を作ろう


本日は、日本が最後の戦争を終えてから58年目に当ります。これが最後の戦争であり続けるかどうかは分りませんが…。

さて一方で、日本が最初の近代的戦争を行ったのはどこでしょうか。これには色々意見はあると思いますが、少なくとも外国との全面戦争というものとしては、1863〜64年の下関戦争でありましょう。まぁ、青銅砲と鋼鉄砲とで戦争したら、そりゃダメですわ。戦争になりません。しかし、日本側が全く不利であったかというとそうでもありませんでした。

関門海峡というのは対岸の北九州市の門司との非常に狭い水路でありまして、たとえ下関の砲台のアウトレンジに船をおいたとしても、門司側から打ちかけられたら絶対当るという状況でありました。当時のフランス軍士官も、「小倉の小笠原侯が中立を守ってくれなかったらどうなったか分らない」と言うております。

先年、当方も下関に参りまして、フグも食えずに帰ってきたわけでありますが、それはそれとして、下関戦争記念碑を見に行きました際、なんかほかにも碑があることに気づきました。よくよく見ると

「壇ノ浦合戦碑」

とあります。ちょっとびっくりしました。

壇ノ浦合戦にせよ下関戦争にせよ、当方は高等学校などでよくよく存じ上げているわけでありますが、まさか同じ場所でやっていたとは存じませんでした。だって名前が違うんですもの。いや、そういう問題ではなく、歴史教育というのはいったい何なのかと思った次第。

高等学校は、タテの時間的な流れをたたき込み、「日本には長い歴史があるんだ」と思せ教育をしているわけですが、実際には「壇ノ浦」と「下関」の一致も知らないわけです。一体その場所がどこであるのか・何であるのかというのは、かえりみられることは少なく、「そこは日本である」という限りで「日本史」に放り込まれるわけであります。極端な話、壇ノ浦と下関とが何百キロと離れていても、(山口県周辺以外の)高等学校の生徒さんには、関係はありません。結局のところ問題を解くのに必要がないからです。

そこには、歴史を抽象的な物語として語ろうとする態度が見え隠れします。「日本」というものを「自覚」するための物語と言っても宜しいでしょう。

翻って、日本最後の近代戦争であるアジア太平洋戦争はどのように描かれているでしょうか。やはりそこでも、現在のアジアとは切り離されて描かれているわけです。だって、当時は植民地だったんですもの。いやそういう問題ではなく(以下略)。

わたくしどもは、歴史を流れ行く物語としてではなく、その土地・その地方と今日の我々とが、時間的にも空間的にも連続しているという実に単純な事実を忘れてはならないのではないでしょうか。

少なくとも台湾や韓国に行って「何でこの爺さんは日本語がしゃべれるんだろう」とか思わないようにしたいものです。その爺さんは爺さんで実は一つの日本の歴史なのです。当方は、そういう『新しい歴史教科書』を望みます。


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