間柄の三段論法


 もう全くもって週刊どころか、季刊ですらなくなって参りましたが、どうも、昔のような無理が効かなくなってきたのでしょうか。困ったモノです。で、その復帰第一号なのですが、「間柄の三段論法」と題しましてお届けいたします。

 今回のお話は以前、雪の博士こと中谷宇吉郎センセイが、「陰イオンが沈静的に働くことは事実であり、これが事実であれば、陽イオンがその反対に、陽イオンに興奮効果があることもまた疑う余地がない」という非科学的な論理を糾弾していたことを「今日の小咄」「みなさまの声」で申しましたその続きであります。

 まず、三段論法なのですが、これはアリストテレス先生が大成した、論理学の方法でありまして、大前提・小前提の二前提と一個の結論との三段の手続きから成ります。大昔、こんなことを申しました。


 右は靖国神社の中鳥居の外にいる鳩。都会の鳩にふさわしく黒い。真っ黒である。
 左は中鳥居の内側にうろうろしている鳩。あくまで白い鳩である。

 アリストテレス的三段論法で解釈すると、
1)都会で自然に住んでいる鳩は真っ黒である。(大前提)
2)靖国神社境内の鳩は真っ白で不自然である。(小前提)
3)ゆえに、靖国の鳩は不自然である。(結論)

 ちなみに、三段論法は何事も云うものではないという話もある。


 あまり例としては不正確ですが、A=BでB=CならA=Cである、ということですね。で、「三段論法は何事も云うものではないという話もある」なんて書いてますけども、この三段論法には落とし穴がありまして、大前提に対する小前提が実は大きな役割を果たしておりまして、お好みの結論を出したければ、それを導くような小前提を持ってくればいいわけですね。

 たとえば、アンケートで賛成51%・反対49%という結果が出たとしましょう。反対派としては、小前提に、「反対は半数に近かった」という命題を持ってきます。そうすると、「反対は極めて多い」という結論を導き出すことが出来るわけです。賛成派は「賛成は過半数に達した」ことから「大多数は賛成である」と結論できます。大前提――これをデータといってもいいでしょう――の分析(小前提の選択)は、その望む結論によっていくらでも変えられてしまうわけです。先ほどの鳩の場合はどうなるか、と申しますと、「鳩が不自然」であることを強調したいという下心があるわけですね。みなさまもこのような、論理的であるかのように見せて実は恣意的な話にはお気をつけください。

ちょっと、脇道にそれましたが、中谷宇吉郎が糾弾しましたのは、まさにこの小前提を、自分の好き勝手に設定して自分の望む結論を導き出す態度であります。でもちょっと待って下さい。例の陰イオン先生は、「陰イオンが沈静的に働くことは事実であり、これが事実であれば、陽イオンがその反対に、陽イオンに興奮効果があることもまた疑う余地がない」と言ったわけですよね。これをよく見ますと、

1)陰イオンが沈静的に働くことは事実である。…大前提
2)陽イオンがその反対に、陽イオンに興奮効果がある。…結論

となります。つまり、本来結論を導くべき小前提が存在しないのです。さすが、「大風吹けば桶屋が儲かる」東方の君子国は言うことが違います。大前提からいきなり結論を導いてます。ここで省かれている小前提は「陰陽はおのおの対立する性格を持つ」というものなわけですが、こう改めて書くと、「え? それって本気で言ってるの?」と問い質したくなります。しかし、わたくしどもは、なんとなく、「陰イオンがそうなら、逆の陽イオンは逆の性質を持ってもいいよなぁ」などと思ってしまうわけですね。こういう、小前提の省略、ないしは論理の跳躍は日本語にしばしば見られる現象です。

 たとえば、「渋滞で遅刻した」とよく言い訳をしますね。これは、欧米人には理解できない話だそうです。別に、あちらには渋滞が起きるほど車がないとかいう話ではありません。彼れらは、こういうのです。「渋滞が君を遅刻させる訳ないじゃないか」と。確かに、遅刻させたのは渋滞ではなく、渋滞で車が進まなくて時間がかかって遅刻した訳ですから、進まない車が悪いわけですね。彼れらの感覚としては、「渋滞」と「遅刻する人」とのつながりがわからない訳です。つまり、

1)渋滞があった。…大前提
2)私は遅刻した。…結論

という形になります。「私の車が渋滞に巻き込まれて、私は遅刻した」と言えば、彼れらは納得してくれるわけです。ただし、その後で許してくれるかわかりませんが…。なお、この場合はこうなります。

1)渋滞があった。…大前提
2)渋滞は私の車の進行を阻んだ。…小前提
3)私は遅刻した。…結論

 日本人は、しばしばこの小前提の存在を対手に推量させる傾向があります。さらには、結論まで類推させたりもしますからやっかいなモノです。もっと非道いのになると、「みなまで言うな、オマエらの気持ちはよ〜くわかっている」などと抜かして、青年将校を野放しにした高級軍人もいますからさらに問題です。このような背景には、「自分の心の内が対手にもわかってもらえている」という以心伝心的な思い込みがあります。「アナタとワタシの間には見えないけれど共通理解があるのよ」という、ちょっと気持ち悪い状況です。和辻哲郎は人間を「間柄的存在」と申しまして、日本人こそこの「間柄」を最もよく表現していると宣いましたが、この論理のぶっ飛び具合は、まさにこの「間柄」の産物にほかなりません。

 「渋滞で遅刻した」ということばのウラには、「渋滞があったって言ってるんだから、それにこのワタシが巻き込まれたに決まっているじゃありませんか。そのおかげで、車が進まなくてワタシは遅刻したんです。しょうがないじゃないですか許してくださいますよね、当然。」という、実に深い含意があるのであって、そこら辺の日本語の機微を感じ取れないと、立派な社会人にはなれず、「アイツは失礼なヤツだ」とか「イヤ、礼を失しているというよりは、そもそも礼がないので無礼だ」とかいわれてしまうのです。またまた横道。

 このような、小前提の跳躍は、至る所にあります。先ほどのアンケートの話もそうですが、自分が付いている党派によって、結論を納得するかしないかは大きく変わってくるわけで、それは省かれた小前提の「間柄」的共有の有無にかかっています。先年、沖縄の基地移転で、住民投票と選挙とで結果が僅差で逆になったことがありましたが、どちらの側も、結局は判断を変えずに、反対な人はヨリ反対に、賛成名人はヨリ賛成に小前提を選んで結論を出していたわけです。いってみれば、反対派(賛成派)というタコツボの中で、そのタコツボの中にいる人にだけ共有される小前提を推量させて思考しているわけです。このタコツボが「間柄」ということになります。

 とりあえず、不祥事を起したくせに「ワタシは選挙民によって選ばれたのだから、そのような不正を行うはずはない」などと言って、韜晦するような人になってはイケナイのであり、またそれに対して「議員の地位は大変重いのだから、軽々しく辞職勧告など出来ない」とか言って擁護するようなことを看過してはイケナイ、ということです。「選挙されたこと」と「不正」、あるいは「地位が重い」ことと「辞職勧告」これらの論理的関係というのは果たしていかなるものがあるのでしょうか。そのウラに隠されている小前提とはなんでしょうか。そこには、自分勝手な甘えはないでしょうか。私どもは少し考えてみる必要があります。まぁ、大体わかるのですが、このことは、ワタクシもまた、この間柄的な論理に毒されていることを意味しているわけで、実に済い難くもあります。合掌。


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